テンポラリー通信

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2006年 01月 04日

新年の手紙

昨年暮れ近く東京の根津に引越しした小山内裕二さんから小包届く。
彫刻家故若林奮の<銅・弧>という個展のカタログと藤原新也の<メメントメモリー
>サイン本の2冊が入っていた。どちらも彼とよく話していた作家であった。手紙が
添えられていた。中で<公共的>という言葉が胸を打った。何故か。私はしばしば
その言葉を否定的に使ってきたからだ。美術ではパブリックアートを批判する時に
また都市論では公共事業の直線の都市計画を批判する時に、基本的に対峙する
概念としてその言葉は私にはあったのだ。しかしここではそうではなかった。
こんなに寄り添うように<公共的>という言葉が使われ様とは思わなかった。

ー立ち退きの件、度々経過を教えてもらっていたので驚きというより、何か
 静かな悲しみを感じました。中森花器店との出会いは石田くん(映像作家ー注)
 の「フーガの技法」の展覧会でした。その後度々出入りし、中森さんと飲食し
 語り、批評し。。僕にとって大きな大きな意味を持つ「世界」でした。あの場所が
 なくなる、というのは僕にとってひとつの「世界」を失うことです。たくさんの人々
 が「憩い」を共有している場所であるということ、中森花器店は真の意味で「公共
 的」な場所である証だと思います。-

小山内さん!勝手に引用してごめんなさい。私はブログにも年末に書いたけれど
公共の名のもと市街地再開発で変質した所で生れ育った訳で、それが闘いの原点
のようにあって否定の影がこの言葉には付いて回っているのです。
勿論真の意味でと書かれていますが、私には逆転して使われていたものですから
少なからず”はあ~!”という感じでした。でもとても嬉しかったです。

ー同時代を生き抜く同士として、譬えお互いが息を潜めて世界を眺めていても
 その「想い」は同じです。「想い」を共有できる人が存在すること、それだけで生
  きている価値があるのでは、というのが最近感じることです。

彼にとっては一年と何ヶ月かのさっぽろだったが、石田尚志さんの映像がきっかけ
で知り合い、それからいつも彼は眼をキラキラさせて、ここに入って来た。
ここにくる時のあの眼の輝きは忘れ得ない。またふたりが共通する彫刻家若林奮
は私は詩人の吉増剛造さんを経由していて、小山内さんからはより美術の方から
の知識、資料を教示された。若林さんに限らず彼は掛け替えの無い鋭い美術の眼
の人だった。送って頂いた本はそのまま2人の眼の「想い」の証だったと思う。
距離や環境の違いに関らずこれからもまた、眼をキラキラさせた彼に逢うだろう。
私は私の<公共>を逆転してくれた彼の友情をわすれはしない。 
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# by kakiten | 2006-01-04 15:54 | Comments(4)
2006年 01月 03日

水天宮と若水

元日ー水天宮にお参りに行く。真新しいしめ縄。本宮と左横に中と小
のお宮。人は誰もいない。順番に祈る。
25年前の夏円山北町ー西28丁目で界川に遭う。大雨による増水から氾濫し
存在を知る。そして川の街さっぽろの大元締旧さっぽろ川を祭るところがここだ。
この日一日酒を飲む。

