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テンポラリー通信

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2021年 10月 10日

原点の記憶ーメタフイジカル放浪(10)

遠い幼児期の記憶が甦る。
ある日近所の美容室で薦められたのだろうか
まだ若かった母が、突然赤い髪になって帰って来た。
明治生まれの祖父と大正生まれの父が、怒っていた
記憶がある。
母は美容室に戻り、元の黒髪に戻していた記憶だ。
なんで父と祖父が怒ったのか幼児の私にはなにも
分からなかった。
今思えばあの時の家族の亀裂が、ひとつの時代の
見えない亀裂だったという気がする。
アメリカの占領下で進められた自由と民主主義の
モダニズム近代化。
若い母は行きつけの美容師に薦められるまま、新しい
価値観・流行の髪型に乗ったのだろう。
明治30年に福井県から移住し創業した祖父。
その祖父を深く敬愛し生業を継いだ父。
国家間の戦争とは別次元で、家業・家風の個の
価値観が赤い髪への拒絶を生んだのだろう。
この時”美容師さんに、とてもお似合いですと褒め
られたのに・・・”と、半ば泣き声で抗議していた
母を想い出す。

明治以降の近代化・モダニズムの風を受けてダンス
という日本に無い踊りを目の前に見た舞踏家大野一雄
は、その道へと邁進する。
しかし昭和前期という時代は軍国主義・天皇崇拝の
時代へと急傾斜し米英との本格的戦争の時代となる。
大野一雄が徴兵されたその年に生まれた大野慶人は
戦中から生き延び帰還した父一雄と初めて会うのは
すでに10歳になってからだった。
大野慶人は父の背中を追うように成人し同じ舞踏の
世界で生きることになる。
しかし10年の亀裂は生涯を通して、人前で一度も
父と呼ぶ事の無かった慶人に反映されていた。
大野一雄にとっては、新たな舞踏の可能性を追求する
事を断念した空白の10年だっただろう。
戦争という断絶・亀裂が昭和の後半アメリカモダニズム
が日本を覆う中で、見えない川・暗渠のように横たわって
存在したのだ。
その現在に繋がる時代の内なる亀裂を、戦争を生き延び
その亀裂を乗り越え、個有の日本文化・個有の自己表現に
まで高めた数少ない表現者のひとりが大野一雄の舞踏であ
った。
10年間の父不在という亀裂を抱いた大野慶人の舞踏は
ある意味未完のまま昨年逝去された。
ただ最後の慶人の舞踏と思われる父一雄の指人形を自分の
親指に詰めプレスリーの「愛さずにはいられない」の歌曲
に乗せて寡黙に踊る姿に、父不在10年という亀裂を初めて
ひとりで超えた姿を観た想いがした。
ふたりがそれぞれ超えてきた10年という荒野。
そこに現代という我々個々の固有の現代の基点もある
と私は思う。

 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もなかった。
 ・・・・
 空に向かって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつつこんで静かに
 横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 Мよ、地下に眠るМよ、
 きみの胸の傷は今でもまだ痛むか。


昭和近代前半の戦争という・・・明・暗。
敗戦後デモクラシーという・・・明・安。
そこに本質的に横たわる、光と水の原点太陽と海
へのМに託した鮎川信夫の告知は、70年近い歳月を
超えた3・11への予告とすら予感されるのだ。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011ー737-5503


# by kakiten | 2021-10-10 17:33 | Comments(0)
2021年 10月 07日

深く生きるーメタフイジカル放浪(9)

故郷浪江に還る原田洋二さんから便りがある。
右手が手根管症候群で、左手で文字を記しているという。
その左手の再生に、今は<右以上に愛おしく・・・生まれ
てくる字がスリリングでとても気に入ってます。>と書かれ
ていた。
故郷を離れ今は横浜にいる原田さんが、3・11以降深く心に
期する事あって再び故里浪江に還り、新たな仕事を志すと
聞く。その意味で「手根管症候群」で利き手が左手という
身体的変化はなにか象徴的な反応に思える・・・。
それだけに今回の決断は、全身全霊の決断・実行と思われる。

爆弾を落とされた訳ではない。
明るい廃墟と化した故里。
その意味では、荒地と化した戦後の原点風景に還る行為
なのかも知れない。
一発で一つの都市を焦土と化す原子力爆弾の<暗>を安心・
安全・安価の原子力発電の明るい<安>に装いを変え起き
た原発事故。
その結果破壊の見えない明るい廃墟と化した故里。
その故里に還るという行為・決断は、隠された戦後現代の
基点・廃墟の現在へ還る真の現代の出発点へ回帰する王道
の選択と、私は思う。

テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2021-10-07 18:04 | Comments(0)
2021年 09月 25日

青いキャンパスーメタフイジカル放浪(8)

昭和後半アメリカ式近代化の原点を象徴す
るように、美空ひばりが唄う「東京キッド」
の終わりの歌詞がある。

 ・・・・
 空を見たけりゃ ビルの屋根
 もぐりたくなりゃ マンホール

現在の都市風景をこの歌詞はまるで予言して
いるかのように思える。
今はもう見上げる<空>も、屋根のないタワー
ビル群に取って代わり、もぐりたくなる<マンホール>
も地下街・地下鉄・高速自動車トンネル、新幹線
リニアモーターの疾走するトンネルとも思える。
そして何よりも現代人は<空を見上げる>行為すら
喪失しつつある。
戦争中の防空壕、戦後のマンホール。
戦争中のB29の空爆、戦後のビルの屋根。
この都市構造は、屋根などもうないタワービル群、
迷路のように張り巡らされた地下交通網の現在
となっても基本構造は変わらない。
ただ決定的に違うのは、垂直に天地を感じる
縦軸の目線だ。
広々とした空は、光に溢れ雲が描く青いキャン
バス。
深々とした地は、水が溢れ植物が溢れる土の
キャンバス。

