テンポラリー通信

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2005年 12月 25日

ガラスの展覧会ー高臣大介

洞爺のGLAーGLAガラス工房の高臣大介さんより熱い電話くる。12月
21日のブログ読んでのことである。<1月展覧会できるじゃあないですか!
最後やりましようよ!>千葉県出身の彼が、最初にぶっかった難問が
冬であり最初に乗り越えたのも同じ冬だった。ガラスという透明で熱い
物体を創る人間にとっても、冬は雪と寒さによって厳しい条件として、
生活に襲いかかった。暖かい夏にガラスは、涼しげである。冬はどうだ。
世界がガラスのように澄み、透明になる。ガラスは寒く冷たくマイナスに
思え、スタッフも冬に恐れをなし去っていった。一度は千葉へ帰ることを
考えた彼は一番きつい時に逃げ出すとはどういう事だ!と父上に怒られ
再び仕事をひとりで始めはじめ、その年の冬私の2階のギヤラリーで
初の個展を開く事になる。昨年の2月のことである。2階の窓にツララが
下がりそれに沿うように吊りのガラスが100本程並ぶ。彼の作品はすべて
透明な作品でその為外光が朝昼夕と作品に取り込まれ、窓際と室内が
一体となって外からの雪明かりともに冬ならではの、ガラスならではの世界
が出現したのであった。吹雪、晴れ、曇り、天候も一日の光の変化もすべて
あるがままにガラスは映し、そして美しかった。また2週間で500ほど集中
してつくられた作品には勢いがあった。この個展で彼は北の冬を克服した
のである。そんな彼がここの最後に個展をやるという。うれしかった。
そして頼まれてDMの文章を書いた。

あふれる熱いものが、結晶するように
いま透明な形象が、想い思いの姿をして
ここにある
そして透明な想いの形が 再び溶けて
未知の無名の姿をして溢れ出す
それが 純粋であるゆえの必然ならば
さらに再び結晶する為に
喜んで今を去り 明日に溢れていくだろう
高臣大介のガラスとともに このギヤラリーが
最後の時間を過ごすこととても幸せに思っています
25年の結晶の時に心より感謝いたします。

2006年1月
白樺の時間とともに・・・器のギヤラリー中森

こんな文章とともに来年1月10日から一週間
GLAーGLA高臣大介展が始まる予定です。
皆さんよろしく
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# by kakiten | 2005-12-25 13:24 | Comments(4)
2005年 12月 24日

夢の痕

H・Kさんの案内で今は休郎しているTギヤラリーの佐々木芳斉さんを訪ねた。
ベットに寝たままの姿で往年の少しキザで、攻撃的な面影はなかった。
私はよく彼にからかわれてこの野郎!と思った事も何度かあった。しかし「美術
ノート」を主宰し1980年代の駅裏8号倉庫を初め数々のジャンルを超えた
アートシーンを記録していった仕事、現代作家展で、韓国初め国内外の作家を
紹介し今日にいたる作家たちの交流の礎を作った事等いまからみて極めて先駆
的な尖鋭な仕事の中心にいた事もまた事実である。自宅をカフエとギヤラリーにし
活動の拠点とした優れて実践的な作家であった事もいま改めて思うのである。
そんな彼にふっと会いたくなり訪ねた訳だが、初めて訪ねたその場所が、旧
さっぽろ川沿いのパラト街道(元村街道)近くにあったのも不思議な縁を感じた。
雑誌による批評と記録それも美術に留まらず、舞踏、演劇、映像と1980年代
のアートシーンを特集し、しかも実生活において発表の場と交流の場を実践
的に立ち上げたことは、少なくとも他にあまり例を見ない。その結果が早すぎた
が故にか、本人のエキセントリックな性格のせいかは、別にして本当はもっと
もっと評価されて良い人である事は、改めて本人の書棚にあった「美術ノート」
全巻を手にとって思った事であった。H.Kさんと2人で豆乳10本を彼の為に
買出しに行ってその日は辞した。H.Kさんこと花田和治さんもまた心優しく
名利を追わない本物の作家である。彼がいなければ今日の訪問はなかった。
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# by kakiten | 2005-12-24 19:38 | Comments(2)
2005年 12月 21日

