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2008年 08月 19日

betweenの日ー夏の年(sak-pa)(69)

森万喜子展とアキタヒデキ展のあいだ、betweenな日。
「点と点と展」展が、時にショップの店(テン)のように感じられ、アキタさんの見る
人への気配りに疲れた。3日連続でソフアに座り込んでいた人もいた。
しばらくこの感覚には慣れていない。花器店時代のもう失われつつあった感覚で
ある。商品を軸に接待するショップの空気だ。<自分の部屋のように空間を作り
たい>と言った、そのお部屋が時に居心地の良いショップのようにあった。
ともあれ、作品自体は彼の今までの総力が展示され、特に写真系の最先端の
現場の人たちからの評価が高かった。メタ佐藤さん、竹本さんのブログには、そ
の評価した言葉が踊っている。30歳直前にしての初個展。10代、20代の想い
がびっしりと詰まった個展であった。昼夜ここに泊まりこみ、汗臭さを気にしなが
ら多くの人と、ひっきりなしに語り、一所懸命接する姿が10日間続いたのだ。
時にその一所懸命さは、作品だけを媒介に作家と語りたいと思う何人かを、疎外
していたのかも知れない。本人もその事は自覚していて、もっとゆっくり話したか
ったと、何人かの友人、知人、初めて会った人の去った後で呟いていた。
やはり、あのソフアの存在がそこに居座る人と、立って作品を見る人との間に
溝を作っていたと私は思う。祖父への心の内なるソフアと、あるがままの現実の
ソフアは、思い出というモノと記憶の記録への結晶度という点で相違する。
デザインの世界が、現実の用という側に属し、フアインアートが非実用の側に属
する、その界目にあのソフアが存したと思える。優しくも激しいアキタさんの性格
そのまま、彼の日常が、生活と非生活のまま併存した個展であったと思う。
この生(なま)さ加減が、激しくアキタヒデキの現在そのものである。その上で、個
々の作品の評価がある。私は敢えて個別の作品批評を控えてきた。量数的にも
非常にたくさんの数の作品があった。そして、なによりも個展全体が作品として、
見えたからである。場という空間を創るのも作品である。そこに人が集い、さらに
空間が生まれる。場という空間が、閉じた箱ではなく、開かれた函となり得るかど
うかも、私には大きな批評軸としてあるのだ。
最終日、津軽への里帰りを終えたNさんのペアーが駅から真っ直ぐ会場に来た。
お盆はN君の実家、お正月はEさんの実家、その中間11月にふたりは合作の個
展を試みる。愛という記録を社会的にも、個的にもふたりで普遍化しようとするこの
半年に私は何故か、震えるような凛とした流れを感じていた。
この時、この空間は如何なる函となるだろうか。小さなふたりだけの初の共同行為
、そのふたつの旅をはさんで、記憶は記録となり、作品として結晶する。その予感
が鳥肌立つような、鮮烈な渓流として流れているかに思えたのだ。

*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-19 15:11 | Comments(0)
2008年 08月 17日

風澄むー夏の年(sak-pa)(68)

