テンポラリー通信

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2006年 03月 18日

友を見舞うー岸辺の表情(10)

一軒のスペースを見に河田雅文さんと行く。内部の状態の確認の為だ。天井、床
の状況を第三者の目で見てもらう。オーナーの方はお蕎麦好きと聞いていたので
その話から今度いつか是非お蕎麦を打って下さいと言ったら喜んでいた。ふっと
陶芸の下澤トシヤさんを思い出し、こういう人がいると言ったら下澤土泡さんに陶
芸を習った事があると言って、その息子さんですよといったら吃驚していた。おそ
ばが縁となった。ふたりの蕎麦打ち名人が揃って楽しみが増えるなあ。それから
昼食は自然とお蕎麦になって札幌駅近くの盤渓蕎麦を選ぶ。その後旧曙小学校
の野上裕之さんを訪ねる。酒井博史さんたちが骨を負ったアートのスペースが1
部あって野上さんの工房もそこにある。折り良く彼もいてしばし話す。大木裕之さ
んの映像個展がきっかけでテンポラリースペースで心に残るいい個展を昨年一昨
年と開き今伸び盛りの彫刻家である。秋にはメキシコに行く予定と言う。フリース
ペースプラハの大橋拓さんが入院していると聞き札幌医大付属病院へその後向
かう。病室探してエレベーターを下りると丁度手押し車の大橋さんに会う。1階ロ
ビーでしばし話す。顔色少し黒く自力で歩けないが話していると以前と変らない。
漂流中のギヤラリストと入院中のギヤラリストとが今後のことを話し合っている。
なんとも侘しい光景だが本人たちはいたって明るいのだ。書いていてそう思った
。元気になってのまたの再会を約して病院を後にした。後刻ブログを開くとヤナイ
さんからのコメントがあり、モエレ沼はゴミ処理場の前は水田だったという指摘が
あった。そうか、私の記憶に残るモエレ沼は曇天の性だったのか空が低く天と地
が灰色に染まって境がなく町育ちの私には見た事のない不思議な光景だったのだ
。空は厚い雲で低く繋がり、地は湿地と水の拡がりが漠として続き水の成分で世界
が繋がっているような感じがした。そこに水田があったとしてもその広く漠とした印
象は多分訂正されないだろう。ただゴミ処理場と湿地帯の間にもうひとう水田という
近代があったと言う事は面白かった。水田という農地が次に団地やマンシヨンでな
くゴミ処理場になるのはモエレ沼という場所が保つ湿地という世界のゆえだったの
だろうと思う。
*1950年と75年の地図では荒地マークと一部牧草地の記号が記されていた。

# by kakiten | 2006-03-18 12:42 | Comments(0)
2006年 03月 17日

モエレ沼とイサムノグチー岸辺の表情(9)

美術家で環境アートを志している小川智彦さんからモエレ沼公園のガラスの
ピラミットで開催しているウイリアムの展覧会見て欲しいと連絡があり出かけた。
冬のモエレ沼公園は初めてだった。折悪しく小川さんは公休で会えなかったが
ウイリアムの作品はガラスのピラミットの内部から透明に屈折して外界を取り込
み淡い光の揺らぎのように在った。外界と内界の境目ー皮膚の触れる感覚を視
覚化するとこういう作品になるのかも知れない。このモエレ沼のもつ場所の特性
にはピッタリかも知れない。それにしても曇天の冬のモエレ沼の風景は天地が同
色で雲を透かして太陽が鈍く光り広々ととしてモノクロームな世界だ。この公園自
体には賛否がいろいろあるようだ。なかでも最近目にした論ではこんな立派な物
はいらない、自然に戻して何もなくした方がいいという主旨のものがあった。私は
これを書いた人の<自然>という概念を疑う。この場所は旧石狩川の痕跡が沼
として残りもともと低い地形で湿地帯のようにあったものだ。陸地としても川として
も中途半端なところからゴミ処理場として使われそれをイサムノグチが現在の形
に再生したものである。ゴミの山をヘルメットをかぶり歩いているイサムノグチの
映像をTVで見たことがある。このゴミは現代のゴミ、かってあった学校のグランド
や路地の隅の焼却炉では燃やせないゴミである。今石狩の河口や夕張の二股
峠といったかって美しいハマナス畑や源流の泉であった所を占拠しているそれ
である。一方湿地帯は現在ラムサール条約ができ国際的にも保護されるように
なったが10年で何ミリしか植物の成長しない極めてナイーブな場所でもある。
そこに現代の凶悪なゴミをもって埋め立てそれを放って置けばいい<自然>とは
どういう自然なのだろうか。戻す事などできる筈がないのである。インテリの頭の
中だけの自然とはただの理念、概念であり現実を見据えていない。それなら札幌
ドームのアートグローブなる森とそこにあった月寒の丘との関係をも批判すべき
である。現代のゴミこそが地球規模のコンテンポラリーな問題である。この現代の
ゴミには都市生活の矛盾が凝縮されている。それは破滅の音符その序曲なのだ。
どう回復するのか、どう阻止するのか、モエレ沼公園の方向はそのひとつの答え
でもある。政治や経済が不可能なことを文化が成し得るかもしれないという応えで
もある。復元はできないが再生はできるかも知れないという微かなそれである。
湿地帯は人体に例えれば粘膜のような存在だと思う。一番敏感なところだ。触れ
る所だ。帰る時、灰色の空を一羽の鳥が飛んだ。空と地と水が一体になって触れ
ている白いモエレの風ににふっと早春の声を感じた。