とうとう期日が決まった

明年1月末迄に、立ち退きとなる。今日裁判所執行官みえて、宣告。
とうとう期日が決まった。<農>の街ともお別れとなる。ここは今や
宮の森ー円山地区として高級住宅、マンソヨンの立ち並ぶハイブロー
なイメージだが構造的には<農>を基本とした山裾の自然に近い村
である。その事をなにより証明するのは、かっての幹線琴似街道である。
琴似ー円山ー山鼻の各村をつなぐ琴似街道は、市場をつなぐ道で
各村沿いに三角山ー円山ー藻岩山と西の連峰が見え、二十四軒卸
売り市場ー円山市場ーなんまる(南円山公設市場)と農産物の物流
の道が続く。今は自然に近いのを売り物に、エレベーターや車を抜き
には住めない<住宅>群が高さを競うように、空を山を埋め立てている。
私がこの街で発見したのは、そのビルの合間を縫うように流れていた
川の痕跡だった。その川界川に沿って源流に拡がる原始の自然、近代
の爪あと現代の荒廃を同時に見ることができた。川はさらに川につながり
円山川琴似川そして篠路の旧さっぽろ川(伏古川)につながり、石狩川
へと続く未知のさっぽろを見ることができた。<農>の街は同時に源流域と
石狩の海への道でも私にはあった。それを教えてくれたのは見えない川、
今は暗渠になっている川の、不思議な暖かい痕跡その曲線の道だった。
川に導かれるようにそのフィールドワークが、さっぽろで表現に関る仕事
の私の土台となっていた。多くの作家がここを拠点に、海へ山へ川へ
と表現の場を広げていった。漁師が山へ木を植えるように自分の場を必然
としてオーバーフエンスしていつた。これがコンテンポラリーの意味だと
今でも確信してそう思う。<農>の街ゆえ残っていた山と川の痕跡その
構造は、今またさらに消去化が進み、<円山北町>という地名よりも<西28
丁目>というデジタルで空疎な地名(?)を街的と思う市街地に変わってきた。
<農>の構造は忘れ去られ、街の表面はビル風の吹き降ろす屏風のような
道ばかりになってきた。この街での敗北は、<農>を基本とする構造の
敗北ではなく、天に直線の、地に直線の政治経済の合理功利の街の侵食
に敗退したのだ。<円山村よ、琴似村よ、今こそ心のルネッサンスを!>
それがこの街に贈る言葉だ。     
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# by kakiten | 2005-12-21 17:32 | Comments(0)
2005年 12月 19日

ドイツからのメール

今ドイツのハンブルグにいる谷口顕一郎クンことケンちやんからメール
(というよりは手紙という感じだな~)が届いた。今回裁判があり、ここを
閉鎖する状況、彼女から聞いた事そしてブログを読んだことについて
である。年齢も違い、今生きている場所も違うけれど、<魂は千里を走る>
という諺のようにまるで直ぐ傍にいるように、語りかけてくれます。

