テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2018年 02月 11日

生・死もまた光・影ー紡ぎあう(9)

昨日プラス4度まで上がり、玄関前に吊られたガラス房
「野傍の泉池」に合体した氷柱が溶け始めていた。
今日明るく白い雪の朝となり、画廊に着くと氷柱の芯の
ガラスが剥き出しになっている。
大介さんが来て、吊ってあるガラス房のテングス糸の上部
の雪の塊りを増やし始める。
それは彼が自然の氷柱から学んだ知恵、軒下の氷柱の元に
屋根の上の雪が在る事を学んだ事による。
それまではガラスにばかり霧吹きで水を吹きかけていた
けど氷はなかなか定着しなかった。
時折吹雪模様となり、午前の明るい光が地上からの反射光
を生み、会場内全体が浮き上がるような白い光に包まれる。
入ってすぐにあった円盤状のガラスをもうひとつの壁際の
同じ円盤状の作品に合わせ移動する。
代わりに鳴るガラス房に和音を聞き澄ましたある北大生の
絶対音感が選んだガラス房を3本吊る。
これで縦に吊られた「野傍の泉池」の林立する光の林が
すっきりと顕れれた。
その光の林を人が逍遥すると、時に触れて音の林ともなる。
このランダムに吊られた「野傍の泉池」に音の和音を聞き
澄ました北大生は、なんと12年前夏死んだ村岸宏昭君と
同じ大学。同じ年齢だった。
吊られた白樺の幹にその樹の立っていた風・川の音を
幹を抱いて聞く構成だったムラギシの最後の作品展が
今こうしてガラスの林となって甦っている気持ちがする。
2006年7月夏・森の白樺、川の音・風の音。
2018年2月冬・透明なガラスの見えない泉の音。
そして12年前ムラギシと共に2階吹き抜けで歌を唄って
いたダイスケ&ムラギシ。
そして横で伴奏ギターを弾いていた酒井博史。
明日最終日打ち上げでは、きっとヒロシ&ダイスケの歌声
が響くだろう
きっとその場に見えないムラギシも参加するだろう、
不意にそんな予感がした。
高臣大介の毎年の展示。
その積み重ね、精進の時間が一巡りして、彼の作品に
生と死、光と影の結晶をもたらしている。
場の歴史という透明な結晶を。

*‘高臣大介ガラス展「紡ぎあう」ー2月12日(祝)まで。
 am12時ーpm7時
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日ー
 3月11日
*秋元さなえ展ー3月20日ー25日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

[PR]

# by kakiten | 2018-02-11 14:12 | Comments(0)
2018年 02月 08日

fountain dream-紡ぎあう(8)

我々を包み本質的に存在している見えない風・空気、
光・彩。
人と物の間に界(さかい)という世(ゆー)が息づ
いている。
この見えない世(ゆー)を、高臣大介の透明な
ガラスが昼のひかり、夕の光、夜は灯の光を、受け
留め、溜めて、光・空気一体に白い壁に転位している。
空気の流れ、光の流れ、揺れ、触れて、音を発する。
光は溜まり転位して、吹きガラスの見えない起伏を
影と光の濃淡に換え、会場自体が転位する空気と光
の淵・函(ハコ)、空気と光のparent(源)
になっている。
そこは自然に転位する界(さかい)という世(ゆー)。

沖縄の人はある時代を世(ゆー)と表現した。
最初は琉球王朝が統治する独立国家「うちなあ世(ゆ)」
そして明治以降の「大和世」。
戦後は戦勝国アメリカ軍支配の「アメリカ世」。
そういう社会的時代の世(ゆー)に対し、自然の世(
ゆー)は柔らかく本質的で支配的ではない。
光と空気という見えない世界は、生命に不可欠な存在
でありながら、寄り添い本質的である。
高臣大介の今回の展示・作品は、そうした本質的存在を
過ぎ行く時の束の間の界(さかい)に可視化し、それ自
体が転位する源ーtransーparentとして顕在
化した稀有な淵・函となった。

消えたヌプサムメムー野傍の泉池は、この函の中に光と
影となって溢れ出たのだ。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-2月12日(祝日)まで。
 am12時ーpm7時。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花 傍らに」ー2月
 27日ー3月11日。
*秋元さなえ展ー3月20日ー25日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




[PR]