2日ー若水を取りに行く。モイワの麓。それから少し先の白龍大社を
詣でる。マンシヨンの駐車場の奥ひっそりと鎮座する。プレハブで囲われ
なかは見えない。かすかに木の波のような彫刻と鏡がある。これも水の
神様と思う。<千と千尋の神隠し>で<白>という龍が川で出てきた事を
思い出す。一緒に行ったハンコ屋さんの酒井博史さんが<こんなとこに>と
感心した。2人でそば屋探すが開いていなくて、ファミレスで飯を食い、店に
戻る。正月という事で酒を飲む。酒井さんのお父さんの話を聞く。職人さん
だったんだなあ。そういう人がある時代までいたなあと想う。竹の職人さん
簪を直す飾りやさん、木箱を作る箱やさん、ハンコ屋さんもそういう人達の
ひとりだったんだと改めて思う。街もそういう人の住む界隈があった。
看護士の2人が来る。ここを惜しみ、ここの白樺の木を好きな人たちだ。
仕事柄人間の生死に立ち会う事の多い人が、ここで寛ぎ、ここを惜しんで
くれることになにか例え様のないものを感じている。一般の仕事と違い日常
生と死に敏感な若い感性が深い所で真っ直ぐみっめているのがわかるのだ。
口惜しんで、惜しんでくれる、ひとりの人間の気持ちが伝わってくる。
なんの利害もなく純粋に、ひよつとして人の生死以上に個として。
4人でそれから取り留めない話をして飲んだ。酒井さんは健康を注意され
、僕もさりげなくたしなめられた。そうです。身体に気をつけ頑張れという
女神のお告げと思います。いい時間だった。
昨日今日と飲み、顔も洗っていない。女神さまに失礼したなあ。
顔洗って出直せとの御宣託かもしれない。
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# by kakiten | 2006-01-03 15:53 | Comments(0)
2005年 12月 30日

25年を迎える人去る人

このブログを教えてくれた佐藤久美子さんが今日25歳の誕生日という。
ここ円山北町ー西28丁目に来たのも1981年からなのでほぼ25年になる。
同じ25年がブログで協力しあって迎える年は、去る人、お肌の曲がり角の人
それぞれだなあ。あっ!曲がり角は一緒だ!ごめんなさい。ランラン♪
12月30日に誕生日とはブログの師でもあるので、本当に師走の人だ。
<走る>といえば本当にシャンパン飲んで走ったそうです。いやはや。
私も酒でも飲んで走りたいけれど、血圧、心臓、呼吸器みんなアップアップ
でしようね、心臓エコーだもんね。検査中ですから。でも25という数字で縁あって
不思議でした。
今のpivot(ピヴォ)の所、旧ダイエー札幌店が退店してそうなった訳だが、
ダイエー退店からピヴォになる2年間は空家で厳しかった。バブルがはじけても
固定資産税は変わらず、空家でもボイラーは焚いて、ダイエー以外のテナントの
補償に追われたりヤクザ屋さんがブローカーで入ってきたり、親が死んで相続税が
きたりで、ここも維持しながら大変だった。もっともビルになった時から裁判続きで
今でいう談合もあったと思うが、札幌市の施工で市街地再開発法による半強制的
な工事だったからおかしな事が一杯あって原告やら被告やら入り乱れていた。
ここでもまさか立ち退き訴訟になるとは思わなかったが、裁判には慣れたのが
悲しい。もう取られるものはなにもないさ。
どちらも空に直線状に拡大拡張する街になろうとする時に起こるのは同じだ。
人間の欲望開花ー増幅の装置が整うと裁判も花盛りだ。車に乗ると、ヨタヨタ
歩く人にオラ!オラ!轢くぞこらあ!という気持ちが起きるみたいにある増幅装置
を得ると、歩く気持ちとは変ってしまうようなものです。

<街の質>が変わるのだ。原形質は喪われ、どこも同じ価値観の、同じ光景
の顔になる。ここでは新しい<民の街>を創りたかった。古いアパート群が生き
西の山並みが望める街に、<農>が基本のこの界隈が、新たな生産地
文化が農のような、カルチヤーではなくカルチベートする自耕の街を思った。

やはり年末は振り返るなあ~。明年は再びさっぽろへ!をテーマに生きます。
いいお年を!
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# by kakiten | 2005-12-30 16:19 | Comments(4)
2005年 12月 29日

