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2008年 10月 08日

阿部守来廊ー夏の末(sak-kes)(40)

十勝の梅田さんが帰り、福岡の阿部さんが来た。
ふたつの国の人が合流し、阿部さんの大学の教え子武内貴子さんもレジデンス
で札幌滞在中で駆けつける。
その前最終日の梅田さんの会場を、藤倉翼さんが愛用のエイトバイテンの大型
カメラで撮影していた。そこへ酒井博史さんも来て、なにか不可思議な光景が現
出する。誰が言うともなく、ビギンとガロだとなる。アフロヘアーに長裾の花柄のシ
ャツに眼鏡の翼さん、沖縄ぽい濃い風貌の酒井さん、こりゃまあという感じである
。帯広から搬出の手伝いに来た伽井丹弥さん、美術フアンの同じく帯広の長谷さ
ん、武内さんと同じくレジデンスで京都から来ている天野萌さん等がさらに入り混
じり賑やかな最終日となった。みんなで搬出を手伝いあっという間に片付けが終
る。2・3mのビニールに球体の空気を抜く時が圧巻だった。一番はしゃいでいた
のは阿部守さんで、太目の体重を乗せ空気抜きに活躍した。
一汗かいた後いつもの焼き鳥屋で一杯となる。
今日午後2時過ぎ作品到着。クレーンで吊り下げ下ろす。百キロ位の鉄の溝。
川のイメージと言う。地中の暗渠の川。そしてその直線の哀しみが、鉄の柔らか
な肌の線で顕われているかに思える。

*阿部守展「場に立つ」-10月9日(木)-19日(日)am11時ーpm7時
 月曜休廊
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-08 15:46 | Comments(0)
2008年 10月 07日

雨そして雀ー夏の末(sak-kes)(39)

朝暗い。雨だ。どしゃ降りのなかギヤラリーに向かう。着く頃止む。雀の鳴き声。
今日梅田マサノリ展最終日。午後4時には撤去作業に入る。
昨日、定休日だったが、会期中ウイークリーマンシヨンに滞在している梅田さん
の為に開ける。私は午後から出た。体が休日モードになっているのか、お疲れ
ねとIさんに言われた。体は正直だ。
先日一緒に飲んだNくんが、ブログに”十勝のウメサン”と書いている。
クールなNくんには珍しい。作品・作家に心開いた故である。
一日にひとりは、心の濃い人と出会っていた。私もそうだが、梅田さんはさらにそ
う思う。見てくれた人は百にも満たないが、そういう量数の問題ではない。
昨日私の留守中来た某美術館の学芸員のT氏が、もう倍広ければと言ったと聞
いた。1時間以上も会場にいたというから、気持ちよく言ってくれたと思うが、会場
の広狭を言えば限がない。この一言でもう、ネット裏の評論と思う。グランド内か
ら外の批評となる。与件のなかでどうするか、与えられた条件を背負ってどう生き
るか、それがすべての前提である。もし、という仮定はない。
私は場というものを、そう考える。
梅田さんは、来年もここでしたいと言う。
今回出会った若い作家小林麻美さん、中嶋幸治さん、藤倉翼さん、河田雅文さん
達との出会いがさらなる深まりとなるだろう。
石狩国札幌と十勝国帯広。この相違は同じ北海道などという安直な分類では簡単
には括れない。その事を初めて十勝以外で個展をした梅田さんの正直な感想と思
う。なにが違うのか。その違いを深化する事で、相違は開かれた新鮮なコアをもつ。
違いは分類でも、区別/差別/分断でもない。新鮮な入口なのだ。
その入口の開かれる処を、場ともいうのだと思う。
作品・人・場、そこに開かれた入り口を回路にして、人は歩き初(そ)め歩き深める
。そして、国をも出る。

*梅田マサノリ展ー10月7日(火)午後4時まで。
*阿部守展「場に立つ」-10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-07 12:25 | Comments(0)
2008年 10月 05日

飲む・漂う・夜ー夏の末(sak-kes)(38)