# by kakiten | 2018-02-08 14:06 | Comments(0)
2018年 02月 06日

路傍の泉池ー紡ぎあう(7)

高臣大介ガラス展「紡ぎあう」後期スタート。
雪降る夜が明け、晴れ渡った朝。
入口軒下に吊るした二本の野傍の泉池(ヌプサムメム)
が一本になって、下にもう一本が突き刺さっている。
吹き付けた氷の重さに落ちたという。
天地上下、氷とガラスが鋭く立っている。
これはこれで良い。
会場は野傍の泉池のガラス房が幾つも上から束になっ
て林立し、揺れている。
そして幾つかの円盤状のガラス板が光を通して影の明
暗を壁に奏でている。
吹き抜け2階に上がると、階下のゆらゆら揺れる
「野傍の泉池」と上の「野傍の泉池」が暖気の風に
揺れて光と影が描く小さな泉のように感じる。

2012年サクシコトニ川源泉のヌプサムメム
(野傍の泉池)で挑戦した高臣大介のガラス作品が、
ここで再生された気がする。
泉の雫から泉の池へと。
都市の高層化とともに消えた琴似川の源泉のひとつ。
当時の地形と建物を今に残す旧偕楽園緑地跡清華亭。
その庭に立つ春楡(エルム)の巨木。
かって鮭が遡上し、明治期養殖場もあったという。
その水豊かな地質に立つハルニレ、エルムの森。
エルムの都と呼ばれた札幌。
そしてエルムの学園と呼ばれた北海道大学。
植物園ー伊藤邸ー清華亭ー北大構内と繋がる広大な
緑のゾーンは、大倉山ジャンプ台から見ると墓石の
ような高層ビル群の内にくっきりと緑の運河のよう
に確認できる。
その緑の運河エルムゾーン傍、小さなギャラリーに
ガラスの光と影の揺れる泉池が、今誕生している。

人は自然の猛威・野生と対峙し故里という共生する
自然を創って来た。
それは自然との戦い・対峙から、自然と共生する里・
郷の創造でもあったのだろう。
その共生が今喪われつつある。
この時人はひとりで、何が出来得るか。
ガラスを素材とするファインアート作家が6年かけて
出したひとつの夢の成果が今、野傍ならぬ路傍の泉池
としてここにある。

*高臣大介ガラス展後期「紡ぎあう」-2月6日(火)ー12日(月)
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日ー3月11日
*秋元さなえ展ー3月20日ー25日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


[PR]

# by kakiten | 2018-02-06 13:57 | Comments(0)
2018年 02月 03日

大介の泉池ー紡ぎあう(6)

毎日せっせと水を降りかけている「野傍の泉池」
軒下の二本のガラス房。
とうとう氷がガラスを覆うようになった。
その間彼が学んだ事がある。
軒下の氷柱は屋根の雪が水源だ。
そこも創らなくては、という発想である。
野上裕之さんの創った鉛の看板にも雪の塊りを
くっ付け霧吹きで水を注ぐ。
すると寒気・暖気交互の日々の温度差でガラス
の房は氷で包まれるようになり、ガラスの房を
氷の房が抱きしめるように包んできた。
氷の水とガラスの抱擁である。
千葉から移住して来た当初、戸惑いとともに
見詰めていた氷柱。
透明なガラス制作を志し、自然の当たり前に
吊り下がる軒下の氷柱に感じたある当惑。
さらにガラスは夏のもので、冬には向かない
という先入感。
そこで冬の氷柱と勝負する気持ちで、敢えて
数百本冬場に制作し窓の氷柱と勝負した十数年
前の器のギャラリー中森。
さらにここでの札幌の原風景、清華亭庭春楡の大樹
脇の枯れた泉池傍で、「ヌプサムメムー野傍の泉池」
を制作し、地の底から湧き出る水の変わらぬ生命力
を自らの生きる力に重ねた経験。
それらが今、異郷の氷柱が対峙するものではなく
抱擁する愛力としてガラスの氷柱を抱擁し一体と
なって夕暮れの光に煌いている。
ガラス戸の内側に3年前制作の「野傍の泉池」
さらに内側には昨年フランスで制作した「野傍
の泉池」。
外に見える氷が衣装のように抱擁し刻々変化する
二本の「野傍の泉池」。
この3っの作品が時を超えて夕陽の光に煌くさまは、
本当に美しい時間である。
ヌプサムメム「野傍の泉池」-高臣大介の”泉池”
が湧き出ている。
人が風土・自然とともに生きるという事。
そこに小さなカルチャー(耕土)、小さなランド(耕野)
が生まれているような気がする。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-前期2月4日まで。
 後期2月6日ー12日(月)まで、
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
 -3月11日。
*秋元さなえ展ー3月20日ー25日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


