人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ

<   2010年 10月 ( 28 )   > この月の画像一覧


2010年 10月 09日

昆テンポラリー展へー秋のフーガ(4)

東京在住の詩人文月悠光さんより詩が送られてくる。
これでほぼ全員の作品が揃った。
山田航さんの短歌8首とともに、若手俊英が揃う。
酒井博史さんの活字印刷DMも出来上がる。
昆虫の羽紋様を見事に生かした出来上がりである。
表の<昆>の文字、この少し大きめの活字も素晴らしい。
昨日森本めぐみさんの真鍮で創られた昆虫のデイテールも、
一部壁に取り付けられた。
後は今自宅で制作中の谷口顕一郎さんの絵画が、多分飲み過ぎて
倒れていなければ、ほぼ揃う事になる。
木野田君公氏提供の昆虫のデイテール拡大図が、天井画のように
2階吹き抜けに飾られ、会場はやがて昆虫伽藍のように仕上がるだろう。
構成を指揮する河田雅文さんの腕の見せ所である。
昆虫の内部外部世界が一体の、不思議曼陀羅自然となって
我々の視界を囲む。
そんな空間が今週末から週明けにかけて創られ構成されてゆく。
今からわくわくする思いが駆け巡る。
会期中木野田氏の時間が許せば、近くの北大構内を歩き、
昆虫フイールドワークを実行したい。
枯葉舞う野・林に冬の準備に励むどんな虫たちと出会うのだろうか。
札幌・緑の運河エルムゾーンは、同時に昆虫たちの世界でもあるのだ。
一本一本の木は垂直に天地に立つが、その一本一本の集まりが、
森となって有機的な生物のコンミユーンを形成する。
それは小さな宇宙とも思える。
木が、虫が、草が、風が、光が揺れて関わる。
虫の世界から土が見え、森が見え、光が見え、世界が見える。
デイテールに神宿る。
その神こそは、自然という有機的で新鮮な内なる、外なる我々の
生きている都市を超えたランド(国)なのだろう。
さっぽろ・イシカリランド再生の小さな試みは、昆虫の触覚のように
個々の感性の触手を通して表現され、リパブリックする。
昆テンポラリー展、ご期待下さい。

*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材として」-10月12日(火)-24日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 :谷口顕一郎・森本めぐみ・川田雅文・山田航・文月悠光。
 :素材提供・木野田君公氏「札幌の昆虫」(北海道大学出版会)
 :企画・熊谷直樹。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 

by kakiten | 2010-10-09 12:21 | Comments(0)
2010年 10月 08日

人間は川であるー秋のフーガ(3)

来週から始る昆テンポラリー展の展示構成をする河田雅文さんが来て、
養老孟司の「いちばん大事なこと」(集英社新書)という本を貸してくれた。
今回の札幌の昆虫をテーマとする展覧会で、この本は貴重だというのだ。
目を通してすぐに心に響いた文章があった。

  つまり私にとっての虫は、その虫が棲んでいる自然、文明が現れる以前
  に「本来そうであった」はずの世界の象徴なのである。(序章)

さらに第一章の「虫も自然、人体も自然」の中で、

  ・・・去年の今日という日を考えてみよう。その日、私たちの身体は、今年の
  今日と同じように、七割近く水でできていたはずである。
  それじゃあ、去年身体に入っていた水で、今年の今日まで残っているのは
  、何割あるか。ほとんど残っていない。この一年で、自分が何トンの水を
  飲んだか、よく考えてみればいいのである。
  身体は川と同じである。川はいつでもそこにあるが、水はたえず入れ替わ
  っている。

水以外もまた、どんどん入れ替わっている。小腸の上皮は3日で替わるという。
つまり人体も含めて人間も自然であり、「外の自然」などありえないと説く。
昆虫はその自然の象徴としてあって、人間の「脳化社会」・意識がつくり出した
都市として自然と対峙する。
この都市社会とは、「ああすれば、こうする」というシュミレーシヨンで成立して
いて、すべてに対し起承転結を想定し完結させようとする。
そこには「できることと、できないことがあるのだから、できないことは仕方が
ない」と自然を受け入れる<辛抱という強さ>が不足する。
その辛抱とは、かって日本にあった「手入れ」という生活の原理だったという。
里山がその代表的な例で、自然との謙虚な付き合い方の好例だという。
都市文明という土木・土建思想には、この辛抱という手入れの思想がない。
すべてを「ああすれば こうする」とシュミレーシヨンされ一元化される。
その自然破壊の最初の犠牲者が、昆虫の減少となって顕われる。
そのいい例がイギリスで、産業革命後のイギリスの森林は今では国土の
6・8%しかない。そして昆虫の種類などは悲惨なほど少ないという。
都市の外に自然があるのではなく、自然は内なる身体である、というのが
この本の基調低音にあって、私たちがともすれば対立概念として立てる
都市と自然という二元論を、昆虫を通して見直す契機を示唆している。

