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テンポラリー通信

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2019年 07月 27日

ひとり、ひとりの時代・社会ー大野一雄の戦後(10)

延長しながら続けて展示している追悼・大野一雄展。
熱心に見てくれる人、大野一雄を知らない人も、いつか資料や話
を聞いている内に心が入ってくるのが分かるのだ。
そんな人たちには奥の談話室でたった3分の慶人さんの親指人形
の舞いの映像を見せている。
父大野一雄をなぞった指人形。
エルヴィスの「好きにならずにいられない」の曲・詞・唄に乗せて
自身の身体の一部となった父と踊る。
顔の表情と指人形の動きだけ。
しかしそのふたりの間・宙(そら)には、10歳で父と呼ぶ人と初め
て逢った亀裂の時間を埋める、限りない父・子の愛が垣間見えるのだ。
これを見て眼から水が噴き出すように、涙を流した人。
ただ黙って眼を潤ましていた人。
多くの人が大野一雄の生涯の舞踏の記録と、父・子の人生の記憶に
感動し共感してくれた。
大野一雄は生涯、戦場で体験した何千人もの戦死者・戦友への想い。
その生と死の界(さかい)を、舞踏という表現回路で拓き、繋げる
事を志・事とした。
舞踏を志した青春のラ・アルヘンチーナ。
戦中8千人の内6千人の死者を見た記憶。
敗戦後帰国の船上から見た水葬者と水母の群れ。
大野一雄の踊りの原点には、これら多くの死者がいる。

大野慶人には10歳で初めて逢う父・子の乖離という見えない戦場
があった。
生涯父を父と呼べなかった乖離がある。
しかし父の死後エルヴィスの「好きにならずにいられない」の歌曲
と共に顔の表情と父を模した指人形で踊る慶人に、もう乖離は無い。
エルヴィスのこの歌曲を選び、父・祖父の働いたカムチャッカへの
公演を熱く語った晩年の大野一雄。
ふたりは個として、断絶した日本の近代を再構築し、自らの表現の
回路としたのだ、と私は思う。
大野一雄の傷だらけの戦後近代とは、死者を想い死者と共に生きる事。
息子慶人はその見知らぬ父・大野一雄と呼ぶ人と共に生き、父・子の
絆を繋げる事。
このふたりの個の軌跡こそが、戦後近代の根幹に開かれている現代の
個の源流と私は思う。

Like a river flows surely to the sea 海へと確実に注ぐ川のように
daring so it goes some things are meant 流れに身を委ねる時もある
to be
Take  myhand take my whole life too さあ手を取って この
                      命を捧げよう     
For ican't help falling in love with you   君を好きにならずには
                      いられないから

*追悼・大野一雄の戦後近代展ー8月18日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金曜日午後3時閉廊。
*斎藤周展ー8月23日ー9月1日

 テンポラリ―スペース北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503   






by kakiten | 2019-07-27 16:37 | Comments(0)
2019年 07月 21日

石狩・カムチャッカー大野一雄の戦後(9)

1999年8月大野一雄宅で収録された吉増剛造と大野一雄
の対話「生と死の舞踏(石狩ーカムチャッカ)」で大野一雄は
語っている。

 戦時中、私はニューギニアで二年間将校として働いていました。
 あるとき八千人の人が移動して、前の人が道に迷うと、それに
 ついて行った六千人が死んで、二千人が残った。
 そして食うや食わずで体がボロボロになって、おできができてね
 ・・・・・
 いよいよ負け戦になって終戦になったわけです。
 一万トンの船に何千人と乗って日本に向けて出発する。
 ・・・・けれども、次から次へと人が死んでいく。すると、国旗に
 包んで水葬をやるわけです。ブーッと汽笛を鳴らして、二回か三回
 か船を回すのです。本当にそれはね、悲しいですよ。

ラ・アルヘンチーナの公演を見た青年時代、
その舞踏への憧れは、国家の一元的なショートカット価値観によって
暗渠化し、戦争従軍に埋没していった。
奇跡的に帰国を果たした1948年、息子慶人は10歳で初めて
父一雄と対面する。
そしてついに父の生涯中、父とは呼べなかったと回想している。
慶人さんの10歳以降の人生は、米国が占領し自由・平等を理念と
する米国型民主主義の時代である。
そこには、父一雄が体験した阿鼻叫喚の日常の地獄はない。
その意味で、私たちの多くは慶人さんの時代を前提に今がある。
大野一雄が生き抜いた近代とは、明治・大正の18世紀末から
20世紀にかけての大きな亀裂の近代と言える。
モダニズムの芽生えと断絶を経て、帰国後の大野一雄の真の人生
があったのだ。
慶人さん世代以降の現代とは、ある意味でそれ以前の近代化・挫折
をショートカットし、暗渠化された日常・平和を生きている。
昨年亡き父一雄に代わり、吉増剛造「舞踏言語」出版記念会で指人形
の一雄と共に見せた舞踏。
エルヴィスの「好きにならずにはいられない」の曲・詞・唄の舞踏
は、顔の表情と手だけで見えない父子の近代の陥穽を見事に埋めて、
父子の情を顕わにしたものだった。
そのエルヴィスの曲について、上記と同じ対談でさらなる展開を大野
一雄は語っていた。