昨日は、どこか秋の気配がした。今朝は、一転青空が広がる。澄んだ空、空気。
季節はもう、夏の終わりを予兆のように潜ませながら進む。
アキタヒデキ展最終日。昨日は、ご両親はじめ、親戚の方々も見え盛況だった。
そのうちのひとり、アキタさんの伯母さんにあたる方が、後で聞くと’91年9月の
大野一雄石狩河口来札公演を見ていたと言う。前もって知っていれば、お話した
かったなあと思う。その17年後に甥っ子であるアキタさんが同じ場所を歩いてい
るのだ。時間の経過とその同時性を思う。時の経過と共に消却されるもの、消却
されぬもの、その時間軸の相違に文化の問題がある。
来札の河岸で見た流木、波、そこに流れていた時間軸。棄てられた原色の色褪
ぬプラステック類、そこに要・不要で分別された時間軸。最初から時間の蓄積を
消去されたモノと、時間の蓄積を続けている物の、違いがそのまま河岸には存在
したのだ。人の記憶の記録にも同じ事がある。時間と共に風化して消去される記
憶と、時間と共に深化していく記憶である。深化する記憶を形にする。記憶は記録
性を保ち、結晶する。それを、私達は仮に作品と呼んでいるのかも知れない。
大野一雄の石狩河口の舞踏の記憶は、記録され今もその結晶を語る事ができる
。アキタさんの伯母さんと私は、きっとその結晶を通して初めて会っても深化した
時間で出会う事ができるのだ。実際にはお話できなかったが、心はもう会っていた
と思えた。個に属する記憶が個の内に留まらず、ある共有性を保つ場処に、開か
れた文化の時間軸が存在する。それは、消却される時間軸とは異質のものと思う
。展覧会の場処もまた、個の記憶をある共有性にまで高め得るかが問われる場で
ある。人の死もまた、ひとつの時間の消去である。その死が、時間の消去を超えて
なお、存在し得るかは、作家の内面の文化の時間軸の深化によるのだ。
アキタヒデキさんが、祖父のソファに篭めた想いの次が問われるのは、その事でも
ある。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)午後7時まで。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)
*gla_gal(グラ_ギヤル)展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-17 15:12 | Comments(5)
2008年 08月 16日

お盆の終わりー夏の年(sak-pa)(67)

エルムトンネルを超えた辺りで、雨が降る。慌てて自転車のスピードを上げる。
もう秋の気配がする。競馬場横の柳の大木の枝が刈られていた。どんな理由
があるのか、周りは駐車場と道路で、特に枝を切る理由が見えない。
住宅傍であれば、TVの映りが悪いとか、なにか理由が解かるが、そうも思えな
い。風にそよぐ柳の葉は、水のようで見事だった。かって流れていただろう界(さ
かい)川と琴似川の合流地点を彷彿とさせる生き証人が、この柳の大木である。
風もまた、空気中を流れる川である。土の上の川は消えても、風の流れがその
流れを感じさせる。その受信装置がこの柳の大木だったのだ。川はなくとも、柳
は、その記憶を伝えてくれた。
昨日佐々木恒雄さんが来る。勇気を貰ったと言う。そろそろ自分の個展もしなきゃ
と言った。アキタさんとは、5月一緒に石狩を歩いた仲である。例のソファに座り、
展示物に腰掛けてすまないなあと呟いた。何故ここにソフアを置いたか、彼はこ
のブログを読んでいて知っていたのである。ただの応接セットではなく、心のセッ
トである事をさり気なく語ったのだ。その言葉を聞いて、私はすっかり楽になった。
昨日は少し早めに帰ろうと思っていたが、佐々木さんの言葉でもう少し居る気に
なる。結局定刻通り、午後7時まで居て佐々木さんと一緒に帰った。
アキタさんも自らのブログに記している。今回はこのままでいく、迷ったけれど
ソファはこのままで今の自分のままでいく。それはそれでいいのだ。そういう個展
である。最初の個展、そこに今までの自分すべてを曝け出す。それは、次へと必
ず繋がるもものとなる。2階吹き抜け上部に展示された最新の写真群を、評価す
る人も多かった。どちらかと言えば旧作に属する1階の大きな作品群が、今回メ
インにはなっているが、やはり見る人は見るのである。
デザイナーとしての仕事、写真としての仕事、ファインアートを志した仕事、そして
敬愛した祖父への想いと、多種多様なアキタヒデキの現在がある。
最後はシンプルに憧れているんですと、彼は言う。
大きな裾野を保てば保つほど、頂きもまた美しい山となるだろう。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)まで。am11時ーpm7時。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向き
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by kakiten | 2008-08-16 12:17 | Comments(0)
2008年 08月 15日

さまざまな現在ー夏の年(sak-pa)(66)