夜空に輝く中秋の満月を見上げながら、身で感じ
る遠い星、近い星を見る等身大の人間を想い出し
ていた。
火星や月にロケットを飛ばし遊覧・観光・移住
を考えるビジネスがあるという。
星をそんな風に考える事自体が、身の程知らず
だと思う。
星空という夜の空も、宇宙という星のキャンパス。
月の砂漠・火星の砂漠などは、行かなくともいい。
その前に地球自体が砂漠化するかも知れない現在が
進行している・・。

 月の砂漠をはるばると
 旅の駱駝が ゆきました

 金と銀との鞍置いて
 ふたつならんでゆきました

 金の鞍には銀の甕(かめ)
 銀の鞍には金の甕(かめ)
 
 ふたつの甕はそれぞれに
 紐で結んでありました

 さきの鞍には王子様 
 後の鞍にはお姫様
 
 ・・・。
こういう<月の砂漠>で良いじゃないか・・・。
観光旅行や移住などしなくて良いのだ。
ボデイの数を金銭に置き換え、<身>と
いう身体の宇宙を忘れては、天に唾する
自滅行為となるだろう・・。

 テンポラリースペース 札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011ー737-5503

 



 




# by kakiten | 2021-09-25 17:48 | Comments(0)
2021年 09月 16日

爪先立ちの現代ーメタフイジカル放浪(7)

鹿鳴館で夜毎の舞踏会に始まり、赤レンガの舗道
・建物で賑わったという銀座。
そんな欧州への憧れ、そして湾中央に大きく立つ
自由の女神と港奥に聳え立つ摩天楼のビル群が
重なるアメリカ。
大正モダニズム・大正デモクラシーまで続いた
日本の近代モダニズム。
昭和はそこから新たな尊皇攘夷思想に里帰り
するように「鬼畜米英」を掲げる戦争の時代
に突入する。
そしてヒロシマ・ナガサキに落とされた原子力
爆弾で敗戦を迎える。
昭和の後半は原子力発電の名の下、平和で安価
安心な原子力発電の推進国として経済大国へと
駆け上るのだ。
美空ひばりの唄った「東京キッド」の<右の
ポッケの<夢>、左のポッケの<チュウインガム>
には戦勝国アメリカへの憧憬が垣間見える。
そして3・11の大津波により、爆弾=発電と
名称を変えただけの原子力により、幾つもの故里が
消えつつある。
近代の右のポッケの夢も、左ポッケのチュウインガム
の夢もまた、夢の夢・・・。
昭和近代の踵も見ずして、現代などと欺くな。

原子力汚染で立ち入り禁止が続いた故里福島県浪江町
に今年帰る事を決断した原田洋二さんの為に私は沖縄の
豊平ヨシオさんの作品を抱いて尋ねようと思う。
それは私自身の近代(モダニズム)の踵を確認する為
なのだ。
爪先立った近代を訣別しなければ、現代はまだ夢の裡に
あるだけだ。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2021-09-16 16:17 | Comments(0)
2021年 09月 12日

現代のスタート・戦後ーメタフイジカル放浪(6)

故郷浪江に戻る決意をした原田洋二さんがシェアー
した敗戦直後の沖縄の子供たちの映像を見た。
私はふっと寺山修司が独自の視線から纏めた
1992年初版の「日本童謡詩集」を本棚から
抜き出し、藤浦洸 作詞の「東京キッド」に
眼を止めていた。

 歌も楽しや 東京キッド
 いきで おしゃれで ほがらかで
 右のポッケにゃ 夢がある
 左のポッケにゃ チュウインガム
 空を見たけりゃ ビルの屋根
 潜りたくなりゃ マンホール

これが敗戦後何年間かの戦後孤児の見詰めた
都市風景だったのだろう。
この歌の最初と終節は二番・三番の歌詞でも
共通するが、二番・三番真ん中の三行は、

 泣くも 笑うも のんびりと
 金はひとつも、なくっても
 フランスの香水 チョコレート

 腕も自慢で夢がある のど自慢
 いつもスイング ジャズの歌
 おどるおどりは ジタバーグ

鬼畜米英と原子爆弾で終結した昭和近代の末路。
その後に始まった戦後第二次近代は欧米への再び
の憧憬から始まったのだ。
一番の”右のポッケにゃ 夢がある 左のポッケ
にゃ チュウインガム”
再び敗戦後に夢見られた欧米への夢・・・。
そして現代の都市風景の原景とも思えるビル、マン
ホール・・・。
私たちは、屋根の見えない摩天楼・タワービル群、高速で
疾走する自動車・地下鉄・新幹線・リニアが支配する
巨大マンホール・地下道の今を生きている


そしてもう一つ浮かんだ戦後の詩は、戦中を潜り抜け
た鮎川信夫の最初の戦後詩「死んだ男」の詩行だった。

 埋葬の日は、言葉もなく
 立会う者もなかった。
 憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで
 静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 ・・・・。

戦後近代の出発の空には、「東京キッド」が見上げ
る空には”ビルの屋根”が見える。
鮎川達戦争経験者が戦中で見た空は、廃墟と死者の
重なる上にある空。
地球の生命を支える光と水・・・太陽と海すら信ずる
事の出来ない究極の破壊の世界が見据えられている。
近代日本が鎖国を解き、欧米への憧憬が鬼畜米英というう
近代精神の国家的精神鎖国の果てに見た戦後近代の夢
とは”左のポッケ”に握りしめられた”チューインガム”
に象徴されるアメリカ物質文明だったのだろうか。

真の出発(旅立ち)は今も未明の裡に在る。

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# by kakiten | 2021-09-12 16:32 | Comments(0)