# by kakiten | 2006-03-17 12:43 | Comments(2)
2006年 03月 16日

ベルリンからの手紙ー岸辺の表情(8)

<ken from berlin>と題してドイツに滞在している谷口顕一郎さんからメール
が届いた。ハンブルグでの個展は好評だったようで新聞社3社取り上げ、作品も
10点購入されたと書いてあった。今はベルリンに落ち着き4月からアルトナ地方の
アートプロジェクトに参加しコーヒー会社のスポンサーもついて「アルトナ凹みマップ
」を2000部印刷するという。ケンちやんよかったね!サハリンを経由してシベリア
ツンドラ地帯からヨーロッパへ向かったのは昨年の7月末の事だったろうか。ともに
前のあの店あのギヤラリーで汗を流した。1月の閉店の時も深い想いの篭もるメー
ルを戴いた。今回のベルリンからのメールも変らぬ友情、その心の揺れが素直に
記されていた。
ー<そう、1月、中森さんの店が閉まると決まった時。実は僕も札幌に1週間だけ
でも戻ろうつて決めていたのです。大介さんが最後の展覧会を打ち上げるなら、
僕も負けてはいられない!と負けず嫌いの僕らしい発想です。(中略)明日飛行
機のお金を払うという日の夜、コンテナでお酒を飲んでいました。そして何かを
僕の中で探していました。なにかほんのかすかな迷い、札幌に帰ることに対しての
迷い。(中略)そして僕は気付きました。僕はホームシックにかかっていたんだと。
なじみのみんなに甘えたかったのだと。今の僕にとってはドイツにとどまることのほ
うが苦しいのだと。次の日すべてをキヤンセルして、僕は感じました。自分がまえよ
りも少しだけ強くなったように。(中略)今は思い留まれてよかったと思います。もし
あのとき帰っていたらそれまで半年以上にわたって貯め込んでいた何かを失って
ただろう、つて思えます。>ーそうだったんだ。お互いその結論で充分だった。後
を見ず前を見て生きましょう!いつか小山内さんの言っていた公共という開かれた
意味で私はこの私信を公開します。ケンちやん許されよ。連日連夜の引越し作業と
夜の宴会には代わる代わる人が集まりましたがその根底にはケンちやんと同じ
あるホームシックのようなもの、淋しさがありました。しかしそれはマイナスに働くも
のではなく<少しだけ強く>なるためのものでした。そう、その少しだけがすごくい
いのです。その一点が瀬戸際の感傷や強がりと一線を画し今まで蓄積してきた何
かを留めるのです、そしてその爪先の一点が何かを持続させるのだ。そう思う。
ー<そしてもっといいニユース!5月の初めに一度札幌に帰ります。2,3週間。
母の7回忌のためです。(中略)ぜひ会いましょう、のみましょう。>
それでは5月にーと終わりに記された言葉の余韻に応えるように私の中でも何か
が、さらに<少しだけ強く>なって響いているのを感じている。

# by kakiten | 2006-03-16 16:47 | Comments(0)
2006年 03月 15日

街の匂いを知る人たちー岸辺の表情(7)

