人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2020年 08月 29日

膝抱くのはやめてー木は水を運んでいる(3)

山田航さんが短歌を4首携えて、展示に加わってくれる。
彼はムラギシと同じ年齢、同じ札幌出身なのだが、大学は
京都で就職し、札幌にもどってきた年ムラギシが死んでいる。
そんな山田航さんが、ムラギシの遺した遺作・追悼本「木は
水を運んでいる」を読みその想いを「出会えなかった友との話」
と題し2011年4月13日東京新聞に書いている。
今回ムラギシの死後15回目の夏、あらためて掲載されたその
エッセイを読み返してみた。

 ・・・・・
 私はずっとすれ違っていた。同じ年に同じ街に生まれ、
 すぐ近くにいながら結局は出会えなかった。・・・・
 わたしの存在を知ることなく去った彼を、私は確かに友人
 だと思っている。彼の作品は遺っており、彼の魂の一部には
 触れることができている。М君、来世こそ出会って、親友に
 なろう。

2011年の3・11から一ヵ月後に掲載されたこの一文は、何処か
震災・津波・原発事故の記憶と重なって、逢わずにこの世を去った
死者への想いと重なるものが私にはある。
山田航さんが持参してくれた、短歌四首。

 くすんだ窓に緑の蔦が揺れている
 立ちあがろう膝抱くのはやめて

 肩書はとうに燃やされ
 ここにあるすべての水が空だったこと 

 陽炎というランナーがこちらまで駆け寄ってくる
 熱気を脱いで

 星置から銭函までのうたたねを
 優しく叱るようにかもめは

3・11から一ヵ月程後に書かれた死者への深い友情に満ちた
文章が、2006年8月ー2011年4月ー2020年8月と山田航の胸に
何かが木魂している気がする・・・。

遺された高校3年の時の油彩、下半身のみがぶらりと宙に浮き
暗い赤の画面に黒い棒のように浮いている。
その膝を抱える指は、骸骨のように骨が露わだ。
そこに山田航は声を掛けている。

 立ちあがろう
 膝抱くのはやめて

<追悼>ではなく、それが山田航のムラギシへの<追伸>の
四首のトニカだから。
       

*「追伸・15回目の夏ームラギシ」展ー9月13日まで。
 月曜定休・水・金曜日休廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-ー737-5503



# by kakiten | 2020-08-29 14:42 | Comments(0)
2020年 08月 23日

さらば、鯉江良二、安斎重男・・・「木は水を運んでいる」(2)

今月8日鯉江良二、13日安斎重男と相次いで訃報が届く。
一つの時代、共に伴走してくれた優れた表現者だった。
鯉江さんは、1989年円山時代の「界川游行」まで。
安斎さんは、1983年の川俣正テトラハウスプロジェクト以来
1989年第一次テンポラリ―スペース開廊最初の鯉江良二展カ
タログ記録写真まで。
濃い札幌、熱いテンポラリー時代を疾走したと思う。

鯉江さんは、私が父、祖父の遺した家業を継ぎ、ひとりで
色んな地方の陶芸家を尋ね歩いた頃、常滑の南山陶苑の
富本さんに紹介された。
まだ無名の時代で、訪ねた自宅の障子の紙が破れてぼろぼろ
だった記憶がある。
その後私が父・祖父が亡くなった都心を捨て、郊外の円山北町
に転じ2階を器のギャラリーとして開設し、その最初の展示が
鯉江さんを含む常滑5人展だった。
この時鯉江さんは展示に来てくれ、円山の私の自宅に滞在し、
この時部屋に飾ってあった岡部昌生の赤のフロッタージュに
興味を抱いていた。
これが切っ掛けで数年後鯉江―岡部の二人展が始まる。
当時近くにあった倉庫を借りて実現したルフト626でのふたり
展は、今や伝説の名展だったと思う。
その前後だったか、当時札幌の近代美術館にいた正木基氏が企画し
一軒の民家をまるごと梱包するインスタレーションの話がきた。
それが当時芸大大学院院生だった川俣正で、この企画はテトラハウス
326となって結実する。
この時東京から記録を撮りに来札したのが、安斎重男だった。
この時の記録ドキュメントは、2冊に纏められ後に川俣正の海外
でのデビユーに大きく貢献したと聞く。
ルフト626もテトラハウス326も、数字はみな条・丁目を
現す数字だ。
当時の私の店は北4条西27丁目だったから、この近隣の建物を
借りて試みたものだ。
テトラとは三角形の角地に建っていた一軒家、ルフトとは倉庫の
事である。
その後のふたりの活躍は諸氏が知る通りだ。