 これからこういう舞台を演るのです。カムチャッカのヒグマです。
 ・・・・
 家は船を三艘持っていて、カムチャッカで漁業をしていました。
 ・・・・2,3年前に親戚の叔母さんからの手紙で、そこがどこ
 なのか知ったのです。ですからカムチャッカのどこに行って踊り
 たいかはちゃんとわかっているのです。
 ・・・・わたしはカムチャッカに行って、日本の人、それから
 ロシアの人に踊りをちゃんと見せて、交流しよう、お互いにつな
 がっていく力になりたいと。
 ・・・・
 そういうなかで、今度は「偉大なる神」プレスリー、「好きに
 ならずにはいられない」のプレスリー、こういう曲をいれて
 踊ります。

この対話では石狩―カムチャッカを繋ぐ鮭から羆を主題とする
生と死の熱い想いを語っていた。
石狩河口公演以降、稽古場でも使っていたというエルヴィスの
曲「好きにならずにはいられない」。
この時点で大野一雄の中で、あの阿鼻叫喚の日本・米国戦争は
国家・社会の位相から宇宙・地球自然の生命の境地に入魂して
いたと私は思う。
その深い転位は、きっと長い父子の間の陥穽も埋めたのだ。

大野一雄を、カムチャッカに行かせたかった。
そしてロシア人と先生のお父さん、お祖父さんと、プレスリーの
「好きにならずにはいられない」の曲に乗せた先生の羆の舞踏を  
見たかった。
地球大自然・宇宙の階(きざはし)のような石狩河口公演の後、
国家・社会を越境し、生と死を越境する、大野一雄の渾身の近代。
その狭間・界(さかい)に、米国ではないアメリカ・ランドが
垣間見える。

 反コロンブスはアメリカを発見せず
 非ジェファーソンは独立宣言に署名しない
 われわれのアメリカはまだ発見されていないと

            鮎川信夫「アメリカ」1947年7月

百年の近代を超えてきた優れたふたりのモダニズム。
そのふたりの近代が、現代の根として、眼として激しく交感し、
我々の現代の足元に在るのだ。

*追悼・大野一雄の近代展・三期ー8月18日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休:水・金曜日午後3時閉廊。
*斎藤周個展ー8月23日ー9月1日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2019-07-21 14:13 | Comments(0)
2019年 07月 11日

近代・百年の根ー大野一雄の戦後(8)

大野一雄百三歳の一生。
明治9年(1906年)10月27日函館市弁天町に生まれる。

一雄の忘れられない母・緑の手料理は、バターの香りのする
コキーユ(ホタテ貝柱のグラタン)だった。

と、「大野一雄百年の年譜」(フイルムアート社)に記されている。
そのように、函館は日本近代と共に育ったモダーンな港街だった。
大野一雄の近代とは、この母の作る手料理コキーユからすでに
体内化してあったのではないだろうか。
その近代の萌芽は、その後23歳の時帝国劇場で見たラ・アル
ヘンチーナの舞踏に強烈な感動を受けて発芽する。
日体大卒業後、横浜のミッションスクール関東学院に就職し
キリスト教の洗礼を受ける。
函館から横浜へ。
日本の開国と同時に開かれた近代を具現化したふたつの港街。
関西の神戸とともに、外人墓地があり、キリスト教会、ハリスト
ス正教会が建つ街だ。
大野一雄のモダニズム・近代の根は、こうした環境によっても
育てられたのだろう。
この時代近代化とは、西洋=欧米というコアが根を為し、そこで
ラ・アルヘンチーナの舞踏世界との出会いは、大野一雄にとって
決定的な人生上の志路となった。

人間は環境の動物である。
明治以降近代化の土壌で育ったモダニズムの根は、昭和に入り
1935年以降、日・独・伊の国粋主義の暗渠に埋もれその根は
国粋主義の排他的戦争・鬼畜米英へと呑み込まれた。
人間には大きくふたつの環境がある。
国家・社会という時代環境。
命として地球に存在する宇宙・地球環境。
このふたつの大きく人間を取り巻く環境で、個として大野一雄は
宇宙・地球環境に根を置く、生命の土壌に表現の場を見出した。
戦友の死、その多くの死者の魂を帰国途上、海中の水母の群れに
見た時、大野一雄のモダニズムは、人間以外の生命の生きる地球
・宇宙を環境・土壌として、再び舞踏の世界で深呼吸し生き返っ
たのだと私は思う。
戦後、国家・社会の環境は米国民主主義で装われ、発達した多彩な
社会インフラで死の影を消したかに見えるが、原子力爆弾を原子力
発電と言い換え、訪れたかに見える平和と安全は、真に命の環境、
宇宙・地球の土壌に根差す根となっているのだろうか。

