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テンポラリー通信

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2020年 07月 07日

孤独な夏ー荒地(29)

気温・湿度が上がる。
額と首に汗が滲んでいる。
やっと本格的夏。
これまで夕刻を過ぎると、寒気が漂った。
体調が狂い、少しバテ気味だった。
しかも低血圧でふらつき、目眩がした。
透析治療が5時間から4時間になり、少し楽だ。
ドライウエイトも少し増やしてくれた所為もある。

今朝のTVニュースで南九州地方の豪雨の画面を見る。
10mの高さで一気に水が街を襲う。
土砂崩れ、川の氾濫、人も車も建物も橋も呑み込む。
梅雨とも重なり、まだまだ続くようだ。
泥水の街にコロナの危険も隣り合わさっている。
自然を人間のインフラのように扱ってきた附けが、自然
の剥き出し野生の逆襲のように感じる。
微小生物ウイルスの増殖、昆虫大群の農作物襲撃、鳥の
空を埋め立てる大群襲来と今回の清流大氾濫は、何処かで
同じ気脈にある気がする。
人と自然の共生空間・故里がその界(さかい)の位相を
喪失して傲慢な人間社会の利害が、荒々しい自然野生を
呼び寄せている。
大国が宇宙を支配しようと、多くのロケットを宇宙空間
に送っている。
大気圏・オゾン層もやがて破壊され、地球自体の界(さかい)
の位相もいずれかには喪われるのかも知れない。
故里と呼べる風土が、恐ろしい勢いで喪失している現実が
現代である。
心の難民が都会のビル群の間を彷徨い、グローバルという
名のタワー社会構造が個々の故里を吸い上げていく。
海も山も観光資源と化し、その恵みは商品資源として大量に
加工され金銭対象でしかない。
故里は、住んで生きる人間の生活の場を希薄にして、遠い昔
に情緒の木霊で漂うしかないのか。

これから台風の季節も来る。
コロナ―台風ー地震ー津波と自然と人間の戦争は続く。
敗戦75年前の予言のように、ある言葉が想起される昨今だ

 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」

 *花人・花や展ー7月9日(木)ー11日(土)am12時ーpm7時


 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き

 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-07-07 19:17 | Comments(0)
2020年 06月 28日

後ろ姿-荒地(28)

最近はゆっくりと歩く所為か、前を歩く人の背中を
見る事が多い。
先日も若い男女が先を歩いていた。
その後ろ姿を見ていて、ふっとある事に気付く。
男は肩と背中が中心で、女は腰と脚に中心軸がある。
ふたつを上下一体にすると、人間という生物になる
気がした。
数式的にすれば、男✖女=人間である。
身体は自然にそうした抽象を孕んでいる。
✖は&でも良い。
そして年齢を重ねた身体の後ろ姿は、時にその人生の
生き様まで顕している時がある。
男であれば、肩も背中も狭く、手と足の振りは常に外向きで
肩ひじ張って歩く。
女であれば、肩・背中と脚・腰が同じ塊りとなってコロコロ
と歩いている。
特に男は、あまり真正面から会いたくないタイプだ。
かって自転車で通勤していた頃、北大構内のエルムトンネル
上の遊歩道を通っていた。
真ん中の通路が自転車専用で色分けされ、その両脇が歩行者
通路に分けられていた。
その自転車通路のど真ん中を、両手を外向きに振り左右を睥睨
するように歩いている初老の男性がいた。
何度か見かけていたので、自転車を擦れ擦れに横から追い越し
たら、後方で大きな声をあげ威嚇された。
緑燃える我が天地を邪魔しやがって、とでも言いたいような
車道の中心を歩く傲慢な歩き方が癪に障った。
歩道を自転車で突っ走るのに遭遇するのも嫌だが、森の遊歩道の
自転車専用ゾーンを我が物顔に歩かれるのも嫌だ。
二輪であっても自転車は車であり、車道を大手を振り外股で歩く
人などいないのが当然なのだ。
大通公園から植物園ー伊藤邸庭園ー偕楽園緑地ー清華亭ー北大構内
と続く緑の運河・エルムゾーンを全身で感じながら歩き、時に自転
車で風景を風で感じ走るなら、この都心に遺された自然風土にもう
少し謙虚な歩行であっても良いと思う。

しかし今にして想い返せば、私も自転車の煽り運転でもしたようで
気恥ずかしい気もする。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2020-06-28 15:10 | Comments(0)
2020年 06月 18日

一草一木の視座-荒地(27)

コロナウイルスは、地球生物としての人類に様々な<反>
を突きつけている気がする。
そのひとつが、ソーシャルディスタンスという言葉だ。
感染防止で人と人との間を保つ、という感染防止用語だ。
なにか何処かで聞いたような引っ掛かりがあって、ふっと
思いついた。
「親しき中にも礼儀あり」という格言だ。
この精神的な戒め概念が、ボデイの接触、感染防止の観点
から警告する言葉となって今、在る。
コロナウイルスのあっという間の世界的曼延が、人と物の
グローバル回路を通して展開されたように、「親しき中に
も礼儀あり」という精神概念は、病というボデイへの警告
となって今、在る。

