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テンポラリー通信

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2005年 12月 15日

また歩く、歩かなくっちゃ。

こんなに寒くて、厚着したのはあまり記憶にない。寒さに強い方だと思っていたから
風邪から喉ー気管支炎。お金から裁判ー立ち退き。逆境から歩行ー札幌の入り口。
あんまり揃ってもいないけれどそんな3つの進行があって街考古学にしばし
集中した。前から調べていた事と、歩いて発見した事が、つながり、新たな
意味をもってくる。イプツーイパル(その入り口)というアイヌ語が江別や夕張そして
勇払のことを意味し興味深く感じてはいたが、肝心のさっぽろの<その入り口>を
見つけてはいなかった。豊平川とつながる鴨かも川のゾーンに、東区の伏古川へと
つながる<その入り口>を見た。さっぽろ川の流域は、街としても茨戸街道界隈
と共通する性格を、屯田通行啓通あるいは神社お寺の多さをも含めて街の中に
保っているのである。中間の計画的人工的<本府>だけが浮き上がりなんとかの
城のように見える。しかし実際はそこが政治経済の中心であり繁華<街>である。
ここでは<その入り口>は本来の自然構造を喪い別の入口が肥大し増幅している。
わたしの<喉ー気管支炎>は、<その入り口>の身体的症候群かも知れない。
こんなに寒くて震えているのは、入り口が発熱して震えているせいだ、きっと。
古いものが古いままにあることを否定して、新しさが意味ある世界とは、常に
追いかけられているような忙しない世界だ。この世界の入り口はきっと新と旧の
廃棄口のように現れてくる。内と外が相互に触れ合い交感しあう場としてではなく。
歩く事の意味も其処では違ってくる。AからBへの移動ではない、AとBの往還
が意味を保つ。棄てるものはない。歩いて発見があり、歩き深まる時がある。
<その入り口>の持つチヤンネルの違いは今どんどん拡がって対峙してくる。
風景として世界が開いてくる<入り口>と、光景として世界が新奇に閉じてくる
<入り口>と。

# by kakiten | 2005-12-15 12:40 | Comments(0)
2005年 12月 14日

とうとう病院へ

先月から喉に詰まるような、息が切れるような感じが続いていた。
今週雪降って、雪掻きし、息が直ぐ切れ何だこれー!とさすがに
これから引越しの力仕事もあり、病院へいった。
気管支炎と血圧が高く、「よく我慢したねえ」と言われた。あまり誉められた
ことではない。さっぽろの入口に拘ったり、ストレスを首のあたりで受け止め
たりで気管支に皺寄せが入ったのかも知れない。
年内にゾーンとしては定まったが、どこと具体的に決めるまでまだまだ
緊張と集中力は続きます。
<想いは現実現実は想い>-大野一雄
及川恒平さん、糸田ともよさん、のライブがここの場と人への想いと
なって12月3日急遽おこなわれ、その日のブログにここの閉鎖を初めて
書いたのですが、及川さん、糸田さんともに札幌では、中の島と豊平川は
生れたところ、現在の宿泊先と縁深い所でした。
これも<想いは現実>のひとつかも知れません。
今日はこれにて静養。

# by kakiten | 2005-12-14 17:04 | Comments(4)
2005年 12月 13日

河口とステーシヨン

古いさっぽろ川ー伏古川沿いにパラト街道(元村街道)は、茨戸まで続く。
パラトは、アイヌ語で広い河口を意味し、ここで伏古川が石狩川と合流している。
創成川も茨戸につながり、陸路と水路が集結してくる。ある時期までここが
さっぽろの出入り口であったのは間違いない。その後汽車が小樽と札幌を
結びもう一つの駅ー出入り口が中心になっていき、石狩への回路は忘れ去られ
つつ今日に至っているのだろう。しかし、小樽は後志地方と今でも天気予報で
区別されるように、石狩とは自然の在り方が違う。文明の利器ー機械によって
私たちは2つの身体を身に着けたと思う。<頭と手の間に機械が入って分断し
てしまった>-リンドバーグ夫人(海からの贈り物)自然の身体性からは、旧
さっぽろ川につづく川の出入口、それと対峙するように駅(ステーシヨン)という
機械が開いた出入り口。そしていま問われているのは、自らの身体性に繋がる
回路をどう回復し、非等身大の世界とどう対峙できるかという問い掛けである。
札幌という都市は、近代そのもののように発展し膨張してきたが、近代以前
は中世も近世もなく即自然と接する優れてコンテンポラリーな現代を包含
したゾーンとして考えられる。この2つの出入り口は象徴的に存在し、
そこに拡がる街の違いもまた象徴的である。
鴨かも川沿いに、西へ拡がった行啓通り、東屯田通り等の古い街は
神社、お寺の多さといいパラト街道沿いの街との共通性は物と人の親和力が
ベースにある事だった。道庁と駅で分断されてもこの街は等身大の街なのだ。
そして同じ川筋を元にできた街なのだ。
わたしは、自分の生れた街がビル化しブランドの街となり、今また高層の
住まいのビル化した街となって、いわゆる発展し新しくなる事との違和をどう
歯どめし、さっぽろで生き抜いていくかを具体的にしかし精神的に確かめる為
このブログを書いている。一つの出入り口は、政治経済に基本があり、もう
一つの出入り口は、自然文化に拠っている。勝ち組みー負け組みなんて
ものじやなく自然文化に根ざした自立をと思うのだ。
そんな街にこそルネッサンスを!決して創成川ルネッサンスなどではなく。

