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テンポラリー通信

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2013年 04月 16日

便利は不便?-風の翳・卯月(9)

パソコンのアドレスがすべてメールアドレスのアルファベット順
に変わっていて誰の名前のものか分からない。
また自分のアドレスも新たなものと旧アドレスがふたつあって混乱
している。
旧型の色々な障害は解消されたが、馴れぬ分まだまだ不便である。

そんな時吉増剛造さんからカセットテープ第二弾が送られて来る。
前回の録音再生不良分を改善したものである。
これでまだダメなら3本目を送る、と記されている。
聞いてみると、前回よりは聞き取りが大分可能となっている。
それでも半分位は聞き取れない。
吉本隆明の詩を朗読している部分にペーブメントという言葉が
聞き取れて、この部分が心に引っかかる。
なにか余程大事な講演時の発言が記録されていて、それを是非
聞き取って欲しいという気持ちが感じられる。
パソコンの瞬時の速度に比し、このカセットテープの保つ速度
と郵送というアナログなやり取りが、新しいパソコンに不慣れな
私になぜかほっとする時間を与えてくれた。

今日今年初めて自転車で通勤する。
多かった雪もやっと消えて、最後まで残雪の積もっていたエルム
トンネルの上も片側通行が可能となっていた。
朝の検問に引っかかった昨年の春を思い出す。
今年は何も無くスムースに走る。
エルムの森にはふきのとうが黄緑の姿を見せて、黒く汚れた大地に
輝いている。
長かった冬も終わりを告げて、あとは一斉に花々が咲きだすだろう。

*vicky mendiz写真展ー4月23日(火)-28日(日)
 am11時ーpm7時:スペインの写真家による展示予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 

by kakiten | 2013-04-16 11:39 | Comments(0)
2013年 04月 13日

パソコンの交換ー風の翳・卯月(8)

昨日は一日旧型のパソコンを取替える作業に終われる。
ウインドウズの98年型でもうそろそろ限界に近づいていたからだ。
セキュリテイの保証も無くなり、警告画面が消えなかった。
友人の建築家梶田氏が新しいパソコンを持って来てくれ、アドレス
の転送や新たな設定に汗を流してくれた。
まだ新しい機能に慣れてはいないが、なんとかブログを打っている。
ハミガキブログなんとか継続、イエー!である。
一日パソコン設定作業に汗を流してくれた梶田清尚氏には感謝の
言葉しかない。
取り外してあらためて見れば、旧型のパソコンのなんと大きな事よ。
使っている時はなんとも思わなかったが、機械の進歩は実に具体的
である。
大きさは三分の一以下になる。
きっとまだまだ薄く小さく性能も良いものが現在は出回っているの
だろう。
種々の機能を梶田さんから説明を受けたが、必要に迫られない限り
今この多機能を使う事はないだろう。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011ー737-5503

by kakiten | 2013-04-13 13:58 | Comments(0)
2013年 04月 12日

希望と失望ー風の翳・卯月(7)

東京のグループ展に出品し、ライブパフォーマンスを終えた
藤谷康晴さんが帰って来て顔を出す。
失望と怒りの表情だった。
ナイーブで過激な彼は、このライブパフォーマンスでの会場
での反応にいたく傷ついたと見える。
展示後あらためてライブパフォーマンスの為に東京を訪れ、
考え抜いた段取りで作品行為を見せたのだが、終了後筋肉
痛だけが残ったと言う。
事前のフライヤーに書かれたコンセプトやそのデザインに
ある違和感を感じてはいたが、実際に作品を出しパフォーマン
スをしてきた参加作家の心の痛みを聞くと予感は当たっていた
気がする。
失望と怒り、これも東京という場である。
作家にとっての故地(ホームランド)はそこには無かったという
事である。

夕方山田航さんと彼の先生であるH学園大学の准教授のTさん
が来る。
4月からTさんのアシスタントティーチャーとして勤務する事に
なった山田さんの前祝いである。
さらに明日から彼の道新文化センター教室が開講する前祝いで
もある。
Tさんと私は旧知の友人でもあるので、山田さんの新たな旅立ちを
3人で祝う為に来てくれたのだ。
缶ビール半ダースほか沢山の差し入れも持参しTくれて、ささやかな
宴が始った。
新たな連載記事のスタート、カルチャーセンターの開講、大学での
新たな勤務と、希望に満ちた弾ける4月に山田さんの顔も明るい。

