人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ

<   2009年 09月 ( 25 )   > この月の画像一覧


2009年 09月 18日

音と写真ーSeptember Voice(16)

天気よく穏やかな日。家でぼんやりTVを見ていても、
どこも同じようなニュース。TVは時間を食う。
乾していた毛布が風で落下。着替えて下まで回収に降りる。
入口付近にいた犬が怪訝そうに見詰める。
布団を回収して戻る時もまだいてじっと見詰める。
飼い主が、なんとかちゃんどうしたの?と首の綱を引く。
大きめの犬で吠えるでもなく、ただただ見詰めている。
気があるのかな、とウインクしオスっと挨拶する。
途端に吠えられた。オスッ、これがよくなかったのかも知れない。
あたいは、メスよと応えたのかも。

着替えた以上は家には居れない。明日のライブ用に会場を調えに行く。
エレガントピープル。アルトサックス仲西浩之。ギター小板橋智。ベース絹川信二。
ドラムス有山睦。この4人のモダンジャズ演奏である。
それぞれお堅い職業の人たちだが、その演奏は白熱的である。
特にリーダーの仲西浩之さんのアルトサックスが絶品である。
いつだったかタペストリーの作家貝沢珠美さんの作品にソロで絡んだ事が
あった。上から吊られた作品の内側に入り、アルトサックスを吹き続けた。
サックスの巻きつくような音色と織りの作品が見事なハーモニーをなしたのだ。
風貌も含めて絵になる人である。
この仲西さんも含めて他の3人は、普段の日常生活から対極にある浪漫・情熱を
音に込めて演奏する。
この解放感、ひたすらな脱日常姿勢が彼等の演奏の基底にはあると思う。
生活という日常を希薄にする事が音楽的生活と思える人も多い。
それはそれでいいのだが、彼等4人はもっと普段の生活人をベースのもっている。
かといってそれをアマチュアという範疇で括りたくはない。
彼等の日常の対極にある情念が、演奏に磁石のように磁場を生んでいるから
である。
一方の極に行きっぱなしの放縦さ、甘えはない。
多分正反対の日常と非日常の極を往還して、音が空間を解放させるのだ。
藤倉翼さんの真向微塵なネオンサインの映像と、彼等の真正面な日常から
生まれる音は、きっといい応答を会場に醸し出すに違いない。
生活という言葉の本義、<生き生き、活き活き>の意を日常生活から奪還する
為、彼等の演奏はあると思えるからである。
それは宣伝示威としてのネオンサインの日常を解き放った藤倉翼作品と同様、
日常と非日常を通底するトニカを、彼らの写真と演奏という作品行為が保って
いるからだ。

*エレガントピープルJAZZライブー9月19日午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503


 

by kakiten | 2009-09-18 14:53 | Comments(0)
2009年 09月 17日

掃除・洗濯・布団干しーSeptember Voice(15)

