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テンポラリー通信

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2006年 03月 13日

琴似街道を歩くー岸辺の表情(5)

留守中に配達証明のお上の郵便が来ていてそれを取りに山鼻郵便局まで
久し振りに琴似街道を歩く。円山市場の前の道を南へなんまるスーパーから
藻岩山に抱かれているような自転車公園を東へ行啓通りを経て郵便局へ。
いつも思うことだがこの市場の道は人と馬車を基準にした幅なのだろう、歩く
には丁度いい幅だ。たまに来る自動車の方が遠慮しているようで気分がいい。
穏やかな傾斜があり反対に歩くと石狩への静かな風を感じる。今日は山へと
向かっていて円山が切れ、藻岩山が近づく。かっての村境を感じる。反対を
歩くと三角山、手稲山が近づいてくるのだ。その山に沿って川が流れ村がある。
当り前のことが当り前で気持ちがいいのだ。郵便局でまた裁判所の決定書を
受け取る。経済事件のいや~な続き、ちよっと落ち込んだので酒井博史さんに
電話した。すぐ近くにいて来てくれる。彼の用事に2,3付き合いコーヒーを飲み
に西区福井の「炭火の里」に彼の車で向かう。途中小別沢のトンネルの道でふ
っと思い出し太田ヒロさんの家に寄る。ヒロさんが丁度居てお邪魔した。ガラス
の高臣大介展以来かなあ。例の白樺の精のような女の人を朝見た話や今の
自分の状況やらを話した。大介さんの1月の<雪とガラス>展のオープニング
で演奏を2回もしてその後酔いつぶれた彼が翌朝みた俯いて座っていた女性
の話はもう伝説のようになっている。今開催中の千歳鶴酒ミユージアムの大介
さんの展覧会は知らなかったようで近々見に行くと言っていた。大介さんにも会
いたいようで最終日一緒に洞爺へ行くかという話から前日熊谷さんも行きたいと
言っていたのでみんなで鍋でもしに行くかと勝手に盛り上がった。どう大介さん?
ヒロシーヒロのH、Hコンビだぜ。そんな話をして大分気が紛れた。事務所に帰っ
てgla_glaのブログを開くとヒロさんの話が載っていた。あの日のヒロだ。なんだ
ろうね。やはり古い街道などを歩くとタイムスリップするのかなあ。今日は苦楽の
一日。寒くて暖かい一日。

# by kakiten | 2006-03-13 16:49 | Comments(4)
2006年 03月 12日

及川恒平の声に気功をみたー岸辺の表情(4)

gla_glaの高臣大介さんのブログを開くと酒井博史さんの演奏写真があって
彼の事を書いている。私も昨日のブログに書いていたのでへえ~と言う感じ。
このブログにも大介さんからコメントが入っていて熊谷さんと酒井さんの縁を
不思議と記されていた。この仮事務所のオーナーでもある熊谷さんが丁度い
たので伝える。それから下の彼の茶の間でしばし話す。今日は日曜日で昼に
ゆっくり話すのは初めてだ。夕張の話が出て村尾香妃さんの美しい夕張の山
の話を聞いたまま語っていたら、これがいいよと言って”たう”というグループの
波多野信子さんの「三番方節」と「炭鉱の子供の子守唄」を聞かせてくれた。
ピアノだけの曲もありどれもよく、これは村尾さんにも聞かせたいなあと思った
。女性の保つ激しさ(ワイルドサイド)と優しさが彼女の声にはある。ふっと思い
だし熊谷さんに及川恒平のCDを聞かす。すると不思議な事にこれはあの洞爺
の朝gla_glaの工房で彼の指導で初めて体験した気功のリズムではないか。
そう思い熊谷さんに告げるともう彼の上半身はゆらゆらと揺れて頷いている。い
つかの地盤地質図の上に座りここ、ここと指差していた時以来の恍惚たる表情
だ。ゆっくりと拡がり外界と繋がり触れ、そして内側に収め閉じていくそのリズム
が洞爺で経験した熊谷さんの気功のリズムと重なっていく。内と外が透明に交
り澄んでいく。及川さんの声の透明感北の空気のもつ透明感、それらが及川さ
んのメロデイーとリズムと気功の体のリズムとメロデイーに一体となって流れる
のだ。一緒に聞く人が違うとこうも違う。熊谷さんを通して及川さんんのこの「緑
の蝉」というCDはくっきりとその姿を顕したように私には感じられた。歌詞やメロ
デイーだけでどこか解釈していたものがすっきりと全体として揺らめき呼吸して
いた。体で感じていた。会いたいと熊谷さんが言う。いつか気功ライブしたいなあ
と思う。またひとつ熱い渦が発生しそうですね・・・恒平さん!マラソンより気功で
す。と勝手に思った。熊谷さんの目指す気功は植物のリズムと思う。ゆっりと深く
根を枝を伸ばす、光と水に向かって。そして閉じる、抱きしめるように内に深く。
その透明な呼吸は静かに骨を透明にするのだ。そして立っている、存在している
。今回このさっぽろ漂流がなければ、きっとすれ違ってばかりだっただろう事に
今出会っている。不思議な日曜日の昼だった。