1時間近く溜まりに溜まった話を見知らぬおばさんに聞かされて、ふらふらしてい
た梅田さんに、写真家のFさんに続き11月個展予定のNくんも来て、ほっとした
時間がおとずれる。若いふたりの作品に対する新鮮な反応が、梅田さんを甦らせ
たようだ。床に腰を下ろし、アルコールが入った。夕闇のなか、灯りに浮いた球体
が揺れている。酔いも、その揺れに合わせるように漂う。
透明なビニールの直径2・3mの球体が、不思議な安らぎを与える。
球体という円は、何故だろう、見ていて少しも見飽きないのだ。
Fくん、Nくんがぽつりぽつりと話している。梅田さんも寛いで、その話を嬉しそうに
聞いて相槌を打っている。ゆっくりと酔いが回ってくる。
こんな時間がきっとあるなあと、思っていた。
カチ、カチと気圧計が鼓動のように音を刻む。
透明な球体の光の揺らぎと呼応して心臓の音のように聞える。
命の原点、細胞の一個に添うミクロの存在になっているかのようだった。
病気という身体の負荷、それに対峙する心の両手。
生きるという事の最も根の位置。
そんな感慨が少し大袈裟に、酔った頭に想念となって浮かんだ。
人間は何故、こうしたものを表現として保つのか。
二歩足で立ち、観念という頭を持ったときから、人は人の宿命(さだめ)のように、
そう在るのだ。
梅田さんは、今回の個展を通して病気に向き合い、その病の原(もと)に可能な限
り表現として対自化したと思える。病もまた人間の生活のひとつである。
病を得る事で、日常は死の翳を深め、より切実な位相を保つ。
その事が作品の深度を深め、その回路を開かれたものにしている。
病を背負う事が、心の両手を日常の深部に触れさせる。
夜の深まりとともに、心の身体は水母のように漂流して
日常と非日常の波間にいた。そして、ふっと思い出していたのだ。
同じように会場中央に吊られた作品の在った事を。
白樺の幹が吊られて、さらに2年間その作品の子供を抱き締めて先月亡くなった
母と子のことを。
透明で大きなこの球体がまるで、その母の心のようにも見えてくるのだった。
内部に綿に包まれてぶら下っている小さな白い白樺。
その白樺を心に抱き締めて、
深く閉じつつ深く世界に開いた母性のように
それは、あった。
酔いの周った頭にその想念が浮かんで、
ここに今ふたりの魂が浮かんでいるかに思えてならないのだ。
Nくんにそう洩らすように話すと、彼は頷いてそうですねと言ってくれた。

*梅田マサノリ展「Scenery of cell 細胞の風景」ー7日(火)まで。
 am11時ーpm7時(最終日午後4時)
*阿部守展「場に立つ」-10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-05 13:21 | Comments(0)
2008年 10月 04日

視差それぞれー夏の末(sak-kes)(37)

梅田マサノリ展には、様々な仕掛けがある。
気圧計というコチコチと音を刻む時限爆弾のような黒いボックス。
紫外線に反応して色を変える壜の中の液体。
目の玉のようなカメラ。
人体の臓器をホルマリン漬けにしたような奇妙な物体。
自らの腫瘍の切り取った後のフイルム。
他にも細かく見ていくと様々な装置がある。
ただ、それらデテイールを含めてなお、直径2・3mの透明な球体の存在は圧倒
的である。そこにすべてが収斂される。
この心臓、あるい肺のような透明な臓器は、光を溜めて通過し、併せてその周囲
のデイテールをも包含してしまうと思える。
形態から、子宮のようだとか、鶏の死骸が吊られているとか、見方は様々にある
が、それはそれでそれぞれの視差ということである。
私には、人体の有機的な美しい繋がり、その再生の装置と思えるのだ。
11月初め個展予定の河田雅文さんが来る。
入るなり、これはいいと感嘆する。もっと多くの人に見て貰いたいと言う。
梅田さんも嬉しそうだった。
河田さんの個展タイトルは、Log/Rever/City。
長年撮ってきた映像を中心にした個展である。6年振りの個展と思う。
作家は作家を知る。雪原にこの透明な球体を設置してはどうかと、ふたりで話が
膨らむ。梅田さんの次なる展開が見えてきて、楽しみだ。
十勝人の、石狩での展開を私も期待するのだ。
終日雨模様の寒い一日だったが、濃い人の来訪で熱くなる。
人の眼は、数だけではない。その質量にあって、量数ではない。
空間もまた、広狭だけではない。
今日は晴れて、青空が広がり、作品空間はまた光の変幻に揺れている。