[PR]

# by kakiten | 2018-02-03 17:26 | Comments(0)
2018年 02月 01日

氷点の花ー紡ぎあう(5)

今回の個展を象徴するように入口軒先にあるものがある。
二本の吊ったガラス作品。
ライフワーク「野傍の泉池」の二本。
そこに毎日霧吹きで水を吹きつけツララを発生させている。
氷柱と透明なガラスの合体行為だ。
千葉から北海道に移住し根を下ろした高臣大介の生き様を
象徴するような行為・作品である。
会場内の個々の作品にも底部にしっかりした厚さが印象的な
形態が目につく。
泉は季節に関わらず、常温で湧き出す。
環境の相違を超え、今の時今の場所を生きる、彼が感じ到達
した16年目の心根である。
一昨年の結婚。昨年初のフランス・アメリカ展示、そして知
り逢った仏人との友情・第一子誕生・仏人の急死。
広がり深まった世界と作品は、ある結晶を見せつつある。
次週後期<紡ぎあう>インスタレーションの予感とともに、
軒先の溶け氷結する「野傍の泉池」がその序奏を奏でている。

ひとりの表現者が制作し生きる場を求め根付く過程は、世界
の違いを意識し、同時に変わらぬものを自己認識する生きる
基底の耕土・創造でもある。
氷柱とガラスの氷結する合体行為は、150年の移住者の歴
史の透徹した結晶とも思える。
今回アメリカの黄み、フランスの青み、日本の白み。
三色の透明なガラスが宿る世界は、高臣大介の生きる野傍に
湧く泉の光彩の色とも見える。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-前期・2月4日(日)まで
 後期・インスタレーション・2月6日ー12日(祝日)まで。
 am12時ーpm7時:2月5日展示替え休廊。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
 -3月11日。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



[PR]

# by kakiten | 2018-02-01 15:50 | Comments(0)
2018年 01月 28日

違いは拓くー紡ぎあう(4)

来週から始まる高臣大介ガラス展「紡ぎあう」。
この1年の経験がちらほらと彼の最近のブログに
顕れている。
その中で興味を惹いたのは、昨年彼が現地で経験
したフランスとアメリカの透明なガラスの違い。
フランスのガラスの色は少しブルーで、アメリカ
では少し黄味がかって感じるという。
無色透明なものにも地域差がある、というのが
面白かった。
空気の色、素材の微妙な相違、日本にない何か。
そしてそれを感じる感性。
話しは違うが、私が栃木・足利への道で感じた
都(みやこ)への道の新鮮な違いもまた、場所
の色の違いに通じているのかも知れない。
違いが区別・差別に陥らず、新鮮な発見と思える
時、少しだけ人は豊かになっている気がする。
区別・差別・分断・切り捨てのプロセスは、物化
した貪欲で貧困な感性である。
最新・最速・新旧の基準の故に、多くの物・現象
が捨て去られる時代だ。
違いは新鮮に拓かれる存在ではない。
フランスやアメリカほど大きな国の相違ではなく
とも、東北や北関東、さらに栃木・那須の国とい
った小さな国の相違でさえ、新鮮な違いが見えて
くる。
今回の高臣大介展のテーマ「紡ぎあう」とは、そう
した相違が新鮮な出会いを生み、相違が新たな世界
を紡ぐ言葉としてあるように私には感じられる。
透明という最も色彩から離れたものに、宿る光の空
気の色。
それを見詰める洞爺という極東の島の一地方に生き
る男が保っている透明感。
無色・透明もまた固有の色を保っている幸せ。
地球という星は、なんと豊かな場処なのだろうか。
物理的距離、物理的広さではない地軸の深さのよう
なものを感じるのだ。
アメリカでもフランスでもその国内にさらに新鮮な
透明感の相違があるのかも知れない。
北海道でさえ透明なブルーの相違が、オホーツクブ
ルー、シャコタンブルー、ウルトラマリンとある様に、
さらに人間ひとりひとりにも新鮮な相違として、小さ
く恋するように出会えれば良い、と思う。