# by kakiten | 2006-03-12 15:00 | Comments(0)
2006年 03月 11日

石狩河口まで行ったー岸辺の表情(3)

久し振りに酒井博史さんの車で動く。北大斜め通りの一軒のスペースを訪ねる。
ご紹介あった家主さんにも会う。心動く。内部を見せて頂きギヤラリーとしては
相当の手直しが必要と思う。あらためて訪ねることにして辞す。紹介して頂いた
方の家に寄るつもりが車の流れで、石狩へ向かう。以前から気になっていたので
酒井さんも同じと見えてアートウオームというレンガ倉庫のアートスペースに行く。
そこのカフエには店長の村上未央さんと美術家の阿部ナナさんがいた。着いた時
満員だったが隅の席になんとか座りキーマカレーを昼食に頼む。村上未央さんが
前日のブログを読んでくれていて、北へ向かっているので楽しみにしていたら今日
来たわと言って笑っていた。ここは初めてだがレンガのいい建物だ。食事を終え
おふたりに別れを告げ出る時阿部ナナさんのクシャミが止まらず少し遅れた。外
までその後ふたりで見送ってくれなにか照れたが少しいい気分だった。さらにここ
迄来たんだからと河口まで向かうと酒井さん。じゃあ知津狩の中川潤さんの家まで
と言う事で車を走らせたが雪で通行止めの道ばかりだつた。諦めて札幌へ戻り途
中西区八軒のスペースも見たがここはガード下で家賃も高く駄目だ。再び北大近く
紹介者の家を訪ねるべくそこで酒井さんと別れた。ご自宅の位置を探しているうち
日が暮れてきたきたので後日あらためてと思い事務所に戻った。帰って気功の熊
谷さんに呼ばれ気功のお弟子さんとともに湯豆腐の鍋をご馳走になり話が弾んだ
。酒井さんの小学生の時ハンコの配達で石狩まで自転車で届けに行った話が当別
生まれの熊谷さんの心を打ったようだった。酒井博史さんは、そう、不思議な29歳
だ。自転車で江別ー石狩を通ったのは熊谷さんの父上と母上の若き日のデートの
話であの遠い距離をと熊谷さんがいつも嬉しそうに話す話だったからその自転車と
距離に感心したのだろう。親孝行の小学生と恋孝行の自転車は何十年の距離が
あるのに。”う~ん彼にはまたひとつ感じるなあ”と*「友よ叫べ」の唄以来ふたり
の友情はまた深まりつつあるようだ。また3人で洞爺でも行こうかね。
                               *訂正「夢よ叫べ」

