テンポラリー通信

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2018年 04月 20日

ふたたびの年ーランドへ(9)

私が初めて沖縄を尋ねた2009年は、今思うと不思議な
年である。
2月の沖縄、そして年末11月ー12月の目黒区美術館の
「’文化’資源としての<炭鉱>」展。
この展覧会は画期的な企画であり、学芸員正木基さんの渾身
の仕事であった。
この時1990年代続けたテンポラリースペース企画の夕張
を主題とした作家たちの展示が、会場の一角で発表時の儘再現
されたのだ。
その中のひとりが吉増剛造の「石狩シーツ」展であった。
その展示と吉増さんのレクチャーの為に私は目黒へと赴いた。
1994年石狩河口から夕張へと遡上した吉増剛造の記念碑
的この長編詩は、夕張炭鉱坑口<女抗夫さん・・・>の連呼
で終わっている。
吉増個人の近代そのものに対する深い苦悩から生まれたこの
詩が、あらためて炭鉱という近代を象徴する視座から脚光を
浴び現在の怪物君ー火の刺繍展の序走のような展示だった。
そして吉増レクチャーの打ち上げの宴席で、2011年から
始まった「石狩河口/坐ル ふたたび」展で再会する鈴木余位
さんとの出会いも生まれたのだ。
余位さんはその後毎年続いた吉増展の強力スタッフとなり、今や
吉増剛造には欠かせぬ人材となった。
そして今年2018年沖縄美術館吉増剛造展。
ふたたび私は豊平ヨシオさんと再会するのである。

近代と現代をどこで分けるかと問われれば、私は石炭と石油の
転換期にその境を求めるだろう。
石油化学資源が齎したビニール・プラスチックの消費資材は、
今や地球の海の死活をも握っている。
石炭が’文化’資源としての炭鉱展を開けるのに比し、石油には
大量物資消費社会に対応しても、文化としての独立性は薄い。
豊平ヨシオが見詰めた沖縄の戦後近代と風土の亀裂。
吉増剛造が3・11以降見詰めた戦後近代と自己の亀裂。
私の中では、このふたりのいる沖縄へ、ふたたび訪れる宿命の
序奏が2009年の初めと終わりに響いていた気がするのだ。

 *4月23日ー29日休廊
 *八木保次・伸子展ー5月8日ー20日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



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by kakiten | 2018-04-20 12:35 | Comments(0)
2018年 04月 18日

沖縄へーランドへ(8)

深い青に亀裂を入れた百余点のあの作品は
どうなっているのか。
10年前の豊平ヨシオさんの今が気になる。
電話して、逢いたいの一言を聞いた時から
もうこれが最後の訪問だろうと心に聞いた。
行って立ち会わねばならぬ。
吉増剛造の沖縄美術館展が呼び水となって、
2009年2月の沖縄が目覚めて来た。
あの時尾道の彫刻家野上裕之の鉛作品製造・
展示の会期中、二泊三日の日程で初めて尋ね
た沖縄。
そこで誰にも公開せずひとり刻み続けていた
沖縄の純粋な魂の色。
北の凍れる2月の白と鉛の空を抱いて私は
立ち尽くしたのだ。
今だからこそ、ふたたび行けるのかも知れない。

透析病院を手配してもらい、事前の健康チエック
を一日かけて点検する。
東京、栃木とは違う距離と時間。
闘病続く身には、今という一瞬が勝負だ。
来週、深く濃い沖縄へ。
トヨヒラ・ヨシマスーランドへ。

*4月23日ー28日休廊。
*追悼ー八木保次・伸子展ー5月初旬~

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2018-04-18 12:52 | Comments(0)
2018年 04月 12日

身体の感じる故里ーランドへ(7)

五体五感・身体に刻まれている風景というものがある。
幼少時の記憶だ。
私にはそのひとつが屋根なのだ、という気持ちがある。
冒険・探検・戦い・・・。
かって在った実家木造3顔建ての屋上物干し場から、
屋根沿いに隣接する家を乗り越え、端の家まで3軒
越えると広い2条通りで終わる。
こら~!と怒鳴られて泡食って自家の屋根に戻った。
もうひとつは2条通りと1条通りの仲通りの遊び場。
西野という材木屋さんの材木置き場の屋根を伝わって
2条通り、1条通りの腕白少年隊が対峙した事があった。
2条組が攻めてきて1条組は大きな林屋というお茶屋
さんの庭に逃げ込み、そこで白旗。
夜は酔っ払いの喚くオジサンに、屋根上から癇癪玉
という火薬弾をゴムパチンコで足元を狙撃した。
オジサンは怒って周りを威嚇する。
そして千鳥足で喚きながら去って行った。

