テンポラリー通信

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2006年 01月 22日

ワイルドサイドへと入ってきたーさらばと総括(3)

昨夜帯広から伽井丹彌さん来る。デメーテル学校の梅田正則さんとその友人
花木勤さんも一緒である。昨年5月個展7月道立近代美術館講堂パフオー
マンス以来だが、ここで展示した伽井さんの昨年の個展は白眉だった。その
ことについてはまた改めて記す。今回は、ここの場への挨拶、お別れ、愛惜
の気持ちであろう。1999年6月と2005年5月2度にわたる個展が基本にあ
ってそこに場と人の関わりが生れ、固有の記憶が刻まれる。作品を通して人は
純粋な時間を保つ。それは泉のように枯れることなく、心を創っている。
今週はそんな人たちの訪問が多い。25日古館賢治と有本紀26日大木裕之
27日及川恒平と続く。ほんといつ引越し?と荷造りしながら思う。
5日程前ぶっけた肋骨が痛む。うっかり内履きの夏靴で出て鉄のフエンスに
ぶつけた。大滝さんパンの差し入れ。渡辺さん櫛団子、それら食いつつ思い出
振り払い梱包。はあ~。月曜日から電話の移転ほかやる事多いなあ。
夜楽屋へ顔だす。伽井さんたち一行と。初対面の花木さんと話が盛り上がる。
<工>の人。士農工商の工である。陶芸の下沢トシヤさんと知り合いであった。

今朝みると向かいにマンシヨンののぼりはためいている。また新しいのが出来るの
だろう。ここは来た頃は古いアパートが多かった。アパートからマンシヨンへ同じ事
だな。アパートよりマンシヨン。それが同じ構造なのに新ー旧と勘違いそんな主体
性のない新しさを追いかけるだけの近代は、もういい。
鳴館時代の衣装と変らないね。25階と25年の違いは悲しい位決定的に違うのに
。伽井さんの2回の個展は6年の間隔でしたが、でもたった2回です。
しかもその2回の間が6年も離れて、マンシヨンが何階かしらんけれど根本的に違う
でしょ。自分の足で上がれもしない高さを誇る<経済建設>とやらの姉歯さん的数
字と。

# by kakiten | 2006-01-22 14:48 | Comments(0)
2006年 01月 21日

静かに友たちが集まるーさらばと総括(2)

静かにだが濃く、熱く真っ直ぐ見詰めるように、友たちが集まってくるのを
感じている。気配である。これから、ここでの<さらば!>を受けていく。
こう書いている内に、いけばなの渡辺万紀子さんくる。「いけばな全集」と
「いけばな批評」全巻預かって頂く。しばらく引越し先に寝ているよりお預け
して読んでいただいた方がいい。「桑原専慶の立花」もお貸しする。これは
古い立花の絵図をもとに再現した本で、出版当時梅棹忠夫が<いけばなは
再生芸術である>と書評した名著である。あたかも近松門左衛門の脚本
やシェクスピアのシナリオ、バッハの楽譜のようにそれをもとに現在表現する
再生する芸術だと評したのである。時間とともに失われてしまう瞬間芸術を
彫刻や絵画とちがって、時間の内に再生する質のものとして捉えた画期的な
いけばな論であった。渡辺さんも感激していた。本とは読まれる人がいてこそ
生きる。いい機会。こういう事があつてこそプラスに働く。

