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テンポラリー通信

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2019年 05月 21日

北上・坑口来るー小さなランド(Ⅵ)

かって夕張北上坑道口に置かれていた北上抗木彫りの
看板が今日着いた。
元夕張美術館館長上木和正氏が自宅に保管していたもの
を持参してくれたのだ。
1989年市役所在職中当時多発した炭鉱坑内火災から坑道
を守る鎮魂の願いで、国内九つの大河の名を坑道に名付け設置
したもので、上木さん自ら仕事として彫った看板という。
冬の間は雪に埋もれるので保管していたという所為か、看板
自体は今も汚れがなく凛としている。
近年美術館も廃館し坑道の保存も夕張市の衰退と同時に管理
が不足し上木さんは退職と同時にこの看板を自宅に持ち帰り
保存していたのだ。
今回、何故夕張に北上の名がという私の疑問に応えて、その
説明に持参してくれたのだった。

3.11以降の石巻北上河口に立ち、その被災の爪痕今も残る
現実に深く感応した詩人吉増剛造が、1994年石狩河口滞在
に続き今夏北上河口に滞在詩作すると聞いた。
1994年春石狩河口に滞在し、その源流のひとつ夕張川を遡上
し生まれた名作詩「石狩シーツ」
そのコアとなったのが、この看板に記載された<女坑夫>鎮魂の
文字である。
日本の近代化と共に発達した炭鉱事業、それ故源流域に生まれ
た炭鉱都市夕張。
その底流に深く関わっていた<女坑夫さん>
そして吉増さんの故郷に近い絹の道、日本近代初期を支えた
シルク生産の担い手織姫の存在。
石炭と女坑夫、絹と織姫。
明治日本近代化のある意味原点ともなるふたつの事業、その
背後の女性の存在が、東北の東日本大震災3・11の被災地
で河口と坑口の入口で交叉し立ち顕れている。
火の災害を鎮める為名付けられた水を象徴する北上坑の命名。
そして地震・津波による地と水の災害を象徴する北上河口。
自然の地と火と水と、人間の創って来た近代が坑口と河口、
ふたつの口で、自然と人間の尺度を問い、深く深く我々の今
を問うている。

そんな感慨を秘めて上木さんの来た日、美瑛の丘でバージン
ロードを飾った村上仁美さんの花々が役目を終え一時的に
テンポラリーの床を埋めている。
道外から来た美瑛の自然に憧れた花嫁花婿。
その野外のバージンロードを飾った丈の高い白い花、卓上を
飾った丈の低い花・・。
まるでギャラリーの床はお花畑のようだ。
そこに上木さんの持参した女坑夫さんの記載ある北上坑の
看板を沈めた。
一瞬にしてその場は、鎮魂の庭となる。
河口・坑口ー水と火、大地と大海の入口。
土と水で生まれる花、
そして女坑夫・織姫・花嫁。
北上坑の木彫りの看板は、ギャラリーで不思議な花の光景を
一瞬浮かび上がらせていた。

*大野一雄追悼「大野一雄のプレスリー」-5月28日ー6月9日
 am12時ーpm7時:水・金午後3時閉廊。月曜定休日。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




 


# by kakiten | 2019-05-21 16:29 | Comments(0)
2019年 05月 18日

河口と坑口Ⅱ-小さなランド(Ⅴ)

北上坑とは炭鉱坑内火災で多くの犠牲者を出した事故を思い、
安全の祈りを籠めて大きな川の名前を付けたらしい、と沼田
さんから聞いた。
同時にキタカミという名は、ヒダカミ・日高見が語源で、金の
産地日高地方との交流・結びつきを表わしているいるという。
北上川上流域の平泉藤原三代の隆盛と北海道日高地方との川を
通した関係性が窺われる。
しかし何故近代において、夕張と北上が結びつくのか。
金に代わる黒いダイア・石炭なのだろうか。
疑問は未だ尽きない、
上木氏の来廊を待ち、聞いてみたいと思う。