及川さんの声

朝から及川恒平の3月と6月のここでのライブ録音を聞いている。
今朝有線放送の設備は解除したから、自前のオーデイオに切り換えた
から。太田ヒロさんの名録音である。ギター一本で及川さんが歌っている。
及川さんの声が、外の白い風景に流れていく。雪の世界に人も車も影のように
通り抜けていく。午後の曇天の空気は、陰を含んでいる。<こんなに寒いのに
どうして池の中にいるの、見えない明日が見えたら怖いでしよう><凍える人と
凍える人が抱き合っても暖かくならない>京都の詩人萩原さんの詩を歌って
いる。<あなたに暖かな体が戻ってきたなら肘も膝も二つに折ってぼくは
抱きしめる> 雪に合うなあ恒平さんの声は。<氷屋に道を尋ねているうちに
雨が落ちて雨が落ちて人の喪ははじまったー>ここでも氷屋は夏のイメージに
はない。声の質が<北>なのだ。美唄出身で釧路育ちの彼には<氷>はやはり
北のものだ。ここで3月6月10月12月と4回のライブを聞いてそう思う。声の質
そう<原形質>なのだ。私もまた街の原形質を追いかけている。
それはアイデンテイーとかオートノミイーとかいうけれど、街の質なのだ。

サッポロオリンピックで道路拡幅され、今は冬はロードヒーテイング夏はお洒落な靴
が闊歩する舗道の下に祖父祖母、父母の血と汗が埋もれている。祖父の時代は
停車場通、父の時代は駅前通、母の時代は四番街と呼ばれた街に一軒の家が
眠っている。道が拡幅され拡大した分、天に直線状に底上げされた店舗群の街。
そこで街の質は、物が溢れ、人の流通量の大小に還元されていった。
私はその街から難民のように逸れて、円山北町で衣装を脱いだ。
年末のふっと振り返る時間に恒平さんの声に触発されて、去しかたを書いたなあ。

<過ぎし日に想い馳すー時代の片隅に忘れ去られ>(引潮ー及川恒平)

<原形質>を追求すると過去もまた露出くるのだろう。

 
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# by kakiten | 2005-12-29 17:54 | Comments(0)
2005年 12月 28日

魂の暗渠

見えない川がどうの、さっぽろの地質がどうのとブログに記していると
地質学者か郷土史家みたいで、ある詩人に言われた。わたしは自分
の居場所も分からない。<魂の暗渠>よと。なるほどな~。でも詩的
ではあるけれど、私的に閉じてしまう。詩は詩でも<志>として開くのも
詩ではないだろうか。立場がそれぞれだから、チャンネルの違いという事
と思います。

今日午前11時執行官来る。正式に強制執行告知書渡される。
明年1月29日まで明渡しの文意である。
とうとう本当に期限が決まった。
私的に閉じてはいられない。開かなくては!
それが私の立場です。閉じる事は自死を意味する。
死は<死に場所を探す>という、<生>の場所を意味するのだ。
もうひとう<死>の話。-死に目に会うーという。親しい家族
を主にいう言葉と思う。じゃあ<生き目に会う>と思う。いい仕事
困難な仕事をやり遂げた時その人間の<生き目>に我々は
立ち会う。このブログで取り上げた及川恒平さん、ドイツのケン、
ガラスの大介きっと彼らの仕事は、ここの場所ギヤラリーで
いい仕事をし、その生き目に僕らは立ち会ったのだ。そう思う。
私が<志>を想いここで敗北しながらもなお自らの生き目を
見せる為に閉じようとしないのは、その謂だ。

今日は白い闇のように雪が間断なく降っている。
細かい雪、視界が閉じている。
白い暗渠かな。
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# by kakiten | 2005-12-28 12:55 | Comments(0)
2005年 12月 27日

雪晴れの日

青空が広がり、白と青の世界。雪で空気も洗われたよう。
雪掻き。 息切れなくなる。気管支炎回復しつつある。
雲ひとつない青空、暖かい陽射し、歩きたい。
冷氣を含んだ澄んだ空気を呼気、吸気。
ツンと頭の芯で感じながら、スゥハア、スゥハア。
体が暖まりだす。山が近づく。影ができる。寒くなる。
木々の影が濃い。風で梢から雪が落ちる。鳥が飛ぶ。
いつのまにかカンジキを履いている。足跡がモンスター
のよう。立ち止まり空を見上げる。梢の網目。
空に向かって梢は光という水を求めて根を張り、
根は水という光を求めて地に梢を伸ばす。
天地がシンメトリーにつらなる。天地が呼吸の中にある。
かって歩いた時の記憶が一瞬幻想のように訪れた。
冬は雪で天地が梱包され、本質だけが骨格だけが
立ち顕われるときがある。クリストの作品のように。
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# by kakiten | 2005-12-27 15:09 | Comments(0)
2005年 12月 26日

