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テンポラリー通信

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2009年 05月 08日

テトラハウス326-夢の中径(5)

Aくんの失職、Kさんの不調と重なり、予定の展覧会が延びた為、
常々考えていた川俣正のアーカイブ展を実行する事にした。
静かな住宅街の一角、突如として家が一軒木材で梱包される。
周囲の住人も巻き込み、巨大なオブジェが出現し、
そこをねぐらに人が多数出入りする。
インスタレーシヨンという言葉がまだ珍しかった’83年の8月の事である。
近くではマンシヨン建設で正に本当の仮設工事が行われていて、ある時期
目的の違うふたつの建設物は、同じ外観を見せたのだった。
一方は本体を建設する為の仮設の足場であり、一方は仮設そのものが目的で
ある。用と不用の行為が象徴的に交錯した時である。
角地に立つ三角形の空家を借り、その建物全体を内も外も、丸太や木材が自在
に包み、貫通していく。
それは一種不可思議な、日常空間に出現したUFOのような存在だった。
住いとしてあるべき存在が、非日常として日常化して存在したからである。
多くの学生たちが協力し、近隣の人たちも毎日そこを見上げ、道外からも多くの人
が訪れた。写真家の安斎重男、陶芸家の川口淳、雑誌「ぴあ」の村田真。
造る過程と、出来上がった後の溜まり場的宿場状況と、この作品物は40日間に
渡りそこに存在したのである。
この間の記録は写真家曾我恵介氏により詳細に記録され、今手元にある。
また、映像として真鍋庵氏のヴィデオで記録され、手元にある。
さらにその年12月、翌年5月と二回にわたり発刊された記録誌には、その後の
この界隈の余波がドキュメントされている。
この普通の住宅街に出現したUFOのようなものは、その後関った人たちの
人生をも大きく変えていったのである。
家の持ち主は、その後カフエと展示フリースペースへと改装し、幾多のアーテイスト
の拠点へと変貌した。竹林精舎という名で親しまれたが、バブルの後大きく人生を
転換し、今は何処にいるかすら分からない。
ただその航跡だけは、知る人ぞ知る場として、今も記憶に残る場所だったのだ。
参加した若い作家志望の学生たちは、以後専攻していた学部を変え現代美術へ
と大学を変更し今も活躍している人もいる。
静かだった住宅街は、その後様々なアートイベントの街角として、住宅と共存しな
がら展開していくのだが、円山地域の急速な高層ビル化の波に沈みいまはその
面影はない。
川俣正自身はその後、国際的にも著名な現代美術家として世界にはばたくのだが
、この時のドキュメントを英訳した資料が大きな財産として礎になっていくのである。
レジデンス事業が今ほど一般化していなかった時代の、手造りの原点のような仕事
としてこの川俣正テトラハウス326プロジェクトは記憶されるのである。
私自身このプロジェクトの中心にいた事で、アートと街の関係性に目覚めたと思え
る。ルフト626、テトラ326と続いた地域との点を線として繋ぎ、さっぽろ、石狩へと
そのフールードワークは続いていくからだ。
北6条西26丁目にあった倉庫(ルフト626)。
北3条西26丁目にあった民家(テトラ326)。そこを繋ぐ暗渠の川と自分自身の
位置を磁場として、世界は広がっていったからである。
川俣正という美術の爆弾が、日常の閉鎖空間を爆破し、見えない日常を新鮮に切
り開いたともいえる。
非実用の芸術・文化が、実用一辺倒の日常の衣装を剥ぎ、もうひとつの日常を
軸心として提示したとも思える。
そんな風に美術を生活の現場で感じた事はそれまで私には無かったのだ。
絵として見、彫刻として見、感性のままに見ていたのは言わば額縁の中の飛翔で
あった。美術館という枠の中での出来事であり、本の中での鑑賞でもあった。
それまでのそうした経験から、この出来事は文字通り枠を超えていたのだ。
日常の一部が開口し、触り、汗を流し、人とそこで会い、酒を飲み、時に寝泊りす
る場だったからである。
これらの記憶・記録を今回あらためて新鮮な気持ちで展示して見たい。
それは、自分自身の原点と向き合う事のひとつでもあり、
時雨(しぐれ)てギヤラリー業を営む志の土壌でもある。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月12日(火)ー24日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休廊
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-08 12:52 | Comments(2)
2009年 05月 07日

夢よ 叫べー夢の中径(4)