希望と失望の入り混じる4月に、場という素粒子が大きく作用している。
ヒッグス博士の発見したヒッグス粒子とは、<場>という素粒子で
種子と土壌の関係性のような、媒介というアクテイブな素粒子だった。
山田航歌集「さよなら バグ・チルドレンをめぐる変奏」展で、あれほど
豊かに昂揚していた藤谷さんが、東京では失望と怒りの筋肉痛を訴え
て来札し、喪失感の内に居る。
一方山田さんは展覧会後も希望と昂揚の時間が続いている。
その差異は、<場>というものの差異が大きく作用している。
それは多分東京と札幌の差異というよりも、グループ展の企画の
(×1)の求心力の差異と私は思う。
作品の出品点数と次にライブパフォーマンスの参加という東京へ
二度も出かけた事も含めたエネルギーは、札幌で一点だけの出品と
比べはるかに多いにもかかわらずこの差異がでるのは、やはり<場>
というもののもつ差異と思わざるを得ないのである。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2013-04-12 12:25 | Comments(0)
2013年 04月 10日

故地行ー風の翳・卯月(6)

山田航の札幌探訪記の第一回が昨日から始った。
道新の連載である。
「札幌モノローグ紀行」と題された一回目は、札幌駅前通り。
13日まで毎日連載し、その後16日から隔週掲載という。
札幌生れの29歳の故郷探訪、もっといえば故地探訪の試み
と思う。
東区の丘珠で生まれ、現在は石狩川に近い藍の里に住む
いわば札幌郊外育ちの人間の眼から見た故里の姿である。
同じ郊外でも移住者の歴史が残る丘珠地区と新興分譲住宅地
として拓かれた藍の里では、違う空気が流れている。
さらにこの後都心や円山、山鼻や琴似と西南の山側の住宅街
さらに川向こうの丘陵地帯と未知なる札幌が広がってくる事だろう。
故<郷>や故<里>として、<ふるさと>も<こきょう>もなく、
今は故<地>として、自らの<地(ランド)>を確かめていかねば
ならない。
折りしも昨夜原発事故で無人の村となった飯館村の別れ別れに
暮らすかっての愛犬と飼い主の再会の記録がTVで映されていた。
3時間だけの村での再会である。
かって一緒に走り回った故郷の山を飼い主と愛犬が廻る。
しかし犬は少しも喜ばず、いつも乗っていた軽自動車の荷台
に戻り、そこから出ようとしない。
飼い主とその車だけが心休まる場所なのだ。
故郷の山地はもう別の匂いがする。
かって住んでいた自分の犬小屋にも見向きもしない。
見た目の風景は変わらずとも、犬の敏感な臭覚はすでにこの地
の異常を感じとっているのである。
そこは郷でも里でもない。
もう別の場所である。
これと同じ現象が都市では頻繁に起きている。
放射能の所為ではない、<郷>と<里>の喪失である。
物流や物質至上主義の流通構造が、その変化を形成してゆく。
都市が飯館村と違う所は、目に見えて風景が変わる事である。
愛犬は可視の風景の虚偽を動物の鋭敏な臭覚で見抜き、山野を
走る事の大好きだったかっての故里の喪失を態度で示したのだ。
一方で我々人間は、目に見えて変わってしまった故里を、その見えなく
なった故里を自らの手で見つけなければならない。
山田航の今回の連載に期待するものがあるとすれば、その見えない
<里><郷>の故(ゆえ)を、不可視の故郷・故里として発見する事で
あると私は思う。
2年前まで山野とともに在った愛犬と飼い主の生活。
その風景は可視の部分では何も変わらずに存在しているのに、不可視
の部分では全く別の次元へと移行していて、その転位を動物は鋭く見抜
いていた。
私たちが出来得ることは、見えない不可視の<里><郷>を再生する
故地(ホームランド)を如何に創り得るかという事である。
愛犬が不可視の風景を見抜いたように、人間もまた不可視の風景を
見なければならない。
それは都市の華やかな物流の陰に眠る見えない<郷>と<里>の
故(ゆえ)の所以を<地>として取り戻す行為でもある。
その再生の行為こそが、文化というものの大きな役割と思う。

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by kakiten | 2013-04-10 13:02 | Comments(0)
2013年 04月 09日

嵐去ってー風の翳・卯月(5)