穂積利明さんの「季評美術」が美術の公的あるいは民間の低調傾向を論じた
なかでここの閉鎖とプラハの閉鎖が同様に「<現代の美術に希望や自信を
もてない>という同じ心理が横たわっているような気がして仕方がない。」と
結論づけるように書いているが、そんな事はない。限られた美術状況一般に
おいてはあるいはそうかも知れないが、今はオーバーフエンスの時代である。
その過程で、従来のパターンが崩れているのだ。例えの言い方をすれば
海で魚をとる漁師が、最近の海は荒廃して魚が獲れなくなったと嘆くことに似てい
る。しかし現代の漁師さんは何をするかと言えば、海の為に山へ木を植えに行く
のである。それがコンテンポラリーというものである。近代では、海は海、山は山
というのが当り前だが、現代はその領域をオーバーフエンスしていく。必然として。
グローバリゼーシヨンとは違う。自分の領域の為である。美術でも同じことだ。
伏流水のように近代の枠組みからはみ出し動いている。古典的近代の枠を超えて
蠢いている。生き生きと深いビットウイーンに今在る。ここの閉鎖もプラハのそれも
<希望や自信がもてない>と言う範疇には無いのである。<公>や<道>のつく
立場に還元する気は毛頭ないが少なくとも近代美術館の<近代>には木を植え
に山へ行く漁師さんの視線が無い事は確かではないでしょうか、穂積さん!
私は<さらばと総括>しつつ、ここに集う様々なジヤンルの人間を友と想い、そう
実感しているのです。場としてのあるいは建物としてのテンポラリースペースは
<伝説的>となるかもしれませんが、伝説という古典は<再生>するものと思う。
冒頭のいけばなの話もそこに繋がる。ただこれをジャンルの話にしては後退です。
場あるいは建物としての過去が状況として、闘い敗れたことも含めてそのこと
すべてが現在の存在証明なのです。今はまさに過去という領域をオーバーフエン
スしいく時なのです私には。
*北海道新聞夕刊平成18年1月19日
 季評美術2005年10月ー12月より

# by kakiten | 2006-01-21 12:57 | Comments(0)
2006年 01月 20日

荷造り始めるーさらばと総括

朝から2階の収蔵作品下へ降ろしだす。戸谷成雄、國安孝昌、西雅秋、岡部昌生
ほか随分とある。色んな記憶が蘇える。ただあまり物思いに耽ってもいられない。
ブログコメントに大介さんから<マズイすよ>と忠告入っていた。もっともブログ
繋がらなくてやっと先程読んだ。午後3時頃やっと回復した。それまで森さん手伝
ってくれ助かる。こういう時は人がいると本当に助かる。引き出し整理していると
色々出てくる。ひとつづつ残っている訳がある。忘れているが思い出す。これで
遅れる。自分の時間に入ってしまうから。人がいるとそれが止まる。ブログ回復して
sichihukuさんの父上からもコメント入っていた。いやあブログ仲間でかつ同じ
師匠の縁だが、励まされて感激する。jazzもお好きなようで、MJQがを昨日かい
たのが導きになったのかもしれない。ブログの波及効果である。
昨夜東京の映像作家大木裕之さんのマネージャー今城恵子さんから電話。
26日大木さん御一行見えると言う。また、及川恒平さんは27日に来ると連絡
あった。ここの最後にみんな集まってくる。気持ちは嬉しいが、引越し直前で
こりや大変。昨日の道新の美術欄で穂積利明さん、<今月末には、札幌市内
の美術拠点として長年活動してきた伝説的ギヤラリー「テンポラリースペース」
が閉鎖されることがきまっている。>と書いている。この文章についてはまた明日
書きたいと思う。今日は疲れた。酒井博史さんと阿部ナナさんが来た。

# by kakiten | 2006-01-20 19:18 | Comments(0)
2006年 01月 19日

softry as a morning sunrise

MJQ初期の傑作「朝日の如くさわやかに」を流す。だいぶ気力が回復する。
gla_gla高臣大介展は熱かった。その分終わって落差があったね。この場
への愛惜がでてしまった。ちよっと落ち込んだなあ。高臣さんも同じように感
じたらしく新たに立ち上げたブログで、作品に手がつかないと書いている。
でもsichihukuさんの父上も大介さんもブログを始めだして、なにかブログが
波及してブログ現象が起きてきたみたい。ホームページとはまた違う。

詩人の吉増剛造さんから便りくる。<思い掛けないお知らせにおどろき、とともに
永年にわたり、わたくしたちに、こころの磁場をおあたえ下さいました大人(たい
じん)に、永いことご苦労さまでしたのお礼と深い敬意を表します。次へですね。>
とあった。九州の彫刻家阿部守さんからも便りくる。<クローズショックでした。でも
秋伺い制作したいと考えております。temporaryspaceは何処か小生の心の支え
でした。これをステップに、偉大なる北のコンセプトの宝庫の更なる展開を期待して
おります。九州より>と書かれていた。帯広の人形作家伽井丹彌さんからメール
入る。<高臣さんの個展には伺えませんでしたが近々札幌に(というより その
場所に)2階の窓に 白樺に テンポラリーの壁にそして中森さんに会いに行け
そうです。きっと行きます。>とあった。そう呼吸なのだ。吐く息は過去で吸う息は
未来、その間に<生きる>がある。現在がある。お3方とも過去において、札幌で
それぞれ分野は違うけれども優れた仕事をここから発した人たちである。その想い
が呼気吸気となってある限り、息を溜め力を生み身体を形作る。それが志事の場
だ。あまりここでの感傷に耽っている暇はもうない。
お3方のお便りに共通しているのは、共に過去を共有しながら、現在に連なる<呼
吸>を感じる事である。これが追憶追悼とは違う決定的な違いである。
その一点において私は勇気を頂いたと思う。
吉増さん、阿部さん、伽井さん。ありがとう!感謝致します。