最近、近代と現代の境を様々な事象で感じる事がある。
例えば以前ブログに記した、<馬力>。
谷川俊太郎作詞の鉄腕アトム歌詞にそれを感じた。
百万馬力ではなく、十万馬力と歌われる原子力エネルギー
のロボットアトムの力。
ここにはまだ微かに馬力への畏敬の念が残っている。
そこが近代から現代への境目だ。
電話もそうだ。
公衆電話・家の黒電話・会社の電話・・。
これらは共有する公的な存在であり、家でも誰かが受け、
指定の人に知らせる流れがあった。
個ではなく、家族・会社等が共有する機器だった。
これがケイタイ・スマホとなり個的機器に変じる。
これも近代と現代の境に位置すると思う。
エネルギー資源としては、石炭から石油への転化もその境
に在ると思う。
黒いダイアといわれ、手で触れる鉱物。
黒い水石油はもう手では触れられない。
まして原子力ともなれば、絶対に触れられない存在だ。
この手を通した関係性の有無が、やはり近代と現代の境に
在るという気がする。
北上河口ー北上坑口。
奥州・キタカミー北海道・ヒダカ・夕張。
この関係性にはまだ手を通す金から石炭の近代までの触れる
関係性が活きていたと感じる。
今至る所でこの近代と現代の境目が露わになってきている。
訳の分からない文字の事を表した、横文字という表現。
従来日本語は縦書きで横書きではないからだ。
今は横書きが主で、その所為か物を並べる順番も左から始まり、
右へと向かう。
縦書きならば、右から始まるのが普通だったのだ。
これも現代化の境と思う。
近代化が欧米化とするなら、すべてはその合理性・利便性に
物の尺度が移転しつつある。
ゆっくり噛み砕き独自の文化に育ててゆく、漢字→仮名文字
・カタカナの時間。
人の出入り口や通路でスマホ片手に、自分だけの世界に没頭
する街行く人を見るたびに、リ・パブリックの可能性を喪わ
れつつある近代のパブリックとともに見究めたい、と思う。


 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-05-18 16:25 | Comments(0)
2019年 05月 14日

坑口と河口ー小さなランド(Ⅳ)

東北石巻市、北上川河口で詩人の家を造り作品を公開し
創り続ける、という話を吉増剛造さんから連絡があった。
正式な企画書は後日という事だった。
私はこの時どこかで脳裏に引っ掛かるものがあった。
テンポラリ―スペース奥の階段を上る時、壁に貼られている
ポスターを見て、ハタっと気付いた。
吉増さんの「石狩シーツ」朗読CD発売時のポスターだ。
そこに多重露光の吉増さんの写真が載っている。
北上坑と読める。
何故、夕張の坑道口が北上坑なのだ・・・。
私は咄嗟に沼田氏と上木氏の名を思い浮かべ電話した。
上木氏と繋がり、その話をすると、1989年にその由来を役所で
木板に彫ったのは自分だ、と言う。
そして夕張美術館閉館夕張市役所退職後、それは今時分の家に
有ると言う。
吉増剛造の名作詩「石狩シーツ」の核を成す石狩河口から夕張
川源流域探訪時の発見が、この北上坑入口に掲示されていた文中
の<女抗夫>の記載なのだ。
3・11の震災後の爪痕、今だ生々しく残る東北石巻・北上川
河口。
そこに滞在し、詩作を立ち上げる吉増剛造の真摯な試み。
それは2011年冬「石狩河口/坐る ふたたび」から始まった
吉本隆明をコアとする一連の「怪物君」「火ノ刺繍」と続く戦後
近代への切込み。
そこに3・11以降のもうひとつの河口が立ち顕れている。
しかし同時にそのふたつの河口は、あたかも日本の明治開国以降
大正、昭和前期を経てノーモア、ヒロシマ・ナガサキで破綻した
近代と、現在に繋がる戦後米国占領下の近代とが、根底に於いて
本質的共有性を保っている真実を、夕張北上抗の命名は告げている
ような気がする。
石炭・水力エネルギーと共に開かれた近代。
石油・原子力エネルギーと共に増殖する現代。
その近代と現代のふたつの河口が、北上川河口と石狩河口を遡上した
夕張の坑口に立ち顕れていたのではないか・・・。