嵐が去って、雪融けがさらに進む。
もうエルムトンネルの上を除けば、自転車に乗れそう。
日曜日、月曜日と2日間休んだら、メールが百通近くある。
大半は迷惑メールだった。
そして吉増剛造さんから留守録音がある。
財布落として大変だね、という慰めの言葉と先日送られて来た
本人録音のカセットテープの音声不良な分新たに録音したもの
を再度録音して送るという内容だった。
さらに進行中の大草稿は340枚を通過中とのご報告がある。
そして何度も財布の事を心配してくれ、一緒に探しに行こうか
と冗談で語ってくれる。
この間アメリカ行きがあって、自分も財布ならぬ体力をアメリカに
落として来たと冗談めいて話していた。
一昨年から始ったこの吉増さんとの<石狩河口/坐ル ふたたび>
の道行きは、呼気吸気のように私のような鈍才にも身近に佇む。
その不思議な<なりゆき・みちゆき・さだめ>を思うのである。
今年も年末にすでに予約されているこの大草稿集の完成展まで
吉増剛造の故地として、それは同時に我々の見えざる故地(ホーム
ランド)獲得の行為として、<さだめ>のように保っていかなければ
ならない。
カセツとシャダンの現実により、郷を喪い里を喪いそれ故(ゆえ)、自ら
の立つ地(ランド)を故地(ホームランド)として創造してゆかねばならぬ。

遠い声の便りが休み明けの心に沁みた。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2013-04-09 12:15 | Comments(0)
2013年 04月 06日

友情が沁みるー風の翳・卯月(4)

尾道の彫刻家野上裕之さんからメール。
作品は山田航さんに渡して欲しい、との伝言。
昨夜来た藤谷康晴さんも、この作品は二度と展示することは
ないので、これは山田さんに差し上げて欲しいと言う。
網走の佐々木恒雄さんもすでに山田さんへの寄贈を伝えて
いるから、これで今回展示の正面3点はすべて山田航氏に
謹呈される事となった。
凄いなあ~、この3点セットは、ある意味で今展示の目玉でも
あったから・・。
作家も石狩・網走・尾道とワイドな領域の人たちである。
もう一点の2階正面に展示された中嶋幸治さんの作品は
奥の談話室に飾られていて、これは私の所への寄贈となった。
大野一雄石狩河口公演ポスターとクリストのポスターに挟まれ
キラリとタクトを突き出している。

昨夕藤谷康晴さんの大阪個展映像に音楽を入れる目的で、
打楽器奏者のM氏と初めて打ち合わせをする。
鈴木余位さん撮影の8mm映像を見せ、感想を聞く、
映像を見るなり、凄いですねえ、体が反応してきますとM氏。
感触は上々で、ドイツから来ている友人のピアニストにも見せて
ドラムの録音時不足する音域をピアノでカバーし音を創ってみた
いと言う。
翌日東京新宿眼科画廊でのライブパフォーマンスのある藤谷さん
は、機会あればライブで共演もしたいと話す。
M氏の打楽器ソロは、先日高臣大介展最終日にみんなの心を
鷲掴みして感動させている。
本当に心から打楽器演奏に打ち込める人なので、今回の映像との
出会いはまた別の世界が広がる予感がする。
藤谷さんの絵画世界も鈴木余位さんの映像世界もM氏の音の世界
もともに新たな地平を形象する気がした。

藤谷さんたちが帰った後Mさんが訪ねて来て差し入れをくれた。
地下鉄のウイズユーカードとゼリーである。
昨日歩行通勤の事を書いたので、友情の差し入れと思う。
なにか心に沁みた。
今日明日は嵐の予報なので、歩行は止めて地下鉄に乗ろう。

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by kakiten | 2013-04-06 12:12 | Comments(0)
2013年 04月 05日

雪融け進むー風の翳・卯月(3)

やっと春めいて雪融けが進む。
オーバーも脱ぎ、バーバリーに替える。
靴も今朝は変えて、歩いた。
久し振りに歩いて通勤するも、途中セブンイレブンで
珈琲を買い一服する。
やはり体力が落ちている。
1時間強かかって到着。
実は昨夜も帰りに歩いたのだ。
途中半分程で、たまらず自販機の熱いココアを買い、一服。
後半はバテずにわりとスムースだった。
やはり一時間半以上である。
以前は1時間で休みなく歩いた筈だが、この冬は体力が低下し
ている。
まだ自転車には厳しい雪融け路で、しばらくは歩行が続くだろう。
財布を落としてから、いろいろと経済的にピンチで地下鉄の往復も
控える事とする。
電気代、水道代、ガス代、電話代と、否応なく滞納遮断の時が来る。
金銭に保護された仮設生活者のような感じがする。
保護が無くなれば、即遮断。
シャダンとカセツの日常はなにも被災地ばかりではない。
都市生活とは、一歩下がって見れば生活インフラのカセツの上に
成り立っているような気がする。
そこを繋ぐ金銭が不足すると、シャダンが始る。
都市空間での人の歩行は直線的で遮断的歩行が多い。
そうしたゾーンから少し逸れて、小さな路地や小道を歩くと歩行は
少し空間と繋がり呼応して有機的なものとなる。
今はそうした道はまだ雪融けのグチャグチャな水と氷の凸凹道だから
どうしても乾いた大きな路を歩く。
そこはやはり直線と遮断の歩行が幅を効かして、老若男女を問わず
攻撃的な歩行が多いのだ。
それでも1時間以上かけて歩いていると、地下鉄にはない充実感が
ある。
他人の歩行も気にはなるが、歩行自体が長い分内側に溜まるものは
少ない。
一杯の珈琲の一服も何も考える訳でもなく、ぼーうとしている時間で
良いものだった。
少しのマネーと少しの体力と少しの時間的余裕があれば、毎日が歩行
の連続であっても少し幸せという感じがする。
少なくともこの時間には、遮断と仮設の虚しさからは少しだけだけど無縁
でいられるからだ。
信ずる所のみを信じて生きていこう。
そんな殊勝な気持ちになった、昨日今日。