# by kakiten | 2006-01-19 13:11 | Comments(5)
2006年 01月 18日

宴の後・・・静かな雪が降る

ジョンルイスの弾くバッハの平均律クラヴィーア曲を流す。MJQのリーダー
の晩年のソロである。バッハへの憧れが素直にjazzでありながら、語りかける
ように演奏されている。雪が今日も深々と降っている。アイヌ語で<ウパシ>ー追っ
駈けっこすると表現される。ヒラヒラと軽い雪片と重い雪片が交互に降って来る様
子をいう。黒人であるジョンルイスのバッハへの憧れが、軽く柔らかく上昇するよう
にピアノの音となって、雪のウパシの間を昇っていく。
昨日までの人のざわめきが消え、雪と時間が重なっている。そろそろ引越しの荷づ
くりにかからなくてはいけない。石田善彦さんから電話がくる。「いやあ~どうして
いるの」というような内容だった。荷造り手伝つて貰おうかしら。少し憂鬱。
夕方写真家でテーブルコーデネイターの森美千代さん来る。話している内に
ピアニストの有本紀(のり)さんとヴオーカルとギターの古館賢治さん来る。
一昨年までふたりはここで、月例のライブをしていた。ふたりになってお互いの
の刺激が重なり飛躍的にいいデユオが生れた。ここ発の忘れられない2人で
ある。古館さんは昨年10月頃南米にひとりで行き、髭もたくわえ、たくましくなった。
有本さんは逆に髪を切り、さっぱりとした。伸ばす人切る人それぞれだがなにかが
またふたりの中で動きつつある。<今が旬の黄金のデユオ>と私がかって付けた
フレーズだ。大介さん置いていった洞爺月浦のワインを4人で飲む。それから
お腹空いて飯を食いに出かける。食事もそこそこに、また飲んでしまった。

ここのふたりのラストコンサート25日に決める。6時ころからお時間とれれば
是非お出で下さい。ふたりとは今後も繋がっていく。きっと音を通して未来を
見つめ合う事で、また繋がって行く。その友情はどこかで新たな雪ー追っ駆
っこするウパシーとなって降り続いていくだろう。

# by kakiten | 2006-01-18 13:54 | Comments(2)
2006年 01月 17日

深々と雪がふる

高臣大介展終わり搬出準備終わった後、ビールを飲んだ。彼の心配りである。
この後定山渓近くの小金湯温泉に行くという。嫁さんの亜紀さん、助手の純子
さんと4人で話が弾んだ。<うちの嫁です>と大介さんが亜紀さんを人に
紹介することに、亜紀さんが不満があるという話がでた。もっと別の言い方が
いう意見であった。お父さんやお母さんから呼ばれるならいいけれど・・・とい
いう事らしい。気持ちはなんとなく分かる気もしたが、私は大介さんがそう呼ぶ
男らしさを、感じていたので少し反論した。gla_glaという工房を背負って今
火災にも負けず生きている彼は、工房は自分の家のようなものでありその
家の女=嫁と呼ぶのは素直で男らしい、素晴らしいではないかというような
主旨であった。家というから封建的で、個人と見ていないように思うのだろうが
やはり男は構築的な生き物だから、彼の工房は家として厳として存在すると
思う。その家は自分が作り維持しているそんな自負心が自然とワイフや妻や
ハニーではなく嫁という言葉になる、そう私は感じていた。まして亜紀さんの
支えはただ家にいるだけの存在ではなく、仕事のつまり家業の重要な存在
スタッフでもあるから。ほら、女心の上に家の<うかんむり>で安心のあん
になるでしよう、と言ったらなにか分かったような分からないような顔をしていた。
そんな話をしたり、私の古い初恋の話をして終わった。