# by kakiten | 2006-03-11 19:30 | Comments(4)
2006年 03月 09日

岸辺の表情(2)-さっぽろ川を歩く

さっぽろ漂流の原点となった鴨々川の旧水門幌平橋デルタゾーンからもう一度
歩く。道議会議長公宅、連合事務所、宗教団体の建物、空き倉庫、マンシヨン
と5棟の建物がこのデルタゾーンのすべてである。東に豊平川と堤防南西に鴨々
川、北には幌平橋の中の島への道路と囲まれ三角地帯となっていて閉じられた
空間である。この豊平川と鴨々川の接点こそが幻の大河さっぽろ川の多分唯一
の痕跡である。ここから都心の市街地は、地質図上扇状地堆積物の樺茶色と
自然堤防堆積物の薄緑色が北東部に拡がる。再び白く蛇行する旧さっぽろ川
が現れるのは東区の伏古の地図の上だ。アイヌ語の古いを表すフシコが伏古
あるいは伏篭となってその下のさっぽろは省略され伏古川となっているが、地質
図に彩られている薄緑の自然堤防の厚さは正しくかっての大河を想起させるの
に充分のものだ。現在の豊平川の比ではない。さっぽろ川が氾濫し支流の豊平
川が主流になったのは1800年頃と言われている。しかしその伏流水はサッポロ
ビールや帝国製麻等で使う道庁の東前方に設営された官営工場の為に大量の
水を地下から常時提供したに違いない。川は見えなくても流れていたのだ。
今都心の市街地にその面影をみることは不可能だが、鴨々川の流れの始まる
重要なポイントに<官>の象徴である道議会議長公邸があるのは象徴的な事だ
。今なら考えられない場所の設定である。開拓初期からきっとここは重要な場所だ
ったのだろう。そして鴨々川の流れる流域は当時の国家神道の治める場所でも
った。そこからあらためて東区の本竜寺まで直線に切り換えられた人工の堀創
成川沿いを経て歩く。創成川はその名の通り創ー新しく創った川、新川である
。ここは今アンダーパス化事業とかで水源の鴨々川をせき止め工事中でさらに
殺風景になっていた。おまけにこの日はミゾレ交じりの雪風でなんとも侘しかった
。創成川ルネッサンスという文化運動があってその提案がこのアンダーパス化
につながっているが本当のルネッサンスは伏古川でしょうと思う。文化が政治と
経済に寄り添って公共事業の手助けをしている札幌ドームのアートグローブと
同じ系統のパブリック文化がここにもある。パブリックワーク内アートとか文化
といった方が正確である。古いものが蘇えるのがルネッサンスで新川がなぜ
ルネッサンスなのだろう。言葉が仰々しく創成だからでしょうか。その創成川の
元を創った大友亀太郎のお寺本竜寺とその役宅跡札幌村郷土資料館まで歩き
再度のさっぽろ川歩きを終えた。深く閉じた根っこのデルタゾーン。直線の市街地
の原点でもある創成川。そして再びパラトー石狩へと開かれる伏篭川の岸辺は
湿った春の雪風の中にあった。

# by kakiten | 2006-03-09 14:16 | Comments(0)
2006年 03月 07日

岸辺の表情ー岩手からロクさんが来た

岩手県在住の木工の作家菅沼緑(ろく)さんが来た。何年ぶりだろう、10年以上は
経っている。鎌倉の人だったが一時音威音府に移住しその後岩手県に引越した。
より自分の木工に適した場所を求めてひたむきな生き方をしている純粋な人である
。今回は萬鉄五郎の出生地岩手の土澤町で昨年行われたアートイベント「土澤の
30日間ー街角美術館」の新たな展開と私への陣中見舞いが目的で訪れた。車に
犬と猫を乗せてやってきた。土澤のアートイベントは立派なドキユメントを兼ねたカ
ログになっていて二月に送られてきていたから自然とその話が主になった。空き店
舗や空き地低い家並みの商店街、公園や駅の構内ありとあらゆる場所が展示スペ
ースになっている。その地域と人のアートを通した一体感の高揚した気持ちがろくさ
んの新しい生き方の可能性を充実したものにしているようであった。都会を離れ自
分の場を追い求めてきた彼にとって、そこに他のジャンルの作家そして町の人が
参加し町自体が変容していく体験はきっと新鮮な経験だったに違いない。単なる
工芸家として閉じることなく常に生き方を場とともに考え生きてきたろくさんに今作
品上でも新たな地平が見えているのかもしれない。生まれた池袋から鎌倉そして
北海道岩手とその場の追究の仕方は異なるが根本のどこかに共通するものが私
には感じられた。三時間ほど話して彼の犬と猫を乗せた車は函館ー青森へと去っ
ていった。さっぽろ漂流をつづけていると遠い近いではなく人とひょっこりという感じ
で会う。付き合いの時間の長短でもない。それは一種の侠気のように思える。男女
でもない。侠気(おとこぎ)とでも表したくなる心の様子である。年齢でもない。10何
年ぶりにわざわざ尋ねてきてくれたろくさんもそうだがここのところ会う人たちがみ
んなそういう人たちだ。実名は挙げないが心の奥底で深く感謝し友情の泉が溢れ
る自分がいる。そのことはさっぽろの見えない岸辺に触れている今の自分の実感
でもあり、与えられた勇気でもある。