88歳のS先生さんから電話がくる。
”私の父のことが、ラジオで特集されるから聞いてね”
明治時代単身米国に渡り、帰国後日本に飛行機を持ち込み、初めて横浜で飛ば
した明治の人の事である。
その後札幌が気に入り時計台近くにラジオ商を立上げた。
モダンでハイカラなお父さんだったという。
この父がいなければ、草月流を学び、花で世界中を駆け回る人生はなかったと
先生は常々語られていた。
先年自伝を出版し、そのなかにも父上の波乱に富んだ人生が記されている。
TV出演の話の資料にその本を持っていったところ、ラジオのデイレクターの眼に
止り、ラジオ番組に構成されて10日の夕方放送されるというのだ。
ラジオの販売で札幌に根付いたお父上だから、ラジオで放送されるのもこれも
ご縁ですねと応える。
その帰り道、ふっとお蕎麦が食べたくて、いつもと別のコースを選んだ。
北大構内を抜け桑園駅を経由して円山へ自転車を走らせていると、見覚えの
ある人とすれ違った。声をかけるとやはりそうで、Kだった。
KはこのS先生の本を編集し出版した人間である。もう何年も会っていなかった。
近況を立ち話しながら、早速に今聞いたばかりのS先生の父上の事を話した。
そして本の編集をしてくれた事に感謝していた事も彼に伝えた。
不思議だなあ、こういう偶然もあるのだ。
夜、故村岸宏昭さんの作品集の打ち合わせに行っていたという酒井博史さんから
電話がくる。出版社のかりん舎、坪井、高橋さんから渡すものを預かっていると言
う。これから届けるという。程なく来たので中で話す。
届け物はヒジキの煮付けだった。ありがたく頂く。鉄分ですね。
ちょうど酒井さんの事をブログに書いた後でもあったので、種々事情を聞く。
7月末までに退店ということで、新たな場所を探すべく頑張るということだった。
8月村岸さんの命日が来て、9月は村岸さんのお母さんの命日一周忌が来る。
作品集もその辺りを目途として出版される努力が今続いている。
酒井さん、7、8、9月と連続して来ますね。これは、村岸さんたちが後押しして
いるよ、と言ったら、彼もまた無言で頷き、止める訳には行かないと低く呟いた。
彼の十八番にある唄、「夢を 叫べ!」をその時私はふっと思い浮かべていた。
3年前の2月、寄留先のKさん宅の仮事務所で聞いた酒井さんのこの唄を想い
出していたのだ。
♪負けるな 友よ 夢を叫べ
帰路偶然会ったKさんといい、村岸宏昭さんの打ち合わせの後といい、偶然は
現象的にあるのだが、どこか必然性を保つ。志のある処にその林檎の実は偶然
の顔をして落ちてくる。しかしそれはもう偶然ではなく、時に必然なのだ。
負けるな、友よ、夢を叫べ。そう村岸くんもお母さんも応援している。
私はそう感じて、酒井さんに話した。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス 326」記録展ー5月12日(火)-24日(日)
 am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)
  
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-07 12:54 | Comments(0)
2009年 05月 06日

辛い三月四月を越えてー夢の中径(3)

もう春というより初夏に近い。
昨日は風あり曇りで少し寒かったが、今日は雲ひとつなく、快晴。
自然が急に活気づいても、人の心はなかなか追いつかない。
倒産、失職、退去と暗いニュースが身の回りに続く。
その誰もが、優れて志(こころざし)ある仕事をする人たちである。
3ヵ月後に立ち退きと日章堂印房の酒井博史さんがブログに書いている。
事情は分からないが、活字印刷と印鑑屋を守り、時に素晴らしい歌声を披露する
好漢の苦境を知り、何とか凌いで欲しいと願う。
男30代、今こそ志が試されているのだ。
もとより彼は、現在の場所を捨て別の場で生きる事を、3年程前すでに自らの
ブログで宣言していたのである。
その時期が今、外部からの圧力として再び顕在化し、その決意を現実に問うてきた
という事でもある。
志(こころざし)の行く末を、現実の方が促がしたという事でもある。
これから幾多修羅場はあると思うが、志を生きる試練として磨いて欲しい。
私も同じように3年前の1月を生きてきた。
人は人それぞれの生き方があり、一概に同じように生きる事など、強制も同一視
もできない事は知っている。
ただ友情としてそう思い、言うのだ。
志を忘れるな。
仕事には、ビジネスという仕事と、志(こころざし)という志事がある。
どちらもが生きていく上で大切な要素だけれども、芯にあるのは志である。
志の縦軸を抜きに、右往左往はするな。
滅び行く活版印刷を愛し、活字の鋳造先の応援も在ったと聞く今、コンピュター
全盛の危うい社会に、きっちりと対峙してしてきた君の志事は、間違ってない。
てん刻と活字印刷と手造りの職人の技、そして天性の歌声と、そこから発する君の
生き方を貫いて欲しい。
5月のこの美しさには、辛い3月、4月があっての事なのだ。

