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2018年 01月 28日

違いは拓くー紡ぎあう(4)

来週から始まる高臣大介ガラス展「紡ぎあう」。
この1年の経験がちらほらと彼の最近のブログに
顕れている。
その中で興味を惹いたのは、昨年彼が現地で経験
したフランスとアメリカの透明なガラスの違い。
フランスのガラスの色は少しブルーで、アメリカ
では少し黄味がかって感じるという。
無色透明なものにも地域差がある、というのが
面白かった。
空気の色、素材の微妙な相違、日本にない何か。
そしてそれを感じる感性。
話しは違うが、私が栃木・足利への道で感じた
都(みやこ)への道の新鮮な違いもまた、場所
の色の違いに通じているのかも知れない。
違いが区別・差別に陥らず、新鮮な発見と思える
時、少しだけ人は豊かになっている気がする。
区別・差別・分断・切り捨てのプロセスは、物化
した貪欲で貧困な感性である。
最新・最速・新旧の基準の故に、多くの物・現象
が捨て去られる時代だ。
違いは新鮮に拓かれる存在ではない。
フランスやアメリカほど大きな国の相違ではなく
とも、東北や北関東、さらに栃木・那須の国とい
った小さな国の相違でさえ、新鮮な違いが見えて
くる。
今回の高臣大介展のテーマ「紡ぎあう」とは、そう
した相違が新鮮な出会いを生み、相違が新たな世界
を紡ぐ言葉としてあるように私には感じられる。
透明という最も色彩から離れたものに、宿る光の空
気の色。
それを見詰める洞爺という極東の島の一地方に生き
る男が保っている透明感。
無色・透明もまた固有の色を保っている幸せ。
地球という星は、なんと豊かな場処なのだろうか。
物理的距離、物理的広さではない地軸の深さのよう
なものを感じるのだ。
アメリカでもフランスでもその国内にさらに新鮮な
透明感の相違があるのかも知れない。
北海道でさえ透明なブルーの相違が、オホーツクブ
ルー、シャコタンブルー、ウルトラマリンとある様に、
さらに人間ひとりひとりにも新鮮な相違として、小さ
く恋するように出会えれば良い、と思う。

3種類の透明なガラスに出会える事を楽しみに
高臣大介の<紡ぎあう>展を待っている。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-前期「器」1月30日ー2月4日
 後期「インスタレーション」2月6日ー12日(祝日):2月5日
 (月)作品入れ替え休み。am11時ーpm7時。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日ー3月
 11日。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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by kakiten | 2018-01-28 13:51 | Comments(0)
2018年 01月 25日

寄せて返す波・道ー紡ぎあう(3)

人は自然と対峙し紡ぎあい、故里という第二
の自然を創って来た。
荒々しい野生を、開墾し、耕し、住み、生産
し生きて来た。
土や森から様々な産物を紡ぎ出し、その産物
と人とが交流する市(いち)という中心が出
来る。
私が南那須大桶から足利市への道で見たいくつ
かの小さな直販所は、その原点のような場所
だった。
人はそこで、生産した物と人と出会い、市とい
う小さな社会、(みやこ)を紡ぎ出していた。
そしてさらに大きな市へ、小さな市はより大き
な<みやこ>と広がる。
那須の国の都、足利の街へ。
そんな小さな国の幾つもの都・市が広がり、国
家という大きな中心の地・首都に繋がっていく。
しかし人の心奥には、都(みやこ)と小さな国・
故里を繋ぐ路が生きている。
道は故里と都を往還し、人と物も身体の動脈
静脈のようにあったのだ。
紡ぎあうとは、人と人、人と物、人と自然の
交感しあう往還の行為だ。

今、時代は、繋ぎあう、交感する回路が磨滅
しつつある時代という気がしてならない。
片道通行で往還のない道が見える。
<移>(動)・<移>(住)・<移>(民)。
<移>の爪先、小手先の性急さが先走り尖鋭化し、
(動)(住)(民)の踵、故里が見えない。