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by kakiten | 2013-04-05 13:27 | Comments(0)
2013年 04月 04日

連鎖反応ー風の翳・卯月(2)

九州の阿部守さんの事を書いたら、今度はニューヨークの中岡りえ
さんからも反応がある。
私も隠れフアンなの、とメール。
山田航の展示に参加したかったという。
これではまた形を変えて、「さよならバグ・チルドレンをめぐる変奏」展
第二弾を企画せねばならないね・・。
今度は意図的に年齢を上げて、ある世代以上の見方を作品化して
みようか知らん。
この歌集がそうした同時代としての幅広いキャパを保っている事は、
もっと注目されても良い事である。

ぽつり、ぽつりと、搬出に人が来て次第に作品が散ってゆく。
まだ藤谷康晴さんの老狼の眼の作品と野上裕之さんの仮面の作品
が正面に在る。
この日夕陽が赤くこれらの作品に射し、なんとも濃い空間となっていた。
ちょうど搬出に来た中嶋さんと山田さんが仮面を外し、山田さんが被っ
てその様子を中嶋さんが撮影していた。
夕陽が面に照り山田さんと仮面が一体化して夕陽の中にいた。
ちょうど吉増剛造さんから送られた朗読のカセットテープを聞く為に、
久し振りにカセットテープモードに装置を換えていて、この時は
森田童子の歌曲が流れていた。
妙に森田童子の声と曲が夕陽の仮面と合っていたのだ。

  貴意に沿ひかねる結果となりますがわたしはこの世で生きてゆきます

仮面と森田童子の透明な声は不思議にコラボしていた。

昨夜久野志乃さんが搬出に来る。
今月中旬にスペインの友人が来るという。
一緒にスペインで展示をした人という。
久野さんが昨年スペインに旅立つ前、ここで制作した青の大作がある。
まだ完成後日本では発表されていないので、是非ここでスペインの友人
とともに完成展をしては、と話が進む。
赤土の大地の国から来る人を緑の運河エルムゾーンを案内し、併せて
札幌での展示が実現すれば良いなあと思う。
久野さんの青の大作もひとつの転換となった作品である。
滞在制作したこの場所で、あらためて完成作品を見てみたい。

そして5月の大木裕之「メイ」展10年目を迎えたい。

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by kakiten | 2013-04-04 12:32 | Comments(0)
2013年 04月 03日

引き潮ー風の翳・卯月(1)

15人の展示片付けに入る。
山田航さんに寄贈するという人もいれば、テンポラリーの収蔵品
に寄贈する人もいる。
広島、帯広、網走、東京と札幌以外の人も多いので個展よりも
搬出の時間がかかる。
作業中九州・福岡の彫刻家阿部守さんより電話がくる。
自分も参加したかった、という。
そうか、九州までは頭が回らなかった・・・。
今度はもう少し年齢を上げて参加者に加えさせてくれよと、
阿部さんが言う。
別段年齢で枠を作った覚えはない。
そんな僻みぽい事を言って、今回の展示への意欲を言いたかった
のだろう。
それだけ今回の企画と山田航歌集に惹かれたという事と理解した。
阿部さんの鉄の彫刻が入れば、また一段と空間は変わったと思う。
昨年2月の清華亭とここの展示以来お会いしていないから、久し振
りの連絡は嬉しかった。
阿部守さんならば、どの一首を選んだのだろうかと興味が湧く。
若い世代を生徒に持つ大学の教師の目線となるのか、それとも
自分自身の作品の指標として一首が選ばれるのか、作品を見て
見たい気がした。
次回個展の際には、これを主題とする一点をお願いしたい。

