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テンポラリー通信

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2006年 01月 13日

精霊の話ー続きの余波

高臣大介展3日目ー少しづつ人がまた来だした。オープニングパーテーで
あれだけいろんな人が来て、大介さんスタッフも凄い量の料理を作り、特に
カレースパゲッテイーは好評で大鍋が空に為ったほどで、2日目はその反動
か静かだった。そういう日に相応しくヒロさんの白い服の女性の話が出てきた。
でもあれは、ヒロさんでなければ、見ないよなあと大介さんと2人で話していた。
閉店後ふたりで飯を食いに、近くの居酒屋楽屋へと向かった。定食を頼みお酒
も飲みいい気持ちになった頃、東区の熊谷直樹さんが覗いて入ってきた。
白い精霊の話をしたら、白樺も綺麗だけれど、絶対にそれはKさんではないか
という。そう言われれば、MAさんでもMoさんでもSさんでもない、Kさんだよな
あと思えてくる。比較すればである。酔っ払いの与太話だから、そんな事で多い
に盛り上がった。とりあえず、白樺ヤスコさんという名前になった。

噂の白樺の木は、1981年にこの建物を設計した倉本龍彦さんが角地を角取り
して新た植えた木である。足元には紫陽花が同時に植えられた。当初2本の白樺
があったが一本は枯れ一本だけが今のように大きくなった。私は白樺よりも2階の
南窓に見える円山茶寮の銀杏の樹に惹かれていて、近くの円山、遠くの藻岩山を
借景に見えるのが好きだった。それと昔私の生れた家の中庭にも銀杏の樹が
あって、ここに来てそのことを想い出したこともあった。中学3年の冬スタンドの
光をふっと消して何気なく見上げた時、その銀杏は月光を浴びて黒々と凛として
立っていて背筋が一瞬すっとしたのを想い出したのである。普段何も意識してい
無かった樹が受験勉強の合い間ふっと見上げた眼に、急に生き物として現れた。
そんな感じだった。ここで毎日のように2階から銀杏の樹をみていて葉の形が
同じ事で気がついたのだ。それからここを流れていた暗渠の川界川を辿り、篠路
の竜雲寺で同じ大銀杏の樹を見た。その樹は札幌市の保存樹にも指定されている
大木である。私は3本の銀杏に導かれるようにさっぽろを旅してきた。そこから
見えたさっぽろは今まで自分の知らないさっぽろであった。

しかしここ2,3年白樺の木が気になってきていた。ここの立ち退きの
話が出てきたせいもあったかもしれないが、植えられた木だけに枝が
建物側には伸びず建物の反対方向にここを両手を上げて守るように
立っている姿を、愛着をもって見るようになったからだ。ああ一緒にこ
こで生きてきたんだよなあ、と思えた。今は夏の暑い日には日除けに
なってよく立ち話をしている人がいたり、待ち合わせの目印になって
いる。向かいの道路から見ると、鬱蒼と茂って美しい姿だ。