来週から始る「昆テンポラリー展」は、まさにその内なる自然としての
札幌が主題であり、小さな虫の豊かな形態から都市と我々の内なる
自然を見詰める展覧会でもあるのだ。

<辛抱>という言葉を<自然>とともに読む事が出来て、
昨日から続いている自転車喪失無念は、少しやわらいできた。
泥棒という自然災害かも・・・ね。
辛抱、辛抱・・。(ふっ、ふう)

*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材にして」-10月12日(火)-24日(日)。
 am11時ーpm7時・月曜定休。
 :谷口顕一郎・森本めぐみ・川田雅文・山田航・文月悠光。
 :素材提供・木野田君公「札幌の昆虫」(北海道大学出版会)
 :企画・熊谷直樹。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-10-08 12:27 | Comments(0)
2010年 10月 07日

天高く・・-秋のフーガ(2)

快晴である。小春日和、自転車日和。
一日経って、口惜しさが湧く。
朝起きて窓から青空を眺めすぐ、そんな思いがした。
フライパンに油をさしていたら、間違えて洗浄液を入れていた。
容器の形が似ていて、ぼんやりして見ていなかったのだ。
今日は晴だ、自転車に乗りたいなあと、頭にはそれだけ。
ただの道具、物なのに、愛着という心が在る。
以前のぼろ自転車はブレーキも弱っていて、両手で同時にブレーキ
ハンドルを握り止った。
盗られた自転車は、当たり前だが左手で後輪からブレーキをかけ、
前輪で止める。
最初は前の車の癖で、同時にブレーキをかけ前にくるりと一回転した
事がある。
怪我は無かったが、この時後輪から左ハンドルを先にと、学んだのだ。
物といえばただの物だが、記憶が愛着のように甦るのである。
段々と馴れて、乗りこなしていった愛がある。
そして同時にそれは、引っ越してきた現在の場所の時間と重なる時間
でもある。
それらの記憶が一日目の今日頭に甦り、未練のような、口惜しさの
ようなものとして、晴れた空を見上げると湧き上がってくる。
何時雪が降り積もるか分からないが、まだ当分秋が続くと思うと、
どこか中途半端な気持ちで、諦めきれない気分である。

たった一台の自転車にも、過去が盛られ凝縮する時間の函がある。
そこから溢れる今日がある。
過去というものは、やはり現在に属している。
その今という過去が溢れて、明日を生む。
その純粋形象を、人は芸術というのかも知れない。
個人的な思いが過去を今に充填させ、モノがただのモノでなくなる時、
もしその純粋結晶するなにかを創造し得たなら、その空間函は美術
にも音楽にも、詩にもなる。
本質論へと飛躍しつつも、愛車への思いはそんな事にさえ触れてくる
のだった。
天高く 愛車想う秋 (ふっ・・。)

*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材にして」-10月12日(火)-24日(日)
 am11時ーpm7時。月曜定休。
 :参加作家:谷口顕一郎・森本めぐみ・河田雅文・山田航・文月悠光。
 :素材提供・木野田君公・「札幌の昆虫」(北海道大学出版会)著者。
 :企画・熊谷直樹。
*佐佐木方斎新作展「逆絵画」-11月2日(火)-14日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-10-07 13:45 | Comments(2)
2010年 10月 06日

自転車泥棒ー秋のフーガ(1)