上木氏が近々現物もって訪ねて来ると言う。
これがまた役立つなんて、とその声はとても嬉しそうだった。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-05-14 17:25 | Comments(0)
2019年 05月 12日

今を生きる花・ふたりの絵ー小さなランド(Ⅲ)

”きっと保次も伸子も喜んでるでしょう・・・”
一昨日来廊した高橋均氏の言葉。
行きつ、戻りつする春の陽射し、冬の風吹く日。
退院し見に来てくれた。
引越しし今住まいの札幌西南部双子山、ほんとうに山の中
と言いながら、村上さんの選んだ花に目を向ける。
この花あるよ、今が盛りだ・・。
小さな器、小さな口の鶴首瓶に添えられた二輪草。
白の可憐な花が、大姥百合の葉の下に煌めいている。
今の季節でしか見られない野の花が、山裾から抜け出て
凛とした一輪の存在感を放っている。
この空気感が保次・伸子の彩の世界と交流している。
ご遺族の高橋均氏は、その事を感受していた。
氏の入院、花人の花屋展、偶然の一致で出会った今回の展示。
八木さんふたりの作品に興奮し、2階回廊に駆け上がり、写真
を撮る人、SNSに載せる人もいて、出会いが出会いを産んでいる。
某美術ブロガー主催の某氏は、祭壇みたいと感想を述べたと聞い
たが、それは違う。
三人の作品同士が交流し合っているのだ。
その共通点は、札幌の自然が放つ色彩・風だ。
三人が志した表現の先にそれがあり、会場に息づいている。
意図してできる事ではない。
それを象徴するのが、野の花の慎ましやかだが、凛とした小さな
野草の白・ニリンソウ。
そして入口右コーナーに掛けられた細い水道管を器に枝の線
だけの緊張感溢れる作品等だ。
他にキバナノアマナ、延齢草・・・、
早春今、野山を彩る野草がさり気なく会場に咲いている。
色彩を強調した百花繚乱ではなく、今の冬・春入り混じった
北の天地を彩る世界が、八木保次・伸子が追求した絵画の世界
と呼応している。
そして入院前引っ越した高橋均氏の双子山の自然とも、八木さん
たちの終焉の地宮の森の自然とも呼応しているのだ。

その共通する札幌の風土が、八木保次・伸子を知らない人も
絵画に引き寄せ、絵画の色彩が野の花を引き立てている。
祭壇の花などでは断じてない。
春の陽射し、冬の風吹く野山の花、葉、枝。
札幌の風土。
彩・空気が心を繋いでいる。
そして3人の眼差しが、その回路なのだ。

最終日。
今日も風冷たく、陽射しは春。
草木・花。
抽象の黒・青、具象の白・黄・黒。
交感しつつ美しい日が過ぎる。

*村上仁美「花人・花屋」-5月12日午後7時まで。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-05-12 14:10 | Comments(0)
2019年 05月 09日

風土と色彩ー小さなランド(Ⅱ)

八木伸子さんのご遺族高橋均氏は無事退院したようだ。
現在の花人・花屋展の様子を聞いて、会期中はそのまま
にして金曜日には見に行き、搬出は来週にとメールが来た。
八木保次・伸子展展示中は入院で、肝心の展示は見てもらえ
なかったので、少しイレギュラーだが嬉しい。