<ぼくにとって、そのことはただ一個人の人生の出来事ではなく、札幌に
起きたなにかおおきなムーブメントのようなものが終焉に向かっていく
風に思えています。・・・・やるせない、どうしようもない出来事。しかし
終焉という言葉は用いましたが、それと同時に長いものに対する句読点
的感慨もあります。2人でよく話したピリオドの話覚えていますか?
点を打つことで、物事にメリハリをつけ、より活性化させる話。今ハンブルグ
の街外れにあるコンテナの中で中森さんと過ごした・・・いや飲んだ日々を
思い出しています。勿論寂しさはありますが、なぜかそれよりもすうつと
した、あかるいものも感じています。なにかなあと考えてみると、長い間
、本当に長い間、中森さんがずつと背負ってきたもの(重いリユックサック)
を今ゆつくりとそっと地面におろしている、その瞬間を僕も少ないなりに
感じることができているのかな。だから終焉つて言葉じゃないね。・・・
最近のテンポラリー通信・・・全部読みました。前よりもとてもよみやすい、
ほんとに中森さんこうやつて思つてるんだろうなつて文章。硬い皮(トゲ)
がはがれて中身のほんとのピユアな部分がすっきりと僕には入ってきます。
11月29日の冬との対峙、僕の一番好きなやつです。>

引用長くなり申し訳ないが、メールというより手紙という気持ち
お分かり頂けると思う。なにかよく見て、知っているんだなあと
思います。重いリュックサックなんて何時そんなもの見ていたんだ
もう人が死んでしまったみたいじゃないか!と思います。
ここで一緒に闘ってきた親友の真の言葉と思い、励まされたので
公開いたします。俺もなにかあかるくなったぜ!
サンキュウ!ケンちやん。
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# by kakiten | 2005-12-19 18:24 | Comments(2)
2005年 12月 18日

熱だして、泡食って、馬鹿みたい

ブログ開設のお知らせを、とうとう決心して送信したはいいけれど
2回も間違えて、お恥ずかしい次第です。九州や群馬県、東京他
10数通つながらないぞ!とお叱りを受けました。また、初歩的な
ミスを飲み込んで、全部読んだ後、ここが違っていますよと訂正
してくれた方、また違っているよすぐ直しなさい!と仰る方、いずれも
汗顔の至りです。喉ー気管支炎いまだ治療中、熱だして、泡食って
馬鹿みたいです。テンポラリースペースラストの堀田真作展今日
搬入ー展示です。彼堀田さんの熱意、事情話す間もなく、一気に
DM今月初め持ってきて、今日に至りました。なんとか、Xデイー
凌いで今年を終わらせたいと思います。安土桃山の華麗さを現代
に見るようなギラリとした迫力ある金属の立体作品です。
彼の作品の持つある種の気品は、ヨーロッパへ持っていけば、きっと
高い評価を得ると思います。雪の光に、ステンレスの鈍い銀色の作品
が白い壁にどう浮かび上がるか楽しみです。キッパリと柔らかく
厳しく華があって、冬の最後ここには、ピッタリかもしれません。
                      
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# by kakiten | 2005-12-18 16:43 | Comments(0)
2005年 12月 16日

寒い~なあ~

今日も寒いなあ~。どうしてこんなに寒がりになったんだろう。
風邪のせいだけだろうか?もっともこのパソコンに向かう場所の
寒さもあるけれど。
九州の彫刻家阿部守さんより電話くる。来年秋個展今から準備
したいとの事。2年前鉄の作品展彼の原点のようにあった。今度は
多分石狩も含めたインスタレーシヨンを、考えているように思う。
ギヤラリーを拠点にあたかも漁師が山へ行って樹を植えるように、
鉄という素材に拘りつつ、オーバーフエンスしていくに違いない。
それまでにここもさっぽろに拘りつつ、オーバーフエンスしていかなく
てはならない。夕刻洞爺のガラス作家glaーglaの高臣大介来る。
3年前千葉より洞爺に移住しガラス工房設立。昨年工房火事で焼失
するが、今年10月再建。昨年2月、ここで個展をしてガラスー冬という
マイナスイメージを克服し自信をもった。彼の透明一色のガラス作品
は、ツララともいいコラボレーシヨンをみせ、光が冬を掴まえていた。
3週間で400点近く一気に造り、半分以上売れていた。吹きガラス
だけに気合がそのまま作品に顕われていた。冬はここが定番となって
いるだけに現状の話は残念、辛い。2階の南窓は今年もツララ、銀杏の樹
むこうに円山、藻岩山そして東窓の白樺の大枝も、みんな美しい。
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# by kakiten | 2005-12-16 14:50 | Comments(0)
2005年 12月 15日

