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テンポラリー通信

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2020年 04月 23日

生命・経済の相克ー荒地(21)

最も微小な地球生物ウイルスの繁殖が人間社会を問うている。
人間社会の経済的生命と自然生命そのものを。
大都市では不要不急の外出が禁止され、ニューヨーク
では経済活動に支障が出て、禁止反対のデモが展開され
ているという。
命を守るか、経済活動という人間社会の生命を守るか。
微生物新型コロナは、今やそこまで人間に究極の問いを
発している。
人類という地球上の生物は、同じ地球上の生物たるウイルス
に生物生命を問われ、人間社会優位の経済生命との選択を
突きつけられている。
もしこの地上から昆虫すらが消えたなら、植物の連鎖が断た
れ人類は食物の不足によって生きていけないという。
そのように地球の生命体は相互に関わりながら生命を維持
している。
自然の恵み、という言葉はその実感から発している。
里山・里海とは、そうした人間社会と大自然の生恵みの源の事だ。
現代社会のグローバリズム、物流グローバル化は、自然生命
という相互関係を希薄化し、物流の相互関係性に肥大化させ、
自然生命としての人間を矮小化し、自然すら利便性のインフラ
装置に貶めてきた観がある。

大地震・大津波・地球温暖化・ミクロの微生物の来襲と、人間は
自然生命で在る事を等閑にしてきた現代を、その社会生命・経済
優先の選択を今、究極の<生命>という一点で問われているよう
に思える。

*追悼・八木保次・伸子展「喪われたサッポロ浪漫」-4月28日
 -5月10日
*鼓代弥生展ー5月中旬予定

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-04-23 17:07 | Comments(0)
2020年 04月 14日

タッチ・触れるー荒地(20)

新型コロナウイルスの曼延は、人が物や人に触れる危険の
喚起を促す機会を増やし続けている。
しかし正確には、タッチの危険性の喚起だ。
私たちの生活インフラの多くは、タッチが作動の開始
となる。
スマホ、リモコン、各種カード、エレヴェーターのボタン、
エスカレーターの手摺りと、街を移動する間どれほど多くの人
が多くのタッチを重ねているか・・・。
今その利便性が逆に新型コロナ消毒の大きな警告対象だ。
本来の日本語<触れる>とは、正反対のものとなって<タッ
チ>がある。
人が介在しない、指示し作動させる行為としてのタッチだ。
本来<触れる>事とは、人と人を繋ぎ、人と物を繋ぐ、世界
が開かれる行為の筈だ。
その回路を遮断し、利便性の開始行為に貶めてきた現在が
痛切に新型コロナウイルスによって問われている。
一昔前まで、街の雑貨屋、酒・米屋、煙草屋、靴屋、駄菓子屋
金物屋、家具屋等が町のインフラを支え、人と人が向き合い手
渡しで会話が交じらわされた時代があった。
その関係性に消毒性アルコールなどはなかった。
人間同士の会話があり、オーバーに言えば友情すら存した。
今はそれらがすべてタッチ・パネルが代行する。
購入・支払が一元化され、物流の効率回路が優先され会話
も友情も消えている。
その回路に新型コロナが曼延し押し寄せてくる。
利便性と効率性重視が招いた<触れるータツチ>の変質した
現在なのだ

何時か大手コンビニ店に変わったお店のオバちゃん。
何時の間にか客との会話は消え、手と顔は何時もレジに向いて
打ち込み・入金・カード確認に集中している。
客は順番待ちで会話はない。
オーナーとか呼ばれ、毎日の売り下げ維持ノルマに追われて
いるのだろう・・・。
あの人懐っこい笑顔は何処に行ったのかなあ・・・。

*追悼ー八木保次・伸子展ー4月下旬~5月初旬
*鼓代弥生展ー5月中旬以降予定。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-04-14 14:31 | Comments(0)
2020年 04月 09日

自然が詰め寄るー荒地(19)

