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テンポラリー通信

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2019年 10月 08日

一身(いっしん)-子の近代(8)

牡鹿半島・鮎川。
詩人の家・古い酒屋の店奥に座す吉増剛造の姿を見た時、ふっと
祖父の姿を想い出していた。
札幌都心部では市街地再開発法により都市の高層化が推進され、
こうした商店主が消え、多くの店はテナント・ショップと化した。
そして店の土地家屋は資産の持ち主=オーナーと名を変える。
生業(なりわい)の内にすくっと座す店主の姿が消える。
この時私の生まれた町内では明治生まれの老書店主が、私達地権者に
病床より<友軍三将に告ぐ>と記した書を送り、公的訴訟を提起した。
書店の奥の一段高い、店内を見わたす位置に座し、時に長く立ち読み
する子供たちに、本の埃を払うようにハタキを掻ける事もした。
子供心にもどこか畏れ敬う、その道専門に生きる人のオーラがあった。
幼少年期の身近な風景・空気。
生きる人の<身>の姿が甦った。

吉増剛造は1992年春客員教授として地球の裏側のブラジルに旅立った。
そこで明治以降蓄積され培養された日系移民社会に遺る純粋な日本の精神
風土と出会い、戦後育ちの詩人は多分そこに多大な衝撃を受け蟄居・自己
幽閉状態に陥った。(裸のメモー「木浦通信」・矢立出版より)
帰国後再生を志し、ブラジル行前年明治生まれのモダニスト・大野一雄の
舞った石狩河口に滞在し「石狩河口/坐ル」を実行する。
そして石狩川支流夕張川源流を遡上し名作「石狩シーツ」を著した。
2011年3・11以降「石狩河口/坐ル ふたたび」の試行を戦後
近代の根の再生として今に至るまで続けている。
今回北上川河口域に近い牡鹿半島先端鮎川に座し、自らの<身>の
坐ル→座ル・姿を<身>を以て曝し、近代/現代の(さかい)に<座>
していた気がする。
私が牡鹿半島先端・鮎川で見た吉増剛造の<身>の置き様とは、私の
記憶に遺るある時代までの店主の身の置き所に近い。

近代と現代の境目が、今音もなく静かに加速して顕れ始めている。
荒涼たる破壊の廃墟を生む原子力・バクダンは、安心・安全・便利の
原子力・ハツデンに変わる。
店主がオーナーになり、店がテナントになり、座るが腰カケルになり、
身(み)という言葉がボデーとなっていく。
即物的で身も蓋もない並列的で踵喪失の今が速度を上げている。
それが現代的というなら、今こそ近代そのものを問わねばならぬ。
吉増剛造の坐ル→座ルは、近代の原点から現代への静かな逆襲。
現代へのラデイカル(基底的な)界(さかい)への挑戦だと思える。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



by kakiten | 2019-10-08 16:54 | Comments(0)
2019年 10月 05日

牡鹿半島・鮎川への旅ー子の近代(7)

  。。。。。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
  Мよ、地下に眠るМよ、
  きみの胸の傷口は今でもまだ痛むのか。

鮎川信夫の「死んだ男」の最終章が、今度の旅のトニカのように
響いている。

木造の古い酒屋の家で、詩人の家を2ヵ月開いた吉増剛造。  
旅人を迎え、食事を共にし、一泊の宿を提供する。
生業の最前線に、詩人の店・主として座っていた。
3・11の深い傷跡遺る、牡鹿半島先端の地鮎川。
半島は樹木が緑深く海に挿す、海と空・光の半島。
先に着き仙台空港に迎えに来てくれたKA君とKI君。
彼らの運転するレンタカーに乗り、2時間程経て緑の傾斜
曲がり道の続く牡鹿半島を走る。
北の人間には珍しい森の植生。
鹿の親子も見る。
そして森が途絶え、海が見える。
新たに建造された防潮提の高い壁が海辺の視界を遮っている。
2ヵ月3.11の現場で詩の一生業主として滞在した吉増さんの
最終日の一夜。

二日滞在した牡鹿半島と石巻市。
半島には太陽と海と高い防潮提建造現場。
都市には津波で廃校の小学校とその前の墓石群。
大きな災害の後の<荒地>。
そして私には、戦後間もない昭和22年に発表された鮎川信夫の
「橋上の人」の一節が太陽と海の光と共に響いている。

 あなたは聞いた。
 氷と霜と蒸気と熱湯の地獄の呵責に
 厚くまくれた歯のない唇をひらき
 溺死人が声もなく天にむかって叫ぶのを・・・・
「今日も太陽が輝いているね
 電車が走っているね
 煙突が煙を吐いているね
 犬は犬のなかで眠っているね
 やがて星がきらめきはじめるね
 だけどみんな<生きよ>と言いはしなかったね」

一昨年の栃木県南那須・足利市・吉増剛造展。
昨年の沖縄・那覇・豊平ヨシオアトリエ。
今年の宮城県・石巻市・鮎川・詩人の家。
内陸の山を主体とする風土。
外陸の海を主体とする島・半島風土。
そうした宇宙・地球・自然に隣接する人間社会に触れて
日本の近代モダニズムが背負った負の近代を現代の事と
して、鮎川信夫の詩を通して深く感じた旅だった。
原子爆弾を頂点とする戦災と地震・津波・原発の災害とは
一見違うようだが、その本質は人間社会の在り様として変わ
らぬ構造的なものがあるような気がする。
私がこの濃い二日間で感じていた基調低音(トニカ)は、同
時代としての<荒地>だった。

 橋上の人よ、
 彼方の岸に灯がついた、
 幻の都市に灯がついた、
 運河の上にも灯がついた、
 おびただしい灯の窓が、高架線を走ってゆく。
 おびただしい灯の窓が。高く空をのぼってゆく。
 そのひとつひとつが輝いて、
 あなたの内にも、あなたの外にも灯がともり、
 死と生の予感におののく魂のように、
 そのひとつひとつが瞬いて、
 そのひとつひとつが消えかかる、
 橋上の人よ。

明治・大正・昭和近代77年ー戦後近代75年。
鮎川信夫の記した<近代の橋上>は今も変わらない。

 窓の風景は
 額縁のなかに嵌め込まれている
 ああ おれは雨と街路と夜が欲しい
 夜にならなければ
 この倦怠の街の全景を
 うまく抱擁することができないのだ
 西と東の二つの大戦のあいだに生まれて
 恋にも革命にも失敗し
 急転直下で堕落していったあの
 イデオロジストの顰め面を窓からつきだしてみる

「繋船ホテルの朝の歌」4連目のこの風景は、まるで1960年代
以降の岸上大作や奥浩平の安保闘争以降の風景のように今見える。

2011年三月十一日から8年を超えた被災地の風景は、私には
この鮎川信夫の詩の風景と変わらぬ風景を、見詰めていた気がする。

宮城県石巻牡鹿半島・鮎川は、戦後詩人鮎川信夫への旅でもあった・・・。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2019-10-05 17:37 | Comments(0)