その後古川善盛さんのお葬式にいく。1970年代に札幌地下街のタウン誌
の編集をしていて、さっぽろ三代目をテーマに連載文を書かせて頂いた。
詩人でもある古川さんの第一詩集の出版記念会はここで行われた。
人形作家の古川糸央(しお)さんは娘さんで、2階ギヤラリーで数年個展を
なさっている。彼女の父上への尊敬、敬愛は深くこの出版とパーテイも彼女
の力によるものだった。全道から主だった詩人が50人ほども集まり、それ
ぞれの相反するグループも一同になって、盛会だった。善盛さんのお人柄
も勿論あったが、癖のある普段あまり一緒にならない人たちを仕切った糸央
さんの力は大した物だった。終わりの挨拶もキリリとして、あとで善盛さんが
”人前にでるのが嫌な娘なのに・・・”と吃驚していた。このパーテイーは今は
伝説のように語られる。もう故人となった人も多く、あんなメンバーが
一堂に会する事はもう二度とない。お葬式の終わり近く、赤ちやんを抱いた
糸央さんに挨拶された。きっと善盛さんも初孫見れて、満足だったろう。
親孝行でしたね娘さん最後までね、善盛さん。

# by kakiten | 2006-01-17 14:44 | Comments(0)
2006年 01月 16日

そして最終日・・・雪のち晴れ

高臣大介展最終日ー今日も朝から人がきれない。ひっきりなしにお客さん
が来る。大介人気とここへの愛惜だろうか。 いつも二次会でお世話になって
いた楽屋のご夫婦も来る。屋久島の名焼酎三岳と四国の銘酒船中八策を
頂く。ふたりは洞爺の工房も訪れて吹きガラスの体験もしている。どんなの
できたの?と聞いたら笑っていた。夕刻フインランドの古楽器カンテレ奏者
あらひろこさん来る。最後の日気持ちでここで演奏したいという。夕暮れの
ツララを背景に、静かな音が響く。こするように、叩くように、繊細な旋律が
青い空気と透明なガラスのなかを流れていく。思ったよりも長く1時間近く
演奏が続いた。午後から来ていた翻訳家の石田善彦さんも交えて、札大
山口文庫の小山玲子さん外と下のカウンターに集い、飲みだす。7時頃
同じ札大のOB對馬千恵さんもくる。スキーのジャンプを観た帰りという。
その内太田ヒロさん友人と来る。昨夜の太田宅の続きのようになる。朝
3時とか4時とかで私は失礼してよかったなあ。そのうち酒井博史さんも
来る。ますます昨日の延長だ。ここのところ、大介さん”ヒロシ”と呼んでいる
。少し俯き加減の姿勢が”ヒロシ”らしいか。<ヒロシです。>
大介さんの奥さん亜紀さん、スタッフで点滴して頑張った純子さんも含めて
夜は深けていった。かくして短くも濃い一週間も過ぎていった。

2階の大きな窓、そこから見える雪、つらら、空、移り変わる空気の色、そして
山と樹、街の風景それらすべてが透明なガラス作品とともに在った。
そのなかで人が集まり、散じた。夜も昼もいい時間が流れた。その熱気で
つららも立派に育ち、毎日形を変えて光っていた。
ここに泊り込み朝昼晩一緒に過ごした、高臣大介とその作品に深い心で
感謝します。そして新たな友”ヒロシ”こと酒井博史さん、白樺の精を真剣に
語ってくれた太田ヒロさんの純なリスの魂にも。

1月16日ー今日は片付けそして搬出。朝から梱包。昼食に出た時シンクガーデン
の久野志乃さん来る。お手紙置いていく。<中森さんのたくさんの涙見せて頂き
ました。この涙がこの地に落ちて 空気と雲と混じり合って また新しく落ちてくる
のを楽しみにしています。>と書いてあった。そうか 涙と感じたのか。大介さん
のツララのようなガラスの作品を。そんな風に思った事はなかった。ホント志乃さん
らしいなあ。優しいのですね。一番厳しい寒さ、冬の象徴ツララが、透明で暖かい
飛沫のように逆転する事に、私はガラス展の面白さを見ていたから。
でも涙も暖かいものですよね。結論は同じかもしれません。でも私は泣いては
居りません。ナイーブハズバンド=敏夫という男であります、な~んちやって。

