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テンポラリー通信

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2012年 03月 18日

真剣な会場造りー風骨・3月(14)

昨日から齋藤玄輔さんが真剣に会場造りに取り組んでいる。
彼の作品は灰暗い空間に青く光る結晶のような光の花を見せる作品である。
実物を見るのは今回が初めてで、今だカタログ写真でしか見た事が無い。
ここは外光が南西方向から入光する空間である。
そうした空間だから、齋藤さんの展示は空間自体を作品に合わせて造って
いかなければならない。
石田尚志さんの映像作品の時は、すべての窓・入口の光を遮断し上映
したが、齋藤さんの作品は映像作品とも違う展示である。
蛍光のように光で作品が浮かぶようである。
真っ暗にすれば良いというものでもない。
それだけに会場の環境造りに時間と労力が費やされている。
会場設営の構成自体がインスタレーシヨンのように、作品と一体の感じがする。
作業は寡黙にして真剣そのもので、私は時折り珈琲を淹れ作業の邪魔になら
ないように遠くから見守っている。
今日明日と作業は続き、明後日の初日まで張り詰めた昼夜通した作業が続く。
個展を決めた時の齋藤さんのメールに、死に物狂いでやります、という言葉
があったが、この言葉に偽りは無い。
今ドイツ・ベルリンにいる彼の親友の谷口顕一郎さんにもこの事だけは
伝えたい。
見る事は出来ないだろうけれど、君の友人は本気で今回の個展に賭けている。
私は私の出来得る範囲で、その事実を伝え続けたいと思う。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-18 12:43 | Comments(0)
2012年 03月 17日

来る人・去る人ー風骨・3月(13)

慌しい一日だった。
旭川から作品を運び込む斎藤玄輔さんを待つ間、パソコンのマウスを
変えようとして無理に押し込み作動しなくなる。
苛立っていた時に、齊藤さんが到着。
借りてきた車という事で、とりあえず作品を降ろして車は返しに旭川に戻る
という。そして翌日から札幌に滞在し展示。
そんな慌しい時に友人の山内慶くんが来る。
そこで早速パソコンの修理を頼んだ。
齊藤さんが荷物を降ろし車を返しに旭川へ一旦帰るとまもなく、河田雅文さん
が来て、山内さんとパソコンの修理状況を話し合う。
’98年型の古いものだから、話は進まない。
河田さんは、土産の手作りソーセージとベーコンを置いて帰る。
しばらくパソコンと悪戦苦闘した山内くんのお陰で、やがてパソコンが起動する。
やったぜ、と顔を見合わせてほっとする。
自転車盗難の時、トイレの水道管凍結の時、そして今回のパソコンの故障と
彼は救いの神である。これからは兄貴と、呼ばねばならぬ。
私のような手の無器用な男には、彼のような人間は尊敬に値する。
それから河田さんに頂いた美味なるソーセージを肴にして、これも今村しずか
さんに頂いた妙なる沖縄土産の泡盛をふたりで飲んだ。
飲んでいる間の四方山話の合い間に、ふっと山内くんが吉本隆明が死んだ、と
話す。えっと、吃驚して聞き返した。ニュースで流れていたという。
私等の世代には、忘れられない存在である。
急にお酒が回ってくるのを感じた。

久野志乃さんの撤去、齊藤玄輔さんの搬入、パソコンの故障、吉本隆明の死
となんとも慌しい一日だった。
何はともあれ、今日から札幌に滞在して齊藤玄輔さんの展示作業が始まる。

*齊藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm7時:月曜休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-17 12:10 | Comments(0)
2012年 03月 16日

引き潮のようにー風骨・3月(12)

久野志乃滞在制作展終わる。
朝ギヤラリーに着くと、もう作品はすべて撤去されていた。
がら~んとしたなにもない空間に入ると、最後まで描かれていた大作を
もう一度昼の光の中で見たかった、という気持ちが湧く。
白いキャンパスから次第に出来上がっていく作品の過程をずっと見続け
てきた所為もある。
最後の仕上げを見たかったという思いが残る。
今回の滞在制作の成果を完成展として、来月のスペイン展後あらためて
機会あればと願うものである。
短い滞在制作期間ではあったが、大きな転機となった作品を生んだと
思う。