大野一雄の舞踏には、宇宙・地球・生命の土壌に根差した真のモダ
ニズムが生きている。
”私がいつも想っている、命の根源に還って、という風景がここに
はあります・・・。”と、語った石狩河口公演終了後の挨拶。
その後稽古場でいつも流したというエルヴィスの「愛さずにはいら
れない」。
国家・社会を超え、宇宙・地球。生命に根差した大野一雄の本当の
近代の終わりと始まりが、この時あったように私には思える。

*「追悼・大野一雄の近代」展ー8月28日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休:水・金曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503







by kakiten | 2019-07-11 17:32 | Comments(0)
2019年 07月 06日

境(さかい)から界(さかい)-大野一雄の戦後(7)

ある時心に沁みた一滴の感動。
それは小さな流れとなり、感動の共感はさらなる流れを生み
生きる領域を結ぶ交感の流れとなる。
大野一雄にとってのエルヴィスは、かって国家間の戦争に拠り
隔てられていた父・子の10年の溝も繋いだと私は思う。
  
 私は十歳の時に初めて父親に会ったんですよ。写真の中でしか
 見ていなかったんですね。初めて会ったときに不思議な人だな
 あと思って。父親という感じがしないんですね。だからいつも
 父親じゃなくて、大野一雄、大野一雄と。だからお父さんと呼
 んだことがないんですよ。
  (2010年7月14日大野一雄追悼大野慶人発言から)

この対談は吉増剛造写真展「盲いた黄金の庭」冒頭に石狩河口公演
映像をバックに行われた。
この記録は昨年出版された吉増剛造「舞踏言語」(論創社)に、
「火炉の傍らに立つ巨人」として収録されている。
そしてこの本の出版記念2018年9月28日の会で、大野慶人
が披露した父一雄を指人形とした舞踏に私は深い感動を受けた。
エルヴィスの唄・曲・詞に逢わせる顔と手の表情すべてに、もう
ふたりの間を隔てていた戦争は消えていた。
言葉は無くとも、慶人さんは”お父さん”と呼んでいた気がする。
指人形という自分の指に、父一雄は身の一部として存したのだ。
たった3分間のエルヴィスと指人形。
この時慶人さんは、見えない心の日米国家間の戦争で喪われた時間、
それをとり戻したのだ。
舞踏する身と心が、エルヴィスの「愛さずにはいられない」の唄
・曲・詞に合流し豊かに流れていた。
ふたりの舞踏という心の源流。
国家や時代によって引き裂かれた父子交感の流れは、個の源泉・
源流として個によって生き、ふたたび個によって開かれている。
舞踏という身体の表現、身も心もひとつとなって、父・子の真の
界(さかい)を流れていた。

*追悼・大野一雄の戦後展ー7月28日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



by kakiten | 2019-07-06 15:13 | Comments(0)
2019年 07月 04日

舞踏:身も・心もー大野一雄の戦後(6)

23歳で初めて見たラ・アルヘンチーナの舞踏。
30歳にして江口・宮舞踏研究所に入所。
32歳次男慶人誕生後召集を受け兵役に着く。
中国、パラオ、ニューギニア戦線を経て敗戦。
オーストラリア軍の捕虜となる。
40歳で帰国、翌年江口・宮舞舞踏究所の物置を改造し住み込む。
42歳で横浜に家族と共に引越し。
43歳大野一雄舞踏研究所設立。

もう帝国劇場でラ・アルヘンチーナの舞踏に感動して、20年の歳月
が過ぎていた。
しかし閉ざされた心の源流の一滴は、再び流れ出す。
戦中多くの死者を見送り、帰国の船中でも戦友を水葬し見送った体験
は、舞踏という身体表現に深い想いという流れの力を与えたと思う。
多くの戦友を水葬する船上から見えた水母の群れ。
それを死者の魂の群れとして「水母の踊り」を帰国後ずっと踊った。
<想いは現実、現実は想い>という大野一雄の言葉は、<身も、心も>
ひとつとした身体表現の舞踏が、過酷な戦争現実を経て掴んだ源流から
の流れの力と思える。
一青年の心に宿った一滴の近代・モダニズム。
その一滴が心の森に深く蓄えられ、流れをショートカットし暗渠化す
る時代を超えて、ふたたび自由な流れとして時代の大河、世界の海へ
と流れ出す。
大野一雄の近代は、個として、身も心も舞踏に生きている。

国の戦後近代化は、米国のデモクラシーによって始まった。
近代化=欧・米化が鬼畜米・英で破綻し、40歳から始まった米国占領
の戦後近代日本。
かっての直接の敵国と向き合い、どこか重く沈む心の暗渠。
その見えない流れの内に、命の源泉に立つ海抜ゼロの石狩河口の舞台
はあったと思う。
この公演の後、エルヴィスの「愛ささずにはいられない」の唄・詞
・曲が、傍に存したのはある必然のように思える。
国家ではなく、ひとりの想いとして共感したのだ。
その時大野一雄の近代は国家を超え、個として<想いは現実、現実は
想い>という揺るがぬ魂となったと思える。

*追悼・大野一雄の近代ー7月23日(火)-8月18日(日)
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金午後3時閉廊

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



by kakiten | 2019-07-04 16:01 | Comments(0)