近来のコロナ現象で、人はコロナを運んでいると感じ、ムラギシの
最後の個展「木は水を運んでいる」という有機的な世界との回路を
ムラギシ追伸と感じ、佐々木方斎、豊平ヨシオ、一原有徳の作品で
ムラギシの作品を囲繞するように展示したが、今回のふたりの訃報を
会期中に知り、革めて「人は作品を運び、作品は人を運んでいる」と
感受している・・のだ。

*「追伸・15回目の夏ームラギシ」展ー9月13日まで。
 月曜定休;水・金休廊
 今回の展示は9月中旬まで延長いたします。
 水・金は、今通院治療中で午後2時以降滞廊できず申し訳ありません・・。

 テンポラリ―スペースー札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-ー737-5503







# by kakiten | 2020-08-23 13:00 | Comments(0)
2020年 08月 18日

15回目の夏ー「木は水を運んでいる」(1)

「追伸・15回目の夏ームラギシ」と題して、私なりの構成で
村岸宏明=ムラギシからのあの世からの追伸を構成して見た。
会場正面には一原有徳さんの1990年制作「鏡面ステンレス
+アセチレン焼き+フォートエッチング」3面を置いた。
作品前に立つ人が背後の風景と共にステンレスの画面に揺れて
歪み映し込まれる作品である。
左北壁には真ん中に沖縄豊平ヨシオさんの青に亀裂の作品、そして
その両脇に佐々木方斎の「格子群」版画を5点囲繞するように
配した。
さらに入口右の奥まったコーナーには、村岸宏明高校3年に描かれ
た唯一の油彩を掛け、その前に追悼本と故人の生前の写真とを、学
生時代の木の椅子を思わせる木製の椅子の上に配した。
佐佐木方斎の作品「格子群」は縦に一本その中を横に三本の直線が
過る黒・赤等単色で構成された作品である。
この作品を2006年8月展示中にムラギシの訃報が届いた。
7月「木は水を運んでいる」展の後に展示され、同時に訃報も
この作品の展示中で多くの友人たちがこの作品の前に佇んだのだ。
そうした因縁もあり、同時にこの作品が保つ縦と横の直線の交叉構成
が私には現代の物流構造を喚起させて見えたのである。
この作品中央の縦の一線は豊平ヨシオの青一色の背景に縦の亀裂を
配した9種の異なる青の作品と共通するものを感じていた。
方斎の作品もまた一色で一点づつが構成された作品群である。
ムラギシが高校時代描いた油彩画もまた作品中央縦に下半身の両脚
が描かれ顔の見えない両腕の骨の見えるような痩せた指が膝頭を抱
いている構図である。
傷だらけの縦軸が高校3年の青春自画像としてあり、沖縄の美しい
海と空を思わせる様々な青を裂く深い亀裂で沖縄の現実を表現した
豊平ヨシオ。
直線的に交叉する現代の物流社会構造をクールに線だけで構成し
表現した佐々木方斎。
世代も生きている風土も異なる3人。
しかし底に共有されるグローバル物流現代社会への縦軸の哀しみ
絶望・・・。
ムラギシが15回目の夏に<追伸>として届けてくれたメッセージ
<運ぶ>を私は、そう理解している。
一原有徳の作品は、そうした縦軸の直線を排した目の前の歪み
の世界である。
鏡面ステンレスの画面が風景もろとも、前に立つ人間も揺れて歪む
のだ。
他に懐かしい自転車を引っ張る村岸を描いた小品絵画は、網走の
佐々木恒雄さんが漁で多忙の中送ってくれた。
この作品は芳名録前の壁に置いた。

展示を終え明日からのまた新たな発見、ムラギシからの<追伸>を
待つている・・・。

*追伸・15回目の夏ームラギシ展ー8月18日ー30日
 19(水)・21(金)休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503







# by kakiten | 2020-08-18 15:31 | Comments(0)
2020年 07月 19日

木は水を運んでいるー荒地(31)