今日昼過ぎに次回展示の斎藤玄輔さんが作品を搬入する。
旭川から車で先に作品等を運び込み、明日から本格的に展示に入る。
20日の初日まで3日間あるが、その間展示作業が続く。
単純に作品を壁に置くという展示ではないようだ。
札幌初の個展で、本人の気合も入っている。

1975年2月17日北海道生まれ。1998年東北藝術工科大学入学
2002年同大大学院藝術文科専攻入学。
2010年12月東京・ギヤラリーb・tokyo個展。

以上の簡単な略歴が私の知る斎藤玄輔さんである。
今ドイツにいる美術家谷口顕一郎さんの親友で、一昨年の谷口展の折
初めてお会いした。
山形の大学を卒業後はしばらく作品制作を中止していたと聞く。
谷口顕一郎さんとの再会を経て、その年暮れ東京京橋で個展を開き、
表現活動を再開した。
その後東日本大震災の救援活動を布のハギの花で実践し、話題となる。
2010年暮の創作活動再開以来2011年の東日本大震災の衝撃、それ
に対する美術家としての救援活動、そして今回の個展へと続く流れは、
いろんな意味で非常に斎藤さん個人にとって大切な個展、重要な時期
と位置付けられると思う。
心して迎えたいと思う。

*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm7時。
 月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-16 12:44 | Comments(0)
2012年 03月 15日

出会いー風骨・3月(11)

春休み帰省中の詩人文月悠光さんが夕方来る。
インフルエンザでしばらく実家で臥せていたという。
その事は、同じ帰省組の文月さんの友人Oくんが今月初め同人誌
「ねこま」3号を届けてくれた時、聞いていた。
そしてこの先に届いた同人誌をたまたま製作合い間に久野さんが読み、
その中の文月さんの掲載詩に、大きく感応していたのだ。
文月さんの詩が製作中の迷いを払拭する勇気になったという。
それは「きれいな窓」という詩の、冒頭の6行であるという。

 カーテンは直線ではなかった。
 波を描いたその足は
 光を背に、幼い私を呑み込んだ。
 うちがわにて
 からだはシトシトと消化され
 ほうぼうへと流れて行った。 

そんな詩との出会いがあった時、その作家が訪ねて来た。
そして今制作中の自分の作品も見てもらえる。
一方思いもかけず自分の詩が他の作品制作に影響を与えている。
こうして出会ったふたりの久し振りの出会いは、二重に嬉しいものだったのだろう。
この後ふたりの明るい笑いが、会場を暖かく包んだのだった。
文月さんは同時に久し振りの個人誌「月光」3号も持参して来た。
その中には昨年暮の吉増剛造さんたちとエルムゾーンを歩いた際に創った
詩も掲載されていた。
この作品は緑の運河エルムゾーンを歩行後集中して創作され、吉増展会場
で朗読されたものである。
今回それにさらに手を加えまとめたものだ。
「雪の中のけもの」と題されたこの詩は、あの日の不思議な8人の雪の中の
歩行の旅をふっと思い起させてくれた。

 ひとたび足を差し入れれば
 固く沈み込み、
 容易に一歩を悟らせない。
 雪にうばわれた踵を取り戻すとき
 真っ白な手のひらに立つ、
 私は影となる。
 うずもれながらも
 くっきりと足を運ぶ、一体の影。
 息を白く吐き出して、惑う。
 この影は、このからだは、
 私なのだろうか。
 わたしのものになりえるか。

短い滞在製作中に、濃い時間が訪れていた。
今日で一旦ここでの制作は終るけれども、なお渡欧前までの時間制作は
続くだろう。
正面の大作完成にさらなる精進が重ねられ、この作品は今までにない
久野さんのこれからのメルクマールとなるに違いない。

*久野志乃滞在制作展ー3月15日(木)まで。
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-15 13:40 | Comments(0)
2012年 03月 14日

黄金の水の泡の中へー風骨・3月(10)