4月は次の展示が未定で、しばらく空白となる。
世間は明年の札幌国際美術展へ向けて、さまざまなイヴェントが
地下歩行空間を主体に企てられている。
都市と自然というテーマのようだが、本当の意味で<自然>と
いう主題に向き合っているのかどうか疑問である。
本来自然と都市とは相反する概念で、問題の本質は自然と社会の
界(さかい)を、如何に捉えるかという事と思う。
先人の考えた里山とか裏山。防風林といった自然化した社会と
社会化した自然という緩衝地帯こそが今問題である。
その自然と社会の界(さかい)の世界が取り払われて、すべてが
仮設と遮断の空間に取って代わりかねない状況にある。
人間は自然そのものの中では生きてはいけないし、自然を完全に
排除して社会構造そのものだけでも生きてはいけない。
ビルや地下鉄だけの構造では索漠とした世界となり、原始林や山の
中で人は生きてはいけない。
このふたつの矛盾する環境を中和し、相互に通じる回路として<界
(さかい)>としての社会化した自然、自然化した社会がある。
それが庭の樹であり、防風林であり、裏山であり、里山と呼ばれる
自然なのだ。
その界(さかい)が今危機に瀕している。
しかもその界(さかい)の自然を、アートというものが肩代わりしよう
と蠢いている。
全くの思い上がりというものである。
その前兆ともなったのが、札幌では札幌ドームの建設時に造られ
たアートグローブ(芸術の木立ち)と称された野外芸術群である。
月寒の地名の語源ともなったチ・キサ・ニ(ハルニレ)の丘陵を削り
サッカーや野球の競技場を建設し、その伐採した丘森の代わりに
アートグローブという代わりを用意したのである。
チ・キサ・ニ(我ら・こする・木)とは、春楡の木片をこすって火を作っ
たところからでた名前といわれ、正に自然と人間社会の界(さかい)
の自然としてこの丘陵地帯の丘があった事を示しているのだ。
その代用としてアートグローブなる<芸術の木立ち>とは、一体何
なのか。
この流れは今も大規模地下通路や大規模建設物等の中でアート何
とかという形で連綿として続いている。
芸術が自然の代用となる事はない。
芸術・文化は自然との回路を開くことはあっても、その代用となる事
はない。
あくまでも社会化した自然として、界(さかい)としての倫理を凛として
守るべきなのだ。

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by kakiten | 2013-04-03 15:45 | Comments(0)
2013年 04月 02日

ラストナイトー風の夢・弥生(23)

最終日、遅れていた河田雅文さんの映像が届く。
本当に、本当のラストランナーの登場である。
歌集から選んだ一首

   世界ばかりが輝いてゐてこの傷が痛いかどうかすらわからない

の掲載頁を下からアップで煽るように映像が始る。
そのショットの連続の後、コインランドリーの回転する映像が数分
続き、最後に「さよなら バグ・チルドレン」の表紙が写されて終る。
コインランドリーの明るく無機質な洗浄の音と映像。
これは今回の展示中最もこの歌集の世評に近い作品だったのかも
知れない気がする。
いわゆるペットボトル世代と評された山田航の世界を、このコインラン
ドリーの映像は象徴しているように感じたからだ。
<ペットボトル・ウオーズ>と題された一連の歌にみる都市と人間
の乾いた光と翳の世界。
<置き忘れられたコーラが><地下道に底無し沼のやうに聳える>
<許すとかいふ傲慢な感情を掻き混ぜて><洗濯機がまはる>
<階段をのぼってゆけば><夕暮れと呼びたくはないひとときがある>
世界ばかりが輝いていて、傷の存在すら定かではない、という河田さん
の選んだ一首はこの都市の中の無機質な透明感と呼応する一首でも
あるだろう。
他の作家たちがそれぞれ自らの創作上の主題を突きつけ作品化した
のに比し、河田雅文の映像はより山田航の世代に近い形で映像化され
て作品となっている。
コインランドリーの回転する透明な洗濯槽の映像と規則的な機械音の
アップ。
そこに<世界ばかりが輝いてゐて><この傷が痛いかどうかすらわか
らない>プラステイックのように透明で軽い時代感情が透けてみえる。
そして私にはやはりこの一首に続く次なる一首に心が深く惹かれてある
のである。

 <水しぶき跳ね上げてもう戻れない><明日へと向かふ逆光のなか>

16人目のラストラン河田雅文さんの映像を持って、優れた<バグ・チル
ドレン>16人の競演は本当に終了した。
心から感謝する。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2013-04-02 13:31 | Comments(0)