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2013年 07月 17日

都市論としてー道程・文月(13)

河田雅文さんのCaballeroスペースに行き、その場所の
保つ雰囲気が、都市の余剰と自由の部分に属している
と感じていた。
碁盤の目で格子状のデジタルな街。
その仲通という存在は、いわば大路に対して余剰の部分である。
そこに自由が芽生える。
大路が街の本質であるなら、中間の仲通・小路はそこに住む人
間たちの実体の息づく場である。
私の街体験からいうと、仲通は子供の遊び場であり仲間達との
出会いの場でもあった。
長じても仲通には喫茶店や蕎麦屋や居酒屋などがある大人の
遊び場でもあった気がする。
そうした街仲通が表通りの大路に対して、集う人間を受け止め
ていた実体があったと思う。
本質は格子状の直線で仕切られた街路だが、そこに余剰として
裏通り・仲通が生き、自由な界隈というゾーンを生む。
都市の自由という現象は、仲通・裏通りという実体に支えられ
ながらも本質的には直線の格子によって支配されている。
河田さんの今回の”ZO”展会場のあるビルの位置は、正にこ
の仲通・裏通りという余剰と自由の狭間に在る。
仲通の間口の狭い古い7階建てのビルの一室。
そして7階にテラスのあるジャズ喫茶店。
大路にはない小路の裏町が保つ余剰空間の自由なのだ。

私が今展示中の佐佐木方斎さんの3部作「格子群」「余剰群」
「自由群」に感じていたものは、この三段階の都市論として
純粋抽象化されたものである。
作家本人は数学の概念からこの3部作のタイトルを考えたと
語っているが、私にはこの三段階の展開は都市の問題として
感受される。
そして哲学の認識論である現象ー実体ー本質の三段階理論と
重なってくる。
さらに自分自身の街体験の生まれや経験とも重なって感じる。
そうすると「余剰群」は仲通・小路となり、そのゾーンから
街の自由が生まれる。
しかし本質は直線で仕切られた都市が顕われてくる。
さらに都市化が進むと実体としての住民は消えて、仲通・裏町
・小路も物流の搬入通路へと変貌して、トラックの停まる本当
の裏通りになってゆく。
つまりは本質である直線で仕切られた大路の純粋な脇でしかな
くなるのだ。
都心の夜の静寂を思うが良い。
余剰も自由も消えて、シンとした大路の直線だけが存在する。
そして昼はショッピングビルの商品搬入口として殺伐として
いる。
数学上の純粋概念は別にして、私が感じる都市論としての
3部作の展開は「格子・余剰・自由」群はそのように在る。

格子の直線デジタル市街地からいかに余剰を自由として溢れさせ
街を活き活きとして取り戻せるか。
小樽の場合には直ぐ傍に広がる海という自然の存在が、決して
直線化する格子群を本質として存在させ得ないものとしてある
から、札幌とは違った都市の構造を保って発展したのだろう。
それが今展示中の一原有徳さんの鏡面ステンレスの作品にも
反映してあると思える。
直線はそこで曲がり歪んで映し出されるのだ。
そして小樽は坂の多い街である。
起伏が多く直線は馴染まないのだ。
従って余剰群と自由群が主流となる地形でもある。
かって小樽が商都として栄えたのは本質が余剰と自由にあるから
とも思える。
一方札幌は内陸の扇状地として拓かれ、計画的に碁盤の目状に
造られた。
従って官と農が主体の管理空間でもある。
つまり格子群の街なのだ。
そこから余剰と自由を如何に生み出すか。
それが札幌に課された文化の質の問いである。
実体は格子群の直線に支配され、辛うじてあった仲通文化も
都心では消えつつある。
今や河田さんのCaballeroの一角にその挑戦を感じる
だけのように思える。
瀧口青年の夢を育んだ余剰と自由の小樽の街角は、札幌でも
可能であるのか。
河田雅文さんの瀧口への想いが乗り移った展示は24日まで
続く。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballeroー札幌市中央区南1条西1丁目2番地大沢ビル4F
 tel09076401305

by kakiten | 2013-07-17 12:58 | Comments(0)
2013年 07月 16日

出口も入り口ー道程・文月(12)