また歩く、歩かなくっちゃ。

こんなに寒くて、厚着したのはあまり記憶にない。寒さに強い方だと思っていたから
風邪から喉ー気管支炎。お金から裁判ー立ち退き。逆境から歩行ー札幌の入り口。
あんまり揃ってもいないけれどそんな3つの進行があって街考古学にしばし
集中した。前から調べていた事と、歩いて発見した事が、つながり、新たな
意味をもってくる。イプツーイパル(その入り口)というアイヌ語が江別や夕張そして
勇払のことを意味し興味深く感じてはいたが、肝心のさっぽろの<その入り口>を
見つけてはいなかった。豊平川とつながる鴨かも川のゾーンに、東区の伏古川へと
つながる<その入り口>を見た。さっぽろ川の流域は、街としても茨戸街道界隈
と共通する性格を、屯田通行啓通あるいは神社お寺の多さをも含めて街の中に
保っているのである。中間の計画的人工的<本府>だけが浮き上がりなんとかの
城のように見える。しかし実際はそこが政治経済の中心であり繁華<街>である。
ここでは<その入り口>は本来の自然構造を喪い別の入口が肥大し増幅している。
わたしの<喉ー気管支炎>は、<その入り口>の身体的症候群かも知れない。
こんなに寒くて震えているのは、入り口が発熱して震えているせいだ、きっと。
古いものが古いままにあることを否定して、新しさが意味ある世界とは、常に
追いかけられているような忙しない世界だ。この世界の入り口はきっと新と旧の
廃棄口のように現れてくる。内と外が相互に触れ合い交感しあう場としてではなく。
歩く事の意味も其処では違ってくる。AからBへの移動ではない、AとBの往還
が意味を保つ。棄てるものはない。歩いて発見があり、歩き深まる時がある。
<その入り口>の持つチヤンネルの違いは今どんどん拡がって対峙してくる。
風景として世界が開いてくる<入り口>と、光景として世界が新奇に閉じてくる
<入り口>と。
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# by kakiten | 2005-12-15 12:40 | Comments(0)
2005年 12月 14日

とうとう病院へ

先月から喉に詰まるような、息が切れるような感じが続いていた。
今週雪降って、雪掻きし、息が直ぐ切れ何だこれー!とさすがに
これから引越しの力仕事もあり、病院へいった。
気管支炎と血圧が高く、「よく我慢したねえ」と言われた。あまり誉められた
ことではない。さっぽろの入口に拘ったり、ストレスを首のあたりで受け止め
たりで気管支に皺寄せが入ったのかも知れない。
年内にゾーンとしては定まったが、どこと具体的に決めるまでまだまだ
緊張と集中力は続きます。
<想いは現実現実は想い>-大野一雄
及川恒平さん、糸田ともよさん、のライブがここの場と人への想いと
なって12月3日急遽おこなわれ、その日のブログにここの閉鎖を初めて
書いたのですが、及川さん、糸田さんともに札幌では、中の島と豊平川は
生れたところ、現在の宿泊先と縁深い所でした。
これも<想いは現実>のひとつかも知れません。
今日はこれにて静養。
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# by kakiten | 2005-12-14 17:04 | Comments(4)
2005年 12月 13日