# by kakiten | 2006-01-16 15:09 | Comments(2)
2006年 01月 15日

そして人が渦巻き、笑い、あふれた・・・。

高臣大介展5日目ー午前中病院へ行く。栄養士の先生の指導を受ける。
朝昼は大体問題なし。夜の食事の不規則さを指摘される。そうですよね。
思い当たり過ぎる。ここにも来た事のある人で、なにかそっちの方で話弾む。
いい人でした。

午後から人が、ドンドン来だす。昼抜きだあと予感する、その通りになった。
せっかく指導うけたのになあ。
いけばなの渡辺万紀子さん来る。ゆっくりと会場写真撮る。古典の本も読む。
「立花の発展」室町ー江戸時代の本。看護士の2人来る。ゆっくり2階を見る。
少し話す。病院の結果どう?と聞かれる。説明するとなんとひとりは腎臓の
専門だった。いやはや、お名前確認して何かの時聞こう~っと思う。鈴木抄矢香
さんでした。名前間違えて怒られた。それでここに記す。「また間違えたら知り
ません!」ハイ!。
岡部亮、新明史子さん来る。2人ともいい作家でここを残念がる。デザイナー
の玉本猛さん来る。ここの看板包装紙初め、全般に渡って共に仕事してきた。
旅先でTVを見て吃驚したと。sichihukuさん来る。ブログの師匠である。デジ
カメで撮影。いづれここに掲載お願いする。糸田ともよさん夫婦くる。及川さんの
唄のテーマになっている優れた歌人である。腰痛をおして来る。でも嬉しそうにみて
廻る。次々と人が来る。そして話が話しを呼び、渦ができる。オープニングの昼間版
となる。そういえば、ドイツのケンちやんのお父さんも来て思い出したが、オープ
ニングの夜ドイツから電話がきたんだ。気になって来たかったんだろうなあ。
ケンと大介はここで仲良く、モヒカン刈りをしていた。上と下でそれぞれの個展
があった時期に。なにか鳥系の2人だった。トサカ立てて走り回っていた。
夕刻熊谷直樹さん来る。歌人で批評家の田中綾さん来る。詩人の松尾真由美
さん来る。才能ある美女ふたり。熊谷さん少しタジタジか。でもすぐ慣れる。
デザインの会社の若い女性が大介さんの東京個展の案内状作成で、デッサン
おこしている。<今 房々と北のガラスー高臣大介展>のキヤッチどう?と
提案する。今日は夜太田ヒロさん宅へ呼ばれているのだがなかなか出れそう
にない。酒井博史さん来る。今夜ヒロさんの所へ行く為だ。ところがお酒回って
唄になる。大介さん<ラブイズオーバー>を歌いだす。酒井さん伴奏。やがて
例の遠藤賢司歌いだす。みんなし~んとなり聞く。いや聴き入る。昨日よりより開
く。いい声だ。結局12時近くにヒロさん迎えに来てくれ、みんな向かう。私は明日が
最終日でもあり、失礼する。
  

# by kakiten | 2006-01-15 12:13 | Comments(5)
2006年 01月 14日

酒井博史さんが来た、そして歌った。

高臣大介展ー4日目。人が切れ目無く来だす。大介さんもその応対に忙しい。
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横浜から移住してきた大滝教子さんも来る。3~4ヶ月ぶりかしら。野の花の
ような人で学生時代北海道にきてアイヌの考え方に興味をもち、二風谷に
しばらく滞在しレポートを書き上げ、とうとうご両親も含めてさっぽろに来てしま
った芯の強い女性である。私を川の老師と呼び、登山家でアイヌ研究の中川
潤さんを山の老師、画家で詩人の石狩の大島龍氏を海の老師と呼ぶ人である。
老師は年寄りの意味ではありませんと言われていたが、まあいいでしようと思っ
ている。大介さんとは初対面だが、以前から彼の作品をここで購入していてすぐ
話があう。彼女が帰ってしばらくして、オープニングパーテイーでギターを弾いた
酒井博史さんがギター片手に訪れた。一番好きな曲をという大介さんのリクエス
トで、彼は遠藤賢司の「夢よ叫べ」を唄いだした。いやあ~渋いねえ。深く篭った
ものがでてくるは、でてくるわあ。この人本当に29歳かしら、ドイツからメールを
くれた谷口顕一郎さん通称ケンちゃんと同じとは思えないなあと感じた。でも彼は
彼の鬱屈した物があって今日吐き出しているんだなあとも思った。「ここでこの歌
一度唄いたかったんです」とポソリと呟いた。何かが開いたーそう小山内さんの
いう<公共>という言葉を思い出した。大介さんがタクローの歌を彼の伴奏で唄
う。これはまた酒井さんとは正反対の、内に篭らない外向きの声である。何故か
ここでふたりで気が合い飲んで唄っている。作品の力たるや偉大である。私は
多分繋いでいる、場所とともに。白樺さんの幹がみえる。
そういえば、銀杏も和人の移住と共に北海道に移植されたと聞いた、もともとは
ここに無かった樹である。ここに植えられた白樺も、遠く銀杏もともに引越し組と
いうことになる。このふたつの樹に抱かれて随分と<気>を貰った。共に呼吸
してきた。今度はどんな樹と知り合いになるだろう。きっと固有種のハルニレかも
しれない。でもここで植えられともに過ごした白樺さんが、だれかの姿借りて
ふっとでてきたとすれば、それは、それはそうです、感謝です。ごめんなさい。
一緒に居れなくてね。力足りなくて、。