花人・花屋の会場に飾られた花は、正に今が盛りの花々だ。
季節という風土が花を咲かせ、今を彩る。
派手な色があるわけではない。
しかし今という花の命が、色・姿に息づいている。
多種多様で華やかな色彩が花と思いがちだが、札幌の今の
季節にはまだどこか冬の気配が残っていて、その土壌に咲く
花々は、白や緑、黄色のどこか密やかさの残る色彩と思う。
何時の時代からか、我々は余りに多くの色を分類し、整理し
過ぎているのかも知れない。
前回ブログにも書いたが、四季を顕す4ッの彩(いろ)は、
春は青、夏は朱、秋は白、冬は玄(くろ)である。
青の範疇には緑あり、濃い艶やかな黒も包含されている。
その流れは今も、緑信号を青といい、黒髪を緑の黒髪という
言い方で残っている。
植物の緑に、青々と・・と表現しその新鮮さを讃えたりもする。

八木保次の勢い溢れるような緑の油彩抽象画。
黒と紫の縦長のグアッシュ。
この2点の作品が保つ冬と春の、玄(くろ)と青(あお)。
そして八木伸子さんの窓から見える冬景色。
雪の逆光で黒々と沈む室内。
その窓辺に咲く花瓶の小さな黄の花。
もう一点ふたつの花瓶の黄色と赤い花、その背景に深く描
き込まれた圧倒的な黄色の油彩。
北の春の青に潜んでいる福寿草の黄、山裾近くのフキノトウ
の緑を私は感じていた。
そして今年高橋均氏から選ばれて遺作の冬の作品2点が来たのだ。
ふたりの作品が発する冬(玄・クロ)そして春(青・アオ)の
色彩が、並ぶ花々、枝葉の存在感を季節の風土として呼応し合
っている。
ふたりの絵画にも、花人の花にも、幸せな時が流れている。

八木さんのご遺族高橋均氏に見て頂くのは、とても嬉しい。

*村上仁美ー「花人・花屋」-5月12日(日)まで。
 am12時ーpm7時。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-05-09 15:16 | Comments(0)
2019年 05月 07日

花人・花屋ー小さなランド(Ⅰ)

保次&伸子の小さな国(ランド)展示の後、吉増剛造さんに
花人、と命名された村上仁美さんの<花人・花屋>が、母の日
の日曜日まで開店した。
今回八木さんの作品提供者高橋均氏が入院治療という事で、
保次・伸子の作品は壁に置いたままスタートとなる。
これが絶妙に会場の花、枝、草の背景となって一体化している。
時に伸子さんの雪の窓辺、室内の絵画から三次元で立ち上がっ
てくる。
絵画にある冬から春の季節の空気が、現実にある草花をそっと
背後で支えている。
偶然とはいえ絵画の平面性の奥に込められている北の冬・春が
廊内の現実の植生と立体化し呼応しているのだ。
澄んだ午後の光が西から注いで、保次・伸子の生きた国、小さな
ランドと花人・村上仁美の植生のランドが声を交わしている。

玄(クロ)から青(アオ)へ、冬は去り春が来た。
そして朱から白、夏から秋そして再び玄冬へと季節は巡る。
これも季節という名の、自然の彩国(ランド)巡り・・・。
花の小さな彩・翳もまた小さなランド(国)。

ジョン&ミリヤナ、クリスト&ジャンヌ、保次&伸子、ケン
&アヤ・・それぞれの構築した国・ランドに、花人が花を
添えている気がする。

*村上仁美「花人・花屋」-5月12日(日)まで。

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# by kakiten | 2019-05-07 16:50 | Comments(0)
2019年 05月 05日

夏日・八木保次・伸子展最終日ー時代というランド(46)

十連休とかの最終週の土曜、日曜日。
雲一つなく夏日。
さすがに、コートとマフラーは外脱ぎテンポラリーへ。

八木保次・伸子展も今日で終わり。
ご遺族高橋均氏ご提供の2点の大きなふたりの作品が、私
所蔵の2点の油彩と呼応して、サッポロの冬から春を見事
に色彩で顕現した展示となった。
ふたりの絵を愛おしむ様に、午前の光、午後の光が撫でて
移っていく。
戦後モダニズムの渦中に身を投じ、俎板ラデイカリズム、
台所モダニズムを生き抜き、保次をも支え続けた伸子。
radical =根源的な、根本的な;近代の俎板がそこには在る。
80歳を過ぎてもその精神は不変だったと思う。