車のコマーシャルだったけど、トンネルに入って外が見え、
あれは出口と、タケシが言うとドラエモンに扮した外人が言
う。いや、あれは入り口だよ、と。
ドラエモンの何処でもドアーのパロデイーだが、これが妙に
心に残っている。
そうだよなあ、出口は同時に新たな世界への入り口。
入り口と出口が均しく結びついている回路は物流の道で、
そこで世界は完結はしない。
入り口がいつも新鮮に存在するという事は、身体に置き換え
ればいうも美味しい食べ物を口に入れるようなものだ。
それは出口とは直結しない。
美味しいと感じて胃も活性化し、腸も蠕動する。
栄養が吸収され生きる活力が生まれる。
呼吸もそうだ。
吸って吐く呼気と吸気の間に新鮮な酸素が吸収される。
呼気と吸気は直結はしない。
呼気と排泄の事だけを取り上げれば、身体もまた食料と空気
の物流体と化す。
良い呼吸法とは深い呼気から始めると聞いた事がある。
すると自然に深く息を吸う。
呼気・出口が深い吸気・入り口の序奏なのだ。
するとここでも出口が入り口へと連鎖する。

何故こんな事を考えるかというと、出る事ばかりが入り口に
対して結果として求められる事の多い現状があるからである。
それに反抗しているのか、身体が出る事を拒否しているようで
心も身体も排泄不良気味だ。
深夜、ひどい閉塞感に襲われる。
窓を開け、ヴェランダに出て外の空気に触れる。
この程度の暑さ・湿度で気が滅入るなら、本州のどこかなら
自閉症に陥ってしまうだろう。

からっとしない曇天の湿度高い日。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北15条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am11時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目2番地大沢ビル4F
 tel09076401305

by kakiten | 2013-07-16 12:23 | Comments(0)
2013年 07月 14日

帯広からー道程・文月(11)

夕刻帯広からふたりの作家が訪ねて来る。
いつもだと居酒屋へ直行なのだが、この日は”ZO”展
会場へ。
会場に着くと先客がいて、旧知のTさんだった。
吉増さんの札大特別講義の時代学生だった人である。
札大記念イヴェントで夕張から石狩河口まで、大々過去の
石狩川を辿るテーマで共に案内役を果たしてくれた。
その時何度目かの同行者に今回の”ZO”展の河田さんや
東京多摩美の石田尚志さんがいる。
久しぶりの出会いで話が弾んでいると、帯広のふたりは
河田さんとの話に熱中している。
シュールリアリズムの経験が共通する作家同士は、展示品
のひとつひとつの説明に目を輝かしていた。
デュシャンの貴重な蒐集品が河田さんの彼への傾倒と今回
の展示の核を構成している。
聞けば展示最終日の7月24日は、デュシャンの誕生日と
いう。28日が命日だそうだ。
不思議な巡り合わせである。
当初小樽の瀧口修造展に合わせて会期を考えていたものだが、
吉増さんの大草稿が小樽展以降に展示となったので、会期が
自然と後ろへ延ばされたのだ。
まるでデュシャンの日に合わせるように。
そしてこの日も大きな橇の上で、大草稿の塊りはゆるゆると
幸せそうに橇の上に鎮座している。
デュシャンのレデイメイドの3体のビン乾燥器に引かれて、
夜な夜な夜空を疾走っているのだろうか、大草稿・隕石君は
誠に幸せそうに見える。
積もる話に未練を残しながら、その後7階の喫茶室へ向かう。
蒸し暑い日だったので、テラスの椅子に座り冷たい飲み物を
頼んだ。
眼下にビル仲通の光景が広がり、目の先すぐ上にはTV塔が光
り輝いている。
室内とはまた違う都市の峡谷である。
以前来た時は室内で、オーデイオが豊かな音量を響かせ、椅子
は深く沈んで時間がゆっくりと流れていた。
このテラスは外の仲通に面していて、ビルの狭間の風の流れる
気持ちの良い空間である。
帯広にはこんな所はないなあ、とふたりがつぶやく。
4階の”ZO”展一室とこの7階の喫茶室は、この古いビルが
もつ都会レトロの空気なのだ。
小樽から札幌へ、瀧口さんも吉増さんもデュシャンもなにか
本当に幸せそうな気がして、夜な夜な3頭のイヌに引かれて橇は
夜空をワインとオリーブを持って飛んでいるような気がする。

