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テンポラリー通信

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2009年 10月 18日

書き加えるー’Round midnight(17)

M美術館M氏よりメールが届く。
原稿の寸評。ブログを書いている時の良さが出ていない。
肩張ったか。
今日、この日をハミガキするように書いているのと、
遠く過ぎた時間を総括するように書くのは、やはり違う。
対象との往還に、間(ま)の速度、ヴィヴィットさに差が出る。
その分固くなるのだ。
今・現在の方にもっと引き寄せる事だ。
初めて夕張を訪れて時との時間差もある。
過去を記録しつつ現在のハミガキをヴィヴィットに、という難題でもある。
ハミガキブログ名付け親のM氏の寸評は、優れて友情に満ち激励でもある。
明後日まで猶予の時間。さらなる推敲だ。
明日定休日山行きは、延期だ。
もう少し書き込もう。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-10-18 12:10 | Comments(0)
2009年 10月 17日

時に佇み・・-’Round midnight(16)

なんとか原稿仕上げて送信。気が抜けた。
なんと言われるか、まだ返事は無い。
重たいテーマを、ヤクザな根性で思い込み多く書いた気もする。
まあ、いつもの事である。
この2,30年の総括とも思える。
2カ月に一度の通院。血圧高め。薬を貰う。
腎臓に気をつけるようにと忠告される。
山に行きたい。汗を沢山かきたい。
紅葉の中を疾走り抜けたい。
私はグループ向きの登山ではない。
ひとりで走る、
いつだったか、登山好きの人に怒られた。
先頭、しんがりは、真ん中の人たちのペースを考える。
あなたみたいに、どんどん韋駄天走りをしては統率がとれない。
登山家失格ですと、その人の顔は語っていた。
大きな深い山で何日も登高する山ではなかったが、原則はその通りなのだ。
それからひとりで山に行くことが多い。
多くても2,3人。
山とだけ関係を保ちたかった。人間関係という社会性は抜きたかった。
それがないから、山だ。
登山道以外を好んで歩いた。新鮮な目と皮膚と耳の発見があった。
心身が山の懐に洗われ、活きかえる。
山は全身の新陳代謝である。
時に佇み、天地に広がる緑、紅葉の中に横たわる。
持参した紅玉と同じ色の森の斜面に腰掛けて、風と葉音を聞いていた。
緑の時は、むせ返るような若葉青葉の匂いに染まって呼吸した。
夏の沢歩きの爽快な汗と水。
冬の真っ白な雪と空の青の世界。
そして木の幹と枝の、命の黒い曲線。
いつも山は私の命を再生してくれる。
プロの登山家には笑われるのかも知れない。
死と向き合う厳しい登山を、君は知らないと。
私はその意味では登山家ではない。きっと遊山家なのだと思う。
私はそういう山でいい。

by kakiten | 2009-10-17 12:55 | Comments(0)
2009年 10月 16日

原稿書きー’Round midnight(15)

弱い頭をふりしぼって、終日原稿書き。
ブログとは違い、息が抜けない。
物を纏め記す基礎体力である。
大きな時間の長いスパンの事を、文に落とすのはヤクザな根性では負ける。
札幌ー夕張。現代ー近代。
これを何とか凌がないと、東京さ出かけれないべ。
石田尚志さんから先日のブログ読んで、メール来る。
カナダ・トロントから帰国して深いところで、もう一度東京を、沖縄を
見詰めている様子。
最初に札幌個展時、夕張を訪れた事もオーバーラップしているかのようだ。
ニューヨーク中岡りえさんからメール。
11月来日とのこと。村岸さんの本予約頼むとの依頼。
一度だけ会ったふたり。その記憶が今を繋ぐ。
切れ切れに過去が今に繋がる。
夕張、イ・パル、その入口。

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by kakiten | 2009-10-16 15:48 | Comments(0)
2009年 10月 15日

慰労会ー’Round midnight(14)