前から小川知子さんの紹介で色々な家を教えて頂いたY医院をお訪ねする。
北大前にずーっと住んで居られる方だ。おり良くご在宅で広い居間に案内され
る。奥からご主人もお出でになり3人で話す。あの家の先代は何々で今は云々
とよく知っておられる。そして周りが高いビルに囲まれ日が射さず昼でも電気を
点けていると言う。昔は雉や郭公が来て最近は蝉の声も聞かなくなったと。
私がいつも持って歩いている地盤地質図,1万分の1の現況図,大正から昭和25
年と50年の地図をみせると大いに興味を示し一気に寛ぎ、話が弾んだ。面白か
ったのは同じ札幌でも地域によって人の種類のようなものが違うという話だ。篠路
あそこは違うんだよなあ、人の雰囲気が・・とか場所と人の匂いを分かっている原
札幌人の話だった。ご主人は北大の前、奥様は山鼻のお生まれこれだけでも違う
のだと言う。その土地が保つている固有の匂いそれが住む人間の匂いともなって
いた今の市街地が喪ってきた空気が、おふたりの内には息づいていた。私がいつ
も持ち歩いている3種類の地図のような人たちだった。初めての訪問なのに2時間
近くも話し込んでしまった。再びの訪問をお約束して辞した。事務所に戻る前に
円山市場のケーキ工房じゅんの小川さんに報告を兼ねて寄るともうYさんからお
電話が入っていて”喜んでいたわよ”と言われた。この人たちは懐古の人たちでは
ない。現実をみている当り前の普通の生活感から、現在を対比して過去を語って
いる優れて批評精神を保つ人たちである。表面上の現実に追従しない批判精神を
過去を語る事で指摘している。ただ昔がよかったと語っているのではないのだ。
庭の木に日が当たらなくなったといって嘆きながらもそこを愛し、じっと生き抜いて
いる。経済だけならとっくにマンシヨンに切り換えていただろう。それだけの大きな
土地建物である。そんなこの地域の何人かの人たちの話を聞きなにかほっとする
ものを感じている自分がいた。さっぽろの街の匂いが、久し振りにした。

# by kakiten | 2006-03-15 16:57 | Comments(5)
2006年 03月 14日

水際の闘いー岸辺の表情(6)

昨日受け取った裁判所の命令書を見ながら心の奥深くで白い炎のような怒り
を感じる。自らが招いた事とはいえ銀行の口座まで差し押さえるとはと思う。な
にも無いのに、隠す財産も無いのにあの建物だけでも25年経っても価値を損
なっているどころかより輝いているのにまだ嵩に掛かってくるかという想いであ
る。当面電話や公共料金の振り替え、入金等が用を成さない。私有に基ずく法
律の前でこの街の街角とは、そこで織り成された時間の蓄積とはなんなんだろ
うと思う。価値観の違いだけで済まされるのだろうか。対峙するふたつの価値観
の狭間の闘いを共に<公>として明らかにしていく、その為に今ささやかなこの
ブログを書き続ける。あの一本の白樺にさえ、あの一叢の窓辺の蔦にさえ時間
の蓄積の美しさが在った。成長した結果だけを見るのではなくその過程の時間
こそが結果なのだ。外壁に貼った銅板の時間の保つ色、内壁の漆喰の汚れそ
れらすべてがその過程の時間の美しい結果なのだ。それらが総体としてひとつ
の街角を創っている。<公>とは何か。ひとつの方向を見ているのが<公>で
はない。かってひとつの山をまるごと削り宅地にしようという動きがあった。それ
はさすがに途中でストップされたがその痛々しい痕跡は今も見る事ができる。
手稲山三角山がその例である。山や川だけが<公>ではない。人間の創った
空間もまた<公>を保っている。それが文化ではないか。<私>はそれを消去
する為にあるのか。<私>があくまでも私有である限りもうひとつの<公>には
至らない。惹かれ者の小唄を歌っている訳ではない。私有という形で閉じていく
<私>のあり方を現実として受け止めている謂だ。そこに街角はない。私有する
物が混在しているだけだ。己自身の非力を痛感しつつそれをバネにして今を生
きる。それが闘いと思う。価値観の違いだけの二元論には決してしない。

# by kakiten | 2006-03-14 12:20 | Comments(0)
2006年 03月 13日

琴似街道を歩くー岸辺の表情(5)