# by kakiten | 2005-12-13 14:52 | Comments(0)
2005年 12月 12日

幻の大河ー札幌川

鴨かも川の豊平川取水口から川沿いに歩く。ゆったりと中島公園のなかを
護国神社を経て川が流れていく。朝雪が降り、晴れ、真っ白な世界を
歩いていく。水天宮に至り、川は薄野市街地に入りやがて創成川
に取り込まれて終わる。かって札幌川という川があり、1800年ころ氾濫
して現在の豊平川が主流になったといわれている。その旧札幌川は、現在
フシコ(古い)札幌川として、フシコ川の名で丘珠ー篠路に姿を現してくる。
フシコはアイヌ語に由来しているが、その札幌川が豊平川と切り替わった
まさにその名残が、鴨かも川と豊平川の接点であり、今の札幌市街地を
創った母なる川の痕跡である。ここがさっぽろの真の入口であるのだ。
自然がチヤンネルを豊平川へと変え、その痕跡の鴨かも川は。人工の
創成川へとチヤンネルを変えている。また近代において、汽車という
機械文明が駅ステーシヨンという形で、物流の入口を反対の北側に
設定する。私たちは<本府>とよばれた碁盤の目の道庁を中心に
札幌を見る都市の目線のうちにいるが、今日決定的にもう一つ
の入口からさっぽろをみる小さく深い旅をしたと思う。中の島、中島その名
の通り中洲だった大河サッポロ川の扇状地、その接点、触れる所にさっぽろ
のはじまりをみた。林立するビル群、歓楽街、ペットシヨップ、ビジネスビル
商業ビル、官庁街はその入口を効率と欲望の直線に変え、天地を埋めている。
創成川ー創成=新(成)川という直線の川はその象徴であるだろう。
さっぽろという場のチヤンネルを今一度、政治経済の手から自然文化の側に
切り換える時をと思う。さっぽろ川鴨かも川の旅は今を生きる私に原罪のように
そのことを伝えてくれる。
       

# by kakiten | 2005-12-12 13:18 | Comments(1)
2005年 12月 08日

三つの街

振り返るように私の生れた街角を見詰めると、祖父が創業し父が生れ死に
した街は<本府>と呼ばれた碁盤の目状の計画的人工的な街であつた。
明治政府が<西の都ー東の都>に似せて作った都市である。
今で云えば、筑波の学園都市のような周囲の自然とは絶縁したニユー
タウンであったろうか。それも政治の中心を担った北の都として。
したがって、其処の街は自然から離れ銀行も料亭薄野も含めて
官が基本の御用達的要素が主で、さらに汽車の駅を中心とする街となる。

もうひとつ振り返るように25年いたこの円山ゾーンを見詰めると、西の
山並みを中心とした自然の色濃い牧場や畑の農作物を基盤とした
川の源流域に拡がった<村>を基本にした街であると思う。ここは
官ではなく農の街だった。市場を繋ぐ街道の街だった。

もうひとつ見詰めるように豊平川の流域に拡がった鴨かも川ぞいの
いわゆる都心の南の街角は神社仏閣を中心に、門前町寺前町があり
母なる豊平川から分かれたもっともさっぽろという地名の自然に近い
街、官でも農でもなく民の街と思える。
 
<官>の街から<農>の街そして<民>の街へと私のさっぽろは
1970年代市街地再開発のビル群と闘い、遁れ、1980年代界川
円山川琴似川の源流から石狩の海へ開き、今2000年代住まいの
ビルマンシヨン群との闘いから、旧札幌川の流域に拓かれた最初
の街へ優しい廃屋と傷跡の残るしかしさっぽろの原点の場所へと
向かいつつあるのかも知れない。それもまた道行きの必然かもしれない
さっぽろを愛する札幌人として。

# by kakiten | 2005-12-08 13:04 | Comments(2)