白い街

昨日から吹雪。風もある。街はグレイがかった白い世界だ。
<玄冬>を思い出す。赤はないなあ。信号機の色くらい。
心臓のエコーをとりに国立西病院へ行く。初めて。いろいろ
出てくるなあ。悪いものが。でもあまり意識はない。心臓は
強い方と思っているから。昨日鴨鴨川沿いをまた探索。
官のゾーンの基点のひとつと改めて思う。道議会議長公宅
札幌市の土地、道立南高等学校と<公>の土地が大半を
占めている。伏古さっぽろ川の痕跡を、地質図でみると中心
部から中央郵便局の斜め通りにばあ~つとつながる。
<伏古札幌川浪漫>パラト(茨戸)までいつか流してみたい
直線と対峙する曲線のガイア。そこからもう一度さっぽろを
みたい。復元はできないけれど、再生はできる。それが文化
の役目と思う。その拮抗が文化力だ。直線は暴力そして権力
ここ円山も直線の<住>の街。路もまた。路地裏が沢山あった
なあ。山鼻ー中島公園のゾーンには。寂れているけどしぶとく
残っている。川の澱みのように、魚のようにほっと息ができた。
街にも界隈というアナログな澱みは必要と思うのです。
今日は心臓のエコーのように、とりとめなく原則的なお話ですね。
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# by kakiten | 2005-12-26 16:57 | Comments(0)
2005年 12月 25日

ガラスの展覧会ー高臣大介

洞爺のGLAーGLAガラス工房の高臣大介さんより熱い電話くる。12月
21日のブログ読んでのことである。<1月展覧会できるじゃあないですか!
最後やりましようよ!>千葉県出身の彼が、最初にぶっかった難問が
冬であり最初に乗り越えたのも同じ冬だった。ガラスという透明で熱い
物体を創る人間にとっても、冬は雪と寒さによって厳しい条件として、
生活に襲いかかった。暖かい夏にガラスは、涼しげである。冬はどうだ。
世界がガラスのように澄み、透明になる。ガラスは寒く冷たくマイナスに
思え、スタッフも冬に恐れをなし去っていった。一度は千葉へ帰ることを
考えた彼は一番きつい時に逃げ出すとはどういう事だ!と父上に怒られ
再び仕事をひとりで始めはじめ、その年の冬私の2階のギヤラリーで
初の個展を開く事になる。昨年の2月のことである。2階の窓にツララが
下がりそれに沿うように吊りのガラスが100本程並ぶ。彼の作品はすべて
透明な作品でその為外光が朝昼夕と作品に取り込まれ、窓際と室内が
一体となって外からの雪明かりともに冬ならではの、ガラスならではの世界
が出現したのであった。吹雪、晴れ、曇り、天候も一日の光の変化もすべて
あるがままにガラスは映し、そして美しかった。また2週間で500ほど集中
してつくられた作品には勢いがあった。この個展で彼は北の冬を克服した
のである。そんな彼がここの最後に個展をやるという。うれしかった。
そして頼まれてDMの文章を書いた。

あふれる熱いものが、結晶するように
いま透明な形象が、想い思いの姿をして
ここにある
そして透明な想いの形が 再び溶けて
未知の無名の姿をして溢れ出す
それが 純粋であるゆえの必然ならば
さらに再び結晶する為に
喜んで今を去り 明日に溢れていくだろう
高臣大介のガラスとともに このギヤラリーが
最後の時間を過ごすこととても幸せに思っています
25年の結晶の時に心より感謝いたします。

2006年1月
白樺の時間とともに・・・器のギヤラリー中森

こんな文章とともに来年1月10日から一週間
GLAーGLA高臣大介展が始まる予定です。
皆さんよろしく
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# by kakiten | 2005-12-25 13:24 | Comments(4)
2005年 12月 24日