朝、自転車置き場に行くと自転車が無い。
よく見たがやはり見当たらない。
やられたのか、・・・。
先日Nくんが自転車が盗まれたと、しょんぼりしていた。
その時、”・・も、気をつけて下さい”と言ったのを、どこか他人事のように
聞いていたのを思い出す。
もう大分乗っていて、渋くなり貫禄が出て、いい車だった。
この車は友人のAさんとYさんの差し入れである。
以前の車は相当オンボロだったので、見兼ねたふたりが
贈ってくれたものだった。
もう4年近く乗っていた。
昨日朝は雨模様だったので、乗らずに置いて出掛けた。
昼から晴れたので、乗ってくれば良かったなあと思っていた。
月曜日は雨天にもかかわらず乗って行った。
谷口さんの搬出に行く為、テンポラリーへ行き帰りも自転車で帰った。
虫の知らせか、昨日何度も自転車に乗ってくればと、
晴れた午後の空を見て思っていたのだ。
何回かパンク修理、微調整に自転車屋さんに出したが、
その度に店主の親爺さんに褒められた。
フランス製の名車だったようである。

木の葉も色づき、競馬場のフエンスの蔦も赤味を増してきた。
その横を疾走する事はしばらく出来ない。
雪が降れば、自転車の季節も終る訳で、まだ少し間があるが、
そう思って無念を抑えることにする。
朝夕30分近くの自転車漕ぎに代わる運動を、1時間の歩行に切り替え
しばらく我慢しよう。
自転車泥棒の遁走曲、とんだフーガの秋である。

*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材にして」-10月12日(火)-24日(日)
 am11時ーpm7時。月曜定休。
 :参加作家ー谷口顕一郎・森本めぐみ・河田雅文・山田航・文月悠光。
 :素材提供木野田君公「札幌の昆虫」(北大出版)より。
 :企画・熊谷直樹。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-10-06 13:55 | Comments(4)
2010年 10月 05日

故郷を創るー谷口顕一郎展(16)

産まれた場所だから、そこが故郷という訳ではない。
意思的に再び故郷になる時がある。
谷口顕一郎・彩子さんふたりにとって、今回の個展は
そんな意味もあったような気がする。
最終日、中央に吊られた作品を囲んで車座になった宴会は、
そんなふたりの為に自然と集った故郷の披露宴のようだった。
目の前には、千年前の異国の民家壁の骨材を形態として変容し
再生した作品がある。
それは、過去と現在の境を架橋して紛れもない今を創っている。
この過去と現在を繋ぐものは、私たちの短い人生の過去と今を
繋ぐ新たな故郷にも通じるものがある。
5年前稚内からサハリンへ渡り、トナカイの村を経てシベリア鉄道で欧州へ
行き着いたふたりの道程は、こうして今再び故郷に辿り着いている。
それは出た時の故郷とは違う、ふたりの獲得した古くて新しい故郷である。
異国の民家の壁材が作品として再生したように、故郷もまた再生している。
中央に吊られた作品を囲んだ新旧の友人・知人は、作品を形成する裾野
・中腹の故郷のようにある。
持ち込まれた手作りの料理、ギターを持参して唄ってくれる人たち。
ひたすら最後まで飲み続け唄った人。
ふたりを囲繞するそれぞれが、この出会いの今をそれぞれの処し方で
燃やしていたのだ。
この熱い囲繞地こそが、ふたりが獲得した新たな故郷なのだ。
出生の無意識の与件は、意志する新たな与件として、生き深まる。
作品がそうであるように、生きる事も意思的再生行為なのだ。
その事を、時に人は生きるといい、愛ともいい、友情とも言う。
初日の宴から始まり、会期中ふたりも含めて何人もの涙ぐむ人の姿を見た。
この涙はふたりの軌跡を受け留めた、それぞれの想いに発している。
作品そのものを廻って議論し流された涙もある。
ふたりの異国での固い結びつきに触発されて、流された涙もある。
それぞれの心の容(かたち)から、その涙が溢れたのだ。
どれもが美しい涙であった。
高い嶺の優れた作品論にも負けない豊穣な山野、裾野・中腹の
囲繞地があった。
それは個展という場が、谷口夫妻の新たな磁場を創出したからである。
この時作品を囲む磁場の裾野は、ふたりにとっての新たな故郷のように
存在したと、私は思う。
それは一度未知の国へと故郷を離れたふたりが、二人の力で創生した
新たな故里、もうひとつの作品展の風景でもあった。

*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材にして」-10月12日(火)-
 24日(日)。am11時ーpm7時。
 :作品ー谷口顕一郎・森本めぐみ・河田雅文・山田航・文月悠光。
 :素材提供・木野田君公「札幌の昆虫」(北大出版)。
 :企画・熊谷直樹。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-10-05 13:15 | Comments(0)
2010年 10月 03日

新解体新書ー谷口顕一郎展(15)