やはり白樺の精霊が、現れた気がするなあ~。
そのほうが納得できるし、嬉しい。
 

# by kakiten | 2006-01-13 18:37 | Comments(0)
2006年 01月 12日

白い精霊が顕われたー太田ヒロさんの見た・・。

高臣大介展2日目。昨日とは打って変わって静かな一日となる。
相変わらず雪。夕方太田ヒロさん来る。自然と一杯入り昨日の話になる。
彼は打楽奏者である。只打楽といっても通常のパーカッシヨン奏者ではない。
かってはドラムを叩いていたらしいが、モトクロスの趣味もあってある日両足に
事故で大怪我をしドラムを叩けなくなりそれから既成の楽器を使わずに自分で
楽器を作るようになったという。その素材は、捨てられた金属の板や汽車のレー
ル廃屋の柱等多岐に渡る。その素材を金属なら一度川や海や山の中に埋めて
錆びらし、時期をみて掘り出し、削り、磨き楽器に仕上げるのだ。それ自体が
美しく一度お願いして個展をした事があった。また彼には若い美術の作家のフアン
も多く彼らの個展でよく演奏を頼まれていた。その時持参する楽器が、作品に
合わせていてそれ自体が彼の作品批評にもなっていた。あちこちの楽器保管場
所へその度に掘り起こしにいってそれが石狩川だったり、張碓だったり、裏山
だった。まるでリスのようなひとだな~と思う。餌を仕舞い込んでいるみたいだ。
オープニングでは完全にノリノリで2回も演奏して、その後夢遊病者のように
フラフラみんなの間を歩いていたがその内二階で寝てしまった。そして明け方
眼を覚ました時の話。「大介、誰かいたの。白い服着てズボンをはいた人が。
なんか悪いと思って声かけなかったけどさ。」「そんな人いないっすよ。やだな」
「え?だって少し俯き加減で真ん中の椅子に座っていたよ。長めの髪の若い娘」
「いないすよ。俺は酔つぱらって寝てましたから、いやだな~。でも本当?」
「本当だよ、はっきり覚えているんだ。てっきり大介おまえが、さあ」「そりやあ
ないっす!」

幻覚か酔っ払いの願望か分かりません。本当かも知れません。でも大介さんの
新婚の名誉の為に云っておきますがそれはありません。ただ私には思い当たる
のだ。彼女が白い服を着ていた事でそう思うのだ。一緒にここの時間を過ごして
きた25年前に植えた白樺の精霊のように。だってズボンをはいているのもそうだ。
ぼくらいつも見ているのは、枝、梢ではなく彼女の足元ー幹ですからね。
初日の熱い透明な空気が彼女を、リスのようなヒロさんに誘われてふっと姿を見せ
たくなったのでしよう。だってそれはヒロさんだけが見た話ですから。

# by kakiten | 2006-01-12 13:19 | Comments(3)
2006年 01月 11日

白く、透明な光溢れる世界だー高臣大介ガラス展

吊り下げられた透明なガラスが350本ほど窓際に氷柱のように、そして房のように
束ねられてシャンデリアのように天井からぶら下っている。総数で700近いガラス
が様々な形で上に下に並んでいる。透明でありながらほとばしる熱気がそこには
渦巻いていて、無彩色の内側に無数の色が犇めいている。もしひとたび色を投げ
込めば、キラキラと色彩が結晶しスパークするかのようだ。高臣大介のこの展覧
に賭ける情熱そのもののような個展である。製作中助手の人がフラフラになり
点滴で凌いだと聞いた。初めてする今回のオープニングパーテイーは、作品同様
熱気の渦となった。最初に太田ヒロさんのライブがあり、それから酒井博史さんの
飛び入りのギターと歌あり、一番最後は碇氏のトランペットのソロとなった。この間
人が3度ほど群れで集まってきた。そして自然に歌が楽器の演奏が生れた。
渦が固まりほぐれそしてまた新しい渦となった。いい展覧会の時はいつもそうだ。
固まりが固定しない。自由な渦となる。人が人に逢う、どんどん新しい輪となる。
初対面なのに、初対面ではなくなる。作家の人と作品がそうさせる。自然にひとが
ひとを開くのだ。ここの最後の展覧会なあ~んていう感傷はどこにも無かった。
軽く私に問い掛けても、今のこの時間の熱気にすぐに乾いて消えてしまった。
みんな黙って分かっていた。そのことが何よりの応えだった。閉じる精神(こころ
)はないのだ。みんな開いていた。それが、高臣大介展であり私の気持ちでも
あった。そして、忘れないだろう。漆喰の白い壁に映る透明なガラスの影と
、人の熱い渦巻き、声、それらがひとつに揺らいでいたその夜のひと時を。

晴れた夕刻僅かな時間に、外の光と内の明かりが同じ光度になる時がある。
その時光は一体になって、内と外を透明な空気で繋ぐ。青味を帯びた光が
内と外を結び柔らかな透明な時だ。ガラスはそんな時間によく似合う。
きっと人と人の間にもそんな時間がある。心の透明な運河、心の船が走る。
高臣大介展の初日は、作品を通してそうした透明な時間をもって始まった。