# by kakiten | 2006-03-07 17:52 | Comments(4)
2006年 03月 05日

道の表情ーふかぶかとさっぽろ漂流(10)

歩き回る道が枝道、路地が多い性か雪と泥と氷が一緒くたになっている道がほと
んどだ。山岳画家の熊谷榧(かや)さんに連れられ冬山登山を覚えた頃真っ白で
真っ青な世界を山スキーで歩き山の麓まで降りてきた時の道を思い出す。
腐れ雪云ったっけ。そんな腐れ雪の道は足元だけでない。歩いていて歩くほうが悪
いような道もある。何でこんなとにこいるの?邪魔だ邪魔だと声はないけどそう感じ
る道もある。別に車道の真中を歩いていた訳ではない。周りが高いビルで出入りす
る車しか通らない、おまけに雪泥で歩く所が車の轍にどうしても近づくそんな場所だ
。時々そういう道に紛れ込むともうひたすら足元だけを見て脱出を願う。でも今頃は
そういう道が多いな。市街地の舗道のように買い物や通勤の目的では歩いて良し
それ以外は車が主役で人間はチヨロチヨロするなみたいな感じの道が増えていた。
そんな時樹があるとほっとする。おまけに鳥が鳴いていて時に沢山の小鳥が群れ
ている。しばし立ち止まる。傍にぽっかりと木造の古い家屋があって荒れた庭があ
る。そんな光景をたまに見る。それが時々飲食の店だったりする。北大界隈や山鼻
界隈には数件それがあった。もう少し郊外だと石山軟石の倉庫がそうだった。
個人の屋敷だったような家には庭と樹があって歩いているとそれに救われる。そこ
に正直なもので鳥もいる。カラスは少ない。カラスの声は人間的で人を小馬鹿にし
ているように聞こえる。時に威嚇的で様々な小鳥の声とカラスの声とは違う。大体
カラスはビルの道に多いのだ。食い物も含めてカラスが人間化したのはカラスに
とっても不幸かも知れない。今のカラスは夕焼けよりも市街地に似合う。
腐れ雪と腐れ人間がカラスと車に追い立てられるように街を歩く。格好悪いねえ。

# by kakiten | 2006-03-05 12:43 | Comments(0)
2006年 03月 04日

岸が見えてきたーふかぶかとさっぽろ漂流(9)

河田雅文さんと一緒に廻る。彼は優れたセンスのアーテイストだ。以前プラハの企
画で九州と札幌を結んだ交換シンポジュームがあり私は講演はせずパラト街道を
参加者と歩きその行為の中で各自が感受した事をテーマにした。その時参加し総
括を書いたのが彼だった。その後英国の美術家ロジャーアックリングの石狩望来プ
ロジェクトで作品記録を編集した時も一緒だった。3年程前マンシヨンのチラシだけ
で構成した展覧会「本日堂々完成」もワサビの効いたいい個展だった。前のギヤラ
リーの入口前にできたマンシヨンの完成を皮肉った批評精神あふれる展示だった。
また最近はビデオ作品を手がけていて携帯自転車で川に入り川の中を走りながら
撮影した未完のいい作品がある。彼の家はちようど界川と琴似川の合流点に近く
川の話でも私と気が合った。そんな彼が半日付き合ってくれた。自分以外の目線
が入るとまた少し見え方が変ってくる。見落としていた物がふっと見えてくる。この
日は狸小路の新しいスペース「スンクガーデン」にちらっと寄った後山鼻、北大付近
中心に廻る。道すがら河田さんの興味がやはり琴似川水系にあるのが分かる。水
源をさっぽろの西の山並みにもつ琴似川は現在のそれよりもはるかに広い範囲で
さっぽろの西南部から北東部を網羅した川である。札幌を造った三つの扇状地の
ひとつ<FK>のKは琴似川の頭文字。ちなみに<FT>のTは豊平川(旧札幌川
)<FH>のHは発寒川である。河田さんと話しているとすでに見た建物、新たな
ゾーンが別のふくらみをもって見えてきた。これでひとつ絞られてきたと思う。
一緒に歩く事の多い酒井さんも実は琴似川の枝に店がある。サカイだ、カワダと
私の原点の界川(さかいがわ)がいるみたいだった。まあこれはただのオジンギヤ
ル?ですがね。夜河田さんと別れた後事務所に帰ると村尾香妃さんからメールで
私が初めて見た夕張が中学の修学旅行で釧路で向かう途中の深夜だった話の
返事だった。真っ暗な夜汽車の窓に忽然として顕われた眩い光と機械音の渦。駅
の周りを覆うその光の空中都市は今もはっきりと脳裏に残っている。村尾さんは
釧路にも幼時期いて夕張と釧路が故郷という。たまたま私の夕張の記憶が釧路行
きの汽車だった事の不思議さを恒平さんの育った釧路との縁と共に語っていた。
彼女はこのブログに夕張の沼田さんを記した時コメントをくれた方である。及川恒平
時計台コンサートの主催者のひとりでもある。及川ー釧路、沼田ー夕張の線がまた
新たな出会いを生む。これも人の伏流水だな。私の中学時代の修学旅行がねえ。
記憶の伏流水が人に触れて、心の列車を走らせている。人の記憶の駅を巡るさっ
ぽろーその入口を思う。