藤倉翼展、エレガントピープルJAZZライブまで、会場が空いたので、
たまにゆっくり部屋を整理する。
まあ整理といっても、掃除機をかけ、布団を干し、洗濯物を干しただけだ。
破れ布団を干すのは、多少人目を意識するが、天気の良い日と布団を取り
込む時間が取れる時にやらなきゃいけない。
遅く帰ると布団が湿ってなんにもならない。
昨日藤倉翼さんが来て、デザイナーのU氏とともに仮展示を試みる。
仲西浩之さんたちのJAZZライブの時、背景に彼のネオンサインの写真が
並ぶ予定だ。
下から見上げる夜のネオンではなく、ネオン塔と同じ水平目線で撮られた
彼の写真は、一瞬はっとさせられる。夜景の情緒的存在ではないからだ。
聞くところによると、ネオン管のひとつひとつは職人さんの手造りという。
現在は、ダイオードに取って代わられているようだが、もともとは違うという。
場所によってもその作品は微妙に違うという。
盛り場の空気感を、実はあの光が演出しているようなのだ。
宣伝文字も時代で意匠が異なる。もう現存しないネオンもある。
こんな事を真正面から撮影し記録する人間など、そうざらにいるものではない。
藤倉さんは札幌でも薄野、北24条、琴似、さらに東京大阪の
繁華街のネオンをも、出向き撮影している。
その結果場所によってネオンサインは違うという。
私はこの真正面から被写体に向かう彼の姿勢が好きである。
ネオンだけではない。
スキー場も海水浴場も巨大客船も団地もすべて真向微塵に捉えている。
巨視の目線でもあり同時に、微視の目線でもある。
それは彼が使用している巨大写真機、8×10の威力にもよる。
あの写真館で使用される撮影者が布を被って写すカメラである。
あんなものを担いで屋外に、ビルの屋上にと、出没し撮影するのだ。
ネオン塔を撮影した時も隣接するビルの屋上から撮ったという。
今回は「向き合えば、ポートレート」という主題の作品も展示するという。
巨大被写体に向き合ってきた彼が、たったひとりの人と向き合う。
そこに被写体へのある深化が窺われるのだ。
今恋しているという。いいね、真向微塵にぶつかり、玉砕かも知れないけれど、
それは結果論である。
写真家としていい仕事をした方が、勝ち・価値である。
これまでのすべてのテーマを凝縮して、そのエッセンスが展開される事と思う。

このところ写真の人たちが意欲的である。
アキタヒデキさん、竹本英樹さん、メタ佐藤さん、小林由佳さん、森美千代さん
と今後がみな楽しみな作家たちだ。
来年は、これらの人たちが連続して主題を立て展覧会を続ければ面白いと思う。

*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展-9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 

by kakiten | 2009-09-17 13:49 | Comments(0)
2009年 09月 16日

一枚の絵ーSeptember Voice(14)

クレヨンで描かれた小さな一枚の絵がある。
手前には森が描かれ、その向こうに大きな建物が建っている。
父の遺した絵である。
美術家志望だった父のたった一枚だけ遺された絵だ。
10代の後半くらいに描かれたものと思う。
明治の祖父は、美術志向の父を手元に残し、他の兄弟姉妹はみな
道外へと送り出した。
明治は時に実(實)の思想を重んじる。
美術・文化は実(實)ではないから、父はうつつ(現)者と思われたのだろう。
その屈折は戦後の父の人生のエネルギーともなるのだが、
この一枚の絵には、10代の素直な世界観、憧れがあるような気がする。
丹念に描き込まれた森の緑。そしてその奥に建つ構築物。
この直線の建物に、若い青年の志、意志を見る気がする。
この意志は、開拓の祖父の意志ときっと同じ波長のものと思える。
手前の濃い森の姿は、きっと北海道そのものの現実であり、すくッと立つ
建物は、祖父の意志と同じトニカ(基調低音)を保っている。
その意思を実践・実行としたか、絵画の浪漫としたかにふたりの差異もある。
祖父の子として、その思念を純粋に表している子がいる。
先日街を歩いて、植物園の広大な敷地の空を見た時、
ふっと父の遺した絵を思い出していたのだ。
風景の前提はすでに反転している。
森の向こうに未来への意志のように建物はないのだ。
建物群の挾間に樹がある。
善意の意思は今は負の意思として感受される。
父なる、祖父なるその意思から遠く、私の現在(いま)がある。
人間の意志の象徴たる高くすくッと立つ高層の構築物。
その建物と森の調和・浪漫。
その幸せな関係性とはいつしか逆転した場所で、うつつ(現)と実(實)がある。
私の現実(リアル)は、うつつ(現)が森で、実(實)が高層ビルだから。
圧倒的な森の描写。そしてその向こうの憧憬に満ちたように思える構築物。
このロマンの反転、暗転を如何に見詰め引き受け得るか。
ある種の濃い善意の結末たる現実。
そこに父への敬愛と同時に血みどろの闘いもある。
森への浪漫も、構築物への浪漫も決して安息を与えはしないからだ。
うつつ(現)と実(實)の界(さかい)こそが、生きる戦いの磁場である。

