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テンポラリー通信

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2020年 01月 09日

大野慶人さん・・・-荒地(7)

3日前横浜へ電話したばかりだった。
言葉にならない声音だけが短く受話機に響いた。
すぐ声が女性に変わって、話すのが今困難なのです。
でも段々よくなってきてます・・・と告げた。
私は今年必ず一度伺います、と伝えて電話を切った。
今日その大野慶人さんが亡くなったと連絡が来た。
深い気持ちが湧き上がる。
大野一雄・慶人というひとつの時代を想う。

1991年9月大野一雄石狩河口公演「石狩の鼻曲がり」で
初めて会い、その前夜祭の後慶人さんが話しかけて来た。
”何故自分は石狩河口で踊るのか、よく解らない・・・”
私は札幌から何故石狩河口まで繋げたかを、札幌円山の地下を
流れる暗渠の川界川から始まった都市と自然の共生のテーマを
熱く語った。
東京生まれ横浜育ちの慶人さんが父大野一雄に従い、石狩河口
の茫々たる大自然を前にしてそこで自分が踊る意味を卒直に
主催者である私に疑問をぶっつけてきたのだ。
今考えれば、太平洋戦争を体験し戦前・戦後というふたつの時代
を生き抜いて来た父と東京と横浜で育ち10歳で初めて父と逢った
子との見えない時代の深い溝がそこには在ったのだろう。
大野一雄は同年2月の吉増剛造展「午後7時の会話」で初めて
お逢いした時私の石狩河口公演の申し出を即座に快諾してくれた。
私は感動してこの公演のポスタータイトルを「石狩の鼻曲がり」
ではなく「石狩みちゆき大野一雄」とした程である。
生涯<父>と大野一雄を人前で呼ぶ事のなかった慶人さんの見えない
屈折が、今となって石狩河口前夜祭の問いかけで思い起こされる。

一昨年2月吉増剛造「舞踏言語」の出版記念会で、指人形の大野一雄
とともにプレスリーの「好きにならずにいられない」の歌曲でひとり
舞踏した慶人さんは、父一雄亡き後始めて肉親一雄を抱いていたと
私は思う。
日本の大きな意味での近代を生き抜いた大野父子。
近代開国の扉をアメリカの黒船がその扉を叩いたように、戦後アメ
リカを代表するポップ歌手エルヴィスプレスリーの歌曲が、ふたり
の父子の見えない近代の壁を開いたのだ。
戦争に拠って引き裂かれた父子の間に深く横たわっていたふたつの
近代という深い溝。
それはあたかも暗渠となった都市の川のように見えない血脈と
して流れていた。
自らの指の一部となって、共に舞踏した父一雄。
そこに、遮り、閉じて分離する近代はない。
あるのは伸び伸び流れ脈打つ舞踏という真の近代だ。

慶人さん、お会いしてお話ししたかったのは、その事です。
西洋のダンスを舞踏として日本近代に根付かせた大野一雄
さんの志を、慶人さんの舞踏としてもう一度見たかった。
郡司正勝先生が晩年最後にあなたの為に遺してくれた台本
「ドリアングレイ最後の肖像」を一緒に実現したかった。
源泉が源流となって沈んでいる札幌の街の中で。
あの指人形の一雄さんの河口への想いと共に。

お別れにプレスリーの「好きにならずにいられない」を
唱和させて下さい。

 海へと確実にそそぐ川のように
 流れに身をゆだねるべき時もある
 さあ手を取って、この命を捧げよう
 君を好きにならずにいられない


 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



by kakiten | 2020-01-09 15:54 | Comments(0)
2020年 01月 05日

寒気鋭くー荒地(6)

積雪は少ない。
しかしその分寒気が鋭く感じる。
手先の指が冷える。
利き腕の右の指先が時に青くなっている。
露出し、使う機会が多い所為もあるのだろうが、
通院で注射の際右手を看護師さんに暖められたりもする。

体調不調を書いたら、心温まるご心配のコメントを多々
頂いた。
特に医師でもあるOさんの忠告・助言には心当たりする
処が多かった。
最近の医師は、パソコン画面の患部を見て、肝心の患者
を思わない人が多い気もする。
私の不意の転倒にも、良い杖が沢山出てるよ、階段は
手摺りを使いなさい、筋トレをしたら、と言う医師もいた。
5時間の人工透析中私は左手を動かさず寝たまま出来る腹筋、
膝横倒立、股関節開閉等出来得る運動を試みている。
巡回の院長も、運動終わったか?と声を掛けるほど、もう
半ば公認されている程だ。
背丈より高い下履き棚、階段上り終わった後等の不意の意識
不明は、どう考えても脳・心臓に関わる気がしていた。
杖とか、筋トレ、手摺りの問題ではない。
素人の感じ方だが、ふっと医療に対して疑問を抱いていた。
Oさんの指摘は、その点でとても心に響いた。

現代はなんでも機械操作の時代である。
二本足の人間は機械操作で四輪の四つ足に回帰し、水・食料
・光・寒暖等の自然の恵みは、公共的、経済的社会インフラ
となって自然への畏敬・感謝の心を喪失しつつある。
電気力により増幅された他力は、等身大の自力から指先操作
の筋斗雲・如意棒の孫悟空のような傲慢な力を誇示する存在
となりつつあるような気がする。
社会構造的にも主(あるじ)という個の主体性が希薄となり、
オーナーという名の巨大な社会構造の部分に組み込まれる。
お客様は巨大販売構造の購買客のひとり、オーナーズカード
の一員で、街の薬局・米屋・洗濯屋・酒屋・雑貨屋・駄菓子屋
といった街のインフラを司った主は、大手コンビニのオーナー
となる。
宇宙・地球・自然という大きな生命の源さえ、大都市の世界では
環境というインフラとしか捉えられない時代なのだ。
戦後という日本近代の終焉現代の始まりの時、詩「死んだ男」を
詩集冒頭に記した鮎川信夫の詩は、その意味でも今も深く心に沁
みるのだ。

 たとえば霧や
 あらゆる階段のなかから、
 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
 -これが全ての始まりである。
 ・・・・・
 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もいなかった。
 憤怒も、悲哀も、不平の軟弱な椅子もなかった。
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 Мよ、地下に眠るМよ、
 きみの胸の傷口は今でも痛むか。

ここに記されている<空にむかって眼をあげ>ある時代の終わりを
告げるМの言葉。
<さよなら、太陽も海も信ずるに足りない>
この太陽と海には人間の<故里>が潜んでいる・
里山・里海・・・。
<空にむかって眼をあげ>-ひとつの時代の終焉に、死者は
呟いたのだ。
故里に<さよなら・・・>と。
私は私の戦後の時代が生んだ<さよなら>を想い出す。
しかしその言葉にはある決定的な差異がある。
<さようならと総括>ー奥浩平「青春の墓標」
学生運動でセクトの違った恋人へ遺した、さようならと総括。
<う>が情緒・未練なのだ。

現代の原点に立つ<遺言執行人>の<さよなら>には、もっと深い
響きがある。
故里の故(ゆえ)。
太陽と海にまで至る深い時代の傷口・・・。
75年前のひとつの時代の傷口が、2011年3月11日現代の
出発点として今を撃つ。

私達は限りなく緩慢な<さようなら>を生きているのか。

*川戸郷史ライブー1月12日午後5時~
*収蔵作品展「記憶と現在」-1月中旬~
*高臣大介ガラス展ー1月28日ー2月9日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



by kakiten | 2020-01-05 18:36 | Comments(2)