オランダの北部の都市レーウワルデン市に建設中の、新しい司法省
関係のビル中央ホールに来年6月谷口さんの作品が展示される。
大きさは縦6m横7.5m奥行き4・5m総重量2トンという。
吹き抜けホール4階天井から吊り下げられる大作である。
さらに2年後ロッテルダム市の歴史博物館にも同規模の作品を
展示という。
同市内のビル建設現場から発掘された10世紀の遺構から見つかった
千年前の民家壁の骨材が、美術作品として現代に甦る。
今回の個展で会場中央に展示したものは、この10世紀の民家の
土壁を支えた骨組の遺構を素材にした作品である。
歴史博物館に2年後展示されるものの4分の1のスケールという。
都市の変哲も無い路上の亀裂や壁の傷痕を、凹みとしてトレースし
それを立体彫刻作品として仕上げてきた谷口顕一郎の新たな展開が、
このプロジェクトには感じられる。
これまでとの違い、ひとつの国の歴史の現場での仕事である事、
そして素材は必ずしも凹みではなく、古代の壁の骨材という立体である
事である。
今回実際に見る作品の印象は従来より一層有機的になり、動物的とも
思える動きを備えている事だ。
これが古代の土壁と思えない程、素材の年数は感じさせない。
多分この素材自体は、それ程考古学的に価値あるものではないだろう。
美術家の目は、その形態の美に惹かれ着目するからだ。
会場には考古学チームと共に遺跡発掘現場にいる谷口の写真が
展示されているが、このジャンルの立場を超えた共同の現場記録に、
私はコンテンポラリーな視座の存在を実感するのだ。
専門領域の壁、国家の壁をオーバーフエンスして、美術は美術として
共存し、他の分野と同じ視座に古代遺跡がある。
オランダという国を私は詳しく知っている訳ではないが、この同時代の
視座の存在に深い文化力を感じるのだ。
北のどこぞの都市に最近見られた「地産地消」などという現代版尊皇攘夷
の文化力とは天地の差がある。
私の貧しい知識から連想するこのオランダとは、幕末日本の新井白石・
杉田玄白の仕事「解体新書」の翻訳の仕事である。
オランダと日本を近代において最も繋いだ仕事とは、この医学の人体解剖図
の翻訳である。
千年前の古代民家の土壁の骨材を現代に甦らせる谷口顕一郎の仕事は
考え様によっては、現代美術の新「解体新書」のようにも思える。
古代オランダの民家の骨組みを現代に再生し、新鮮な芸術作品として
顕在化した仕事であるからだ。
さらにいえば、この素材自体は歴史的有名性に縁取られたものではなく、
当時の何の変哲もない日常素材という事実である。
この点においても、人体解剖図である「解体新書」と共通する所がある。
あの「解体新書」の素材もまた、社会的歴史的に著名な人物の解剖図
ではないからだ。
普通の、日常の、誰でもが触れている無名なデイテールがある普遍性
として本質性を保つこと。
その結果が歴史的な時間の日常を現代の日常に連結し
新鮮な何かであること。
谷口顕一郎が試みている世界は、様々な示唆を含んで私たちの今を
触発し、問い掛けるようである。

*谷口顕一郎展「凹みスタデイ#19」-10月3日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*昆テンポラリー展「札幌の昆虫wp素材にして」
 -10月12日(火)-24日(日):素材提供・木野田君公「札幌の昆虫」から。
 参加作家:谷口顕一郎・森本めぐみ・河田雅文・山田航・文月悠光。
 企画・熊谷直樹。

 テンポラリースペ-ス札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-10-03 12:43 | Comments(0)
2010年 10月 02日

京都・大阪の人ー谷口顕一郎展(14)