父さん、不肖の息子はそう思うのです。
あなたの描いた森、あなたの意志した構築物。
その両方の挾間に今私は生きているからです。

*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
 :仲西浩之(as)小板橋智(g)絹川信二(b)有山睦(ds)
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-16 12:11 | Comments(0)
2009年 09月 15日

24軒の通りーSeptember Voice(13)

酒井博史さんの移転地、西区24軒のお店に行く。
今日が開店ということだったが、まだまだ片付いてはいない。
クレーン車で運んだという活字印刷機械、鉛の活字がとにかく納まって
これから細い片づけがある。
最初にお母さまが明るいお顔で迎えてくれ、ぽつりと”引越ししてよかったわ”
と呟いたのが印象的だった。
南西向きの角地で、陽射しが暖かく明るい。
2階は住居で、こちらもまだ引越しが済んではいないが、
職住一体で無駄がない。2万位違うという。
地下鉄駅にも近いのだが、この地域はエアーポケットのような処だ。
道幅も車社会の道幅ではなく、床屋、美容室、クリーニング店、寿司屋と
生活の匂いがある。
何よりも西を見ると正面に三角山が見えるのがいい。
古い道の証拠である。
24軒という地名もそうだが、集落のプリミテイブな薫りが漂う。
判子と活字屋さんという生活スタイルが、この街角にはすんなりと収まるのだ。
向かいの空き地に10階建てマンシヨンが建つらしいが、ベースにこの雰囲気
がある限り、非等身大の街とは充分戦える事だろう。
逆に酒井博史の生き様がこれからより先鋭に問われる事なのだ。
近くの懐かしいような喫茶店で珈琲と軽い昼食をとり、明るい表情の酒井さんと
別れ、時計台ビルで最終日になる故村岸令子さんの作品を見に行く。
市庁舎に近く時計台の観光客で賑わうこの界隈に着くと、時間の流れが違う。
人も建物も直線的に動いている。時間の幅もそうである。
賑わっているのだが、滞留する岸辺がない。
菫の花のような村岸令子さんの作品は、花壇の中のように思え、
落ち着かなかった。
あの街は流通の場である。死者もまた、流通の一環、一部のものでしかない。
休日の一日、この他にも動き回ったが、場所によって歩行のリズムが違い、
疲れたなあ。
空が狭く、直線に切り取られ、人も建物も道も指示性に強制されている。
目的を曖昧にたゆたう事は、許されない遮断性がある。
街を少し抜け植物園のある界隈に近付くと、急に空が広がり時間が
緩やかに回復する。
視界の周囲に被さっていた直線の圧力が消えたからだ。
見知った人には誰も会わず、風景だけと対話していた所為だろうか、
バイクを停めて声をかけてきた知人にも、上の空の自分がいた。
街に行く時はやはり、背広で身を固めた方がいいな。

*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
 :仲西浩之(as)小板橋智(g)絹川信二(b)有山睦(d)
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-15 12:26 | Comments(0)
2009年 09月 13日

通り雨ーSeptember Voice(12)

さっと音がして、雨が降る。
通り雨。
自転車の30分。朝濡れずに着いた。
珈琲を淹れ、パソコンに向かっていると、
車の濡れた音がする。
シャーッ、シャーッと車の走る音がする。
雨が止んだ後、濡れた路面の音。
静かな空気の日曜日。