 鉄橋のようにわたしは生きるのだ 辛い三月四月を越えて (福島泰樹)

*川俣正・テトラハウスプロジェクト記録展ー5月12日(火)-24日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-06 14:18 | Comments(0)
2009年 05月 03日

霞む空ー夢の中径(2)

空も空気も霞んで曇天。
円山界隈は車も人も多い。
花見と新しく出来たショッピングセンターへと行列が続く。
人を避けブレーキをかけながら、交差点。
旧5号線を渡ると、卸売市場ー競馬場横はすいすいと快調に走る。
界川、琴似川合流地点あたりの柳の大木も、手前の桜の木とともに色づいて
いる。川は暗渠で見えないのだが、舗道のアスファルトが波打っている。
見えない川の地層が、表面にズレとして顕在化している気がする。
歩いていたら見えないものも、自転車の車輪は捉える。
今日で熊谷榧(カヤ)展も終る。
山好きの方々がぽつりぽつりと見に来た。
昨年暮山で滑落死した青木正次先生の奥様は、その時ご一緒だったショックから
か何度電話しても出られず、今だ連絡が取れない。
榧(カヤ)さんの気持ちで、お二人を描いた大作は、遺族に寄贈される事になって
いる。今ふたりを描かれた絵を見る余裕はないかもしれないので、そっとしておこ
うと青木先生の山の友人たちが言う。
その他の絵も、今回すべて描かれた人たちに、熊谷榧さんの好意でそれぞれに
寄贈ということである。
北海道の山と人への榧さんの気持ちである。
深く感謝して今回の展示を終えたい。
お父上の熊谷守一を想起させる強い輪郭の描線は、冬山の風景と人を見事に
捉えて飽きさせない。
アーテイストレジデンスとかいう制度で、公的資金を使った美術事業もあるが、
北海道の山をここまできっちりと何年もかけ、人と自然と交流し描いた作家を、
もう少し感謝と敬意をもって見てもらいたいと思う。
公的資金なぞ一銭も使わず、個人対個人の友情と地域との内に培われた時間
の集積の作品であるのだから。
美術に形容詞として近代とか現代とかくっつけ分類してすむ問題ではない。
レジデンス(滞在型)制作の基本的問題である。
来た人に、あるいは行った人に、本当に個対個の深まりがその地域で形として
ずーつと残るような仕事が成されているのかを問うのである。
リトアニアの作家がレジデンス事業で札幌に滞在し、その後何年かして東京で再
会したある人が、札幌にも寄らないの?と聞いたら、もうあそこには行く気はありま
せんと応えたという。文化庁の助成金を使い、宿泊と展示場を与えれば即レジデ
ンスという安直な方向からは何も生まれないのだ。
MとMEのふたりの女性作家は、猛烈に名刺交換ばかりのレジデンス体制を批判
していた。帰国する二日前冬の滝を案内した後の居酒屋でのことである。
女ふたり郊外を数時間歩いて汗をかいた後の気楽さもあったのだろう、英語でポン
ポンと話していた。3ヵ月近くも滞在した最後の話である。本音だ。
一緒に歩いたその日が一番素晴らしい一日だったと、その後日本を去る日の日付
で葉書が届いたのだ。そして、必らずまた来ると最後に書かれていた。
招く方が、自ら生きている場を知らなさ過ぎる思い上がりがある。
グローバル化(同質化)に対峙する、個として地域としてのパテイキュラーを提示
せずして、なにがレジデンスなのか。
もっと都市の箱から出て、さっぽろの、石狩の身体に触れよと言いたい。
熊谷榧さんの作品は、熱くその事を語っていると私は思う。

*熊谷榧展「北の山と人」-5月3日(日)まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-03 12:56 | Comments(0)
2009年 05月 02日

若葉・青葉ー夢の中径(1)