連日新型コロナウイルスから始まるあらゆる分野のニュースに
曝されている。
微小な自然界のウイルスが、大地震・大津波のように
人間社会に押し寄せている。
異常気象・台風は序奏のように、現代社会のグローバルという
物流回路を通じて内側からミクロの自然生物が繁殖しているのだ。
南アジアでは、イナゴの大群が作物を食い荒らしているらしい。
内から外から地球自然野生が詰め寄ってきたのか・・。
自然との共生空間を摩滅してきた近・現代のひとつの回答という
気がしてならない。
 
 今私たちが生きている時代は、近代化を経た後のグローバリズムの中で
 自然を支配する社会です。実際そのことにより、様々な社会問題も起こ
 ります。例えば原発は資本主義において利潤を第一に考えています。
 コロナウイルスは社会主義の不都合な真実により、広がってしまいました。
 そこで、本来東アジアにある「自然と共生する」という思想を、次の時代
 に再び受け継いでいくことは非常に大事だと思います。

マカオの写真家S君から、こんな書き出しの文章が送られてきた。
<東アジア共通の自然観、宗教観、精神性を高め、先人の作品形態に
とどまらない時代を拓く新しい表現>を、と呼びかけた宣言文だった。
先週終えた秋元さなえさんの故里の風土を編んだ造形作品。
短歌・山田航さんの百数十回続く街角探訪の短歌作品とエッセイ。
高臣大介さんの氷柱とガラスの交叉・千本の「野傍の泉池」の挑戦。
斎藤周さんの父の記憶・木造二階建ての生家の絵画。
その他にも色んな作家たちが、それぞれの分野で自らの足元の<里>
を創り続けているのを私は感じている。
こうした個々の表現営為が、私には上記宣言文とどこかで呼応し
木魂(こだま)していた。
小さな源流の一滴が流れ、合流し、大河となって大海へ、世界へ
と脈打つ夢のように。
私はその土となり、土壌となる小さな場を続けていく。

*追悼・八木保次・伸子展ー4月下旬~5月初旬。
*鼓代弥生展ー5月中旬予定

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-04-09 18:12 | Comments(0)
2020年 04月 04日

10年の織りー荒地(18)

秋元さなえ展最終日。
今村しずかさんの唄声が響く。
最初はマイクを使用し、1階で。
後半はマイク無しで2階吹き抜けの椅子に座り・・。
階下では打楽器を有山睦さんが奏でる。
階上で今村さんが唄うのは初めてだ。
何かが彼女の内部で解けている・・・。

秋元さんと今村さんの出会いは10年前の2010年3月。
この時教育大の美術3人展で初めてこの会場で秋元さん
は鳥をイメージした作品を宙に浮かばせていた。
今個展では麦穂の織物が斜めに吹き抜けを流れている。
10年前今村さんは、秋元さんの鳥の下、階下で唄ったが、
今回は今村さんが上で唄い、秋元さんが階下で聞いている。

唄声は麦穂の織り秋元さんの麦畑を流れ、声を編んで
流れていく。
この時間、ふたりの10年も編まれていた。

難病で車椅子に呼吸器を装着し、定山渓の療養所に入院し
時に山の自然に触れ、「私もその自然の中の一部なのだ」と
実感し、遺著のタイトルにした今村さんのお姉さん。
その遺著を2011年3月11日の東日本大震災に触れた今村
しずかさんは、初の自作CD「この世界に」にこのタイトル
を詞として挿入し作品化している。
吹き抜けの宙を飛ぶ鳥を作品化した10年前の美術人。
3・11大震災・津波・原発事故に自然の脅威を見た音楽人。
ひとりは鳥から大地の麦畑の視座を風景として造形し、ひとり
は亡き姉を通して生の恵みの自然を詩曲にし唄った。
このふたりが今は天と地に近い空間に位置を変えて再会し、空間
を織っていた。

偶然だろうが、ふたりのこの10年の織り成す風が吹き、心の麦畑
もひろがるような、稀有の最終日だったと思う。

ありがとう・・・。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 *荒地(17)は当方の技術未熟で跳んで消えてしまいました。
  お詫びします・・・。




# by kakiten | 2020-04-04 19:05 | Comments(0)
2020年 03月 22日

麦穂の風ー荒地(16)

