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テンポラリー通信

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2015年 03月 04日

旅立つ人ー歩行(5)

短い旅、長い旅。
それぞれに旅立つ人がいる。
昨年春大学を卒業した瀬戸君が1カ月ぶりに来る。
アメリカへ演奏旅行で旅立つはずだったが、メンバーの
ひとりが体調を崩し延期になっている。
在学中も年に一度はアメリカ、インドなどを訪れていた。
卒業後も海外でジャズヴォーカルとギター演奏を続けて
生きたいようだ。
後から大学を中退し美容師の道を選んだ大塚君が来ると言う。
まもなく来た大塚君は10日後東京へ就職するという。
見習いも兼ね現場で修行という事だ。
10年は札幌に帰らないと言った。
実家が美容院なので10年後には家を継ぐのだろう。
最初の給料で第一作品集を出すのだ、と言って初稿のコピー
を置いていった。
「航海する雪」と題された詩集である。
彼は詩人で今までも多くの詩を発表している。
故郷を発つ前に一冊に纏めたかったのだろう。

 人は雪を雪として認識できる
 意識の外側には確かに
 溢れるほどの木漏れ日があるというのに

山田航さんは京都へ、竹本秀樹、藤倉翼さんは展示でニューヨ
ークへ、とみんななにか大きな転機のように旅へと出ている。
そういう時期なのだろうか。
人の動きに春の蠢動がある。
短い旅も長い旅も折り重なって春が近づく。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-03-04 14:56 | Comments(0)
2015年 03月 03日

三寒四温ー歩行(4)

今日は少し春めいて日が射す。
昨日は一時米粒のような霰が隙間無く降り注ぎ痛いほどだった。
帽子を深く被り、身を固くして前方斜めに歩いた。
三寒四温どころか、六寒一温だと呟く。
しかし今日は風に寒さは残るも陽光は暖か。
路面は融けて黒く濡れている。
三月・弥生。
北国では冬の後半・冬の末。
5月まで雪は消えない。
地球温暖化で以前程の冬の年・夏の年のような端的な二季感
は薄れてはいるが、やはりここの春は遅くて短く激しい。
長い冬が続く。

次回展示予定の高向彩子さんと打ち合わせする。
予定したタイトル「汽水」を変更したいという。
タイトルのコンセプトに縛られるのが気になるようだ。
初めての個展ゆえにナイーブになっているようだ。
書と絵画の作家なので、伝統的なものと今を生きる現代人の
感性が振り子のように揺れている。
タイトルは淡水と海水の交わる水の状態を表す言葉だ。
彼女自身が今精神的に現代と伝統の交わる汽水の立場にいる
のだろう。
そこを自覚し踏ん張って欲しい。
そう提言した。
海水と淡水をふたつ見詰めるのではなく、汽水そのもとして
自らを表現する事が必要だ。
分別・区別ではなく渦中・界に身を投じて表現する事。
それが現在にも過去にも束縛されない今そのものの現在の
自分だからだ。
コンセプトをタイトルにして展示をする事に窮屈さや近代性
を感じているのは、伝統的な書画のタイトルにはないから
と感じたからと言う。
確かにコンセプチヤルなタイトルではなく、紅梅図のような
描かれた素材そのものを表わす画題がほとんどかも知れない。
でもその作者が描こうとした本質には、明確なコンセプトが
意志されている。
ただの紅梅図ではないはずである。
どちらにせよ、「汽水」が今回の描こうとする主題なのだ。
個展前の揺れる心そのものが、心の汽水である。

真っ直ぐ強くナイーブな高向さんらしい。
心の三寒四温、北国の春・青春だなあ=。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2015-03-03 13:23 | Comments(0)
2015年 03月 01日

若い友人の眼ー歩行(3)

山田航さんが現代詩手帖3月号に昨年末から今年1月に展示
した吉増剛造展評を書いている。
その文章の半分以上が私の事と私と吉増さんの交友の考察
に当てられている。
<インターローカルのために>と題されこの言葉がふたりの
キーワードとして論じている。
しかしまあ、知らぬ間にこの若い友人は良くみているなあ、と
いうのが偽らざる正直な感想である。
僅か数年にも満たない付き合いだが、私や吉増さんの深部を
その鋭い眼差しは、しかっと見抜いてもいる。
何故吉増剛造が毎年年末年始にかけて札幌の場末画廊で個展
を開いているのか。
その訳を私自身の生き方の深部・札幌と吉増さんの表現の底
に在る横田基地の存在とを日本近代の中のアメリカという位相
を重ねてふたりの奥多摩・北海道という地方視座を<インター
ローカル>軸の共有として論じているのだ。
私の都市論の基底にあるのは自身の体験・経験に基づく札幌
論であり、そこを通底するものは実のアメリカと入国した近代
特に戦後日本のアメリカである。
政治上のアメリカというより、文化の影響としての虚・実の
アメリカだ。
北海道自体が日本の中のアメリカあるいは欧州のように位置
され、それ故のモダニズムも新天地としての近代日本の夢を
育む要素が潜んでいる。
帝国主義の側面がアメリカにあるように、北海道も道都札幌
もそうした日本国内植民地の要素もある。
しかしそれだけがアメリカも北海道と札幌も全てではない。
アメリカに寄せた多くの移住者の夢の位相、北海道に寄せた
日本の夢の位相。
そこに虚と実の思想・文化の問題が横たわっている。
その問題は占領・被占領といった政治国家の問題ではなく
生活上の実の問題として見詰めていかねばならない。
遠い歴史を振り返れば、いつも人類はそういした占領・被占領
を繰り返し、文化を創造してきたからだ。
国宝の仏像たちがその証人である。
弥勒菩薩は朝鮮半島の半跏思惟像の日本的純粋化だからである。
政治や経済とともに文化もまた流入してくる。
そしてそれがそこ独自の変化・深化を遂げる。
明治から百有余年。
日本も北海道ももう近代から脱して、沁入した外のアメリカを
内なるアメリカとして再生・基底としなければならない時と思う。


 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-03-01 16:53 | Comments(0)