留守中に配達証明のお上の郵便が来ていてそれを取りに山鼻郵便局まで
久し振りに琴似街道を歩く。円山市場の前の道を南へなんまるスーパーから
藻岩山に抱かれているような自転車公園を東へ行啓通りを経て郵便局へ。
いつも思うことだがこの市場の道は人と馬車を基準にした幅なのだろう、歩く
には丁度いい幅だ。たまに来る自動車の方が遠慮しているようで気分がいい。
穏やかな傾斜があり反対に歩くと石狩への静かな風を感じる。今日は山へと
向かっていて円山が切れ、藻岩山が近づく。かっての村境を感じる。反対を
歩くと三角山、手稲山が近づいてくるのだ。その山に沿って川が流れ村がある。
当り前のことが当り前で気持ちがいいのだ。郵便局でまた裁判所の決定書を
受け取る。経済事件のいや~な続き、ちよっと落ち込んだので酒井博史さんに
電話した。すぐ近くにいて来てくれる。彼の用事に2,3付き合いコーヒーを飲み
に西区福井の「炭火の里」に彼の車で向かう。途中小別沢のトンネルの道でふ
っと思い出し太田ヒロさんの家に寄る。ヒロさんが丁度居てお邪魔した。ガラス
の高臣大介展以来かなあ。例の白樺の精のような女の人を朝見た話や今の
自分の状況やらを話した。大介さんの1月の<雪とガラス>展のオープニング
で演奏を2回もしてその後酔いつぶれた彼が翌朝みた俯いて座っていた女性
の話はもう伝説のようになっている。今開催中の千歳鶴酒ミユージアムの大介
さんの展覧会は知らなかったようで近々見に行くと言っていた。大介さんにも会
いたいようで最終日一緒に洞爺へ行くかという話から前日熊谷さんも行きたいと
言っていたのでみんなで鍋でもしに行くかと勝手に盛り上がった。どう大介さん?
ヒロシーヒロのH、Hコンビだぜ。そんな話をして大分気が紛れた。事務所に帰っ
てgla_glaのブログを開くとヒロさんの話が載っていた。あの日のヒロだ。なんだ
ろうね。やはり古い街道などを歩くとタイムスリップするのかなあ。今日は苦楽の
一日。寒くて暖かい一日。

# by kakiten | 2006-03-13 16:49 | Comments(4)
2006年 03月 12日

及川恒平の声に気功をみたー岸辺の表情(4)

gla_glaの高臣大介さんのブログを開くと酒井博史さんの演奏写真があって
彼の事を書いている。私も昨日のブログに書いていたのでへえ~と言う感じ。
このブログにも大介さんからコメントが入っていて熊谷さんと酒井さんの縁を
不思議と記されていた。この仮事務所のオーナーでもある熊谷さんが丁度い
たので伝える。それから下の彼の茶の間でしばし話す。今日は日曜日で昼に
ゆっくり話すのは初めてだ。夕張の話が出て村尾香妃さんの美しい夕張の山
の話を聞いたまま語っていたら、これがいいよと言って”たう”というグループの
波多野信子さんの「三番方節」と「炭鉱の子供の子守唄」を聞かせてくれた。
ピアノだけの曲もありどれもよく、これは村尾さんにも聞かせたいなあと思った
。女性の保つ激しさ(ワイルドサイド)と優しさが彼女の声にはある。ふっと思い
だし熊谷さんに及川恒平のCDを聞かす。すると不思議な事にこれはあの洞爺
の朝gla_glaの工房で彼の指導で初めて体験した気功のリズムではないか。
そう思い熊谷さんに告げるともう彼の上半身はゆらゆらと揺れて頷いている。い
つかの地盤地質図の上に座りここ、ここと指差していた時以来の恍惚たる表情
だ。ゆっくりと拡がり外界と繋がり触れ、そして内側に収め閉じていくそのリズム
が洞爺で経験した熊谷さんの気功のリズムと重なっていく。内と外が透明に交
り澄んでいく。及川さんの声の透明感北の空気のもつ透明感、それらが及川さ
んのメロデイーとリズムと気功の体のリズムとメロデイーに一体となって流れる
のだ。一緒に聞く人が違うとこうも違う。熊谷さんを通して及川さんんのこの「緑
の蝉」というCDはくっきりとその姿を顕したように私には感じられた。歌詞やメロ
デイーだけでどこか解釈していたものがすっきりと全体として揺らめき呼吸して
いた。体で感じていた。会いたいと熊谷さんが言う。いつか気功ライブしたいなあ
と思う。またひとつ熱い渦が発生しそうですね・・・恒平さん!マラソンより気功で
す。と勝手に思った。熊谷さんの目指す気功は植物のリズムと思う。ゆっりと深く
根を枝を伸ばす、光と水に向かって。そして閉じる、抱きしめるように内に深く。
その透明な呼吸は静かに骨を透明にするのだ。そして立っている、存在している
。今回このさっぽろ漂流がなければ、きっとすれ違ってばかりだっただろう事に
今出会っている。不思議な日曜日の昼だった。