正午12時開廊とほとんど同時に人が来る。
少し空いて、午後人が絶えない。
作品は麦畑の風も運んできたのだろうか・・。
吹き抜け西の窓傍の長椅子に座りながら、吹き抜けを抜ける
麦の織物が放つ光を見ている。
階下では作家を囲んで話が弾んでいる。
麦畑の風が人の形をして舞っている。
この一週間びっちり会場に居た秋元さなえさんの仕事の
都合もあり、またまだ見ぬ人の要望もあり、不定期だが
来週も29日日曜日まで作品はそのまま展示を続ける事
にする。
月曜日は定休日で休廊だが火曜日24日は12時から午後
7時まで。
水曜日は私の都合で休廊し、木曜日は平常通り、金曜日は
秋元さんの都合で未定、土曜日曜は平常通りと不規則だが
そんな予定で作品は見れます。
なお今村しずかさんの唄のライブも土、日どちらかで
流れる予定です。
歌手今村さんは2005年亡くなった姉はまなさんの遺稿
集「私もその自然の中の一部なんだ」を2011年3・11
に触発され出来た曲「この世界に」に歌詞として取り入れている。
今回秋元さんの麦の素材の作品を見て、何かが心の中で突き動
かされたようだ。
ふっとこの麦の織物と皮と種子の造形、絵画の中で歌ってみた
い感じたと思う。
少し唄から離れた歌姫の心が麦畑の風に乗った。

今暫く風景を織る展示は人の心の風と共に編まれる。

*秋元さなえ展「ランドスケープ」第二章ー不定期3月29日まで。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-03-22 17:43 | Comments(0)
2020年 03月 19日

風景を織るー荒地(15)

秋元さなえ展が始まった。
3日間展示作業を翌朝まで続け、細かな展示ディテールを
調整していた。
その成果が会場全体にぴーんと活きている。
1m60cm☓45㎝程の横長の麦畑の絵画3点と吹き抜けを
抜ける麦の織物が呼応し、心地良い空間を保ち象っている。
朝・昼・夕・夜。
光りが麦穂・茎から煌めきを惹き出す。
稲と並ぶ人類の主食のこの植物。
我々は何時の間にか、粉・粒に加工されたライス・パン粉と
してしか見えなくなった。
そして本質的な故里の風景を喪失しつつ、今を生きている。
タワー構造のような大都市圏に吸い込まれず、自分の故里の風土
・歴史・地形に常に拘りながら造形化し、描き続けて来た秋元さ
なえの精進が、風景を編む・織る豊かな作品となって展開されて
いて、<里>はその<故(ゆえ)>を再生されて在る。
それは秋元自身の作家としての<故里>の再生でもあるだろう。
個としての、小さなしかし深い継続・努力が彼女の里(ランド)
を拓いたのだ。
便利・快適・安全神話の社会インフラ人工環境に慣れ切った我々
は自然の恵み・畏れを忘れ、先人が築いた里山・里海という自然
との共生界(さかい)を失念し続けている。
自然は人間の為のインフラではない。
地球生命トータルの環境なのだ。
今人間社会を覆っている新型コロナというウイルスもまた
ミクロの地球生命である。
開催が危ぶまれている東京オリンピック。
過去3度の戦争に拠る中止があり、ヒットラー・ドイツの
政治利用があり、モスクワ開催ボイコットもあった。
新型コロナに負けずに東京開催を、という希望は分かるが
先ずオリンピック自体が戦争を否定し人間社会の平和を
願うものであり、自然生命との戦いに拠り産まれたもの
では本質的にないのだ。
ウイルスに勝つという命題が先行し議論される風潮があるが、
本来恥ずべきは戦争に拠る中止が三度もあったという歴史の
方ではないのか。
政治・経済主体という人間社会の自然に対するある種の傲慢
不遜が背後に在るような気がする。

秋元さなえが試みた故里の風土を織る行為表現は、本質的な
意味で今、自然との共生世界の再生を願う優れたメッセージ
に溢れていると私は思う。

*秋元さなえ展ー3月17日〈火)-22日(日)
 am12時ーpm7時

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-03-19 18:43 | Comments(0)
2020年 03月 15日

秋元さなえ展展示作業中ー荒地(14)