*梅田マサノリ展ー10月7日(火)まで。am11時ーpm7時。月曜日も開廊。
*阿部守展「場に立つ」ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-04 11:37 | Comments(0)
2008年 10月 03日

続背負うという事ー夏の末(sak-kes)(36)

雨模様だったので自転車を止め歩く。
旧メルパルク跡に巨大な壁のような建物が建設中である。
友人の街路樹が、路上を掘り返す機械や車の間で縮んで見える。
地下の川の水脈はさらに破壊されて、根は水を求めて苦しんでいるのではない
だろうか。光は建築物に遮られ、建物の高さの分だけ水脈も掘り返される。
水も光も樹から遠のく。
頑張れよ、と声にならない声をかける。
色んな現実を背負ってみんな生きている。物理的なものだけではない。
人は心も背負う。

大病の末、2度の大きな手術を経験した梅田マサノリさんが、その病の痕跡を
作品展という形で凝視した時、透明な心臓のような直径2mのビニールの球体
を会場の中央に置いた。昨日、日の光があたって、ビニールの皮膜が壁に反射
し膜のように映る。壁の標本箱のような黒いボックスを光の皮膜が覆う。
空間がたちまちに、有機的な関係性を帯びて、世界は関係しあう。
身体の負荷・病が、臓器の閉塞を進行する。その負荷を生のほうに取り戻す。
そんなイメージが会場の空間には煌いていた。
一本の街路樹だけではない。人間の細胞・臓器もまた樹の水・光の関係性と同
じように根の、葉の触手を伸ばして外界と触れて生きている。
お母さんが子供を背負って生きていくように、背負いながら両手を伸ばし、触れ、
動かし世界と関わるのだ。15個の臓器は、透明な心臓の光の鼓動によって目に
見える関係性・有機的なものの関係性を復活している。
これは、病気という負荷の、再生という表現に他ならないと思える。
凝視から再生へと、この展覧会は蠢いている。
大きな転機を迎えていた3人の人が、その基調音に反応していた。
同じように大病を経験した後のふたり、そして人生上の転機に会った人。
その3人からメールが届く。パワーを貰ったと。
ひとりの個的経験が、心で関係しあって及ぼしていく。
一本の樹のように、世界は関係しあって生きている。負荷をもちながら、背負っ
て他者に、世界に触れていく。
作品がそのように存在するなら、それは人間の樹の葉、根のように美しいタッチ
だ。そう思う。

*梅田マサノリ展「Scenery of cell 細胞の風景」-10月1日(水)-7日(火)
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-03 12:33 | Comments(0)
2008年 10月 02日

梅田マサノリ展始まるー夏の末(sak-kes)(35)

梅田マサノリ展が始まっている。
帯広から人形作家の伽井丹彌さん、詩人でアーテイストの米山将治さんが来る
。米山さんは、神田日勝美術館の初代館長も勤めた十勝の重鎮である。詩人と
しても名高い。ゆっくりお会いするのは初めてだったが、共通の知人・友人が多く
すぐ打ち解けた。夕方、若い詩人の文月悠光さんも見えて、70歳と17歳が互い
に高校時代美術部にいた話で盛り上がっていた。そこにはもう年齢差はなく、互
いに詩人として美術にも関わっている共通の関心事が、テーマであった。
米山さんの古い友人真鍋庵さんも来て、老若が混じって話が跳んでいた。
阿部守さんの教え子という武内貴子さんが来る。福岡から大橋拓さん企画のレ
ジデンスで札幌に来たという。今日着いたばかりで真っ直ぐここに来たと言う。
以前のスペースにも来たそうだが、残念ながら記憶にない。
もうひとりずっと会場を見ていた人が、話し掛けると急に「これは、企画ですか」と
聞く。この企画云々というギヤラリーに対する格付けには、日頃疑問と怒りを持っ
ていたので、多少むきになって答えた。
目の前にある、梅田マサノリさんの作品に対する感想・批評を抜きに何があるの
だろうか。目前の作品空間が、作家の企画そのものではないだろうか。
場のランク付けのように星をつける、企画・賃貸という分別は、目の前の料理を味
わず、器や素材のランク付けばかりに目を向けているに等しい。
ギヤラリーという空間は、作家の作品があって完成するものである。
空間自体をいくらランク付けし、値踏みしてもそれはただの空の箱でしかない。
作品が盛られて初めて、そこは箱から函へと変わる。
従って、目前の作品空間を抜きに企画・賃貸という歪小化された空間は存在しな
い。どんなに立派な空間であっても、そこに作品がなければそこはただの空箱で
しかない。企画か否かを、有料・無料の箱の分別に貶める俗な線引きには、本当
に腹が立つ。目の前の作品を見ろといいたい。それが、企画そのものではないの
か。