ミユージシアン、デザイン関係、写真家、そして美術系、詩人、出版関係とさまざ
まな系列の人たちが来る。その傾向によって固有のジャンル、仲間の話題になる
。それが、アキタヒデキさんの現在である。そのドットとなる点在を、展覧会の作
品を通して、如何に共有する眼差しに転換し得るかが、個展の意義でもある。
作品を媒介に新たな交流の回路がどう開かれるか、、そこに「点と点と展」と名付
けた<点>と<展>を繋ぐ意味もある。点と点と展とは、別の言い方をすれば、
ワン、ツー、スリーでもあり、ホップ、ステップ、ジャンプでもあるだろう。
最後のスリーとジャンプに<展>の意味が篭められている。
来る人たちのジャンルの相違は、本人自身の生きてきた興味の相違でもあり、そ
の相違は本人自身の中で止揚され、開かれる<点>から<展>への存在として
己自身に提示されるのだ。
佐佐木方斎さんが久し振りに来る。彼の名作3部作持参以来である。
写真家の竹本英樹さんが来る。アキタさんに会わせたかった人なので、紹介する
。17歳の高校生詩人文月さんが来る。自家製個人詩誌を増刷して持参。最初に
作った6冊は完売したので、新たに持って来たのだ。最初の本の後書きは、編集
後期となっていた。後記を後期と間違えるのも、高校生らしく初々しかった。
装丁デザインが、小学生の文集みたいだと言われたと、少し凹んでいたが、今朝
アキタさんがデザインの立場で、そんな事ない、自分ひとりで全部仕上げるから、
立派なものだと誉めていた。その気持ちがいいんだと言う。デザインの世界に身を
置く人間が、技術の巧拙ではなくもっと根本の所で評価する姿勢に、アキタさんの
今回の<展>の成長を見る気がした。もっと話をして欲しかった。
祖父のソフアが、祖父あぁ~、となって文月さんは入れなかったのだ。
点と点とトコロテンかな。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)まで。am11時ーpm7時。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-08-15 11:56 | Comments(0)
2008年 08月 14日

留めるということー夏の年(sak-pa)(65)

今という時間は、砂時計の針の穴を通ってさらさらと瞬時に過去へと去っていく。
その今という時間を、留めたい、結晶したい。
表現へのあらゆる根底には、そんな人間のもつ記憶を記録したい願いがあるに
違いない。
かって絵画の場合がそうであったように今、写真の世界にもその記録性が、写真
機械の発展とともに極めて個的な表現のツールともなりつつある。
記憶の記録が、より内面的な抽象表現となりつつあるのは、絵画の歴史と同じな
のだ。写真館に行き、七五三の写真を撮り、小学校入学の制服・ランドセル姿の
写真を撮る。つい最近まであった慣習である。それが、大きな写真機ではなく、も
っと小型で軽便なデジタルカメラ、携帯電話の写真と、特別なハレの場としての
記録性は薄れて、より簡便でより日常的な視座に記憶の記録がある。
しかし、何かを留めたい、何かを記録し結晶したいという根っ子の部分は変わって
はいないと思える。
今を思い、今を抱きしめる。その大切な今は、瞬時に過去へと送り込まれ消え去っ
ていく。その時間を留めたい、砂時計の穴を、過去と未来の内に結晶させたい。
そこに、人間の永遠への憧れが熱く潜んでいる。それを、人は時に愛とも言うのだ
ろうが、表現者はそれを絵画とも、詩とも、音楽ともいう領域で結晶させる。
瞬時に消え去っていく今を抱きしめ、記憶を記録する行為が、より高度の表現の次
元を獲得する時、その記録の結晶は個の次元を超え、ある普遍性をもつ。それを
我々は、限りなく芸術という言葉に近づけて、そう呼んでいるのかも知れない。
個人の記憶の記録が、どこまで普遍性を保てるかは、その表現の保つ深さ、同時
代性、想いの純粋性と、多くの要素が細胞としてある筈だ。時に、その記憶は個人
の内に沈むだけのものかも知れない。この個と普遍の間には、記憶を生む生の現
場の生きる行為の深度が大きく横たわっている。
技や記憶だけで、作品表現が芸術の域まで高まる訳ではない。勿論機械の高度な
技術力によるものでもない。機械というツールの進歩は、表現の枠を広げこそする
が、本質力ではない。
現代は誰でもが、センスと知能でツールを使い自己表現をする事が可能になった
かに思える。それは、それでいい事とも思えるが、その分安直さも先行する。
生きるという人間の基本的命題が、ツール化する安易さに足をすくわれるからであ
る。才能が、ツールの進化によって開花しやすく、早咲きの危うさをも孕む。
溜めが浅くなる。そんな危うさをも孕みながら、アキタヒデキ展の「点と点」は進行
しつつある。点というドットが、線となり面となる<展>の時間はまだ続く。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)まで。am11時ーpm7時。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)
*gla_gal展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)
*梅田正則展ー10月1日(水)-7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)
*河田雅文展ー11月1日(土)-16日(日)
*中嶋幸治・國枝絵美展ー11月18日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-08-14 12:35 | Comments(0)
2008年 08月 13日