# by kakiten | 2006-01-14 12:16 | Comments(3)
2006年 01月 13日

精霊の話ー続きの余波

高臣大介展3日目ー少しづつ人がまた来だした。オープニングパーテーで
あれだけいろんな人が来て、大介さんスタッフも凄い量の料理を作り、特に
カレースパゲッテイーは好評で大鍋が空に為ったほどで、2日目はその反動
か静かだった。そういう日に相応しくヒロさんの白い服の女性の話が出てきた。
でもあれは、ヒロさんでなければ、見ないよなあと大介さんと2人で話していた。
閉店後ふたりで飯を食いに、近くの居酒屋楽屋へと向かった。定食を頼みお酒
も飲みいい気持ちになった頃、東区の熊谷直樹さんが覗いて入ってきた。
白い精霊の話をしたら、白樺も綺麗だけれど、絶対にそれはKさんではないか
という。そう言われれば、MAさんでもMoさんでもSさんでもない、Kさんだよな
あと思えてくる。比較すればである。酔っ払いの与太話だから、そんな事で多い
に盛り上がった。とりあえず、白樺ヤスコさんという名前になった。

噂の白樺の木は、1981年にこの建物を設計した倉本龍彦さんが角地を角取り
して新た植えた木である。足元には紫陽花が同時に植えられた。当初2本の白樺
があったが一本は枯れ一本だけが今のように大きくなった。私は白樺よりも2階の
南窓に見える円山茶寮の銀杏の樹に惹かれていて、近くの円山、遠くの藻岩山を
借景に見えるのが好きだった。それと昔私の生れた家の中庭にも銀杏の樹が
あって、ここに来てそのことを想い出したこともあった。中学3年の冬スタンドの
光をふっと消して何気なく見上げた時、その銀杏は月光を浴びて黒々と凛として
立っていて背筋が一瞬すっとしたのを想い出したのである。普段何も意識してい
無かった樹が受験勉強の合い間ふっと見上げた眼に、急に生き物として現れた。
そんな感じだった。ここで毎日のように2階から銀杏の樹をみていて葉の形が
同じ事で気がついたのだ。それからここを流れていた暗渠の川界川を辿り、篠路
の竜雲寺で同じ大銀杏の樹を見た。その樹は札幌市の保存樹にも指定されている
大木である。私は3本の銀杏に導かれるようにさっぽろを旅してきた。そこから
見えたさっぽろは今まで自分の知らないさっぽろであった。

しかしここ2,3年白樺の木が気になってきていた。ここの立ち退きの
話が出てきたせいもあったかもしれないが、植えられた木だけに枝が
建物側には伸びず建物の反対方向にここを両手を上げて守るように
立っている姿を、愛着をもって見るようになったからだ。ああ一緒にこ
こで生きてきたんだよなあ、と思えた。今は夏の暑い日には日除けに
なってよく立ち話をしている人がいたり、待ち合わせの目印になって
いる。向かいの道路から見ると、鬱蒼と茂って美しい姿だ。


やはり白樺の精霊が、現れた気がするなあ~。
そのほうが納得できるし、嬉しい。
 

# by kakiten | 2006-01-13 18:37 | Comments(0)