薬屋、酒屋、米屋、洗濯屋、駄菓子屋、金物屋、本屋、等々
あらゆる地域のインフラをそこに住む人が担っていた時代
には考えられないタワー構造的一極集中分散拡大の物流社会
構造がもたらす観念がグローバリズムである。
薬屋はドラグチェーン店、金物屋は巨大な横文字のナントカ、
全国的に同名で展開する数社が支配する。
人と風土との結びつきは希薄となり、巨大なブランドタワー
構造支配・吸収が主流となっている。
公園の一本の名も知らぬ巨木に魅せられた私は、この一本の
樹が春夏秋冬移り行く立ち姿を、一草一木のこの地の風土と
共に見続ける。
同じ種類の樹とかいう、名前のブランドを見詰めている訳
ではないのだ。
人類は地球世界を、抽象・総括し概念化し支配化してきた。
人間社会の民族・国家間の争いに留まらず、現代は物流を
主流とするグローバリズムが経済活動という回路で世界を
席巻している。
それは一草一木という個々が消え、風土という地域固有の
自然環境が喪われていく事でもある。
コロナウイルスは、人間と物に住み着いて反世界の魔物の
ように人類に対峙している。

 *花人・花や展ー6月18日ー21日午後1時以降7時まで。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-06-18 16:06 | Comments(0)
2020年 06月 11日

樹・着る―荒地(26)

いつもギャラリーへ通う時近道に通る道角の公園。
先日ふっと立ち眩みがして休んだベンチの傍の大樹。
多くの緑の葉が茂っていた。
冬・早春の裸木の姿に感動したが、緑の衣装を纏った
夏の姿も良い。
樹が着物を纏っている・・・。
そんな気がした。
二年ほど前織りと染色をしている布の作家が初めて着物を
仕立て現代美術の画廊で展示したのを見た事がある。
作家の母上が亡くなり、初めて着物に仕立てたと聞いた。
お母さまの背丈、身体を想定をして織り上げ仕立てた気持ちが
見る方にも伝わる感動があった。
この時私は初めて日本語の<着物>という言葉の意味を理解
した気がした。
衣装でも制服でもなく、身が着る・もの・・・。
私たちはここ百余年の程の近代化によって、<身>という感覚を
忘れ、身はボデイへと変質しつつある気がする。
生まれた時からある目的性の有した服をボデイに纏って大人となる。
園児服ー学生服ー背広といった具合だ。
着るものの主体性が、身にはなく身はボデイのサイズ対象なのだ。
着るものとしての<着物>は、<身>が主体で、精神性・個性も
秘めていた。
そんな<身>の言葉はたくさん遺されている。
曰く、もっと身を入れろ、身に沁みる、身も心も、身の丈に合った、
身の程、身銭・・・。
人が主体で着るもの・・・着物。
あの公園の巨木は緑の着るものを、枝から幹から梢に至るまで
身に纏っていたのだ。
何の樹か未知だが、彼・彼女は身から出た固有の着物を着ている。

植物はどこか遠い日本人の姿・形のようである。
着物の裾が風で揺れる風情は、草花の姿に似ている。
裸木の幹・大枝、小枝、梢の立ち姿は羽織・袴の立ち姿に似ている。
それに比べ多くの洋服姿は、用途目的の明白な制服性を強く感じる。
鹿鳴館の夜毎の舞踏会で始まった日本の近代化の衣装性が、そう
させているのかも知れない。

コロナウイールスで露見した、人と物の物流のグローバリズムは
中国一地域で発生した流行病を瞬く間に人と物のグローバル回路を
通して、世界中へと伝染を拡大させた。
我々は今一度風土の固有性に目覚めなければならない、と思う。
グローバルはインターローカルな個の位相まで、あの一本の樹
のように<身>を正さねばならぬ。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-06-11 16:58 | Comments(0)
2020年 05月 31日

空を削るー荒地(25)

谷口顕一郎・彩子さんの5月ドイツ帰国も消え、鼓代弥生さんの個展
予定も消えて、新型コロナの影響は私の5月を寂しいものにした。
寒暖差の日々が続き、体調も今一つ・・。
治療のドライウエイトの減量の所為もあってか、血圧が低い状態が
続き、立ち眩み、息切れがする。
最近は頭の意識で歩行せず、足の行為だけを信じて足に任せる事に
した。
早い、遅いは気にせず、足のリズムのまま歩く。
昔から下りの速さは、登山をした時も韋駄天と呼ばれていたから、
その当時を思い出して、目で歩行を見ず、足の感触に拠るリズム
を主にして歩く事にした。
早速、地下鉄の長い下りの階段でゆっくり下っていたら、忘弱無人の
追い越しを駆けて追い抜いていった男がいた。
私は山での下りを思い出して、静かに足のリズムに任せ速度をあげ
階段下で追いつき静かに肩を並べた。
先行していた傍若無人男は、ふっと横にいる私を見て、えっという顔を
して驚きの表情だった。
地下鉄乗り換え時には、みんなが老若男女問わず急ぎ足だ。
階段でもエスカレーターでも速度が優先する。
私は今、あえてゆっくり歩く。
乗り換えの電車に間に合わなくとも、なにか周りの速足・追い越しと
同じリズムには馴染まないと悟ったからだ。

階段もエスカレーターも我勝ちの速歩は、心を削る。
現代は<空にむかって眼をあげ>る空を削る。

*延長・八木保次・伸子展ー6月2日ー14日。月/水/金休廊。
火/木/土/日のみ開廊・12時~午後7時。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2020-05-31 16:41 | Comments(0)