久野志乃さん滞在制作5日目。
今までにない作品が顔を出してきた。
黒い背景に黄金の泡、水中深く昇る、浮く。
卵形の美しい中品が今朝完成していた。
正面の大きな縦の作品にも力が漲っている。
スペインに発つ前のコアが出来てきたと感じる。
赤土の大地スペインで、この青と黄金色の作品は
きっちりと存在感を放つと考える。
彼女の主題である水のイメージが豊かに、その本来の
多様性の内へと深化してきた所為と思える。
岸壁や岸辺の少女のような、こちら側に立つ孤我が消え、
水中深く浮き漂って一体化し表現されてくる何かがある。
何かが抜けたのだろう。

先の森本めぐみさんの恵庭火山の火の赤。
久野志乃さんの様似海岸の海の青。
それぞれが出生地の主題色を基調にして、炎を出してきた気がする。
火の炎。水の炎。
ふたりがここで滞在制作をして、出して来た独自の色彩。
その彩(いろ)に、それぞれの生まれ育った大地・水の彩(いろ)が
迸(ほとばし)り出てきている。
意識の土の奥深く眠っていた深い水脈、深い鉱脈。
その産まれ育った土地と深く結びついた意識のトニカ、基層のもの。
そこに表現が触れることで、意識が澄んで根を張る。
作品が有機的な表現の森を生み出す。
海藻の森になるかも知れませんね、久野さん・・、

*久野志乃滞在制作展ー3月15日(木)まで。
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax-011-737-5503

by kakiten | 2012-03-14 13:38 | Comments(0)
2012年 03月 13日

戻り雪ー風骨・3月(9)

朝カーテンを開けると、外は雪。
白い世界が戻って来た。
昨日まで溶けて凍った路面が、白く隠れた。
地下鉄を上り北18条駅に出ると、明るい陽射しが射している。
南西方面は灰色の空、北東の空は青空が見える。
山に近い方が雪のよう。

八木伸子さんのお別れ会の案内が来る。
保次さんも入院中と書かれている。
先に入院したのは保次さんで、その後伸子さんも倒れ2月5日朝
亡くなられたという。
宮の森のご自宅に何度かお電話したが誰も出られないのは、
ふたりとも入院中だったからだった。
4月11日午後6時からロイトンホールでお別れ会がある。
残された保次さんの容体が気にかかる。

おふたりの暮らした宮の森の山上の住居。
そこからみた朝日は忘れられない。
金色の光が東の空いっぱいに溢れて、保次さんと逆立ちして
見た事があった。
すると天空の金色の光が眼下いっぱいに広がって、本当の仏様の
ご来迎図のように見えた。
あの時金色という色彩を、本当に一瞬だが見た気がする。
山の奥の東の空に開いたあの場所は、光の色彩に溢れた場所である。
あの場所から、おふたりの絵画の色彩もまた育まれたと思う。
伸子さんの具象、保次さんの抽象。
そのどちらもが色彩の<彩>に満ちた絵画だからである。
すぐ裏の奥三角山にもよく登った。
道なき道を這い登り、蔦や小枝に掴まりながらよじ登った。
春はニリンソウ、キバナノアマナ、福寿草、エゾエンゴサクが可憐な
美しい花を咲かせていた。
秋は深紅の実がそこここに生り、枯れた梢には緑のコクワの実が連な
っていた。
そんな山林をよく保次さんとふたりで放浪した。
遠くの高い山もいいけれど、こんな近くの山をふっと歩き回るのも
楽しかった。
私はそんな山歩きを、保次さんに教わったと思う。
ふたりで山中を歩き回った後、2階の保次さんのアトリエで頂いたフランス
パンと紅茶の味は忘れられない。
そんなわれわれをいつも伸子さんは下の一階のアトリエで絵を描きながら、
姉のように、見守っていてくれた気がする。
子供のいないご夫婦は時に保次さんが伸子さんの子供のようで、
やっちゃん、やっちゃんと伸子さんに叱られていた。
絵描きふたりの生活は、時に激しく闘いもあったと思うが、ふたりの生活には
いつも札幌の自然の色彩があった。
若い時の東京時代のふたりの事は良く存じ上げないが、私の知る限り
この宮の森の自然の色彩こそが、ふたりの絵画生活を支えていたと
私は信じている。
その意味では、ふたりの絵画に見る色彩は間違いもなく札幌の山の
四季が生んだ彩(いろ)であると思っている。
札幌に生まれ札幌の光の彩(いろ)を生き描き続けたふたりであると思う。