# by kakiten | 2006-03-04 13:52 | Comments(0)
2006年 03月 03日

徒労感と閉塞の狭間にーふかぶかとさっぽろ漂流(8)

2、3日ぼんやりすることが多かった。なにか緊張の糸が緩んだみたいだ。昨今の
お天気みたい。やはり3月、2月とは違う。3月1日千年鶴酒ミユージアムの高臣大
介展に顔を出す。キリリと眼を張った大介さんがいた。髪が伸びて横に束ね兵馬傭
に似ていた。秦の始皇帝のあれだ。試飲のお酒を昼から飲んで酔いが早い。つい
もう一杯今度は百円出して吟醸酒を頼む。これは溢れるようにお姉さんが注いでく
れたので思わず”3月3日みたいなお顔ですね”と言ったら笑っていた。白い台に透
明なガラスの作品が並び少し単調に見える。本人もそう思っていたと見えて、吊る
作品を増やすと言っていた。それからパラト街道斜め通りタマネギ倉庫ともう一軒
を見る。どちらも大き過ぎて私のイメージとは違う。ついでに同じ街道沿いにあるぷ
ー横丁で海鮮カレーを食べる。美味しかった。夜石田善彦さんと会う。田中綾さん
酒井博史さんも来て先日の石田宅のお返しである。高臣さんも誘ったが来なかっ
た。初日の晩いろいろあるのだろう。田中さん先に帰った後3人で小説家東直巳の
姉の店「小太郎」に行く。寿郎社の関係の人の誕生会とかで満員。でもなんとか入
れ石田さんからいつも聞いていた店に初めて腰を下ろした。ほどなくパーテイの人
が帰り3人だけになりママのマラソンの話(サロマ湖百キロマラソン参加)の96キロ
時点の最後の辛さと達成感が印象的だった。そういえば及川恒平さんも参加して
たなあ。南の沢まで酒井さんが石田さんを送って帰ったら3時過ぎていた。こういう
漂流はあまりねえ。ススキノは何年振りだろうか、でもやはりススキノはススキノ。
疲れたのが正直な感想。

# by kakiten | 2006-03-03 14:06 | Comments(0)
2006年 03月 01日

鉄橋のように生きるーふかぶかとさっぽろ漂流(7)