私たちは、きっと心の難民の時代を生きている。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-前期1月30日(火)
 ー2月4日(日)・後期2月6日(火)-12日(月)
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
 -3月11日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
 





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by kakiten | 2018-01-25 15:24 | Comments(0)
2018年 01月 24日

花と根ー紡ぎあう(2)

林立するタワービル、漢字で書くと摩天楼の大都市。
山野に近く、低く疎らな人と家。
今はその風景の差異が当たり前のようにある。
しかし本来、都(みやこ)と産地(地方)の関係は
屋並みの高さではない。
地方という産地が人と共に産物を都(みやこ)に
集散地として結集して来た関係を言う気がする。
人が志と産物を抱いて集まる処(ところ)ー都。
根が凝縮して花となる処(ところ)ー花の都。
その花一輪がお花畑のように集結してさらに大きな
都(みやこ)がある。
那須の国の小さな一輪は、きっと足利。
そしてその向こうに江戸という大きな都がある。
従って本来都(みやこ)とは産地が底支えする根と
花の関係なのだ。
しかし現代はある時から、その関係性を都市が
地方を吸引する関係に変わってきている。
戦前の帝都、戦後の金の卵と称する中学卒業生を
持てはやした時代辺りから都市は地方を人的にも
産物的にも吸引する構造となって、都市自体も街
の裏通り仲通りの界隈性を喪失し続けてタワー系
の吸い上げる構造の街路に変貌して来た。
地方は大都市圏のエネルギー源ともなって、東京
電力の原子力発電所・東北に、関西電力の原子力
発電所・北陸に。
産物は大手スーパー等に集結しチエーン店で地方
各地に展開される。
吸収と分散。
高層タワービル構造と同じ吸収構造なのだ。
同じ構造で、都市という都(みやこ)は産地という
地方を人は労働力、産物は物資として吸収し続けて
いる。
都(みやこ)にも産地(地方)にも人の姿は消え
物流と情報が主導するメガロポリスーヒガロポリ
スー巨大大都市帝国圏があらゆる分野の構造体の
基底になりつつある。
人の代わりに電気エネルギーが支配し、孫悟空の
如意棒・筋斗雲と化しつつある。
その結果自然というお釈迦様は掌を広げ、自然の
野生という猛々しさを今、地球という掌(てのひら)
で現しつつあるのかも知れない。
都(みやこ)と産地(地方)が紡ぎあっている関係
が、その悲劇を回避する原則にあると思える。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日ー2月11日
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
 -3月11日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


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by kakiten | 2018-01-24 14:02 | Comments(0)
2018年 01月 19日

高臣大介ガラス展-紡ぎあう(1)

ガラス作家高臣大介の恒例の個展が月末始まる。
十数年前千葉から移住しきた俊才。
2012年冬、清華亭見えない泉をテーマに
琴似川源泉「ヌプサムメムー野傍ノ泉池」展を
鉄の造形作家阿部守とともに展示して、その後
この作品はライフワークのように今に続く。
泉の湧く水滴のような作品は、千本を目指す。
毎回百本を増やしつつ様々な空間を創って来た。
今回は「紡ぎあう」をテーマに新たな表現に
挑戦してくる。
この1年余は多くのドラマが彼の身に生じた
年月でもあった。
結婚、初の巴里郊外でのふたり展、そして優れ
たフランス人との友情ーパリ滞在制作個展ーア
メリカ滞在個展ー第一子誕生ーパリ滞在個展の
恩人の急死・・昨年2月ここでの個展はそ前年
死亡した友人太田ヒロ氏に急遽捧げられる個展
となったが、今回は余りにも多くの喜怒哀楽が
重なっている。
外部の環境に関わらず、常温で湧き出す泉の水。
そのように移住し心を開墾して洞爺の民となっ
た男の真の成果が問われている。