88歳を迎える詩人江原光太さんの、米寿のお祝いの会を企画する
打ち合わせが昨日ある。
もう養護施設に入ったというが、これまでの仕事をこれを機会に振り返り、
きちっと見詰めなおす場をもちたいと、詩人のTが相談にきたのだ。
彼は道立文学館での展示を考えている。
ルンペン詩人というか、市井に生きた貧しい詩人にこういう公的な場所は
なかなか進んでは、開放しないようだ。
しかし、江原光太さんの生きてきた時代をきちっと俯瞰する視点を保つ事は、
現在を生きる我々にとって、とても大事な事である。
江原さんの仲間内だけの祝い事にはしたくはない。
戦前戦後を通して、反体制的視点を持続したこの詩人の軌跡は、さまざまな
現在に繋がる大切な要素を保っている。
今こそ公的な場で、江原光太展として俯瞰することの意味は大きく深い。
最近家族の問題で引き篭もりがちな優れた詩人Kや、建設土木の業界紙で
仕事に追われている詩人のYたちも交え、Tと話を重ねる。
江原さんの長い人生には、色々な関わりが交叉していて、そのどれかに
偏ると本質が見失われる恐れがある。
根の部分で時代と表現の本質をどう軸心に据えれるか。
そこが最大のそして唯一の同時代的主題なのだ。
TやYやKや私にとっては、いわば父なる世代に属する江原さんの生き様を
如何にべったりではなく、媒介として位置付けするか。
その軸心があって初めて江原光太展は俯瞰し得る視点を持つ事ができる。
あれもありました、これもありました、またこれだけがいいですでは困るの
である。企画する人間の真摯な現在が問われるのだ。

村岸宏昭さんの作品集が今月19日に出版される。
この22歳の青年の遺事を一冊の本にする事さえ、足掛け3年の時間を要した
のだ。まして、88歳の江原さんの仕事を今展覧会として成立させる為には
さらに多くの努力と時間が必要である、
我々は悩み、迷い、逡巡しながらも、とにかく実現する方向で昨日の会議を
終えたのだ。
そしてこれから、TやKとYとの江原光太さんを媒介とした新たな、垂直な時間
軸の構築をこれからともに創っていく作業に入った事を、今予感しているのだ。

通り雨が過ぎ、地面が濡れしっりと秋である。
昨日の会議がこの雨のように沁み込み、時を深める事を願っている。

*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)ー10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-13 12:34 | Comments(0)
2009年 09月 12日

紙魚豆本ーSeptember Voice(11)

彫刻家の岡部亮さんと美術家の新明史子さん製作豆本が、昨日の道新夕刊
に取り上げられていた。
村雨ケンジという評論家の文である。

・・・背の部分を接着剤ではり固めた「無線綴じ」が普通だが、この本は糸で
綴じてあり、その発見に新鮮な感動がある。
一冊ずつ本を綴じる、作者の息づかいが伝わってくるようだ。

このコラムはその対象をマンガを主とする欄のようだが、パソコンによる印刷物
製作全盛の今日、このふたりの美術家による手造りの豆本が、書物復権への
共感として語られている。
岡部亮さんは、教育大在学中よりすでに先鋭な彫刻作品を多く発表していたが、
近年はもっぱらこうした手造りの豆本造りに没頭している。
素材こそ違え、彼が本という形で造っているのは、メッセージを伝えるある造型
であるとは感じていた。
今は第5集まで造られているが、そのメッセージ性を一番感じさせたのは
第一集第3巻「丘陵日」である。
生まれ育った北広島市を歩き、その地形的発見を絵と言葉で綴った一巻であ
る。
この前年彼は沖縄へ一人旅し、打ちのめされるように帰国したが、在沖中ひたす
ら琉球古代の城壁を写真で写し続けていたのだった。
そこで感じた何かが、その後彼の生まれた場所への眼の探索へと向かわせる。
そのひとつの成果がこの第一集3巻の「丘陵日」である。
生まれた時から過ごした何の変哲もない丘、坂、野、川。
それらのひとつひとつが有機的な総体としてやがて風景として俯瞰される。
その率直な感想が文となり、俯瞰した風景が絵となっている。
これは彼が沖縄で打ちのめされ、写真で記録するしかなかったものと同じ
行為によるものである。
彼は故郷の風景に対し、もう無意識に接する事はできない。
ひたすら見据え、歩き、その地形・風景の原(もと)を写真を撮るように絵と言葉に
したのである。彫刻家として造型する以前の眼のデッサンである。
形態は豆本であり、マンガのような絵であるが、その本の造本も含めて
最低限の彫刻的立体行為でもあるのだ。
北に移住した広島県人を意味する「北広島市」という開拓者の地名、札幌の住宅
エリア衛星都市の下に埋もれている本来の固有の大地、その風景の喪失した殻、
皮、種を再生し地形として故郷を見据える行為が、この豆本のメッセージである。
風景を造り返す事。
今だ彫刻にはまだ至らず、目の前の風景を構造として再構成するデッサンの
ような行為である。
先日新しくできた第5集を届けてくれた時、私は彼にさり気なく聞いたのだ。
彫刻の方は?
そろそろ体が持て余しているんです。むずむずして・・。
そう、来年彫刻で個展を考えたら、どう?
え、え。
そんな会話を交わした。
もうそろそろ眼のデッサンは終り、彼本来の彫刻の季節(とき)が来る。
白米化し漂白された風景の奥底の、風景の玄米を取り戻すラデイカルな行為
として、これから彼の真の彫刻が始る日も、きっと近いのだ。