昨夕かりん舎のおふたりを招き、村岸宏昭さんの本出版の
苦労を慰労する会をもつ。
2年間にわたり編集作業を続け、この難しい仕事を見事に成し遂げてくれた。
22歳で遭難死した青年の、原石のような多岐にわたる軌跡を、あるがまま
真摯に見事な一冊の本に仕上げてくれた坪井けい子さん、高橋淑子さんの
編集努力には頭が下がるのである。
ともに本の編集作業を続けてきた数人の友人たちも招き、二人を囲んで
ささやかな感謝の会を催した。
本自体の出版記念会はすでに先月、ご遺族の方の主催で行われてはいたが
、本そのものの出版に携わった者同士の打ち上げではなかったからである。
かりん舎のふたりの苦労に感謝したかったからである。
まるで言い出した私の粗忽さを見抜くように、宴の準備の不足を補うように、
ふたりは両手に一杯の食べ物、飲み物を用意して現れた。
これでは逆だなあと一瞬思ったが、それも一瞬でありがたく、真っ先にパクつ
く自分がいた。
お花をと思っていたが、あいにくいつも行く花屋が休みで買い損ねたのである。
ビールだけは用意していたが、考えればふたりは車で来たのである。
あわてて珈琲をいれた。
仕事を終え予定した人たちが集まり、和やかに出版の苦労話などを聞く。
生前の村岸君本人を知らないふたりの奮闘は、まさに多くの人との出会い、
そして音楽、美術、哲学と多岐に渡る青年との未知との遭遇しそのもので
あったという。
この本自体が、どこのページからでも読む事が出来るように出来ている。
そして、個々の内部でムラギシ的なるものと出会うのである。
反応が今ひとつ伝わってこないと残念そうに、坪井さんが語っていたが、
この本は読んで即返事というような類のものではない。
時間とともに、じわっと浸透する性質の本だよと応えた。
それだけ造本、装丁、内容を含めて重く濃い本なのだ。
未完の原石のムラギシの志は、そうしたプリズムを秘めているからである。
ある局面において、本の内容は読者自身の事でもあるからだ。
それは内部に浸透するゆっくりとした時間が本に内包されてあるからだ。
そして昨夜の談楽する時間もまた、この本と同じように
ゆったりと浸透するいい時間が遅くまで流れていた。

*「自分を代表させるような仕事はまだありません」-村岸宏昭の世界ー
 A4変型版160頁(内カラー96頁)音楽CD2枚・別冊楽譜集付き
 札幌かりん舎発行・定価2000円+税
 残部少々。

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by kakiten | 2009-10-15 13:38 | Comments(0)
2009年 10月 14日

夕張と札幌ー’Round midnight(13)

’80年代から’90年代へかけての仕事が、今また問い直されている。
東京・目黒美術館「’文化’資源としての<炭鉱>」展、来月から開催。
’92年の佐藤時啓展、’94年の吉増剛造展、’97年岡部昌生展、
同年12月畠山哲雄展のテンポラリーでの総括を、今問い返している。
何故あの時夕張に惹かれたのか。
当時札幌とは対極にあった都市夕張に、透視するように札幌を見ていた。
夕張や他の産炭都市からの流入人口も加えて、冬季五輪以降拡大しつづ
けていた札幌と、石炭から石油へのエネルギー資源転換に伴ない廃れて
いった夕張。その対蹠的な都市風景に重なるポジとネガを見ていたのだ。
繁栄のなかの、内なる廃墟。廃墟のなかの、内なる繁栄。
明視と暗視の反転する都市として、私には夕張が在った。
20枚のカタログテキストの為の原稿を、このところ書き続けて
何とか目鼻をつける。
思えば、豪雨による見えない暗渠の川の氾濫から不可視の札幌を見、
美術家川俣正のテトラハウスプロジェクトにより、日常の街角が変貌した。
このふたつの形而下、形而上的暴力によって、私の世界の見え方は
変わってきたのである。
自然の氾濫と、美術の叛乱によって街の風景は、日常から乖離し
別の世界を垣間見せたのだった。
そのふたつの契機があって、私の夕張への視角が生まれた。
廃墟は廃墟のままに、その頃の夕張は豪壮な産業遺構物がそのままに
放置され散乱していたからである。
一方の札幌という都市は、新たな構築物、道路が次々と施工され廃墟の時
間は塗り込められ、夕張とは違う位相での破壊が進行していたのである。
拡幅され整えられた舗道の下に、高層ビルの群立の間に明るい破壊が
埋もれていた。
札幌はサッポロ仕上げに急速に衣を変え、私の父や祖父の生きたさっぽろ
は埋め込まれなくなっていた。
そのサッポロを反転するように、その頃私は夕張を見ていた。
夕張では、<用>を喪失した巨大な建物がものとして風化し、
逆に存在感を増していた。
札幌では、消費の<用>を追い求める巨大なビル群が、公共事業として
増加していた。
夕張真谷地には、往時の頭脳室最上階のコンピューター室が
盤面だけを残し、放置されていた。
机上には書類が散乱し、中に海外からの視察団の写真も捨てられた
ままにあったのだ。
当時最新鋭の設備を視察に来たのだろう、外人の真剣な顔が写されていた。
<会社は家族である>、そんな意味のスローガンも貼られていた。
虚構の家族は会社の消失とともに、家計簿にあたる帳簿も記念の写真も
すべて放置して、そこから人間だけが消えていったのである。
本当の家族ならそんな捨て方は絶対にしないであろうと、
そのスローガンを見ながら思っていた。
ただ、ただ、人間のエゴが人間とともに消え去り、モノだけが残され
朽ちる時間の内に在った。
その朽ちる廃墟の時間は、とても深く優しく柔らかいものとして、
その時私には感じられたのだ。
新しいことだけが特権のような、傲慢で冷たい格差の象徴のような都市風景に
はない暖かささえ、夕張の構築物には感じられたのである。
それは私の夕張への視座であって、あくまで札幌から発した視座であると思う。
その後それらの廃墟化した多くの建物は、撤去され更地となった。
振興助成金の条件が、更地が条件だったからである。
これは米作の減反政策に似ている。田んぼを壊し補償金が出る仕組みである。
今はもうないあの美しい廃墟群は、その豪壮な佇まいとともに、人間が何らかの
使い方さえ保つならば、間違いなく再生できたはずの構築物である。
昨日記した山下邸と同じなのだ。
人間がそこにいれば、優れた建物は喜んで建物自身もそこに住み、活き活きと
するのである。活き活き、生き生きと<生活>を回復させ、再生するのである。
<生活>の本義を、インフラの<用>におとしめ、殺してきたのが狭義の都市
化なのだ。その時点で、サッポロも夕張も同じ位相の陽画と陰画の両面なの
である。
夕張は陽画化して、明るい廃墟としてその後の過程を進んだ。
札幌は陰画化して、さらなる明るい廃墟となりつつある。
炭坑夫さんたちの生産する坑道は、札幌では消費するだけの穴倉化。
ビルの穴、通路の穴と化して、<消費は家族>のようにその明るい穴倉へと
取り込むパック装置群の街となっている。