札幌ー小樽を見えない回路で結んだテンポラリーの回廊を経て
飛翔する魂の綿毛のような、瀧口オマージュである。
ZOさん、ZOさんと招く声がする。
ねえ、ヨシマスさん・・・。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目2番地大沢ビル4F
 tel09076401305

by kakiten | 2013-07-14 12:21 | Comments(0)
2013年 07月 13日

ローズセラビー大通りー道程・文月(10)

一日ダウンする。
自転車に乗っている時は大丈夫だったが、じっとしていると
ぼうっとなる。
椅子に横になって少し眠る。

河田雅文さんから補足のメールが来る。
先日の「ZO展に行く」のブログについてだった。
シュールリアリズムとの出会いは、英国へ行く前に東京のTSA
の学生時代澁澤、四方田、丹生の各先生の講義を通して触れたと
いう。
なかでもデュシャンに傾倒し、彼を通して瀧口修造を知った。

 心情はメノウが星のように床に散らしたうえに、三体のイヌ役(デュシ
 ャンのレデイーメイド:ビン乾燥器・・)が草稿を載せたゆりかごか、
 古代エジプトの死者の舟のごとく黄泉と現世を往来する、ようにも 
 見えます。
 夜な夜なこれに乗ってM・デュシャンや瀧口先生がオリーブとワイン
 でやってくるといいなあ~。
 もし瀧口氏が今にオブジェ店を持ったなら、in ローズセラビー
 大通り支店

そして、英国・パリから帰国した吉増さんからもFAXが届く。

 秋涼のごとき英国、4日から巴里経由・・空気が沸々とにゆるがごとき
 秋津小島に戻り、倒れ伏すがごとしでした。
 今朝・・・途上で・・Iーpad3を直してもらいまして、先ず7/10
 の「ZO展に行く」に接すること叶い・・・小樽行がこのような”シュール
 の大道”に結実されましたことに、敬愛のこころを抱いていました。
 ・・・・
 瀧口先生もさぞ喜ばれていることでしょうことと、・・武満徹さんも、・・
 もとこの”大道”は伸びていきおりました。
 古イシカリノカ(香の河)へですね。
 中森さん、河田さん、村上さん。敬意とともに。
 大急ぎの剛ゾー、hi。

<シュールの大道>と吉増剛造さんから太鼓判を押されて、河田さんも
大満足かと想像する。
猛暑の関東を逃れて、少しは涼しい札幌ローズセラビーまで足を伸ばし
ては如何でしょうか、ヨシマスさん?

遠くから声が届き、励まされてまた進む。
やはり遠いRさんSさんの暖かい掌にも背中押されて、前を向く。
感謝しなければならない。
小樽から発信した遠い時代の瀧口青年の夢、それが時を超えて今小さな
結実を見せている。
それぞれの瀧口体験がそれぞれの主題として、次なる時代の種となる。

夏風邪もどこかへ飛んで行ったなあ。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目2番地大沢ビル4階
  

by kakiten | 2013-07-13 11:54 | Comments(0)
2013年 07月 11日

夏風邪ー道程・文月(9)