*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)ー10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-12 11:54 | Comments(0)
2009年 09月 11日

酒瓶一本ーSeptember Voice(10)

気温が少し上がり、晴れ。夏の末深く、秋。
昨日久し振りに佐佐木方斎さんが、酒瓶一本持って来る。
村上善男さんの「常盤村紙円の繰り」を熱心に見ていた。
初めて見るという。
古文書の和紙をベースに華やかな円が中心にある。
よく見るとその円は糸で縫付けられ、中に赤い糸屑が散らされている。
和の伝統素材を意匠的にモダンに変身させた作品である。
津軽のモダニズムが横溢する存在感ある秀逸な一点だ。
廃棄物の新建材を削り着色した’90年代後半の佐佐木方斎の視点が、
この古文書の再利用した作品に、どこか共通するものを感じていた所為
ではないだろうか。
他の作品もゆっくり見ていたが、これらの作品と同じ時代の空気を彼は吸
っていたから、作家の事も個人的に知っているのだ。
それぞれの作家の表現の境界(さかい)をテーマに、展示していると言うと、
なるほどなあと得心してくれた。
それから持参した酒瓶を開け、飲む。
酔いも少し廻るころ、どう作品創っている?と水を向ける。
デッサンが何事も基本だから、その準備はもうしている。
来年後半には発表したいという。
’80年代イカロスのように飛んだ彼が、翼を焼かれ墜落した’90年代を経て
今これから新作に挑む気力を回復した事が、正直嬉しかった。
将棋道場にばかり通っている日々のようだが、聞くと色んな職業の人がいて、
将棋を指すという一点だけで交流する事が、純粋な人間関係でいいという。
おまえ、それは美術も同じだろう。その一点だけで人が繋がるという点において
は・・、と言いながらふと気付く。
そうか、そうでない付き合いを多く経験してきた佐佐木方斎だもなあと思う。
今そうした煩わしさを抜け、純粋に画家になれる時なのかも知れない。
将棋の棋譜にも美があるという。個人が出るという。
美術界の多くの知己と別れ、そうした世界に心の安寧を求めていた
彼の純粋な癒しが、何となく分かる気がしていた。
しかし、こうして酒瓶一本持って短い秋の夜にふたりで酒を酌み交わし、
明年の個展を語れるようになった事は、慶事であるのだ。
俺もまた来年まで頑張れるぜ、そう応えてささやかな宴は終わったのだ。
かって両端のような場所にいたふたりが、その周囲にいた人たちが去った後、
作品を通して今繋がりを深めている。
あの当時のそれぞれの周囲にいた人間は遠く、訪ねて来ることもない。
酒瓶一本持って、場末の画廊主と場末の将棋指しの画家が飲んでいる。
秋の冷気がふっと緩んで、人肌のように吹く宵であった。

*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-11 12:14 | Comments(0)
2009年 09月 10日

肌寒く光射すーSeptember Voice(9)