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by kakiten | 2009-10-14 12:50 | Comments(0)
2009年 10月 13日

山下邸再訪ー’Round midnight(12)

久し振りに快晴の昨日、円山原始林裾野を経て、
円山川ー不動の滝経由で山下邸再訪。
唐牛幸史さんの作品展も正式に展示中で、本人とも会う。
今月で終了だそうである。
オーナーの方も亡くなり、いよいよこの家もどうなるのか。
初めて一緒にこの日歩いたFさん、Mさんもゆったりと家のなかを
見ている。
唐牛さんが淹れてくれた中国茶を味わいながら、畳に足を伸ばす。
時間がゆっくりと流れ、時間が呼吸している。
この空間では、時間は区分されて存在しない。
緩やかな連続の内にある。
過去が違和感もなく、同時に今に存在しているからだ。
そして改めて気づくのだ。
それはここに今、作品があるからだと。
唐牛さんの作品がもし無くて、生活臭を希薄にした、
がら~んとした空間だけであるならば、
この空間もまた新旧で分別されたただの古民家となるだろう。
作品の存在が、この古民家を再生させているのだ。
家屋が作品という今を吸い、呼吸している。
作品を住まわせて、家屋もまた今を生きている。
新旧の時間軸とは違う今がある。
近代と現代がなんの違和感も無く、同時に今という時間を創っている。
この緩やかで心落ち着く美しい時空間を、何故分断する進歩の幻想を我々
は持とうとするのか。
区別・差別・分断のブンベツ軸を、何時から我々は主たる価値観とするように
なってきたのか。
来年この山下邸の記憶を記録する唐牛さんの個展を思いながら、
話は淡々と尽きないのであった。
都市の裾野に秘された遠い時代の原風景を歩いてきた後、その原風景が
家屋の形で生きて今此処にある。
少し歩き疲れた身体を柔らかく包み、抱擁してくれている。
新興住宅街の裏の沢に見捨てられたかのような、遠い時代の聖なる祈りの滝。
そこに立つ不動明王の穏和な表情にも似て、この家屋の空気があった。
都市の縁の風景は遠い時代の記憶であったが、この家はそうではない。
今を呼吸し生きている。
そこに作品があるからである。家が喜んで作品を住まわせ、
自らも活き活きとしているのだ。
その家屋の生む磁場に、内と外の界(さかい)、過去と現在を繋ぐ正統な時間が
宿っているのだ。
そして作品の存在がその回路を開いている。
作品という非日常が、日常を断絶することなく、日常を生き生きとさせる。
かってあった何の変哲も無い些細な事象が輝きを増して、
より本質的な存在となる。
真鍮のノブが、廊下の軋みが、窓ガラスの歪みが、鴨居の凛とした直線が、
室内を抜ける風が、午後の光が、その事実を伝える・・。
こうした呼吸する美しい時間を留める空間を、家屋として保っていた正統な近代
を、我々は何故捨てて来たのか。
そうあらためて、問うのである。
毎日通学路としてこの家の前を通り過ぎていたFさんには、きっと感じる事が
あったのだろう。Fさんも、Mさんも寡黙な一日だった。
「この道」を、通路として石のように黙殺してきた日常。
路傍の石のように黙殺された<通路>の日常時間と、この家が保っていた
<この道>の日常時間とには、見えない時間の断絶がある。
その見えない時間の断絶とは、私たちの時代の貧困でもある。
山下邸を辞して伏見稲荷の朱の参道を上り、環状線で分断された道路を渡り、
本来の麓へと続く磨り減った石段を下る。
そこから琴似街道に出て、途中アカシア公園壁に保存されている古地図を見る。
山下邸の辺りはいくつかの養狐場の記載があり、不動の滝も記載されていた。
思えば半日で百余年の時空を旅した訳だが、暖かい一軒の家屋の時間が
何よりも具体的にその時空のすべてを、今に伝えてくれたのだ。