3種類の透明なガラスに出会える事を楽しみに
高臣大介の<紡ぎあう>展を待っている。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-前期「器」1月30日ー2月4日
 後期「インスタレーション」2月6日ー12日(祝日):2月5日
 (月)作品入れ替え休み。am11時ーpm7時。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日ー3月
 11日。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

[PR]

# by kakiten | 2018-01-28 13:51 | Comments(0)
2018年 01月 25日

寄せて返す波・道ー紡ぎあう(3)

人は自然と対峙し紡ぎあい、故里という第二
の自然を創って来た。
荒々しい野生を、開墾し、耕し、住み、生産
し生きて来た。
土や森から様々な産物を紡ぎ出し、その産物
と人とが交流する市(いち)という中心が出
来る。
私が南那須大桶から足利市への道で見たいくつ
かの小さな直販所は、その原点のような場所
だった。
人はそこで、生産した物と人と出会い、市とい
う小さな社会、(みやこ)を紡ぎ出していた。
そしてさらに大きな市へ、小さな市はより大き
な<みやこ>と広がる。
那須の国の都、足利の街へ。
そんな小さな国の幾つもの都・市が広がり、国
家という大きな中心の地・首都に繋がっていく。
しかし人の心奥には、都(みやこ)と小さな国・
故里を繋ぐ路が生きている。
道は故里と都を往還し、人と物も身体の動脈
静脈のようにあったのだ。
紡ぎあうとは、人と人、人と物、人と自然の
交感しあう往還の行為だ。

今、時代は、繋ぎあう、交感する回路が磨滅
しつつある時代という気がしてならない。
片道通行で往還のない道が見える。
<移>(動)・<移>(住)・<移>(民)。
<移>の爪先、小手先の性急さが先走り尖鋭化し、
(動)(住)(民)の踵、故里が見えない。

私たちは、きっと心の難民の時代を生きている。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-前期1月30日(火)
 ー2月4日(日)・後期2月6日(火)-12日(月)
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
 -3月11日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
 





[PR]

# by kakiten | 2018-01-25 15:24 | Comments(0)
2018年 01月 24日

花と根ー紡ぎあう(2)

林立するタワービル、漢字で書くと摩天楼の大都市。
山野に近く、低く疎らな人と家。
今はその風景の差異が当たり前のようにある。
しかし本来、都(みやこ)と産地(地方)の関係は
屋並みの高さではない。
地方という産地が人と共に産物を都(みやこ)に
集散地として結集して来た関係を言う気がする。
人が志と産物を抱いて集まる処(ところ)ー都。
根が凝縮して花となる処(ところ)ー花の都。
その花一輪がお花畑のように集結してさらに大きな
都(みやこ)がある。
那須の国の小さな一輪は、きっと足利。
そしてその向こうに江戸という大きな都がある。
従って本来都(みやこ)とは産地が底支えする根と
花の関係なのだ。
しかし現代はある時から、その関係性を都市が
地方を吸引する関係に変わってきている。
戦前の帝都、戦後の金の卵と称する中学卒業生を
持てはやした時代辺りから都市は地方を人的にも
産物的にも吸引する構造となって、都市自体も街
の裏通り仲通りの界隈性を喪失し続けてタワー系
の吸い上げる構造の街路に変貌して来た。
地方は大都市圏のエネルギー源ともなって、東京
電力の原子力発電所・東北に、関西電力の原子力
発電所・北陸に。
産物は大手スーパー等に集結しチエーン店で地方
各地に展開される。
吸収と分散。
高層タワービル構造と同じ吸収構造なのだ。
同じ構造で、都市という都(みやこ)は産地という
地方を人は労働力、産物は物資として吸収し続けて
いる。
都(みやこ)にも産地(地方)にも人の姿は消え
物流と情報が主導するメガロポリスーヒガロポリ
スー巨大大都市帝国圏があらゆる分野の構造体の
基底になりつつある。
人の代わりに電気エネルギーが支配し、孫悟空の
如意棒・筋斗雲と化しつつある。
その結果自然というお釈迦様は掌を広げ、自然の
野生という猛々しさを今、地球という掌(てのひら)
で現しつつあるのかも知れない。
都(みやこ)と産地(地方)が紡ぎあっている関係
が、その悲劇を回避する原則にあると思える。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日ー2月11日
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
 -3月11日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