*梅田マサノリ展ー10月1日(水)-7日(火)am11時ーpm7時:from Obihiro
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日):from Hukuoka
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水):from Newyork

by kakiten | 2008-10-02 12:08 | Comments(0)
2008年 10月 01日

背負うということー夏の末(sak-kes)(34)

自転車に乗って通勤するようになってから、リュックをを背負うようになった。
両手が自由でいい。荷台のない、前のめりのスタイルの自転車なので尚更であ
る。そして、ふっと気づいたのだが、最近赤ちゃんをおんぶをしたお母さんを見か
けない。前抱きのスタイルが多いのだ。何故背負わなくなったのだろう。
安全という事も聞く。しかし、かってのお袋さんの姿を思い出すと、背負いながら
働く姿であった事を想い出すのだ。炊事、掃除、洗濯、等々働く姿の母親にはい
つも子供を背負い凛々しく、甲斐甲斐しい姿であったように思える。
今リュックの日常にいると、背負うという行為を確認しながら、思うのだ。
抱っこというのは、休息の光景、子供にミルクをあげていたり、泣くのをあやして
いたり、寛ぐ時間だったように思う。
おんぶに抱っこと言うと、何でも任せぱなしの事をいう。抱っこが入るとおんぶの
凛々しさが抜ける。背負うという事は大事な事である。背負わない無責任が多い
。何を背負って生きていくか。背負うという負荷を、如何にプラスのものに転換す
るか。背負わず、楽な隣の芝生ばかりを追いかけてはいないか。
若いお母さんの抱っこの姿を見ながら、その事自体とはまた別に<背負う>とい
う精神のあり方を、遠いかっての母親の姿と重ねながら思った事である。

梅田マサノリ展始まる。先ず最初に目に付くのは、会場の真中に設置された透明
な大きな球体である。空気を入れ膨らました直径2m程の大きな物である。
真中にカメラが吊らされている。周囲の壁には10cm×7cmの黒い角箱と15cm
×7cm程の長円形の黒い箱が15個並んでいる。中は半開きで標本のようなもの
が、透明な液体に浮かんでいる。これらが一体となって、会場の光の在り様で様々
な表情を見せる。会場真中の透明な球体が、会場の視覚を昼夜、外光、照明によ
って変化させる。見る者はどうしてもこの透明な球体を通して、物を見る。そして同
時に、この透明な球体の内部の黒目のようなカメラによって見る者は見られる存在
でもある。パソコンを通して会場の様子は、この球体の瞳から遠く離れていても見
る事ができるように設定されている。胃カメラや腸の内部を見るカメラのようにも思
える。会場全体が、体の内部。内臓のようにも思える設定だ。
これは多分、本人自身の闘病体験に基づいているのだろう。
壁に置かれた標本のような物は、その切り取られた病根の物体のようである。
ただこの個展がそうした設定にもかかわらず、透明感があり優れているのは、会場
中心に置かれた巨大なビニールの球体の存在があるからと思われる。
この透明な球体は壁に置かれた黒い箱とは違い、閉じず光を溜め屈折し通過して
いく存在だ。その事によって空間は日々、時間の経過のインスタレーシヨンともなっ
ている。病んだ閉じた世界が、この透明な物によって臓器が本来保っている美しい
関わりともなって、呼吸し、動悸を打ち境を繋いでいくもののようにあるからだ。

*梅田マサノリ展「Scenery of cell」ー10月1日(水)-7日(火)am11時ーpm7時
*阿部守展「場に立つ」ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

*web-http://artpress.ddo.jp/で映像が見れます。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-01 13:55 | Comments(0)