14,15,16日と秋元さなえさんが展示作業を続けている。
石狩河口に近い故里江別の風土を素材に表現テーマを深めて来た
ここ何年かの仕事が、ひとつの成果として新たな深化を感じさせ
る気がする。
初めて見る絵画、大きな横長の麦畑風景画2葉。
吹き抜けを斜めに貫く長い麦の織物。
今回展示のタイトル「ランドスケープ」は、故里の対岸内陸の
それだ。
広く広がる麦畑。
その麦穂を使って織り上げたゴザ布。
これまで江別界隈の風土、川や山に拘って探索の写真や歴史的
由来を作品の核に据えていた表現が、今回は風景を自らの手で
編み、描き、織り込んでいる。
自らの足元(land)を耕作(cultivate)している。
そして風景(landscape)を編んでいる。

展示中メインとなる上記作品が先ず飾られた。
作家はあくまでも個として、両掌を使いこの故里風土に触れ
深化している。
この孤独な行為を、表現の濃い踵の作業として続けてきた美術
作家秋元さなえに敬意を表したい気が今している。

*秋本さなえ展「ランドスケープ」-3月17日〈火)ー22日(日)
 am12時ーpm7時

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-03-15 16:22 | Comments(0)
2020年 03月 10日

喪われた10年ー荒地(13)

生涯人前で大野一雄を父と呼ぶ事のなかった慶人さんの
喪われた10年を思う。
唱和13年慶人さんが生まれた年、大野一雄は召集され
戦場へ向かった。
それから昭和23年まで大野一雄が帰国するまで家族は
一緒に住む事はない。
10歳になっていた慶人さんは、見知らぬおじさんをど
う思って過ごしたのだろう。
それでも父という人の背中を追って、同じ舞踏の世界に
入ったのだった。
国家・社会の軋轢に拠る戦争という時代がこの喪われた
10年を生んだ。
戦後という時代の原点には、戦争という荒地・心の荒廃が
ある。
戦争に拠って断絶した西洋舞踏・ダンスへの憧れを、大野
一雄は復員帰国後即座に再開した。
西洋のポエムに啓発され現代詩の道を志した鮎川信夫の戦争
体験を経た詩の道とどこか響き合うものを私は感じていた。

 たとえば霧や
 あらゆる階段の足音のなかから、
 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す
 -これがすべての始まりである。

            鮎川信夫「死んだ男」冒頭

湯川信夫の<遺言執行人>とは、帰国途上大野一雄が船から何度
も見送った戦友の水葬、その時集まってきた水母の群れ。
その想いを帰国後「雲母の踊り」として踊り続けた事に繋がる
死者への想いと思う。
私達が曖昧に呼ぶ現代とは、この多くの無名の死者たちに縁どら
れた戦後から始まっている。
3・11東日本大震災に象徴される大津波・大地震・原子力発電
所崩壊のこの9年とは、故里の崩壊・近親者の不在という見えな
い廃墟、心の荒地の存在を顕かにした気がする。
大野慶人の心の孤児の体験は、現代の始まり、基底として近代
と現代の橋上のように在る。

 私はなにをしてきたのだろうか?と思います
 いつのまにか”舞踏”にいたのです。
 どうかお許しください、勝手な行為。

この慶人さんの遺されたメモのような短い独白に、私は彼の
生きて来た戦後という近代と現代の界(さかい)を思うのだ。
<いつのまにか”舞踏”にいたのです>は、きっと<いつのまにか
”父”の背中、父を見詰め追い駆けていた>事と私には重なるのだ。
戦後という膨大な死者たちの近代の荒地を乗り越えて、自己に
とっての真のモダニズムを闘いとる父の舞踏の背中を感じながら。
<私はなにをしてきたのだろうか?・・>
この問いは現代を生きる私達すべてに通じる基底低音・トニカ
のように私は感じている。

 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もいなかった。
 ・・・・
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつつこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 ・・・・

鮎川信夫「死んだ男」のこの最終行に響くものは、戦争・自然災害を
問わず理不尽な死・無念の死を見詰める死者と生者の眼差しのように、
思えてならない。
私達の現在とは、この<太陽と海>の崩壊の欄干に縁どられて
いるからだ。
大野慶人の孤独は、私たちそれぞれの9年目の3・11の孤独
に繋がるものなのかも知れない。