他人事ではない。
彼の<泉・池>を、共に見守りたいと思う。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日ー2月4日
 (前期)2月6日ー12日(後期):2月5日(月)休廊。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
ー3月11日予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2018-01-19 12:11 | Comments(0)
2018年 01月 18日

紡ぎあうー栃木・足利の旅(9)

かって小さな国がいくつもあって、中心に小さな都(集散地)
、周辺に地方(産地)が広がっていた。
そこを繋ぐ茎、幹のように道がある。
この道の往還には、人と物が一体となって流れている。
物だけではない。
人も志という心の往還も伴っていた。
都とは、人と物が凝縮し開く処。

何故こんなイメージが湧いたのか。
それは足利という那須国の都への道が豊かと感じていた
からだと思う。
カルチャー(耕土)があり産物が都に集結し花開く。
産地が根となり、茎となり、葉となって都で凝縮し花と
なる。
その道が一方通行ではなく、往還として感じられた。
今という時代は、その往還が分離し喪われつつある。
産物と人は物(商品)と人(労働力)に分断され、メガ
ロポリス圏に吸収され分散される構造だ。
人と物が紡ぎあうようにして都を目指し、人と志(ここ
ろざし)も都へ向かう。
それは吸収・分配ではなく、心と物の濃い抽出過程なのだ。
都のへの往路はかって<故郷に錦を飾る>と表わされたよ
うに、その還路も往路と分断ではなく地続きの道にあった。
その正当な回路の記憶が、南那須・大桶ー足利の道には
微かに息づいていた気がする。
鰻屋さんのご主人の川俣正、若林奮、農家の根菜・野菜・
果実に手作り人形、炊き込みご飯の粋込み。
これがそれぞれの都の香り。
裾野・中腹・山頂がひとつに繋がっているように、根・茎
葉・花が一体であるように、それぞれの心の都は耕土と繋が
って道も続いていた。

そうした初めての経験の中で見た吉増剛造展「涯の詩聲」は、
吉増剛造の10冊の詩集がそれぞれの産地直販所のようにあ
ってその耕地が関連資料で広がり、そして良寛・芭蕉・玉堂
から高村光太郎・石川啄木・吉本隆明等中世から現代まで遠
く近い世界も併存されて、吉増自身の都の感動のようだ。
吉増の生きて来た時代の紡ぎあう道が、この地に遺る道と遠く
近く呼応して、耕土(産地)⇔集散地(都)、根⇔花実、の美
しい往還を見せていたのだ。
ひとりの優れた表現者の道程とは、この古い道の様態と同じよ
うに、根、茎、葉、そして花・実と結実する命の正当な道程も
顕在化していたと思う。
「石狩河口/坐ル ふたたび」から、東北道・人の河口へ。
4月沖縄展は、近代日本の如何なるとば口が顕れるのか。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日(火)ー2月12日(月)
 am11時ーpm5時:5日定休。
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月下旬~

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by kakiten | 2018-01-18 15:23 | Comments(0)
2018年 01月 14日

銀河鉄道・剛造ー栃木・足利の旅(8)