# by kakiten | 2006-01-11 16:15 | Comments(0)
2006年 01月 09日

いけばなの続き

花器店の血が騒いで少し続きを書きます。
<祈り>が人間の人間である所以であるというのは、他者を
思うという事だ。いつかTVでみたけれど、クロロマニヨン人と
ネアンデルタール人どちらが人類の先祖か、というテーマで化石を
調べた時傍にお花の化石が添えられていたほうを人間の祖先と考えた
番組があった。死者を悼む気持ちが花だとすれば人の始まりには<祈り>
が原点にある。花を添える、器に入れる、そして立てる。その時祈りが
形になる。奉るー立てる。祈りの形、両方の手を合わせている形である。
特定の宗教をここで意味するのではなく、勿論流派でもない。つまり心
の形としてである。それが日常にあるというのは、本当は凄いことだなと
思う。<祈り>を忘れてただキレイといって飾るのは、社会が豊かに
なったともいえるし貧しくなったともいえる。ただいけばなの原点は<祈り
>なのだ。ここが無くなる。その事を思う気持ちが伝わる。
いけばなを志す人が、<立てる>器をここの最後に決して安価ではない
のだが購入してくれるという。その気持ちが嬉しかった。それがいけばなに
ついて書きたくなった原因のひとつです。

洞爺より高臣大介来る。搬入展示である。4時過ぎHBCTV来る。明日
10日午後6時台ニユースで放映予定。外からもじっくり撮影。
ここの佇まい絵になる。夕暮れの光、大介のガラスに映えて美しい。
撮影終了は8時半過ぎ。いい絵沢山撮れたろうな。若い記者とカメラマン
の熱意を感じる。

# by kakiten | 2006-01-09 12:25 | Comments(0)
2006年 01月 08日

よく降るなあ。今日も雪。

昨日に続き今日も雪。よう降るわあ。雪掻きをまめにしていて、電話の事忘れて
いた。支払期限切れていた。高臣大介さんから、ブログに連絡入っていた。
<電話切れてないっすかあ!>失礼した。メールにも2、3人からその旨。
失礼した。電話の音しないのは、雪のせいとばかり勝手に思っていた。もっとも
お金も不足していたので結果は同じ。今日開通しました。申し訳ありません。

石狩の石川亨信さん来る。美術の作家であり、お坊さんでもある。
いずしと賀状もって、陣中見舞いといったところ。テンポラリースペース
で個展したかったのだろうか。そんな感じがした。賀状には「惜」の一文字。
有り難う御座います。

江別と厚別の女性2人来る。ひとりはいけばなの人。もう一人はお友達。
大学が一緒とのこと。いけばなの人は、ガラス展の案内状を貰って閉店
を知り、残念がる。素直な、いけばなも古典をしっかりみている人だ。いけばな
は日常的なインスタレーシヨンとして、本来優れた日本の美術である。今は、
中川幸夫さんくらいしか、本格的な作家はいないかもしれないがもっと普通に
日々季節、行事、人の生死に合わせて活けられていた。それがいまとなっては
凄いと思う。私はいけばなは<か行>と思っている。つまり<いかす、いきる、
いく、いける、いきる>であって、<ら>行の<いらん、いります、いる、いれる
いれろ>ではない。いけるという内側からの視線から発するものと、いれるの外
からの視線の違いは、西洋のガーデンと日本の庭の違いに良く出ている。
<借景>という遠くの山を生かす日本の庭とシンメトリーにカットするガーデンの違
いである。いま流行りのアレンジメントフラワーはその類である。イヴェントであって
インスタレーシヨンではない。いけばなの始まりは、立てるにありそれは祈りの
形である。4歩足が2本足で立ち上がる位只入れることから、立てるというのは
決定的に変化がありその様式を確立するのに80年ほど懸ったと言われる。
その祈りの形は、日常的に様々な形を生んだ。それがいけばなである。
<祈り>とは何か。人間が人間である所以もそこにある。だから、<花>は
今でも<フラワー>とは違う。

# by kakiten | 2006-01-08 19:19 | Comments(0)