[PR]

# by kakiten | 2018-01-24 14:02 | Comments(0)
2018年 01月 19日

高臣大介ガラス展-紡ぎあう(1)

ガラス作家高臣大介の恒例の個展が月末始まる。
十数年前千葉から移住しきた俊才。
2012年冬、清華亭見えない泉をテーマに
琴似川源泉「ヌプサムメムー野傍ノ泉池」展を
鉄の造形作家阿部守とともに展示して、その後
この作品はライフワークのように今に続く。
泉の湧く水滴のような作品は、千本を目指す。
毎回百本を増やしつつ様々な空間を創って来た。
今回は「紡ぎあう」をテーマに新たな表現に
挑戦してくる。
この1年余は多くのドラマが彼の身に生じた
年月でもあった。
結婚、初の巴里郊外でのふたり展、そして優れ
たフランス人との友情ーパリ滞在制作個展ーア
メリカ滞在個展ー第一子誕生ーパリ滞在個展の
恩人の急死・・昨年2月ここでの個展はそ前年
死亡した友人太田ヒロ氏に急遽捧げられる個展
となったが、今回は余りにも多くの喜怒哀楽が
重なっている。
外部の環境に関わらず、常温で湧き出す泉の水。
そのように移住し心を開墾して洞爺の民となっ
た男の真の成果が問われている。

他人事ではない。
彼の<泉・池>を、共に見守りたいと思う。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日ー2月4日
 (前期)2月6日ー12日(後期):2月5日(月)休廊。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
ー3月11日予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

[PR]

# by kakiten | 2018-01-19 12:11 | Comments(0)
2018年 01月 18日

紡ぎあうー栃木・足利の旅(9)

かって小さな国がいくつもあって、中心に小さな都(集散地)
、周辺に地方(産地)が広がっていた。
そこを繋ぐ茎、幹のように道がある。
この道の往還には、人と物が一体となって流れている。
物だけではない。
人も志という心の往還も伴っていた。
都とは、人と物が凝縮し開く処。

何故こんなイメージが湧いたのか。
それは足利という那須国の都への道が豊かと感じていた
からだと思う。
カルチャー(耕土)があり産物が都に集結し花開く。
産地が根となり、茎となり、葉となって都で凝縮し花と
なる。
その道が一方通行ではなく、往還として感じられた。
今という時代は、その往還が分離し喪われつつある。
産物と人は物(商品)と人(労働力)に分断され、メガ
ロポリス圏に吸収され分散される構造だ。
人と物が紡ぎあうようにして都を目指し、人と志(ここ
ろざし)も都へ向かう。
それは吸収・分配ではなく、心と物の濃い抽出過程なのだ。
都のへの往路はかって<故郷に錦を飾る>と表わされたよ
うに、その還路も往路と分断ではなく地続きの道にあった。
その正当な回路の記憶が、南那須・大桶ー足利の道には
微かに息づいていた気がする。
鰻屋さんのご主人の川俣正、若林奮、農家の根菜・野菜・
果実に手作り人形、炊き込みご飯の粋込み。
これがそれぞれの都の香り。
裾野・中腹・山頂がひとつに繋がっているように、根・茎
葉・花が一体であるように、それぞれの心の都は耕土と繋が
って道も続いていた。

そうした初めての経験の中で見た吉増剛造展「涯の詩聲」は、
吉増剛造の10冊の詩集がそれぞれの産地直販所のようにあ
ってその耕地が関連資料で広がり、そして良寛・芭蕉・玉堂
から高村光太郎・石川啄木・吉本隆明等中世から現代まで遠
く近い世界も併存されて、吉増自身の都の感動のようだ。
吉増の生きて来た時代の紡ぎあう道が、この地に遺る道と遠く
近く呼応して、耕土(産地)⇔集散地(都)、根⇔花実、の美
しい往還を見せていたのだ。
ひとりの優れた表現者の道程とは、この古い道の様態と同じよ
うに、根、茎、葉、そして花・実と結実する命の正当な道程も
顕在化していたと思う。
「石狩河口/坐ル ふたたび」から、東北道・人の河口へ。
4月沖縄展は、近代日本の如何なるとば口が顕れるのか。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日(火)ー2月12日(月)
 am11時ーpm5時:5日定休。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月下旬~

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



[PR]

# by kakiten | 2018-01-18 15:23 | Comments(0)