足利市立美術館は足利市の都心、この界隈には珍しい
高層マンションと思しき建物の正面1、2階に在った。

50年を超える吉増剛造の詩作活動。
その代表的な詩集を時代順に初版本・草稿を展示し、
1989年代から始まる詩行を打刻した銅板、199
4年に夕張で生まれた多重露光写真も並ぶ。
そして作者に影響を与えた古今の詩人・作家・画家等
の実品も纏めて2階に展示されていた。
良寛、蕪村、芭蕉、浦上玉堂、石川啄木、滝口修造、
萩原朔太郎、若林奮、吉本隆明、高村光太郎、芥川
龍之介他総勢31人。
いずれも時代を超え吉増剛造に直接影響を与えた作家
たちの作品・手紙・写真・書・草稿等である。
個人的には高村光太郎の「手」の彫刻(これのみ1階
会場正面)、吉本隆明の詩集「日時計篇」直筆草稿を
見れたのがラッキーだった。
また浦上玉堂の画の実物の凄さ、良寛の書、島尾敏雄
とミホの交感書簡・葉書にも魅かれた。
詩集「黄金詩篇」の1960年代から2010年代今年
「怪物君」まで、それぞれの時代を代表する詩集本と
その草稿、そして多重露光の写真・詩行を打刻した銅板
・GOZOCINEの映像等が会場の流れを造っていた。
先に挙げた歴史的にも著名な作家たちの作品は、吉増剛造
の生きてきた時代の停車場、心の駅のように、珠(たま)
となってある。
吉増剛造の生きる同時代という銀河が、そのひとつ、ひとつ
の珠を繋いでいる。
古今の天才たちの断片が同じ磁場宇宙で瞬く、珠のひとつ。
この会場構成は、私の通った南那須大桶ー足利の道の究極の
産地直販所。
美術館は道の駅だなあ。
剛造銀河鉄道、道の駅。
そして剛造数珠宇宙を繋ぐさまざまな珠と同時代という糸の輪。

2011年12月「石狩河口/坐ル ふたたび」から始ま
った吉増剛造の道程は、ここ足利でひとつの宙を結んだ。
そして今年4月の沖縄美術館、その後の東京東涛美術館で
その輪・宙はさらなる膨らみを増す事だろう。
札幌の北の場末の小さなギャラリーから発した河の光は、
吉増剛造究極の産地直販所として、紡ぐように大きな輪、
大きな数珠となって宙に映え、先人アイヌの伝える石狩神話
のように川は天に映り銀河となっていくのかも知れない。

最終日トークに招かれた私は、銀河の浮かぶ空の位相を近代
と措定し、その道程を南阿蘇大桶ー足利の道に学び、話した。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日ー2月11日
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月下旬~

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2018-01-14 16:39 | Comments(0)
2018年 01月 13日

人という自然ー栃木・足利の旅(7)

人が住んでいる。そこで生きている。
そして風景があり、里、郷がある。

苗字が上に付いた2,3階建ての商店・会社が主流の街。
舗道に面し焼いてくれるクレープ屋さん、屋台の珈琲屋さん。
遠く近く垣根のような里山に囲まれ点在した田園の直販所。
空が広く小さな遊び心(ファイン)が、その宙に零(こぼれ)
るようにあった。
美術館でのトークセッションが終わり、老舗の鰻屋さんで
その日の打ち上げがあった。
蒲焼の焼き方に老舗の技が感じられる。
その時奥座敷の壁に飾られたふたつの作品に気付く。
現代美術作家若林奮と川俣正の2点。
帰り際お店のご主人に声を掛け、川俣さんの初期のイン
スタレーション・テトラハウスプロジェクトを札幌で
した者ですと告げると、”ああ、川俣も北海道だもな・・”
と軽く応え、”俺、こいつの好きなんだよ”と言う。
南那須大桶から足利への道沿い個人直販所の棚にあった
手作りの飾り物、並べられた収穫物を素材にした炊き込
みご飯の弁当、ゆずの甘露煮、そんな心の遊び、心のフ
ァインと同じものを、その時鰻屋さんにも私は感じていた。
ずっと道の上に広がっていた空と同じ、人の心の空。
それが活きる人の頭上にもある。
足利学校のような歴史的建造物のある街並みに、同じ
高さで生活する屋並みがある。
西洋風の近代的な建物も、何故か無邪気で可愛らしい。
こんなのも、好きさ、良いべや・・・と、住む人の言葉
が聞こえる。
しっかり今を生きるひとりの人間の生の内から発した彩り。
産物・収穫物・調理・建物・工芸・・・物と人が寄り添
い同時代のキャッチボールをしている。
だから頭上にいつも空が広がぅている。
挟む具材を選び焼き立てを頬張りながら歩いた昼のク
レープ屋さん。
屋台の中で挽きたて珈琲を飲んで談話した夕暮れの珈
琲屋さん。
里山ー直販所、街ー店、
どちらも人が人の高さで、空は羽ばたく頭上にあった。
電機ベルトコンベアー主体の尖鋭な消費物流都市構造
とは違う人と物のヒューマンスケール・尺度が活きていた。
そういう東京・江戸の道を感じていた旅だった気がする。