湿度も気温も急に上がって、疲れが出たのか、体力が落ちた
のかくしゃみが止まらない。
夏風邪の前期症状・・・。

友人知人の何人かが”ZO”展に行ったようだ。
概ね好評のようでヨン様ならぬマサ様もご機嫌である。
西脇順三郎ー瀧口修造ー吉増剛造というシュールリアリズ
ムの本流に掉さして河田雅文さんの今回の”ZO”展もある。
日本の西洋経験が下駄から靴へと輸入され根付くように、モダ
ニズムの思想もまた根付いている。
西洋思想の焼き直しや模倣ではなく、日本的な風土との格闘
を経て真にシュールレアリズムが超現実足り得るか。
それを河田さんの個的フイルターを透して定着が図られている。
少し大きめの犬橇にあの大草稿の塊りがふたつの束にして無造作
に置かれているのもその象徴と思う。
床には石狩ウエン浜で採取した瑪瑙が散乱しているのもそう
である。
他にもさり気無くこの札幌・石狩の自然がシュールレアリズムの
資料と共に会場を象嵌されている。
積まれたファイルの中には、10年以上前共に歩いたパラト街道
の資料も入っていて、それらが雪舟の山水画にコラージュされて
いた。
この山水画の構図を骨格にして、篠路の銀杏の大樹や西南部奥
の奥三角山に在った戸谷成雄の木彫作品「雷神」などがコラー
ジュされている。
これもこの地で河田さんが経験した風景のひとこまである。
つまりは橇(そり)も瑪瑙もこの地の自然風景の象徴であり、
パラト・元村街道の風景もそれと同じ位相にあるものなのだ。
その地を土壌として彼のシュールレアリズムを懐胎している。
私と雅様の接点とは何か、と問えばこの土壌への目線、風土へ
の視座が接点となる事だろう。
風と土という本来相反するものが、風土として一体化した時
シュールレアリズムもまた風土として風の位相から土へと同化
する。
近代のモダニズムはまだ生きてその増殖をこの地に根付く綿毛
のような乱舞を終えてはいない。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目2番地大沢ビル4F
 tel09076401305

by kakiten | 2013-07-11 14:33 | Comments(0)
2013年 07月 10日

”ZO”展に行くー道程・文月(8)

昨日から展示の始まった”ZO”展を見に行く。
展示前に初めて訪れて、今回二度目の訪問である。
雑然としていた前回に比べ、この日の雑然は質が違う。
見事な雑然とでもいうか、河田雅文の全てが入った入魂
の雑然といえる。
かって20代で英国に留学しシュールリアリズムに傾倒した
様々な資料がさりげなく置いてある。
そして会場のほぼ中央に犬橇が置かれてその中に吉増剛造
の大草稿の大束が積まれている。
瀧口修造「星と砂と 日録抄」の掲載された「草子1」は
横の机に立てて置かれ、その横のモニターからは武満徹作曲
のvoiceが流れていた。
ある時には吉増さんの「石狩シーツ」の朗読CDも流れ、この
日は後で私の持参したGOZO CINEの映像を流した。
そのほかの展示の様々なものについては、うまく説明は出来
ない。
ファイルひとつにもこれまでの経験が作品のようにコラー
ジュされて収録されているから、どれもが河田曼荼羅の宇宙
なのだ。
瀧口修造の夢の店のような、河田版夢の店である。
そこではふたつの”ZO”も河田ワールドのひとつになって
いる。
都心の古いビルの昼も日の射さない時の消える一室に、修造
も剛造もシュールでモダーンでどこかレトロな超現実な世界
を形成する要素となっている。
ここは河田雅文の今までの蓄積がすべて積み込まれた宝部屋
なのだ。
この室内形象は河田さんでなければ、またこの場の空間でなけ
れば出来得ない河田さんの瀧口・吉増経験空間である。
ふたつの”ZO=造”は、河田経験を濾過して、ひとつの”像”
空間となり、多分札幌ではこの場でしか生まれ得ない夢の超空間
となったと思える。

郊外の光差すテンポラリースペースの小樽・札幌を俯瞰する
ふたつの都市風土の展示と都心の古いビルの時の止まった
ような熟成した密室のシュールレアリズムの骨髄のような
瀧口・吉増体験を重ねる。
空間の差異がふたつの場の”ZO”の影を重ねて、より深く
瀧口修造と吉増剛造の幻想世界を広げてくれる事だろう。

私と河田雅文さんの吉増剛造を介した小樽・瀧口修造展への
旅は、こうしてそれぞれの小樽・瀧口体験として札幌で象ら
れてきた。
吉増さん、ありがとう。
小さなご報告です。