ずっと何処かで気になっていた。
村岸宏明最後の個展のタイトル。
<木は水を運んでいる>。
この<運ぶ>という言葉だ。
15回目の命日を来月に意識して、ふっと気付いた事だ。
「人はウイルスを運んでいる」
人は国家・社会を越えて、グローバルな回路を経済・交通
の回路として地球規模の物流構造を築いてきた。
そこに新型コロナというウイルスが人を介して運ばれ、現在の
感染状況がある。
一時代前であれば、中国一地方の風土病のような現象が、物と
人のグロ-バル回路と共にニューヨーク、東京に代表される
人と物の大集散地に集結し感染者を日々大量に発生させている。
<木は水を運んでいる>位相と対峙するような<人は新型コロナ
を運んでいる>状況は、人と地球・人と国家社会の在り様を
<運ぶ>という共通する言葉で、ムラギシはすでに感受していた
気がしたのだ。
高校3年の時描かれた唯一遺された油彩画は、その若い感性が向
き合った社会への視座がある。
膝を抱いた骨だけのような腕・指。
その足元は不確かで、首を吊った身体のように不安定だ。
大学に入り自然と向き合い作曲し、演奏を続けていた彼の遺した
CDに「銭箱から星置まで」という曲がある。
これは実際に海岸から内陸の川の源流域まで歩いて創られた曲・演奏
である。
道途中の風・波音も音として曲に取り入れられているからだ。
最後の個展「木は水を運んでいる」では、円山川源流域の白樺の倒木
を運び込み、会場中央吹き抜けに吊り、見る人は樹の幹を抱き耳を充
てそこに仕込まれた音を聞く展示だった。
音は展示の樹の立っていた傍を流れる川の音、そして吹き渡る風の音。

樹木の保つ有機的な命の脈のような水音。
地と繋がり命へと繋がる<運ぶ>。
この本質的な<運ぶ>の差異を、現代社会に対しムラギシはすでに問い
かけていた気がする。
高知の川で死んで15回目の夏。
15年目の<追伸>を、私は私の選択で他の作家たちの作品で構成して
みたいと思う。

*「ムラギシ追伸ー15年目の夏」ー8月18日-30日

 テンポラリ―スペースー札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-07-19 17:51 | Comments(0)
2020年 07月 14日

15年目のムラギシー荒地(30)

若い友人村岸宏明が2006年高知の鏡川で溺死して15年になる。
来月8月に命日が来る。
1897年から続いた老舗の家業を閉じた年、その半年後に現在地
にギャラリーだけを残して新たな場を創った。
心通じる友人たちの多大な協力で、荒れた古民家を再生した。
狭い展示スペースは、天井を抜き縦に拡がる縦軸の空間とし、
土壁は板を張り白い壁とした。
古いがしっかりした梁木・棟木はそのまま残し、押し入れなど
の空間に床板を張り2階余剰部分は回廊とした。
展示場から2階に登る為吹き抜けを繋ぐ梯子を設け、奥の階段
と併せて昇り降り可能にした。
その為作品を見る人は、自らの視座を身体の移動と共に作品を観
る角度を獲得し、新鮮な身体を通した経験を得る効果が生まれた。
こうした空間構成を一番最初に評価し喜んでくれたのが村岸君
だった。
そして自ら初の個展を開廊の2ヵ月後に開いたのだ。
この展示の想い出は死後かりん舎より出版された追悼遺稿集に
心籠めて私は書いた。
他にも彼の多くの友人、先輩、恩師たちが心深い文章を寄せている。

作曲・演奏のみならず、絵画、インスタレーション、文章を含め、
表現者として全身で生きようとした村岸宏明を、私は私なりの構成
で追悼の展示を企画してみようか、と思っている。
コロナ、九州豪雨と心重い年に、社会と向き合い、自然と向き
合ったムラギシの純粋な魂を、テンポラリ―スペースの収蔵品で
構成してみたい。
ムラギシの僅か23年の純粋な人生の精髄には、コロナ以降顕在化
した自然と人間、国家社会と人間の、現代が孕む多くの相克が凝縮
して息づいている気がするからだ。

*<ムラギシ追伸ー15年目・夏>ー8月11日ー30日

テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2020-07-14 15:10 | Comments(0)