掌(たなごころ)の近代。
掌(てのひら)が包(くる)んでいた近代。

私は私の、サッポロを想う。
そして吉増剛造という究極の産地直販所を訪ねた。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日(火)-2月11日(日)
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月下旬~3月上旬

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2018-01-13 15:04 | Comments(0)
2018年 01月 09日

近代という故郷ー栃木・足利の旅(6)

僅か二泊三日の滞在だったけど、南那須大桶から足利まで
車で2時間6回の往路還路で感じた小さな旅は、私には近・
現代を裏打ちして背骨を伸ばしてくれるように遇った。
中世・近世の蓄積の乏しい北海道札幌との比較にその要因
はあると思う。
私の日本近代への視座は、生まれ住む札幌という都市の
視座から発しているが、祖父の代から3世の移住者末裔の
視座でもある。
祖父の故郷福井で感じた軽い違和感を思い出す。
苗字にある森の相違。
森ではなく杜(モリ)と感じた事。
そこに自然世界と人間社会の長い融和の時間を感じた。
札幌で生まれ札幌で死んだ父が遺した唯一の絵画がある。
それは森の大木と洋館と思しき建物の絵だ。
あの融和の対比こそが、札幌という都市の保つ近代とい
う基盤と私は思う。
150年前まで大自然・原始林が支配したこの地に移住
した人たちが開墾し開拓して生まれた都市である。
足利に至る東北道の里山・故里の長い自然との融和の時間
はここにはないのだ。
日本の近代化はそうした相違に関係なく時代として普遍
的に存在した。
その功罪を近代そのものの内側から、そして長い歴史の
その土地固有の前近代の内側から、というふたつの視座を
保つべきだと、足利への道は教示してくれた気がする。
実感としてである。

足利市立美術館吉増剛造展「涯の詩聲」は、そうした札幌
・近代と東北文化に繋がる中世近世日本・自然と近代化の
交叉する地点で開催されていたと思う。

*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日(火)ー2月11日(日)
*鈴木余位×村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月20日ー3月4日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2018-01-09 15:22 | Comments(0)
2018年 01月 06日

あいだの部屋ー栃木・足利の旅(5)

栃木・足利の旅をゆっくり総括するように記しながら、
その間に正月2日から7日まで岡田綾子展が始まった。
初個展である。
11年前今の場所に移転し5月に再開したテンポラ
リースペース。
最初展示を飾ったのは、ガラス作家高臣大介展、そし
て街を透視する藤谷康晴のラデイカル絵画、その後が
北大生の俊英村岸宏昭、今は伝説の「木は水を運んで
いる」展だった。
その村岸が、展示終了の2週間後旅先の高知の鏡川
で遭難溺死の一報が届いた時一番最初にテンポラリー
に駆け付け休廊で閉じたシャッターの前で泣いていた
のが岡田綾子だった。
その可愛らしい背の高い少女が今、結婚し初の個展を
開いている。
作品は手縫いのヒト、トリ、モノ、カタチが様々な
色の布を折り合わせられ、置かれ、吊るされ、跳んで
時にユーモラスな暖かい不思議な作品空間を出現させ
ている。
友人の不意の死の報に旅の途中から折り返し、個展
の記憶のまだ生々しいこの場所へ真っ先に駆け付けて
泣いていた少女も結婚してホームを作ったんだなあ、
と、ふっと思う。
南那須郡大桶から足利へホテルから5、6回往復した
道に綴られていた集落、村、町を、広く、近く、遠く、
囲む垣根のような柔らかい山並みを想い出していた。
あの風景もまた人間社会のホームなんだなあ・・・と。
野生自然と人間社会の間を保つ柔らかい自然。
ひとりの人間もまた世間という社会に対して同じ構造の
界(さかい)、間(あいだ)を、柔らかな緩衝ゾーンと
して創り、保つ。
岡田綾子展のタイトル「metamorphosis-
あいだの部屋」とは、彼女が今獲得した社会と自己の間、
ホームという里山が反映しているのかも知れない。
社会的存在でもあり同時に生物として自然的存在でもあ
る人間は、世間という環境社会に対しても小さな心の里山
=ホーム(家族)を創って生きていくのだ。