*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目2番地大沢ビル4階
*Temporary-photoと山里稔の世界に写真掲載。

by kakiten | 2013-07-10 13:22 | Comments(0)
2013年 07月 09日

風止んでー道程・文月(7)

いろんなものが底をついて、風も絶えて蒸し暑い日。
遠くから声が届き、小さく総括。
私自身もう子供でもないのに、私も<バグ・チルドレン>。
この<バグ>とは、時代の余計者、無用の人。
その存在に<さよなら>と言い得るのは、小さく個人的な
出立なのかもしれない。

 さようならと総括
 私はあなたに詫びるつもりは毛頭ありません。
 ・・・・
 そして二年半もの間、私は努力を試みながら、全く
 その努力は互いの生きる場の相違を確認し合う役目
 しか果たしえなかったことを知り、私は自分の無能
 さに気づきました。

       (奥浩平「青春の墓標」 中原素子への手紙)

相違が別れとして在るが、もうひとつの相違は惹きあう磁場・愛
としてこの手紙は書かれている。
<さようならと総括>とは、そのふたつの相違の激しく柔らかな
優しさに満ちている。、
<総括>は他者との断絶であり、<さようなら>は他者への愛で
ある。
しかしここには出発の位相がない。
別れが出発であり、その別れとは死への旅立ちでもある。
断絶の死への遠い眼差しが他者へと投げかける優しさなのだ。
山田航さんの<さよなら バグ・チルドレン>には、そんな死の
サインはない。
この<さよなら>は見方を変えれば、生のスタートのサインでも
あって死への助走ではないからである。
思想もまた故里であり故郷である。
思想という<里><郷>を保つ故(ゆえ)、それを共有出来得な
い断絶が、奥浩平の時代には死へ傾斜する<さようなら>に愛が
雪崩れてゆくのだ。
思想上の故郷も故里も見えない現在、<さようなら>はよりドライ
に乾いて、<さよなら>と短く強くより個的に出立を告げる。

新たな同時代という思想上の<郷と里>を創ってゆく孤独な営為を
重ねてゆく時代なのだと思う。
私はきっと奥浩平に自分の甘さを見詰め、山田航に自分への鼓舞を
見出そうとしている。

<さようなら>に<さよなら>・・・だな。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時^pm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目大沢ビル4階

by kakiten | 2013-07-09 13:57 | Comments(0)
2013年 07月 07日

さようならとさよならー道程・文月(6)

山田航さんのNHKトーク番組録音を再度聞く機会があって
ふっと、<さよなら>という言葉で思い出していた。
最初の本が「さよなら バグ・チルドレン」で<さよなら>
で始まるという会話があったからである。
それと関連して<スタートライン>という出発の話も心に
残った。
私などの世代では、<さよなら>といえば、学生運動の闘士
の自死、恋と革命に生きた辞世の言葉を思い起こす。
<さようなら と総括>である。
そういえば、この時は<さよなら>ではなく、<さようなら>
なのだ。
そして本当にこの世と別れる最後の言葉だ。
山田さんたちの時代のどこかライトで乾いた感性には
<さようなら>ではなく<さよなら>が似合っている。
スタートラインという出発もまた、さらにラストの様相を
帯びて在る。

 断絶を知りてしまいしわたくしに
           もはやしゅったつは告げられている

<断絶>を認識した後の出立とはその後の自死への予感にも
思える。
時代は少し違うが、<さようなら と総括>と書いた奥浩平も
上記<断絶>の歌を遺した岸上大作もともに自死している。

山田航さんのスタートとは<靴紐を結ぶべく身を屈めれば全ての
場所がスタートライン>であり、それは<走ろうとすれば地球が
回りだしスタートラインが逃げてゆくんだ>と蜃気楼のように
ふっと浮かび消えてゆく日常の存在として、淡い夢のようにある
存在だ。
特別な存在として出立・出発・スタートラインは設定されない。
それはむしろ醒めた日常として、自死についてもこのスタート
ラインと題された一連の歌の最初には次のように載せられている、

 鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る

自死も、醒めた日常の一刻なのだ。
どっちが良いかなどと比べる気は毛頭ない。
どちらもが時代を真摯に生きている。
<さようなら>と<さよなら>の相違に顕われた他者との関係性の
濃淡の相違は、時代の濃淡でもあるのだろう。

私自身はやはり<さようなら と総括>と言ってこの世を去るのかも
知れないなあ。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目大沢ビル4階

by kakiten | 2013-07-07 13:34 | Comments(0)
2013年 07月 06日

”ZO”展ー道程・文月(5)

午後4時過ぎに小樽から吉増剛造さんの大草稿が届く。
実直な執事のような文学館のT氏は、届けるなりすっと
帰ってしまった。
珈琲を沸かして待っていたのだが、そんな誘いの隙も
見せない。
わざわざお届け頂き少しお話もしたかったのだが・・・。
次回展示の「北原白秋の樺太・北海道」展のフライヤー
も欲しかったなあ。

”ZO”展のDMが河田さんより届く。
活字印刷の素晴らしい出来だ。
「草子1瀧口修造 星と砂と 日録抄」のイメージを見事に
活字で表現している。
吉増さんの著書目録で調べたが、やはり「草子2」は出版さ
れてはいないようだ。
その代わりに「太陽の川」(小沢書店1978年版)に瀧口
修造を引用しつつ書かれている文があった。

 星をさがして裏町を歩く。
 新宿の高層ビルに月がうつっていて変にあかるい裏町。
 わたしは港をもとめて漂流する小舟のようです。

そうか、やはり<裏町>であったのだ。
河田氏のCaballeroというスペースこそ、正に札幌
の正統な裏町。
”ZO”展は来週火曜日からオープンする。
24日まで。

私のところでは引き続き小樽ー札幌を主題に展示を続ける。
札幌を精神風土とした佐佐木方斎の3部作と小樽を精神風土と
した一原有徳の3点組作品と熱版である。
資料として中川幸夫の瀧口修造オマージュ「オリーブ 献花」
展図録と瀧口修造の著書をふたつの都市の鍵穴のように置いた。
そしてこことCaballeroを結ぶキィーは、吉増さんの
上記著書「太陽の川」の一節である。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き

*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目2番地大沢ビル4階。

by kakiten | 2013-07-06 18:25 | Comments(0)
2013年 07月 05日

瀧口修造の命日-道程・文月(4)

なにか疲れが取れない。
画廊に着いて珈琲を沸かす間、ごろりと椅子に横に
なると、もうしばらく寝てしまった。
疲れの理由は分かっている。
画廊の壁の蔦が深く茂ってきた。
緑の藻のように家全体を覆っている。

7月1日は瀧口修造の命日だった。
不思議だなあ、ちょうどその日を挟んで今展示中の
「記憶と現在ー小樽・札幌」展がある。
最初から命日を意識した訳ではない。
6月小樽美術館・文学館の瀧口展に触発されて私なりの
瀧口修造展を企画し、同行した河田雅文氏も彼の滝口
体験を自ら形に出したいと触発され自らの「ZO」展を
企画した。
そしてその連鎖が吉増剛造さんの心を動かし、40年前の
書肆山田発行の書き下ろし叢書「草子1 瀧口修造」の
出現となって顕われ、同時に小樽で展示したあの吉増さん
の大草稿の移動という流れを生んだのである。
その切り替え地点の日が、7月1日の瀧口修造の命日だっ
たというのは、全く最近気付いた偶然である。
さらに1991年横浜の大野一雄公演でたった一度出会い、
中川幸夫さんから送られた図録「献花 オリーブ」が瀧口
修造への追悼オマージュとして企画された展覧会の図録だ
った事も、今回はっきりとして立ち上がった偶然である。

見えない回路に導かれるように偶然が重なって、ある日
それは繁る蔦のように立ち上がる。

偶然は重なるけれど、今回の展示は私には必然のように
思えて、ただ黙々と来し方を見詰めている。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-07-05 14:16 | Comments(0)