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by kakiten | 2009-10-13 13:09 | Comments(0)
2009年 10月 11日

霰(あられ)降るー’Round midnight(11)

朝、傘をさして出ると、バラバラと傘が鳴る。
地面を白い固まりが跳ねている。
雹(ひよう)か、霰(あられ)か?
一気に冬のノック。
街では芸術の秋とかいっているけれど、枯葉舞う前に霰だぜ。
あられもないこの姿どう思う?
なんて、おじんギヤグ言っている場合ではない。
目の前の冬、現実と向き合い表現しようぜ。
一年を夏の年(sak pa)冬の年(mata pa)と数えた、先人の季節感に
謙虚に耳を傾けでなければならない。
4等分の四季は此処にはない。
秋をsak-kes(夏の末)といった(知里真志保)の言葉を実感する朝だ。
バーチアルな都市風景を透視して、その化粧下の素肌を叩こう。
精白した風景から、風景の玄米を奪取しよう。
殻も皮も喪った異様な直線の街に、真の土壌はない。
モグラのように穴を造る、モグラアートが群れてあるだけだ。

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by kakiten | 2009-10-11 12:25 | Comments(0)
2009年 10月 10日

冬の年(mata pa)へー’Round midnight(10)

昨日は冷え込む。もうTシャッは止め、長袖。
手袋はいて自転車。
やっと原稿に集中する。少し寒いくらいがいい。
東京Iさんの原稿頑張ってというメールに勇気づけられる。
今朝は晴れて少し暖かい。
明後日の円山川、界川散策晴れる予報。
山下邸も寄るつもり。それまで原稿脱稿しなきゃ・・。
来週からの展示にも備えなくてはならない。
峠には積雪とニュースが伝えている。
初冬と晩秋の交錯する時季だ。
心燃やして、冬の年(mata pa)へ go!。

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by kakiten | 2009-10-10 11:58 | Comments(0)
2009年 10月 09日

直角の街ー’Round midnight(9)