もう長袖。
肌寒く、風強く、空高く。
この風の源(みなもと)には、冬がある。
北の夏は速く去る。

”芸術の秋”とかいうキャッチコピーに街が踊る。
しかしここは夏の末、冬の始まり。
風の源はそう告げる。
長い春もなく、静かな秋も短い。

旗竿に鉄綱のロープが揺れて、音を放つ。
カーン、か~んと。
空気が澄み、冷気が満ちている。
樹も花も内向きに力を蓄え、命の赤が濃くなる。
長い冬、白い圧力に耐える準備なのだ。
先日Aさんの花日記、山芍薬の実が載っていた。
割れた実の皮の間から、深紅の種子が覗く。
春、清楚な白い花を咲かす命の源だ。
植物の保つ肉食のようなその色、形態。
花だけを愛でる事の一面性をこの種子の様態が教えてくれる。

白米のように精米された風景に源はない。
風景の中に秘められた、玄米の風景を感受せよ。
街は精製された白米のように、簡便な咀嚼に充たされている。
思想の歯を磨き、喪った皮を、殻を、色を咀嚼しなおさなければならない。

冷気を含んだ朝の道を走りながら思った事だ。

*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
*エレガントピープルjazzライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-10 11:55 | Comments(0)
2009年 09月 09日

界川の夢ーSeptember Voice(8)

年末から年明けにかけて個展予定のM・Mさんが来る。
これで3度目の来訪だが、段々実年齢に近付いてくる。
最初は小学生高学年、次は中学生。今回は高校生に見えた。
そう告げると笑って怒りもしなかった。
旧山下邸を訪ねた話をする。早く見たいという。
来月もうひとりのこちらは本物の高校生と3人で訪ねる予定だ。
今朝夢を見たという。界川を歩いている夢だそうだ。
そうか、ではという事で全2時間4本ある「界川游行アートイヴェント」の内
戸谷成雄さん、鯉江良二さんの収録されているヴィデオを見せる。
旧山下邸と同じ時代の洋館鬼窪邸で、彫刻家戸谷成雄さんが自作の前で
語っている一巻。
もう一巻は鯉江良二さんが界川源流の滝でインスタレーシヨンを
している一巻だ。
さらに藤木正則さんが暗渠の川道に巨大な木炭で線を引くパーフォーマンス
をしている映像も収録されている。来月歩く前のガイド映像にもなる。
まだ円山の空は広く、タワー系のマンシヨンが少ない。
ちょうど20年前の1989年の映像である。
私まだ2歳とMさんが呟く。
藤木さんのパフォーマンスにも岡部昌生のフロッタージュにも多くの子どもたち
が映像のなかに出てくる、面白がって附いて来るのだ。
この子たち位の年齢だねと画面を見る。
主だった建物のいくつかはもう無くなっているのだが、作家と作品は少しも
古く過去のものとは感じられない。
今見る風景の方が虚構にさえ見えてくる。
存在感が薄いからである。そこに時間の保水力が感じられないからだ。
映像にある鬼窪邸、石山軟石の佐藤倉庫。そこには時間がたっぷりと蓄積され
ている。そして作品がその時間の水位と同じ喫水線を保ってあるのだ。
佐藤倉庫のオーナー夫妻がその石倉への愛着をポソリポソリと語る場面に
建物とともに地域に生きた人の姿もある。
そうした場に設置された作品群は、日常性としては、<Sence of wondar>
(なんじゃ~これ!)でありながらも、遠い川の記憶を甦らせるショック装置として
許される非日常でもあるのだ。
作品を理解している訳ではない。ただ何だか分らないけれど、在る事を許して
いるのだ。その存在が、埋もれていた大切な記憶、その場所に保っていた愛着
を呼び覚ましてくれるからである。
日常の時間の推移とともに埋没していた大切な日常。
その記憶が再び光があたり、輝き出すからである。
記憶の中の廃屋に明かりが灯るからだ。
時間の泉源が溢れて、人の心を開放し、言葉となる。
ぽつりぽつりと雄弁ではないが、語りだすのだ。
これは旧山下邸で唐牛幸史さんから聞いた山下トヨさんの話と
同じ性質のものでもある。
時間の垂直軸と現在の横軸が交叉する時の流れの泉源に、
作品が触れるからだ。
時間の垂直軸、時の泉源を保たない現在など、
軽佻浮薄なただただ流れ去る今の一瞬でしかない。
現在の横軸だけを自己目的化した量数を羅列した何百メートルとかいう
地下通路のイヴェントなどに、生きた言葉や作品と時の泉源との交叉
が生じる筈がない事は自明である。
ショウウインドー窓辺の百人とか地下通路何百メートルとか、
ただ数量の形容羅列な空しさを何故感じないのか。
そんな話をMさんとこの映像を見終わってから話したのだ。