*久野志乃滞在制作展ー3月15日(木)まで。
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-13 12:36 | Comments(0)
2012年 03月 11日

光あふれるー風骨・3月(8)

日が長くなり、陽射しも強く柔らかになってきた。
壁の上下に長く伸びる縦長の大作に久野さんが描き込んでいる。
キャンバスに本人の姿が入り込んで、一体になっている。
制作している青い作品は、春の柔らかい光に映えて光と色彩と人が
溶け込んで浮き上がる。
本人は描く事に夢中で気付かないだろうが、少し離れて見ていると
作者の身体自体がもう絵筆のようになって絵の中にいる。
横を水平に過ぎる構図の作品が多かった作家だが、今回の作品は
縦に流れる線が主体である。
その分作家の位置が作品の中心に入り込んでいる。
岸辺の視座が水中の視座に、渦中の視座へと変わってきている。
これは大きな変化だ。
そしてもうひとつ小品が同時に描かれているが、それは卵形の作品で
この形も中心が真ん中に収斂される構図である。
きっと生来これまで世界に対して用心深くナイーブに見据える事の多か
った作家は、ここに来てより世界の中心線へ、久野さんの今までのモチ
ーフに即せば、水の端から水の中へとその位相が転位して来た感じが
する。肩の力が抜けて水中に見を任せ泳ぎ出したのだ。
滞在制作2日目の朝。
花田和治さんの道立美術館個展最終日。
これを見て来た久野さんが、凄く良い、と興奮気味で飛び込んでくる。
花田和治さんの対象を見据え突き抜ける抽象に、今久野さんが取り
組んでいる描き方の大きなヒントが刺激となって与えられた、と思う。
いい時期にしかも最終日に見ることが出来て本当に良かった。
この日は圧倒的に昨日から今日本を覆っている東日本大震災・フクシマ
原発事故の3・11とはまた違う、3月11日だった。
花田和治さんの個展最終日の3・11に感謝しなければならない。

*久野志乃滞在制作展ー3月10日(土)-15日(木)
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-11 12:50 | Comments(0)
2012年 03月 10日

自分の「水」を取り戻すー風骨・3月(7)

久野志乃滞在制作始る。
来月スペインでスペインの写真家の友人とのふたり展をする久野志乃
さんの渡欧前の制作が始った。
渡欧前深呼吸のように、息を整えて制作する。
そして帰国後息を吐き出すように、また制作をする。
そんな旅の前後の制作展示を提案した。
少し迷いはあったと思うが、今は爽やかな表情で絵の具と材料を担いで
やって来た。
私の付けた久野さんの仇名は、”渚のハイジ”で明るく元気な水の人である。
出身が太平洋の港である事もあるが、作品の基調に水辺が深く感じられる
からでもある。
スペインの友人との展覧会も水が主題という事で、東西の水へのイメージの
相違が海外で作品を通してもう一度見詰め直す機会と思える。
かって日本では、生れの違いを水の違いという言い方で表現した。
それ程水は地域と密接な関係性を保っていたはずだが、今はペットボトルの
商標ブランドになっている。
それぞれの生まれた場所の土地の水を再奪取するように作家はその表現で
対抗しても良い。
山も海もそうしてもう一度取り戻す行為として、考えても良いのではないか。
固有の山、海そして水、土、樹があるのではないのか。
例えばエルムの都といわれた札幌という都市がかってあったように、そこ固有
の有機的な自然を、久野さんは久野さんの水として取り戻す闘いを水の位相
において表現すべきと考える。

*久野志乃滞在制作展ー3月10日(土)-15日(木)
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-10 15:04 | Comments(0)
2012年 03月 09日

「メイ」の声ー風骨・3月(6)