 私達は教室(各カルチャー教室)も皆やめ・・・私は
 腰が悪い上、胃潰瘍ががんこで直らず、歩くのも大変に
 なりました。でも絵を描かなくては生きていけません。
 80歳をすぎても、働いている女の人はそんなに居ないと
 思うけどがんばります。・・・
 (平成19年6月20日付速達)

それから約5年後の平成24年2月、3月ふたりは相次いで
この世を去った。
先に伸子さんが亡くなり、その訃報を同じ病院入院中の保次
さんが聞いて、号泣し叫んだという。
かって札幌芸術の森美術館での大規模な二人展を前に、その
広報誌インタビューに載ったふたりの言葉。

 絵には品位が必要だ。伸子の絵には、かなわないほど
 それがある。

 私は保次の絵に惚れています。でもまだ参ってはいない

生涯競い合い協力し生きて来たふたり。
保次&伸子の近代・俎板ラデイカリズムは、生活上でも一貫
し、生き抜いたと私は思う。
戦後近代が敗戦し得た個人民主主義の理念。
その理念を観念上のものではなく、根源的人間の共同体と
して、ふたりは絵画を通して認め合い、競い合って男女平等
の真実を生きたと私は思う。
社会主義圏の国から米国へ亡命し、インスタレーションの
作品行為で世界に名を馳せたクリスト&ジャンヌ。
黒人でモダーンジャズのピアノ演奏者ジョンルイスの晩年
モダーンジャズ時代から傾倒していたバッハの曲を、ジョン
&ミリヤナ名で遺した夫婦二人演奏のゴールドベルク変奏曲。

日本の明治から始まった国家主体の近代化。
そして大正を経て昭和の敗戦・破綻。
昭和戦後の個人主体の民主主義に始まる第二の近代化。
そのモダニズムのラデイカルな挑戦・小さな定着をふたりの
生き様に、私は人間の根本的なランド(郷土)として懐かしく
、恋しく思い出す。

 ・・・風になってきっと助けてくれますよ。
  ガンバレ 伸子 
            (平成19年6月20日付弔文末尾)

風は、ふたりのサッポロの光彩となって、作品に今も息づいている。

*八木保次・伸子展ー5月5日まで。
 am12時ーpm7時。
*花人・村上仁美展「母の日を活ける」ー5月7日~12日。

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# by kakiten | 2019-05-05 13:56 | Comments(0)
2019年 05月 02日

保次&伸子・戦後近代ー時代というランド(45)

資料として並べてある八木保次・伸子展図録年表を
何気なく見ていて、ふたりが大正末期の大正11年
(1922年)と大正14年(1925年)の生ま
れという記載に目が留まった。
そうか、昭和の前期国家主義、戦争の時代が10代から
20代へのふたりの社会状況だったのだ。
やっと自由に絵が描ける、と戦後伸子さんが感じた言葉
は、その事実だったのだ。
明治に始まり大正時代に花開く日本のモダニズム。
長い昭和の時代、前期は昭和20年の敗戦で明治・大正
からのモダニズムの幕を閉じる。
そして昭和後期は米軍占領の下、デモクラシー指導の
新たな近代化が始まったのだ。
明治の開国によって開化された明治・大正・昭和初期まで
続いた日本の近代化。
その流れは欧米との政治・経済上の軋轢により<鬼畜米英>
のスローガンの下戦争に至り、破綻する。
保次・伸子が生きたふたりの20代以降の世界は、この昭和
後期の戦後近代の真っ只中だったと言える。
ふたりが生まれた札幌という近代と共に誕生した都市、そして
明治以来の近代化の首都東京での25年。
その後故郷札幌宮の森の自然の中での晩年。
こう辿ってくると、戦後近代化の渦中の時代、故郷札幌の独特
の風土・自然と向き合った時と、ふたりの生きた環境・時代の
変化が見えてくる気がする。