河口とステーシヨン

古いさっぽろ川ー伏古川沿いにパラト街道(元村街道)は、茨戸まで続く。
パラトは、アイヌ語で広い河口を意味し、ここで伏古川が石狩川と合流している。
創成川も茨戸につながり、陸路と水路が集結してくる。ある時期までここが
さっぽろの出入り口であったのは間違いない。その後汽車が小樽と札幌を
結びもう一つの駅ー出入り口が中心になっていき、石狩への回路は忘れ去られ
つつ今日に至っているのだろう。しかし、小樽は後志地方と今でも天気予報で
区別されるように、石狩とは自然の在り方が違う。文明の利器ー機械によって
私たちは2つの身体を身に着けたと思う。<頭と手の間に機械が入って分断し
てしまった>-リンドバーグ夫人(海からの贈り物)自然の身体性からは、旧
さっぽろ川につづく川の出入口、それと対峙するように駅(ステーシヨン)という
機械が開いた出入り口。そしていま問われているのは、自らの身体性に繋がる
回路をどう回復し、非等身大の世界とどう対峙できるかという問い掛けである。
札幌という都市は、近代そのもののように発展し膨張してきたが、近代以前
は中世も近世もなく即自然と接する優れてコンテンポラリーな現代を包含
したゾーンとして考えられる。この2つの出入り口は象徴的に存在し、
そこに拡がる街の違いもまた象徴的である。
鴨かも川沿いに、西へ拡がった行啓通り、東屯田通り等の古い街は
神社、お寺の多さといいパラト街道沿いの街との共通性は物と人の親和力が
ベースにある事だった。道庁と駅で分断されてもこの街は等身大の街なのだ。
そして同じ川筋を元にできた街なのだ。
わたしは、自分の生れた街がビル化しブランドの街となり、今また高層の
住まいのビル化した街となって、いわゆる発展し新しくなる事との違和をどう
歯どめし、さっぽろで生き抜いていくかを具体的にしかし精神的に確かめる為
このブログを書いている。一つの出入り口は、政治経済に基本があり、もう
一つの出入り口は、自然文化に拠っている。勝ち組みー負け組みなんて
ものじやなく自然文化に根ざした自立をと思うのだ。
そんな街にこそルネッサンスを!決して創成川ルネッサンスなどではなく。
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# by kakiten | 2005-12-13 14:52 | Comments(0)
2005年 12月 12日

幻の大河ー札幌川

鴨かも川の豊平川取水口から川沿いに歩く。ゆったりと中島公園のなかを
護国神社を経て川が流れていく。朝雪が降り、晴れ、真っ白な世界を
歩いていく。水天宮に至り、川は薄野市街地に入りやがて創成川
に取り込まれて終わる。かって札幌川という川があり、1800年ころ氾濫
して現在の豊平川が主流になったといわれている。その旧札幌川は、現在
フシコ(古い)札幌川として、フシコ川の名で丘珠ー篠路に姿を現してくる。
フシコはアイヌ語に由来しているが、その札幌川が豊平川と切り替わった
まさにその名残が、鴨かも川と豊平川の接点であり、今の札幌市街地を
創った母なる川の痕跡である。ここがさっぽろの真の入口であるのだ。
自然がチヤンネルを豊平川へと変え、その痕跡の鴨かも川は。人工の
創成川へとチヤンネルを変えている。また近代において、汽車という
機械文明が駅ステーシヨンという形で、物流の入口を反対の北側に
設定する。私たちは<本府>とよばれた碁盤の目の道庁を中心に
札幌を見る都市の目線のうちにいるが、今日決定的にもう一つ
の入口からさっぽろをみる小さく深い旅をしたと思う。中の島、中島その名
の通り中洲だった大河サッポロ川の扇状地、その接点、触れる所にさっぽろ
のはじまりをみた。林立するビル群、歓楽街、ペットシヨップ、ビジネスビル
商業ビル、官庁街はその入口を効率と欲望の直線に変え、天地を埋めている。
創成川ー創成=新(成)川という直線の川はその象徴であるだろう。
さっぽろという場のチヤンネルを今一度、政治経済の手から自然文化の側に
切り換える時をと思う。さっぽろ川鴨かも川の旅は今を生きる私に原罪のように
そのことを伝えてくれる。
       
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# by kakiten | 2005-12-12 13:18 | Comments(1)