夢の痕

H・Kさんの案内で今は休郎しているTギヤラリーの佐々木芳斉さんを訪ねた。
ベットに寝たままの姿で往年の少しキザで、攻撃的な面影はなかった。
私はよく彼にからかわれてこの野郎!と思った事も何度かあった。しかし「美術
ノート」を主宰し1980年代の駅裏8号倉庫を初め数々のジャンルを超えた
アートシーンを記録していった仕事、現代作家展で、韓国初め国内外の作家を
紹介し今日にいたる作家たちの交流の礎を作った事等いまからみて極めて先駆
的な尖鋭な仕事の中心にいた事もまた事実である。自宅をカフエとギヤラリーにし
活動の拠点とした優れて実践的な作家であった事もいま改めて思うのである。
そんな彼にふっと会いたくなり訪ねた訳だが、初めて訪ねたその場所が、旧
さっぽろ川沿いのパラト街道(元村街道)近くにあったのも不思議な縁を感じた。
雑誌による批評と記録それも美術に留まらず、舞踏、演劇、映像と1980年代
のアートシーンを特集し、しかも実生活において発表の場と交流の場を実践
的に立ち上げたことは、少なくとも他にあまり例を見ない。その結果が早すぎた
が故にか、本人のエキセントリックな性格のせいかは、別にして本当はもっと
もっと評価されて良い人である事は、改めて本人の書棚にあった「美術ノート」
全巻を手にとって思った事であった。H.Kさんと2人で豆乳10本を彼の為に
買出しに行ってその日は辞した。H.Kさんこと花田和治さんもまた心優しく
名利を追わない本物の作家である。彼がいなければ今日の訪問はなかった。
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# by kakiten | 2005-12-24 19:38 | Comments(2)
2005年 12月 21日

とうとう期日が決まった

明年1月末迄に、立ち退きとなる。今日裁判所執行官みえて、宣告。
とうとう期日が決まった。<農>の街ともお別れとなる。ここは今や
宮の森ー円山地区として高級住宅、マンソヨンの立ち並ぶハイブロー
なイメージだが構造的には<農>を基本とした山裾の自然に近い村
である。その事をなにより証明するのは、かっての幹線琴似街道である。
琴似ー円山ー山鼻の各村をつなぐ琴似街道は、市場をつなぐ道で
各村沿いに三角山ー円山ー藻岩山と西の連峰が見え、二十四軒卸
売り市場ー円山市場ーなんまる(南円山公設市場)と農産物の物流
の道が続く。今は自然に近いのを売り物に、エレベーターや車を抜き
には住めない<住宅>群が高さを競うように、空を山を埋め立てている。
私がこの街で発見したのは、そのビルの合間を縫うように流れていた
川の痕跡だった。その川界川に沿って源流に拡がる原始の自然、近代
の爪あと現代の荒廃を同時に見ることができた。川はさらに川につながり
円山川琴似川そして篠路の旧さっぽろ川(伏古川)につながり、石狩川
へと続く未知のさっぽろを見ることができた。<農>の街は同時に源流域と
石狩の海への道でも私にはあった。それを教えてくれたのは見えない川、
今は暗渠になっている川の、不思議な暖かい痕跡その曲線の道だった。
川に導かれるようにそのフィールドワークが、さっぽろで表現に関る仕事
の私の土台となっていた。多くの作家がここを拠点に、海へ山へ川へ
と表現の場を広げていった。漁師が山へ木を植えるように自分の場を必然
としてオーバーフエンスしていつた。これがコンテンポラリーの意味だと
今でも確信してそう思う。<農>の街ゆえ残っていた山と川の痕跡その
構造は、今またさらに消去化が進み、<円山北町>という地名よりも<西28
丁目>というデジタルで空疎な地名(?)を街的と思う市街地に変わってきた。
<農>の構造は忘れ去られ、街の表面はビル風の吹き降ろす屏風のような
道ばかりになってきた。この街での敗北は、<農>を基本とする構造の
敗北ではなく、天に直線の、地に直線の政治経済の合理功利の街の侵食
に敗退したのだ。<円山村よ、琴似村よ、今こそ心のルネッサンスを!>
それがこの街に贈る言葉だ。     
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# by kakiten | 2005-12-21 17:32 | Comments(0)