京都から橘内光則さんが来る。
谷口さんの大学同期の友人である。
京都の企業に勤務しながら、こつこつと絵画を続けている。
昨年の大阪展にも来て、その時南なつさんとも会っている。
それ以来南さんは彼の絵を自宅まで見に行き評価しているのだ。
橘内さんとは今年夏の帰省時にもお会いしているが、
南さん、谷口さんとともに会うのは、大阪の谷口展以来である。
現代短歌の山田航さん、森本めぐみさんも来て賑やかになる。
山田さんは、次回昆テンポラリー展出品の新作短歌8首を持参。
その場でみんなで回覧する。その後沈黙が支配した。
秀作なのだ。それぞれの読後の思いが沈黙を生んだのだ。
閉廊後宇田川さんの居酒屋へ行く。
関西から来た南、橘内両名の歓迎会である。
お酒も進んだ頃、電話が入りK大1年の瀬戸くんが近くまで来ている
と連絡がある。彼はソニーローリンズのライブを聞く為札幌に来て
いて、昼顔を出していた。
程なく谷口、橘内、森本さんの新しい後輩も加わり、宴は盛り
上がった。
瀬戸くんが来て席を移動し、彩さんの傍に座った谷口さんは途端に
めろめろで、部屋の温度が急に上がったなあと、宇田川さんが
冷やかした。
新旧の友人、知人が入り混じって愉快な夜が深ける。
ケンとアヤの入籍、新作発表。
新旧の友人・知人に囲まれてふたりは、新たな船出、新たな故郷の
誕生のように、彼らの札幌をこの日も刻んだのである。

*谷口顕一郎展「凹みスタデイ#19」-10月3日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材にして」
 -10月112日(火)ー24日(日)
:谷口顕一郎・森本めぐみ・河田雅文・山田航・文月悠光。
 :素材提供・木野田君公氏「札幌の昆虫」(北大出版)より。
 ・企画・熊谷直樹。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-10-02 14:41 | Comments(0)
2010年 10月 01日

夏のひとー谷口顕一郎展(13)

大阪から南なつさんが来る。
昨年2月谷口顕一郎展を大阪で企画したキューレーターである。
大阪のギヤラリーでは、2日間お世話になった。
初めてお会いした時、私は彼女の名前を聞いて、
赤が好きでしょう?と聞いた。
理由は朱雀・朱夏と古代の南と夏を表す言葉に
朱が付いているからである。
彼女の苗字・名前、南なつとは正にその朱色に縁ある名だ。
えぇ、好きです、と南なつさんが応えた。
理由を話すと驚き納得してくれた。
それで初対面の堅さは取れた。
今回は多忙なスケジュールをやり繰りしての来廊である。
一番は勿論谷口展の見ることだが、少しは昨年来の私たちの
ギヤラリーに携わる者同士の友情もある。
ドイツまで出かけ、谷口さんを発掘したやり手で気合充分な人である。
そして今回の谷口さんの新作と、ここ母胎としてのギヤラリーを確認
する気持ちもあるのかも知れない。
1年半ぶりにお会いした南さんは、さらに洗練された感じがした。
谷口顕さん、彩さんともドイツで会って以来で、抱き合って喜んでいる。
明日は谷口さんの大学の友人橘内光則さんが、京都から来る。
橘内さんも南さんの目に留まっている様で、橘内さんを含めて
みんなで会うのは、大阪の谷口展以来である。
用事のある谷口夫妻が先に帰った後、南さんとふたりで飲む。
画廊の海外事情、国内事情等バブル崩壊後の厳しい状況を聞く。
彼女も多くの苦労を重ねてきたようだ。
私のように札幌に根を張り、そこから発信する些細な画廊とは違い、
大阪・関西という日本の経済の伝統的中心地で、現代美術を応援し
発掘し、さらに海外にも出かけるキューレーターの生々しさを感じた。
経済社会のドラステイックな荒波をもろに受けて闘っているのだ。
南さん自身は画廊の経営者ではないのだが、自分のハコが欲しい
と呟いたのが印象に残った。
現在はドイツ・ハンブルグのサトウ・ミキコギヤラリーに協力して
世界に日本の現代美術を発信する夢を抱いている。
ミキちゃんとはいいコンビになると私も思う。
人にはそれぞれの適性がある。
南さんはキューレーターとして、その見識眼をフルに発揮した方がいい。
経営はまた別の才能である。
実業の世界でそんな実らぬ苦労を散々経験した私には、ギヤラリーの
世界に実業的運営を主たる事にはアレルギーがある。
バブル時置けば売れたという時代を経て、その後金の切れ目が
縁の切れ目のように去って行った画廊と作家との関係を聞き、
思い当たる事は多々ありながら、お金と美術と画廊の関係を思うのだ。
志(こころざし)だけが、信ずるに足るものである。
美術家といい、画廊主といい、その志の展開に変わりはない。
その事だけが互いの真の信頼を結ぶ。
俗に言う企画・賃貸という有料・無料の範疇に、作家と画廊の関係が
歪小化されるものでは決してない。

*谷口顕一郎展「凹みスタデイ#19」-10月3日(日)まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-10-01 14:39 | Comments(2)