私はアメリカによって開かれた昭和の文明開化・戦後モダニズム
と明治の文明開化・欧米モダニズムとは一応別けて考えている。
米国という世界でも例を見ない特殊な合衆国。
そこで民族を超え発達した文化・文明。
ナショナルなものを核としない、多民族国家=ランドを軸芯とする
グローバルモダニズムの米国が占領し遂行した近代化なのだ。
保次・伸子が東京を去り、故郷で見詰めたものは、北の地の自然と
風土の光・翳だったと思う。
その風土の保つ色彩を、ふたりは習得した近代手法油絵具で画布
に刻んだ。
抽象・具象とふたりの絵は分類もされたが、根本に在ったのは、
東京時代に伸子が見せた”俎板アート”-台所モダニズムともいうべき
モダニズムのラデイカルな生活化、日常への精進だったと思える。

故郷札幌で、ふたりは生活者・表現者として、保次&伸子として
戦後モダニズム・戦後近代を実践し生きたと私は思う。
民主主義・男女平等の理念を、絵画の道を共に歩みながら・・。

*八木保次・伸子展ー5月5日まで。:金曜日所用で午後3時休廊
 am12時ーpm7時
*花人・村上仁美ー母の日を活ける展ー5月7日~ 
 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-05-02 18:06 | Comments(0)
2019年 04月 25日

陽射しは春、風は冬ー時代というランド(44)

初夏のような一日が去って、今日は気温が下がる。
陽射しは春、風は冬。
ふっと八木保次、伸子さんの展示に相応しい気がした。
保次さんの原色、黒の冬=玄冬。
伸子さんの雪の見える柔らかな色彩。
室内・窓辺の春の花。
保次さんの描線は、野生に満ちて獣の視線のようだ。
伸子さんの自然は、花瓶の花に象徴される深窓の品位。
ふたりの生まれ育ったサッポロのタウンとシテイの相違
が顕れている気もする。
僅か何百メートルの地域の違いだが、ふたりの原風景は
差異がある。
80歳を過ぎて描いた伸子さんの大通公園風景に彼女の
原風景を見た。
まるでエッフエル塔のようなTV塔にライラックの紫、
そして男女。
洒落た街路灯。
大通公園、豊平館、時計台に囲まれた小学校に通った
伸子さんの通学路。
中島公園ー大相撲、プロレス巡業、池、遊園地があり、夏は
野外映画館、冬は池の氷の上で仮装スケート祭り。
そして北側にススキノ歓楽街が広がる保次さんの街。

まだ遊歩道が整備されていない大倉山の尾根を奥三角山を
経て保次さんと歩き回った事があった。
その時茂る草木を手で掴み、攀じ登る姿を思い出す。
美術家の獣の眼。
草木の奔放な野生は、自然の描く描線。
色彩も同じ色はない。
葉も枝も、葉先も茎、幹も梢も,同じ線はない。
保次さんの抽象画は、あの自然の線・色だ。
三岸好太郎、郡司正勝等の生まれ育ったサッポロタウン
の自由自在・やんちゃモダニズム。
それが原サッポロの自然山中で八木保次に発露していた。

欧州風に整備された都心風景。
建ち並ぶ軟石造りの洋館建築。
直線の街路。
そして東西に大きく伸びる花壇と噴水のある大通公園。
明治以降新しく入ってきた西洋文化の粋の街。
大自然、原生林、自然河川、厳冬の地に、近代の夢のように
建設された街。
その深窓の令嬢のように、伸子さんの品位ある絵画がある。

東京モダニズムに別れを告げ、戻って来たふたりの札幌とは
保次さんの母敏さんが、新しく建てた西部宮の森の山裾の家。
その山岳部高台の周りには、多くの手付かずに近い自然が
広がっていた。
川ならば、源流域。
森ならば、原生林。
ふたりそれぞれのサッポロが、タウンとシテイが抽象・具象絵画
となって開花した晩年と私は思う。