栃木・足利の旅をまだ遠く推敲しながら、そんな事を
思っていた。

*岡田綾子展「metamorphosis-あいだの部屋」
 1月7日(日)まで。
*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日ー2月12日
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花・・傍(かたわら)に」
 2月中旬~吉増剛造「火の刺繍」響文社刊行に添い展示。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2018-01-06 13:15 | Comments(0)
2018年 01月 02日

数珠の珠のような・・ー栃木・足利の道(4)

ひとつづつの村落が固有の産物・作物を人と一体になって
数珠の一つの珠のように繋がっている。
繋がる糸は道。
輪は国。那須の国。
私の2泊3日の道程は、そんな那須の国の旅だった。
足利市はその都。
取り巻く自然の山々も珠の縁取り。
あんな優しい山々の連なりを見た事はない。
住む人と山並みもまた数珠の一部だ。
そうした道程を経験しつつ足利市美術館の吉増剛造展
「涯テノ詩聲」があった。
2011年3月11日大震災からスタートした「石狩河口
/坐ル ふたたび」-「怪物君」ー「火の刺繍」に至る
7年間。
吉増剛造の数珠の国。
吉増剛造の究極の産地・心の直販所。
私が先ず一番最初に見たかったものは。今回特別展示
された高村光太郎の手の彫刻だ。
吉本隆明が1950年から1年半かけて毎日印した
詩集「日時計篇」をベースに吉増剛造が戦後近代に
心身かけて向き合う3・11以降の仕事があった。
併せて私の心中には、同じ年から7年かけて吉本隆明
が書き記した「高村光太郎論」があった。
そして今回初見参の高村光太郎彫刻の代表作「手」の
実物に深い興味があったのだ。
思ったより大きな実物作品は、会場1階の展示室正面
に置かれていた。
他の特別展示作品芭蕉や良寛等の書や絵画は2階にあっ
たが、高村作品のみは単独で1階にあった。
そして手の鋭くも美しい姿、しかし同じ姿勢でいる事
の苦しさ、無理さは、見る前に感じていた事と同様だ。
欧州留学中ロダンの彫刻に魅せられたという光太郎。
ロダンの筋肉を際立たせる表現に生身の手は短時間しか
保てない無理がある。
代表作「考える人」のポーズも然りである。
その事を確認したかったのだ。
吉本は光太郎の近代、仏師彫刻家父との対決・葛藤を
この欧州留学経験との対比で解析している。
そして理想と生活の一致を志した光太郎と妻智恵子の
実生活の無理が智恵子を狂わした大きな要因と分析している。
手の彫刻は美の理想と実の身の無理さにおいて彫刻の智恵
子抄なのだと私は思った。

翌日吉増さんとのトークセッションで、私は栃木・足利の
道程と彫刻「手」の話を枕にした。
私なりの「道程」「智恵子抄」を、高村光太郎の近代を解析
した吉本隆明に擬え吉増剛造展の枕にした積りである。
広く日本におけるふたつの近代をテーマに私は私の素で話した。

*岡田綾子展「metamorphosis-あいだの部屋」
 1月2日ー7日:am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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by kakiten | 2018-01-02 15:38 | Comments(2)