川の流れに水源があるように、時の流れにも水源がある。
その泉に触れることこそ、芸術・文化の保水力ではないのか。
その事が20年前経って今も涸れぬ界川の保つ夢でもあるのだ。


*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
 :一原有徳・村上善男・安斎重男・坂口登・黄宇哲・岡部昌生それぞれの
  境界(さかい)の現場展
*エレガントピープルjazzライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-09 12:14 | Comments(1)
2009年 09月 08日

旧山下邸ーSeptember Voice(7)

休廊日の昨日、再度旧山下邸を訪ねた。
玄関の前で唐牛さんが作業をしている。
内部に入ると先日来た夜とは違い、光が透り抜けてゆく。
奥の部屋の窓から見える隣の廃屋の壁が美しい。
窓の棧の木の撓み。柾板の壁の柔らかさ。窓ガラスの歪み。
もしこれが冬であれば、きっと軒下の氷柱と雪の白い翳がさらに陰影を
濃くするに違いない。
そんな札幌を舞台にした黒澤明の「白痴」の映像を思った。
今昼光で見ると、建物の細部がみんな時を蓄えているのが分る。
唐牛さんの作品も各部屋に並んでいるのだが、これらは少しも強制的でない。
見る事を強いる事がないのだ。
<展覧>というより、ただただ作品が在るのだ。
家と空間と外部が豊かに同時に存在していて、
それぞれが尖って主張し強制をしない。

畳の部屋で寝転がり足を伸ばし、唐牛さんの話を聞いた。
16年前ここを修復し初めて展示した時、隣家からこちらを見ていた
オーナーのお婆さんが言ったという。
今夜はここに泊まってくれないか。灯りが点いて、とても嬉しいから。
嫁ぎ子供を育て暮らしてきた家。そこに再び明かりが灯っている。
それを隣の家から見る事は大きな喜びだったのだろう。
消えたはずの時間に、明かりが灯っているからだ。
もう復元できる時間ではない。しかし心の中の記憶は再生する。
作品があり、人が居て、灯りが灯る。
その事で廃屋は甦える。
もうそのオーナーの老女もいないのだが、こうして畳に足を伸ばし
唐牛さんの話に耳を傾けていると、作品も人も家も一体となって、
ゆっくりと時間が過ぎてゆき、そのお婆さんの心が届くのだ。
内と外の間(あいだ)、境(さかい)がもうひとつの豊かな界となって
時と空間を創っているからである。
時間がたっぷりと保水力を保ち、瑞々しく活き活きと流れている。
唐牛さんのこれまでの美術家としての仕事もここには並べられていて、
彼のメキシコ、京都、さっぽろの時間も一杯詰まっているいるのだが、
その個人の長いスパンと、この建物が保っている時とが
響きあい調和している。
家が保つmy lifeと、唐牛さんの保つmy lifeが響きあっている。
そのふたつのトニカ(基底低音)が、ここではズレていないから、
私は素直に空間に身を委ね寛ぎながら、柔らかく感受性を全開できる。
近い将来この家の内も外も含めたひとつの空間が喪失する時が来る。
そしてその時、もう一度唐牛幸史さんの個展が始るだろう。
もう復元はできないが、再生しようとするものである。
その再生する力を、人はきっと芸術と呼ぶのだ。

廃屋に明かりが灯った時と同じように、何かが甦るのです、
山下トヨさん・・。
また、きっと見て下さい、来年の唐牛幸史さんの個展をね。

*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*エレガントピープルjazzライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-08 13:22 | Comments(0)