Mayは青春を意味するという。
そして英国の気候を表わす、<March winds and April showers bring
 forth May flowers-3月の風と4月の雨とが5月の花を生む>
という例文に惹かれた。
北海道的というか石狩的にいえば、これは3月の雪と4月の風が5月の花を生む
というところか・・・。
花を生む前の風、雨、雪があってMay、青春がある。
暗い蹲る時があって花の5月もあるのだ。
若く優れた作家たちが何人か、暗い声の応答があった。
生活保護を受けているんです。就職が決まらなくって。Sくんは、前のスペースで
個展を開き、門馬よ宇子さんにも可愛がられ、そこでも個展をしていた。
もう5年近く前の話だ。私の前のスペースでアイヌのアシリレラさんの展示と同時
にSくんの個展も開かれていた。
この時詩人の吉増剛造さんの「石狩シーツ」朗読、映像作家の大木裕之さんの
来廊と様々なジャンルの人たち交錯した時だった。
夕張ー石狩の旅を終えた吉増さんの詩の朗読に、アシリレラさんのムックリ演奏
と、今考えれば実現不可能のような熱い時間が流れていた。
Sくんの個展はそういう時間のなかにあったのだ。
円山を撤退する時は、黙々と引越しの準備を手伝ってくれた。
その後会っていなかったが、昨日の久し振りの声の便りでは、今失意の内にいる
という。才能ある人だけに残念で、先日のAくんのことも思い出し励ましたのだ。
そう、それでMayという言葉にある青春を思った。
雨、風、雪の3月、4月があって花の5月があるのだ。
最初から、青春が美しいのではない。最初から5月があるのではない。
Mayは小文字にすれば、可能性を表わすmayでもある。
大上段に大文字で考え落ち込まず、小文字のmayでいきましょうと、心で小さく
声を出し励ましたのだ。
Sくんはその後心なしか明るい声で、どうもありがとう、と呟いてくれた。
おりしも大木裕之さんは彼のブログに、5年かけて新たなり・メイの映像作品を
この5月にスタートすると書いている。MayーreMAY、それぞれの5月である。

*熊谷榧展「北の山と人」-3日(日)まで。am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-02 13:29 | Comments(0)
2009年 05月 01日

夏の年の始まりー歩行の縦軸(27)

昨日今日と一気に気温上がる。快晴。
ぶ~んと自転車で角を曲がったら、バンとなにかとぶつかる。
アブか、蜂だ。虫たちも元気だ。桜の樹もほんのりとピンク。
西の山並み、山頂付近はまだ白く残雪。霞んだ空に青と白が滲んでいる。
連休の挾間(はざま)、北大生たちが自転車でびゅ~んと飛ばす。
人も樹も草も虫も活気づく。この勢いは自然とともにある。
しかし街にはこの早さが一年中ある。
地下街、駅周辺の舗道を、カッカ、カッカと高い踵の靴音を響かせ、早足で歩く。
札幌駅ー大通りの地下鉄は丸の内状態で、一気に人が乗り込む。
乗り換えの大通り駅では、降りるや否や人が走り出す。
円山公園駅もそうした人たちの住む高僧マンシヨンが多くなった所為か、
早足、カッカ、カッカ族が増えた。
都市と同じ直線の速度。時間も直線である。
周囲を余りきょろきょろしないで、目的地という結果優先。
遅い事は負けなの。先頭に立って、時代に遅れちゃ駄目。
今日の明るい陽射しの中の弾ける速度とは、違うものだ。
この時間の違いで思い出すのは、いつも「モモ」の物語である。
時間をお金に換算する時間貯蓄銀行と契約した時、灰色の男はこう宣言する。
「あなたはいまや、ほんとうに近代的、進歩的な人間のなかまに入られたのです、
 ・・おめでとう!」
このあとミヒャエル・エンデは、次のように書いている。
<けれど、時間とは生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものな
 のです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなって
 しまうのです。>
すごい勢いで北の夏が始まり、今までの抑えられた地中の芽が吹き出す。
短く集中する跳躍・発生、このバネのような春は、正にSpringである。
その速度と明らかに相違する時間の早さを、生活(ライフ)=命の時間と混同して
はならない。
命の時間から表出する表現者が、明白に違う時間の拠点に身を委ね近代的、進歩
的と誉め称えられるなら、それはもう「モモ」の敵となる灰色の男たちの軍門に下っ
た犠牲者と同じ次元なのだ。

*熊谷榧(カヤ)展「北の山と人」-5月3日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリ-スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-01 13:03 | Comments(0)