墓参平岸霊園ー夏の年(sak-pa)(64)

地下鉄で平岸霊園に行く。昨年納骨以来である。
友人ふたりと重たい石板を持ち上げ、遺骨を入れた。
今日はお盆初日、多くの人がいた。
ひとりでお墓参りするのも3回目か、ふっと思った。
最初にひとりで来た一昨年は、熱い夏だった。なのに炎天下墓地から街まで歩い
て帰った。途中暑さに耐えかね、水辺の道、精進川の傍を歩いた。
北一条の仮事務所のあった熊谷宅に辿り着くと、熊谷さんに村岸さんの死を伝え
られた。あの時何故歩いたのだろうか、何故ひとりだったのだろう。まだ妻は生き
ていたのに。あの川の道は、その春村岸さんがいずれ歩きいたいと言っていた道
だと、後で酒井さんに聞いた。春は雪多く、延期したのだという。
初めて墓参にひとりで行った日、
代わりに村岸くんが一緒に歩いてくれたのかも知れない。
いつもより遅れてテンポラリーに着くと、横浜の野木京子さんから葉書が届いて
いた。先日のお礼の返事とお悔やみの言葉が綴られていた。そして、吃驚したの
は息子さんが今度玉井夕海さん、中川かりんさんのPsalmと舞台で共演すると
言うのだ。<セマイヨノナカ!>と末尾に書かれていたがほんと吃驚。
Psalmが、今年の墓参の、みちゆきでしたね。野木さん、ご報告です。
南の平岸霊園は今年も暑かったが、ここ北18条は涼しく感じる。同じさっぽろで
も気温が違う。手稲山下、風が吹く。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)まで。am11時ーpm7時
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-08-13 13:27 | Comments(0)
2008年 08月 12日

3回忌ー夏の年(sak-pa)(63)

休廊日の昨日、村岸宏昭さんの3周忌に出る。この2年間遺作展、遺作集と、共
に仕事をしてきた顔馴染が多く、ついつい昼からお酒を飲んだ。西本願寺札幌別
院で供養の儀式が行われた後の事だ。頂いた折箱、香典返しのお土産を左右に
持ち、ふらふらと自転車で帰る。直進はいいが、急な判断で曲がったり、止ったり
するとやばい運転だった。喫茶店に入り、酔いを醒まし帰った。
今朝、東京の沼田康弘さんが突然来る。夕張のご両親が北大病院で検査があり、
お盆で帰省中だったので付いて来たという。昨年の今頃Psalmのライブで来て以
来である。そういえば、映画「もんしえん」の完成時、彼がチラシを持ってきたのも
一昨年の夏、村岸展の最中だった。村岸さんのファイルには、そのチラシが大切
に保存されていた。生前、一周忌、3周忌と、何故か沼田さんの訪問は村岸さんと
重なる。ご両親の診察が終るまでそんな話をしていたが、診察を終えた電話が入
り、ここに両親を連れて来ると沼田さんが言い出して、間もなくご両親が来た。
夕張の話で、しばし盛り上がる。生粋の夕張人らしい、暖かで誠実なお人柄のお
ふたりだった。夕張を媒介にして、沼田さんとの付き合いも、もう20年近くなる。
廃墟が廃墟として残っていた時代の夕張である。
私は生粋のさっぽろっことして、明るい繁栄のさっぽろを、見えない廃墟のように
感じていた時なので、目に見える廃墟のある夕張に惹かれていたのだ。
そこで見捨てられた真谷地のコンピユータールームから、持ち帰った書類の中
に沼田さんのご両親の会社の書類があって、偶然夕張出身と聞いた沼田さんに
それらを見せたのが、友情の始まりだった。私には真谷地の記憶として、持って
来ただけの何の変哲も無い棄てられた書類が、沼田さんには肉親の生きたもの
として存在し、興奮してその書類に触ってくれた感動が、我々の友情の始まりだ
ったのだ。その話をお父さんに話すと、本当に吃驚して喜んでくれたのだ。
もうその廃墟の建物も更地にされ、何も残っていない。帰り際是非夕張へ来た時
は寄って下さいと何度も言われ嬉しかった。
村岸さん、今はもう無い夕張の建物の記憶と、時空を超えて人と場が出会う。
お盆の時期なのだなあ。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)まで。am11時ーpm7時。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)
*gla_gal展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)