もう一度逢って話ししたかった、慶人さん・・・。


*秋本さなえ展「ランドスケープ」ー3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 



 


# by kakiten | 2020-03-10 18:37 | Comments(0)
2020年 02月 23日

大野慶人追悼展始めるー荒地(12)

吹雪のように高臣大介ガラス展「あふれでる」が終わり、
次回予定秋元さなえ展「ランドスケープ」の合間に急遽大野
慶人追悼の展示をする。
大野一雄の資料は大判ファイル4冊程あるが、慶人さんの
資料はその中でごく僅かだ。
しかし資料は量が全てではない。
私なりに関わった範囲で構成してみた。
そこへ横浜在住・福島浪江ご出身の原田洋二さんから慶人さん
の近年撮影された写真が送られてきたので、大野一雄さんの
遺影とともに飾る事にした。
メイン展示は、「睡蓮」一雄・慶人舞踏のポスター2葉と同じく
ふたりがメインの「天道地道」のポスター1葉合計4葉だ。
「睡蓮」のポスターに揮毫された文字は郡司正勝さんに拠るもの
で、慶人さん最後の舞踏独演「ドリアングレイ最後の肖像」の台本
原案を提供された方でもある。
そしてこの「ドリアングレイ最後の肖像」公演時の資料を展示に
加えた。
さらに1991年9月「石狩の鼻曲がり」のドキュメント本
(かりん舎刊)を10冊積んだ。
最後にふたりの生きた時代・社会を現代として象徴・俯瞰する意味
で現代美術作家沖縄・豊平ヨシオの作品を一点飾った。
大野一雄のニューギニアの戦場・捕虜生活、帰還の水母と死者の
海を、そして10歳にして初めて父の顔を見た慶人さんの子の孤独
な心の亀裂を、豊平ヨシオの作品は現代に通底して顕していると
私は感じているからである。

 私はなにをしてきたのだろうか?
 いつのまにか”舞踏”にいたのです。
 どうかお許し下さい、勝手な行為。
 お時間がございましたら、どうかお出かけ下さい。

 いつも心から感謝しております。
 
                   大野慶人拝
今回資料ファイルから出て来た慶人さんのメモ書き。
生涯父と人前で呼ぶ事のなかった子・慶人の孤独な舞踏の道
を、私は私の生きている現在、その見えない根の呟きを深く
呑み込む様に見詰めていた。

*大野慶人追悼展「記憶と現在」-2月25日ー3月8日
 am12時ーpm7時:月曜定休・水・金午後3時まで。
*秋元さなえ展「ランドスケープ」-3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2020-02-23 17:56 | Comments(0)
2020年 02月 09日

八年目の源泉ー荒地(11)

札幌偕楽園緑地・清華亭に湧く琴似川源泉、アイヌ語名
ヌプサップメム(野傍の泉池)に、今はない泉をテーマ
に始まったこのシリーズ。
8年目の今回ひとつの節目、達成感を感じる。
一週目の器主体の展示中の暖冬天候が今週に入り一転。
真っ白な大雪と寒気によって、軒下の氷柱が伸び、地上の雪面
の反射光が見事に作品を浮き上がらせている。
八百本の展示中央の作品群は、あたかも溢れる泉の池のように
陽光を煌めかせている。
大介の泉池だ。
後は溢れ出て川となり、世界の河口へ向かうが良い・・・。

昨夜は美術館のÝ氏、新聞社文化部だったi氏が来て、気持ち
の入った良いお酒を飲んだ。
このふたりがこんなにも酔った姿を見たのは初めてだった。
このふたりが酔ったのはお酒の所為ばかりではない。
作品の保つ力に拠る処が多い。
作品の発する美音と美光にも酔ったのだ。

今日最終日。
天気にも恵まれ美しい午後の光が会場に溢れている。
高臣大介、八年目の「野傍の泉池」。
見事なフイナーレであり、新たな出発である。

*大野慶人追悼「記憶と現在」-2月25日ー3月8日
*秋元さなえ展「ランドスケープ」-3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-02-09 15:56 | Comments(0)