夕刻小樽のT氏に電話すると、今札幌のTギヤラリーに居るという。
大島龍展の個展会場なので、来ないかと言う。
龍さんの個展も久し振りなので、出かける事にする。
台風の接近で雨が降りそうだから、自転車は置いて出る。
案の定途中から小雨が降り出す。
地下鉄大通り駅で降り、ジョアンでパンを買い、ついでに手土産にする。
駅前通りの道路は地下通路の工事で、路面は鉄板と段差が多い。
雨の夕暮れの所為か、行き交う人も下向きで早足の直線だ。
いつもの街の歩行リズムが、夕闇でさらに加速されて感じられる。
足音が鉄板の道路に固く響く。
時計台に近いビルの2階にある会場に着く。
会場には和紙と思しき紙に、青色の沁み込んだ絵が並んでいる。
線が波のようで、布の染色のようにも見える。
室内空間の照明ではなく、自然光でこの青の作品を見たいと思う。
この空間には何の魅力も感じられない。
陳列はあるが、exhibitionはない。ex-前へ、外にがないのだ。
石狩に住む大島龍は、その野外の精神をこういう所で本当に発揮できる
と思っているのだろうか。
軽く雑談を交わし、程なくそこを出る。
T氏と夕飯をと思い、時計台ビルの地下へと向かう。
時計台の前のホテルのあった場所はいつの間にか、花畑牧場のカフエに
なっている。傘を差し、そちらに目をとられていると路上に段差があり、転ぶ。
足下まで、直角だぜ、この街角は。
かって旅館でありホテルだった事を想い、今やあの生キャラメルの花畑牧場
かと感慨をもったのが、足下お留守の油断となる。
♪ああ、そうだよと、「この道」の心の振幅は許されない街角である。
これはもう道ではない。観光の時計台を観る通路である。
地下通路だけではない。地上の道もまた、通路と化している。
用に向かって一直線の観光排水路である。
あの段差は、ビル側のここからは自分の所有地という証としてある。
直線と直角で構成されたこの街路は、道ではなく指示通路である。
道も自己主張で構成されている。
結局北地蔵という古い喫茶店に入り、やっと一息つく。
市役所の高層庁舎を主とするあの街角は、夜歩くと良く分るのだが、
実に素っ気ない直角の街角である。
空に地に直角・直線の支配する街角である。
さっぽろが、サッポロになるのも良く分るのだ。
そして街からさっぽろが消え、市役所と地下鉄駅位しかさっぽろという名も
なくなっているのではないかと思えた。
道央とか道立とかさらにより大きく統合的な公的名称が増えているからだ。
あとはカタカナの、妙に国際化を意識した形容詞サッポロである。
等身大のさっぽろは肥満化してメタボのサッポロの道央肥大化である。
この肥大化した石狩の孤児さっぽろを、石狩に住む札幌生れの大島龍よ、
君はなんとも思わないのか。

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by kakiten | 2009-10-09 13:29 | Comments(0)
2009年 10月 08日

嵐の前ー’Round midnight(8)

石狩に上陸する予報はないけれど、なにか嵐の前のような灰色の空気である。
そんな日ムラギシのCDを聞く。
海の波音、川の音、バスの中、街の音、バッハ、ロック・・。
正に「越境的」であり「未分化的」(南聡・作曲家)な音の集積である。
場所もジャンルも超えて、透明な風か波のように疾走して行った。
そう思う。
台風の近付く前日、なにか風の予感に満ちて聞くのがいい。
個展中ダビングしては販売していた「銭函→星置」の曲が懐かしい。
”会場費が出ますよ”と、沢山売れて嬉しそうだった。
日本海の波音を収録して、ギターが応える。
さらに注書きに拠れば、「木は水を運んでいる」展で使用された、
円山川源流の川音もここには収録されているという。
展示に使用した倒木の白樺のあった場所である。
源流の川音と川の還っていく母なる海の波音。
そして、この水の始まりと終りを繋ぐふたつの始原の水音を繋いで、
白樺があったのだ。
その回路としての白樺をみんなが抱擁して、目を瞑り耳を澄ました。
白樺は私たちとムラギシの共同行為の回路だったと、あらためて今また思う。

 とりわけバシュラールの「物質的想像力」という概念、つまり、地・水・火・風
 という根源的物質が人間の想像力の源泉という考え方を実際の芸術作品に
 おいて検証できるかどうかに関心をもっていた。
                              (北村清彦・北大教授)

と、彼の恩師は記している。
さっぽろという生まれ育った場を、彼は最後にその根源的物質である風・水
地を白樺を通してともに共有する回路を提示してその人生を終えたかに思える。
さらにいえばこの白樺を抱く回路とは、この場の<再生><奪還>の行為だっ
たとも思えるのだ。
山の奥深く湧き出る小さな水の始まり。そして地球なる海へと繋ぐ回路の内に
、わたしたちの今生きている地の物質的基底もあるからである。
その地の過程そのものを抱きしめ、奪還・再生する深くラデイカルな行為として、
最後の個展の位置があったように今思うのである。
そして会場で初めて公開された「銭函→星置」の曲には、この水・風の流れを
追って弾くギターの激しい指先に、彼のこの地に対する熱い命の<火>も宿っ
ていたに違いないと思えるのだ。

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by kakiten | 2009-10-08 13:56 | Comments(0)