2月が過ぎた。地図を片手に意識的に幻の大河さっぽろ川を辿った。そこで
見えたのは中心部の市街地化がどんどん侵食している事だった。琴似は琴似
円山は円山山鼻は山鼻という場の固有性が界隈性を喪失して同一の空を頂き
つつある現実だった。地域のグローバル化ともいえる。以前琴似街道や茨戸街
道を歩いた時道とともに風景も変化があった。三角山のゾーンが円山に変り円
山のゾーンは藻岩山のゾーンへと変化していった。古い街道には等身大の軸が
あった。茨戸街道には石狩へと向かう海への低い目線が転じて反対側の山並み
を迫り上げていた。風景と場所がキヤッチボールしながら呼吸していた。その呼
吸が今喪失しつつある。その事実を嘆いているのではない。街がたった一つのチ
ヤンネルの風景になってそれが豊かさと錯覚して街を改造する事に邁進して一体
なにがいいんだという怒りを感じている自分がいるだけである。私は私の呼吸を
他者の呼吸で代行する事はできない。他者の呼吸を私の呼吸で代行する事も
勿論できない。そんな当り前の事が街の風景には起こっている。それを誰もおか
しいと思わず発展と錯覚しているならそれはもっとおかしい。それぞれの街角が
亜流のいじけた名称と建物で埋まっている。公共の場所も民間のビルもマンシヨン
も駅名もふざけたネーミングがまかり通っている。ダジャレにもならないぜ。
一ヶ月が過ぎ見えない川の漂流はある輪郭を結びつつある。それは琴似川水系
と伏篭川水系の選択である。あの鴨々川の入り口に始まる南ゾーンから東北部
へそして円山北町の琴似川から源流南西部と北大と桑園の北東ゾーンである。
このふたつのゾーンを囲むようにジグザグと歩き呼吸する街角を探している。
そして3月4月そう、<鉄橋のようにわたしは生きるのだ辛い3月4月を終えて>
ー福島泰樹

# by kakiten | 2006-03-01 12:51 | Comments(0)
2006年 02月 28日

風のように友が来たーふかぶかとさっぽろ漂流(6)

一日出歩いて外から帰って夕刻電話が鳴った。東京沼田康弘さんからだ。
今札幌です。近くです。外に出ると目印のタワーマンシヨン向かいに真っ赤
なヤッケを着た沼田さんがいた。仮事務所まで案内し一応中を見てもらう。
<いや~なんか学生時代の下宿の部屋みたいだなあ、>と第一声。いや
はや、ここは早々にして円山公園口の喫茶店へとりあえず向かう。歩きなが
らも話は止まらない。その後西28丁目の居酒屋楽屋へ行く。店主の松崎軍夏
(いさか)さんと同じ1957年生まれと分かりそちらも話が弾んでいた。
沼田康弘さんは現在役者としてまた脚本家として昨年は九州天草、東北青森
ドイツベルギーと活躍しているが、最初に会った時は「風の旅団」のテント公演
で札幌に来て夕張出身と分かりそこから話が合い友人となった。私が夕張の
廃墟から持ってきた書類を見て<親父の会社だあ!>といって触ってくれた人
である。今回は弟さんの病状悪化で夕張に帰っていたがとりあえず病状は危機
を脱したという事だった。天草の博物館で夕張のアンモナイトが沢山展示されて
いた話、夕張の錦沢でそのかって汽車がスウイッチバックした場所で母と弟
が立っている夢を見てそこを舞台に公演したいという話、また東京である公演を
企画して及川恒平さんと2時間近く話し恒平さんが出演を断念した話は世間の
狭さに吃驚した。沼田さんもなんで及川さんと私が繋がるのか知らず驚いていた。
これも人の伏流水の泉だなあ。沼田さんと会うといつもお互いの今をわんわんと
語りあいほとんど収拾がつかない。でも不思議と根っこの部分は一致しているの
だった。及川さんもそのいい例だったが、昨日は最後に楽屋で沼田さんが持って
いたCDを聞かせたいといって聴いた曲もそうだった。グレングールドのバッハ「平
均率グラビアー集」で、グールドのこの曲は私の座右の曲のひとつだったから。
時にジョンルイスの晩年のソロもバッハの「平均律」でどちらの演奏もあの店で
よく聞いていた。グールドは私が演奏者を選んで聞いた最初のバッハだったし
ジャズ出身で黒人のジョンルイスもピアノでバッハを弾き続けたグールドもともに
黒人がクラシックそれもバッハをとかチエンバロでなくピアノはバッハの時代にない
とか当時の常識をオーバーフエンスして自分のバッハを追究した演奏家であった。
なぜこの曲が沼田さんから昨夜顕われ、私に聞かせたいと思ったのか、なにも
決めた事ではなかった。他の居酒屋では出来なかっただろうし沼田さんがCD
ファイルから最後にグールドのこの曲を選んだのもただ彼の気持ちだったろうと
思う。楽屋を出てまた歩きながら話し続けじゃあと別れた。飲み代は引越し祝い
だった。収入ゼロの漂流者にはあり難かった。さっぽろ流れもの~の今の自分に
は。

# by kakiten | 2006-02-28 12:39 | Comments(0)