# by kakiten | 2006-03-12 15:00 | Comments(0)
2006年 03月 11日

石狩河口まで行ったー岸辺の表情(3)

久し振りに酒井博史さんの車で動く。北大斜め通りの一軒のスペースを訪ねる。
ご紹介あった家主さんにも会う。心動く。内部を見せて頂きギヤラリーとしては
相当の手直しが必要と思う。あらためて訪ねることにして辞す。紹介して頂いた
方の家に寄るつもりが車の流れで、石狩へ向かう。以前から気になっていたので
酒井さんも同じと見えてアートウオームというレンガ倉庫のアートスペースに行く。
そこのカフエには店長の村上未央さんと美術家の阿部ナナさんがいた。着いた時
満員だったが隅の席になんとか座りキーマカレーを昼食に頼む。村上未央さんが
前日のブログを読んでくれていて、北へ向かっているので楽しみにしていたら今日
来たわと言って笑っていた。ここは初めてだがレンガのいい建物だ。食事を終え
おふたりに別れを告げ出る時阿部ナナさんのクシャミが止まらず少し遅れた。外
までその後ふたりで見送ってくれなにか照れたが少しいい気分だった。さらにここ
迄来たんだからと河口まで向かうと酒井さん。じゃあ知津狩の中川潤さんの家まで
と言う事で車を走らせたが雪で通行止めの道ばかりだつた。諦めて札幌へ戻り途
中西区八軒のスペースも見たがここはガード下で家賃も高く駄目だ。再び北大近く
紹介者の家を訪ねるべくそこで酒井さんと別れた。ご自宅の位置を探しているうち
日が暮れてきたきたので後日あらためてと思い事務所に戻った。帰って気功の熊
谷さんに呼ばれ気功のお弟子さんとともに湯豆腐の鍋をご馳走になり話が弾んだ
。酒井さんの小学生の時ハンコの配達で石狩まで自転車で届けに行った話が当別
生まれの熊谷さんの心を打ったようだった。酒井博史さんは、そう、不思議な29歳
だ。自転車で江別ー石狩を通ったのは熊谷さんの父上と母上の若き日のデートの
話であの遠い距離をと熊谷さんがいつも嬉しそうに話す話だったからその自転車と
距離に感心したのだろう。親孝行の小学生と恋孝行の自転車は何十年の距離が
あるのに。”う~ん彼にはまたひとつ感じるなあ”と*「友よ叫べ」の唄以来ふたり
の友情はまた深まりつつあるようだ。また3人で洞爺でも行こうかね。
                               *訂正「夢よ叫べ」

