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テンポラリー通信

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2020年 11月 01日

人は人を運ぶー藍の世界(2)

若林和美さん最初の個展はさらに一週延長決まる。
見た人が自然に人を呼んでいる。
藍染めという日本の伝統的な技と色彩のDNAが
心を捉え人が人を運んでいる。
勿論若林さんの展示構成と作品デザインの力もある。
藍染めと展示構成が新鮮なのだ。
象徴的なのは、会場中央に吊られた円形の布の展示だ。
この作品を2階吹き抜けから見ると、大きな井戸のように
上階下階を繋いでいる。
かって六畳間だった吹き抜け空間を一体化し、親密さを
保って繋いでいるのだ。
古民家が保っていた尺/寸/坪の身体感覚がこの親密さを
補っている。
吹き抜け窓際のベンチに腰掛け話をしていると、不思議に
心が落ちつき寛いでくる。
それはかっての6畳間、押し入れが見えない身体感覚に波及
して心地良くなるからと思う。
大きく囲繞する藍の布、井戸の上から見下ろしているような
視座は下からの視座とは異なる。
そうした作品全体の見え方の変化も新鮮なのだ。
今回の展示タイトル「上空の水面(みなも)」を象徴する
構成だ。

大きく捉えれば、私たちが日々今も喪い続けている自らの
身体尺度・身の疼きのようなものがこの展示にはある。

 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ 
 「さよなら 太陽も海も信ずるにたりない」

こうした呟きから始まった私たちの焼け野原の戦後近代。
都市風景は復興し繁栄しても身の内に眠る人間尺度風景は
今も見えない焦土に埋没しつつある。
ひとりの女性の決して早くはない初個展が作品を通して語り
架ける見えない身体言語は、そう語っているように思えるのだ。

+紺屋 纏祝堂個展「上空の水面(みなも)」ー11月8日(日)まで。
 月曜定休:am11時ーpm7時・作家在廊日:水・金・土・日。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-ー737-5503








# by kakiten | 2020-11-01 13:49 | Comments(0)
2020年 10月 27日

紺屋 纏祝堂個展ー藍の世界(1)

藍染めの個展始まる。
作家の若林和美さんとは、円山北町時代にジャズのライブ
メンバーで知りあった。
この頃はジャンベを叩く打楽器奏者だった。
そしてその後に、ジャズヴォーカルを担当していた。
その彼女が一念発起し、この何年か藍染めの作家として
本格的にデビューした。
その最初の個展である。
初日の今日初めて展示を見て、暫し息を吞んだ。
見事な展示である。
藍染めの布の感触、色が、この会場の古民家の木構造、吹き抜け
と会話し、跳んで、煌めいている。
2階に上り、上から吹き抜けを還流し囲繞している藍の布構成
を見るとその事がさらに深く実感される。
若林さん、本当にしたい事・ライフワークの出発点に立ったの
だなぁ・・・。
タイトルの「上空ノ水面(みなも)」の意味する事が、2階から見る
展示、一階で見る展示構成の相違と藍の連続性が水中と水面のように
深い井戸の連結・関係のように息づいている。
そしてこの藍の惑星が、大気を界(さかい)とした水の惑星地球の水と
真空の宇宙をふっと連想していた。

手染めの藍布を加工し展示販売するだけの展示ではない。
自らを発進させる藍の星の基地・藍の井戸のインスタレーション、
と私は思う・・・。

*紺屋 纏祝堂個展「上空の水面(みなも)」ー11月1日〈日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-ー011-737-5503
 



# by kakiten | 2020-10-27 15:09 | Comments(0)
2020年 10月 25日

風立つ晩秋ー木は水を運んでいる(11)