 私は保次の絵に惚れています。でもまだ参ってはいないんです。
 悶絶させられていないんです。だから私も描き続ける。

 絵には品位が必要だ。
 伸子の絵には、かなわないほどそれがある。
 一生懸命描いている伸子は美しい。

晩年のある雑誌インタビュー記事に遺るふたりそれぞれの言葉。
晩年故郷の風土・自然に生きたふたり。
その都市の側から、その自然の側から、純粋な札幌ッ子として
タウンとシテイが風土としての札幌と向き合っている。
ふたりの生きた近代という時代が、サッポロの近代感性として
四つに組んで友情と愛情の対峙をしている。

そんなふたりを私は時に懐かしく、愛おしく、思い出す。
吹き、注ぐ、今日の風と陽射しの札幌の春のように。

*八木保次・伸子展ー5月5日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-04-25 14:31 | Comments(0)
2019年 04月 21日

台所モダニズムー時代というランド(43)

八木伸子さんの東京時代の絵画に台所シリーズといえる作品
群がある。

 使い慣れたフライパン、魚あみ、それに白いサラ、卵など
 毎日の食事の用意のとき、ふとこれらの物たちがつくりだす
 不思議な美しさにおどろくことがあります。
 それぞれのものが話しあったり、そっぽを向いたり、手を
 つないだりーそれは人間世界のふくざつなリズムとも似て
 いるかも知れません。
 (週刊朝日1956年9月9日号表紙の言葉)

札幌で結婚し東京に生活の地を移した保次・伸子。
そこはかって幾つものアトリエ群が点在した「池袋モンパ
ルナス」と呼ばれた一角だった。
東京にアトリエを構えた保次は、若い芸術家には貴重な存在
で、多くの若い友人たちが集まってきたという。
新婚当初からの居候もいたという。
そうした若い芸術家の為に、伸子は毎日彼らの食事の支度に
追われ、彼らが夜中にトランプや芸術論に熱中している間が、
唯一集中して製作できる時であったという。
そしてこの時期生まれたのが「台所シリーズ」である。
東京という近代都市で新たな地平を求めて、アンデパンダンや
アンフォルメル旋風の吹き荒れるモダニズムの渦中、医院の
お嬢様育ちの伸子は、慣れぬ飯炊き女をして頑張っている。
そしてその台所シリーズの中から生まれた<台所のお友達>が
週刊朝日の表紙絵として抜擢されたのだ。
この伸子さんの頑張りは、死ぬまで続いたと確信する。
最晩年80余歳に頂いたお手紙の文面にそれが顕れている。

・・・私は腰が悪い上、胃潰瘍ががんこで治らず、歩くのも大変
になりました。でも絵を描かなくては生きていけません。
80歳過ぎても働いている女の人はそんなに居ないと思うけど
がんばります。・・・・。

この手紙は私が女房を亡くした時送られてきた手紙の一部である。

奥さまが風になってきっと助けてくれますよ。
ガンバレ 伸子

と、手紙は終わっていた。
モダニズムの風吹き荒れるトーキョーで、しっかりと台所の片隅
俎板の上でそれを受け止め、当時無名の画家の絵が週刊朝日の
表紙になってデビューする。
そうした俎板の近代の歩みを、札幌生まれの伸子さんに眩しい
程の敬意と感謝を込めて、感じている自分がいる。
そして1977年母上八木敏さん死去を機に札幌へ戻る。
トーキョーモダニズムからサッポロという風土に生まれる光彩
の追及へ。
ふたりのキャンパスという俎板は、新たな地平を迎えていた。

*八木保次・伸子展ー4月16日ー5月5日まで。
 月曜定休:am12時ーpm7時。水・金曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き 
 tel/fax011-737-5503 


# by kakiten | 2019-04-21 17:53 | Comments(0)