仲通りと屋根通りが私の身体に刻まれた故里の記憶だ。
その屋根の上を時計台の鐘の音が渡っていった。
FBでシェアーされた福島・浪江の映像を見ながら
私の脳裏に遺る遠い過去の映像が、浪江では現実の風景
として広がっているのを感じていた。
外景は何も変わらぬ家並・通り・林・山々・・。
しかし其処には汚染解除にも拘らず、今だ一桁の帰還者
数の現実が拡がる。
時を経て遠い記憶として残る故里の風景が、時を消して
一瞬にして現実の内実が凍結するように、触れられない
生きた風景となった。
高層ビル群に覆われて人の記憶を食う都市風景が、自然と
ともに呼吸して来た2,3階建ての故里風景も同じ構造
で人の記憶を食って原自然群に覆われた故里にされよう
としている。
一方のビル群は経済発展・繁栄の証。
一方の原発はその燃料エネルギーの証。
どちらもが身体エネルギーを離脱したひとつの結果。

身体に刻む故里を喪う未来へ、我々は向かっているのか・・・。

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by kakiten | 2018-04-12 16:43 | Comments(0)
2018年 04月 03日

それぞれの故里ーランドへ(6)

福島泰樹の雑誌「月光」から賀村順治追悼特集に寄稿
の依頼があった。
過日死去の報に接してブログに記した文章を纏めてみる。
なにかまだ足りなくてぼんやり思考している。
そこに沖縄行きを請われた時の豊平さんの言葉を
思い出した。
「沖縄は観光と基地だけです・・・。
たくさん作品があります、私はただ眺めています・・
来て下さい・・」
見るのではなく、眺めていると聞いた時、行かねば
ならぬと決意した事を思い出していた。
沖縄に行き豊平さんの作品群の前に立った時、眺める
といった意味を板に叩き込まれた亀裂が埋まる百余点
の青い作品の前に納得した自分がいた。
沖縄の青い海・空。
それは見るではなく、眺めるもの・・。
そして同じように、沖縄の傷痕・心の空・心の海も観光
=見るではなく、ただただ刻んでいる。
あれは豊平さんの今の故里そのものなのだと思う。

 俺は帰れ胸の奥処の泥の温みその肉声の端緒の祖国
 (くに)へ

と死した賀村順治が謳った泥の温み・泥炭地の故里も背中
に涙を背負っていた。

 戦場へ
 行く早鐘のランナーの
 背中に涙あふれていたり

祖国とは何処か。
故里とは何処か。
豊平ヨシオの青い海・空。
賀村順治の泥の温み。
それぞれの身体を包んでいた<肉声の端緒の祖国(くに)>。
帰れと叫び、眺めると呟く、ふたりの足裏に広がっていた
土・海・・・。
ふたりの故里・国(ランド)だったのかも知れない。

最前列にして最後尾 背後には黒々と街の火
南と北のエッジが燃えている・・。

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by kakiten | 2018-04-03 14:45 | Comments(0)
2018年 04月 01日

10年前の事ーランドへ(5)

2009年2月初めて豊平ヨシオさんを沖縄に訪ねたブログ
を読み還していた。
二泊三日の短い旅ながら、濃い旅だった。
文章も溢れるように流れている。
同じ時間はない。
一期一会、私はその時沖縄の海、豊平ヨシオの作品を御嶽
(ウタキ)のように見詰めていた。
あれから10年、3・11が2011年にあり、吉増剛造の
「石狩河口/坐ル ふたたび」が、テンポラリスペースでこの年
12月に始まった。
そこから毎年ふたつの近代を隠された主題とする「ノート君」
「怪物君」「水機ヲル日」「怪物くん歌垣」「火ノ刺繍」と
吉増の新たな挑戦が今に続く。
それと併行するように2016年東京国立近代美術館2017年
札幌国際芸術祭、足利美術館今年4月沖縄美術館の個展がある。
この一連の吉増剛造と共にある流れの私の原点のひとつは、2009
年の沖縄・豊平ヨシオ作品との出会いにある。
甦る私の沖縄・豊平ヨシオの記憶。
吉増剛造個人との原点は1994年の「石狩シーツ」。
そして豊平ヨシオ個人との原点は2009年沖縄で出会った青の
彼の作品群。
このふたつの原点が、<ふたつの近代>の主題に包含されるように
沖縄で北と南の玄(くろ)い御嶽・カムイとなって待っている
ように思えるのだ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2018-04-01 14:51 | Comments(0)