<運んでいる>という言葉と両脚が宙に浮いたようなムラ
ギシの唯一遺された油彩画を死して15回目の夏に<追伸>
として捉え、世代も故郷も異なる三人の作品で応えてみた。
コロナ禍の現在が、グローバル化という物流回路に乗って
人間が新型コロナウイールスを世界中に運んでいる現在を
見詰めてみた。
グローバル物流回路が人間も運び、人はコロナを運んでいる。
空に、海に、陸に、街に人間は運ばれ、人はウイルスを運ぶ。
物流インフラの物資に限りなく近づいた存在として在った。
ソシアルデイスタンスとは、人と人の間の距離ではない。
動く物に近い、言わば車の車間距離のようにある。
人間本来の精神性から生まれる距離とは、古言にある
<親しきなかにも、礼儀あり>という距離が本来だ。
二本足で<立つ>という人間の人間たる原点が、<運ぶ>
文明インフラに取って代わられ四足ならぬ四輪のような今を
垣間見たと再認識したのだ。
<立つ>という二本脚・踵の縦軸は、<運ぶ>という手足爪先
の横軸の新しさ・速さの物流価値観に拠って遠くなりつつある。

今回ムラギシへの<追伸>として顕わした三人の作家作品。
80歳台に制作された一原有徳作品。
1980年代20歳台に制作された佐佐木方斎作品。
2009年沖縄で独り制作し続けていた豊平ヨシオ作品。
この三人の縦軸・横軸作品を10代後半に描かれたムラギシの
油彩「膝を抱え蹲る」の痩せた指・両脚を囲繞するように配置した。
この時、世代も生まれた風土も異なり、生前交流もない4人の作品
たちが、それぞれ雄弁に何かを語りあっていた気が、私にはする。
それは<運ぶ>に比するそれぞれの生の軸足・縦軸の深度から
湧き出た呟きだった。
私の遅れた夏は終わった。

*紺屋 纏祝堂個展「上空ノ水面(じょうくうのみなも」ー10月27日
(火)~11月1日(土)am11時ーpm7時

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-ー737-5503






# by kakiten | 2020-10-25 15:25 | Comments(0)
2020年 10月 11日

人は作品を運び、作品は人を運ぶー木は水を運んでいる(10)

2006年8月村岸宏昭が四国高知県の鏡川で遭難死した
翌年追悼展「村岸宏昭の記録」展があった。
その時初めて出現したのが、高校時代の親友原隆太君が
持参した今回のテーマとなった油彩画である。
今日「追伸ー15回目の夏・ムラギシ」展最終日、高校
時代の彼の美術の教師、斎藤周さんが奥さんと7ヵ月の
お子さん在伽ちゃんを抱いて来てくれた。
嬉しかった。
話している内に先日倶知安ニセコで写真雑誌を出版している
写真家の渡辺洋一さんの名が出てきた。
熊谷榧さんの冬の登山の絵画が、新たに展示していた事が
話の切っ掛けだった。
冬山を多く撮っている渡辺さんは、冬山を山スキー履いて
登る山岳画家熊谷榧さんを東京の熊谷守一美術館に訪ね、著書
「北海道の山を滑る」に掲載されている奥手稲山登山の絵画
に魅かれ撮影を申し込んだところ、札幌の私の所に寄贈した
と告げられ先日ここに尋ねて来られたのだ。
その為一時的にその絵画を会場で広げたのだが、その時鏡面
ステンレス三点の一原有徳さんの作品前に置いたところ、渡辺さん
は、吃驚仰天し、興奮して話した。
実はこの後小樽美術館に行き、一原さんの作品も撮影しようと
予定していたと言うのだ。
もうここで充分用が足りてしまう・・・。
それから奥の談話室で話し込み、彼の写真作品集も見せて頂いたが
冬の山の樹木、一本々々がその幹・枝・梢と撮られていて、私が
好きな樹木たちばかりで吃驚した。