# by kakiten | 2006-03-11 19:30 | Comments(4)
2006年 03月 09日

岸辺の表情(2)-さっぽろ川を歩く

さっぽろ漂流の原点となった鴨々川の旧水門幌平橋デルタゾーンからもう一度
歩く。道議会議長公宅、連合事務所、宗教団体の建物、空き倉庫、マンシヨン
と5棟の建物がこのデルタゾーンのすべてである。東に豊平川と堤防南西に鴨々
川、北には幌平橋の中の島への道路と囲まれ三角地帯となっていて閉じられた
空間である。この豊平川と鴨々川の接点こそが幻の大河さっぽろ川の多分唯一
の痕跡である。ここから都心の市街地は、地質図上扇状地堆積物の樺茶色と
自然堤防堆積物の薄緑色が北東部に拡がる。再び白く蛇行する旧さっぽろ川
が現れるのは東区の伏古の地図の上だ。アイヌ語の古いを表すフシコが伏古
あるいは伏篭となってその下のさっぽろは省略され伏古川となっているが、地質
図に彩られている薄緑の自然堤防の厚さは正しくかっての大河を想起させるの
に充分のものだ。現在の豊平川の比ではない。さっぽろ川が氾濫し支流の豊平
川が主流になったのは1800年頃と言われている。しかしその伏流水はサッポロ
ビールや帝国製麻等で使う道庁の東前方に設営された官営工場の為に大量の
水を地下から常時提供したに違いない。川は見えなくても流れていたのだ。
今都心の市街地にその面影をみることは不可能だが、鴨々川の流れの始まる
重要なポイントに<官>の象徴である道議会議長公邸があるのは象徴的な事だ
。今なら考えられない場所の設定である。開拓初期からきっとここは重要な場所だ
ったのだろう。そして鴨々川の流れる流域は当時の国家神道の治める場所でも
った。そこからあらためて東区の本竜寺まで直線に切り換えられた人工の堀創
成川沿いを経て歩く。創成川はその名の通り創ー新しく創った川、新川である
。ここは今アンダーパス化事業とかで水源の鴨々川をせき止め工事中でさらに
殺風景になっていた。おまけにこの日はミゾレ交じりの雪風でなんとも侘しかった
。創成川ルネッサンスという文化運動があってその提案がこのアンダーパス化
につながっているが本当のルネッサンスは伏古川でしょうと思う。文化が政治と
経済に寄り添って公共事業の手助けをしている札幌ドームのアートグローブと
同じ系統のパブリック文化がここにもある。パブリックワーク内アートとか文化
といった方が正確である。古いものが蘇えるのがルネッサンスで新川がなぜ
ルネッサンスなのだろう。言葉が仰々しく創成だからでしょうか。その創成川の
元を創った大友亀太郎のお寺本竜寺とその役宅跡札幌村郷土資料館まで歩き
再度のさっぽろ川歩きを終えた。深く閉じた根っこのデルタゾーン。直線の市街地
の原点でもある創成川。そして再びパラトー石狩へと開かれる伏篭川の岸辺は
湿った春の雪風の中にあった。

# by kakiten | 2006-03-09 14:16 | Comments(0)
2006年 03月 07日

岸辺の表情ー岩手からロクさんが来た

岩手県在住の木工の作家菅沼緑(ろく)さんが来た。何年ぶりだろう、10年以上は
経っている。鎌倉の人だったが一時音威音府に移住しその後岩手県に引越した。
より自分の木工に適した場所を求めてひたむきな生き方をしている純粋な人である
。今回は萬鉄五郎の出生地岩手の土澤町で昨年行われたアートイベント「土澤の
30日間ー街角美術館」の新たな展開と私への陣中見舞いが目的で訪れた。車に
犬と猫を乗せてやってきた。土澤のアートイベントは立派なドキユメントを兼ねたカ
ログになっていて二月に送られてきていたから自然とその話が主になった。空き店
舗や空き地低い家並みの商店街、公園や駅の構内ありとあらゆる場所が展示スペ
ースになっている。その地域と人のアートを通した一体感の高揚した気持ちがろくさ
んの新しい生き方の可能性を充実したものにしているようであった。都会を離れ自
分の場を追い求めてきた彼にとって、そこに他のジャンルの作家そして町の人が
参加し町自体が変容していく体験はきっと新鮮な経験だったに違いない。単なる
工芸家として閉じることなく常に生き方を場とともに考え生きてきたろくさんに今作
品上でも新たな地平が見えているのかもしれない。生まれた池袋から鎌倉そして
北海道岩手とその場の追究の仕方は異なるが根本のどこかに共通するものが私
には感じられた。三時間ほど話して彼の犬と猫を乗せた車は函館ー青森へと去っ
ていった。さっぽろ漂流をつづけていると遠い近いではなく人とひょっこりという感じ
で会う。付き合いの時間の長短でもない。それは一種の侠気のように思える。男女
でもない。侠気(おとこぎ)とでも表したくなる心の様子である。年齢でもない。10何
年ぶりにわざわざ尋ねてきてくれたろくさんもそうだがここのところ会う人たちがみ
んなそういう人たちだ。実名は挙げないが心の奥底で深く感謝し友情の泉が溢れ
る自分がいる。そのことはさっぽろの見えない岸辺に触れている今の自分の実感
でもあり、与えられた勇気でもある。

# by kakiten | 2006-03-07 17:52 | Comments(4)