毎年5月「メイ」というタイトルで映像を撮り続けている四国在住の
映像作家大木裕之さんから突然の電話が来る。
昨夜のツイッター読んだ?と言う。
読んでないと応えると、今年の5月ここで「メイ」の個展をすると宣言
したのだという。
札幌の写真家Mさんと二人でするという。
もう5年以上毎年5月には「メイ」の撮影を続けているから、ひとつの
区切りの年と思ったのかも知れない。
「メイ」は、2003年の札幌で制作された「オカクレ」という映像作品の
完成後、やはり札幌からスタートした連作作品である。
私やMさんやOくん等が出てくる大木監督の独特の札幌を主たる背景に
した心象映像である。
何故5月なのか、何故札幌から始ったのか。
そこには何かを定点観測していこうとする、大木さんの決意のようなもの
が潜んでいたと思える。
テンポラリースペース自体の円山北町からの撤退も含めて、継続して
記録していこうというなにかがあったと思う。
「メイ」の前に創られた「オカクレ」という映像は、大木さんの父上の死を
切っ掛けに創られた心の独白に満ちた作品だった。
多分ある時から最も対抗した存在だったであろう父の存在。
その死を見詰めて、札幌郊外と石狩の海をどこかデスペレートな心情で
放浪し、癒した剛直な大木裕之の亡き父へのオマージュに満ちた作品
だった。
「メイ」の連作がこの父の死以降に創られる事実は、この北国の再生の
時・5月(メイ)という時とどこかで深く結びついていると思える。
さらに昨年暮の吉増剛造「石狩河口/座ル ふたたび」展の影響も
あると考える。
多分この18年ぶりの「・・ふたたび」にどこか心の心底で深く反応した
ものがあった筈である。
5月「メイ」展の折りには、「緑の運河エルムゾーン」を案内し、大木裕之の
映像がこの切れ切れの風景を有機的に再生し、新たな「メイ」の最終章を
完成させる事を希うものだ。

*久野志乃滞在制作展ー3月10日(土)ー15日(木)
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-09 13:05 | Comments(0)
2012年 03月 08日

腐れ雪ー風骨・3月(5)

山スキーをしていた頃、山奥の純白の峰から雪融けの進んだ麓へ下って
来て、その汚れた雪を腐れ雪と言っていたのを思い出す。
冬山の天候の安定する3月以降が山スキーの季節だった。
真っ白い天地に真っ青な空が広がり、裸木の黒い樹林の間を滑った。
夏場には通れないような笹薮もスキーは軽々と入り込んで、未知の白い
大地が新鮮だった。
そんな別世界を下って麓に着くと、そこはいかにも下界という感じで、腐れ
雪が泥だらけで広がる。
昨日今日の雪融けの進む路面を見ていると、その事を思い出していた。
最近は山に近い家でなくなった所為もあり、休日にすぐスキーを担いで
近くの山の中を放浪する事も無くなった。
山スキーと登山靴が倉庫の奥に眠っている。
近くの山では、百松沢山の南峯が好きだった。
狭い僅かな広さの頂上だったが、景観は抜群で東西南北すべてが見渡せた。
この東下にある奥三角山も好きな山だった。
ここも頂上が狭いが見晴らしが良い。
そしてこれらの山の裾野は、豊かな自然林の清澄な空間だった。
そこで珈琲を沸かしごくりと飲むのが、至福の時だったと思う。

今冬は手首の骨折もあり、地下鉄に乗ることがほとんどの所為もあって、
人込みの中でナチスの親衛隊のように長靴に早足のカッ、カツという靴音
に追いかけられて、腹ばかり立てていた。
時にギブスの左手を省みずこちらも早足で追い越したりして、階段でコケタ
りして膝に痣をつくったりした。
この日は整形外科で検査の日で、左手はギブスで守られていたが、先生は
変な顔をしていた。
まあ大事には至らなかったが、下手をすると両手がギブスとなる。
自分自身の暴力的韋駄天歩きもこの際反省しながら、なぜにこうも
地下鉄通路、街の歩道で人は早足なのだろうか。
今は円山地区もそうした人が多い。
大きなスーパーの中でさえうっかりぼんやりと品物を見ていると、
突き飛ばされそうになり、ゆったりした買い物もできない。
円山地区も高層マンシヨン群が林立して、街のリズムの住人が増えた
せいと思える。

早く今は雪が消えて、自転車に乗りたいと思う。
そう思う自分は、いつの間にか山スキーの生活が遠くなってしまった。
かっては雪が消えない事が楽しみだったから。
山の奥に居た頃は、冬も歩行と山スキーがすべてで自転車も考えなかった。
住いと生活のリズムは深く関係するものだ。

*久野志乃滞在制作展ー3月10日(土)ー15日(木)
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-08 12:22 | Comments(0)