一原有徳さんも画家と同時に優れた登山家としての実績で有名な
方で、なにか一原さんが榧さんの絵画を招いた気がした。
実はこの絵画には私も描かれていて、中川潤さん、川口淳さんと共に
3人の男が山スキーで発寒川沿いに奥手稲山を目指している絵なのだ。
人間の縦軸の基底は二歩足で立つ事にある。
二本足だけでは立てない雪山をシールを付けたスキーで登る。
村岸君の膝小僧を抱いた下半身だけの作品には、地に立つものが
見えない。
最後の個展「木は水を運んでいる」でも、倒木を切り会場中央に
吊られた幹には、根も枝も梢も無い。
その吊られた幹を見る人は抱いて、木肌に仕込まれたかってこの樹が立
っていた場の川音・風を聞くというインスタレーション作品だったのだ。
この構図は膝小僧を抱いている油彩画と同じ構図だ。
しかし相違するのは、背景に社会的不安・絶望が垣間見える油彩画と
白樺を透して自然と幹を抱く人が自分に繋がる視座の違いと思えた。
そしてここに山を通して一原作品と熊谷榧作品が繋がる奇跡が生まれた
気がする。
熊谷作品は冬山を登る両脚・全身を透して、ムラギシの孤独な膝小僧を
抱く両脚に発寒川源流域を登る山スキーの両脚が呼応している。

最終日ムラギシの高校時代の恩師斎藤周さんも初子を抱いて奥さんととも
に訪ねて来てくれた。
作品は人を運び、作品は作品を運ぶ・・・。
15回目の夏遅く、初秋の気配漂う今日。
ムラギシへの<追伸>の応えを少しはやり遂げた気がする・・・。

*花人・花や展ー10月16日(金)ー18日〈日)
*紺屋纏祝「上空ノ水面(みなも)」ー10月27日(火)-11月1(日)

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-10-11 17:48 | Comments(0)
2020年 10月 08日

<編む>という事ー木は水を運んでいる(9)

本を編む事、一冊の書物を創る事。
それは流れ去る川の、緩やかな深い淵ー函にも似ている。
30余年前の札幌の記憶、珠玉のような青春の風景4年間。
中村恵一さんの「美術・北の国から」の一冊。
1960年代から今日に至る自らの造形制作への愛おしさ
に溢れた、山里稔さんの「山里稔の制作思考」の一冊。
それぞれが自己の人生の原点・軌跡を編み装丁した、冬の
秋の、美しい裸木のような、見事に立つ一冊の書物である。
そして送られてきた最後の三冊目は、684頁に及ぶ大冊
「高見順賞 50年の記録」だ。
現代詩の登竜門高見順賞の全記録集である。
この本は今年で終了した高見順賞の歴代の受賞者、受賞作
高見順の記憶、高見順賞設定の記録等を纏め編んだ大冊である。
2020年10月1日発行の400部限定の一冊を編集を担当
した吉原洋一さんが贈ってくれたのだ。
彼は編集という黒子に徹し、戦後現代詩の大きな発信地の記憶
と記録に携わった。
添えられた手紙に<・・・ただただ幸運だったと同時に、ぼく
自身これからの歩みへの責任も強く感じております。>
と謙虚に語っている。
三木卓「わがキデイランド」、吉増剛造「黄金詩篇」第一回受賞
作に始まる現代詩50年の系譜は、私たちの近代そのもののひとつ
の凝縮と思う。
一冊の記憶・歴史、そして高見順の生きた時代へと賞という形で
繋いでいった作品群。
詩集・書物という人間が創造した美しい函。
そこに自らを満たし溢れて、時代という大きな流れを行為してゆく。
偶然ほぼ同時に届いた三冊の私家本に共通していたのは、本を編む
真摯な裸木の幹・枝のような美しさだった。
三人それぞれが本を編むという編集・造本・装丁の真摯さを、心の
裸木にも似た立ち姿で両掌に受け止めさせて戴き、感謝である。

*「追伸・ムラギシ」ー今週土・日10月11日まで。
*「花人・花や」展ー15,16,17日。
*紺屋 纏祝堂個展「上空ノ水面(みなも)」ー10月27日ー11月1日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-011-737-5503
 





# by kakiten | 2020-10-08 16:46 | Comments(0)