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by kakiten | 2008-08-12 13:39 | Comments(2)
2008年 08月 10日

初日の風景ー夏の年(sak-pa)(62)

お祖父さんの思い出詰まるソフアが、どんと会場に置かれた事で、作品空間は
その<座>空間に相当程度占拠される。その影響は本人の意図と関係なく展示
空間を二分する。そこに座り寛ぎ、お仲間意識で閉じられると、作品を媒介にした
緊張感は喪失されるのだ。純粋に作品空間を通した会話より、普段の日常の延
長の仲間・マイミク状態が出現し、空間は分裂する。都心にある某画廊の風景に
近くなる。画廊会場の真中にソフアが置かれ、作家先生を囲む輪ができる。見る
方は、背中にその事を意識しながら壁の作品を見る。見る事に集中ができないの
だ。アキタヒデキ展は、作家の自身の生活そのものを会場に持ち込み、空間自体
を耕す姿勢からこのソフアを持ち込んだとは思うが、ソフア自体がもつ生活感は、
作家の意図に関係なく寛ぎ、心を弛緩させる物として存在しているのだ。弛緩は、
exhbitionの<Ex>、外に、前にという緊張感を阻害するものである。
アキタヒデキ展初日の風景は、ソフアの<座>空間に弛緩したお仲間の風景と
、そこに入れない人をつくる結果となってある。祖父への想いが、ここでは裏目に
なっている。展覧会とは、Ex-外へと晒す行為である。Insideに閉じる空間では
ない。個的な思いの内向き性が、閉じた空間に作用すると作品の自立は喪われ
る。見る人が二分され、アキタさんの交友関係が交叉することなく、ソフアに固
まった群れと、その外側を回遊する人とに会場は分断された初日であった。
自分の部屋のように空間を創ると意図した作家の構想は、あくまで作品を純粋に
媒介とする前提を喪って、交友を主たる媒介軸にする人の間に分類を生じさせる
結果となったのである。この分類・亀裂をどうこの後克服していくかにこの個展の
これからの課題がある。
祖父という個的な想いが、即ソフアの4点セットとしてモノ化して設置した甘さに、
アキタさんの人の善さ・甘さが、本人の意図と関係なくソフア化した座空間を生ん
でいる。この甘さも含めて、アキタヒデキ展初日の<点>の風景がある。
「点と点と展」というタイトル通り、最初の点と点がどう「展」へと展(ならびひろが
る)かに、これからのアキタヒデキ<展>の時間があると思えるのだ。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月9日(土)-17日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向き
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by kakiten | 2008-08-10 12:46 | Comments(0)
2008年 08月 09日

バロン・ヒデキー夏の年(sak-pa)(61)

多分公爵でも伯爵でもない、男爵、バロンであると、勝手に私はアキタさんに仇
名を付ける。繊細にして剛直な彼の感性そのまま、普段の会話、行動で安直な私
の行為は、ばっさりと見切られる事に気づく事がある。例えば、下手な駄洒落など
は、ふんと鼻先で笑われ、ぎっと睨まれるのである。潔癖な性格なのだ。
展示を見ても、奔放でありながら緻密である。作品も激しく、繊細である。こういう
人には、なかなか頭が上がらない。下手な文章書きには、ヴィジュアルな点に弱
点がある。目に見える日常に疎いところがあるのだ。彼には、それがない。目に見
えてきりっとしている、そして崩している。充分にヴィジュアルな視線が行き届いて
いるのだ。デザインとか、美術とかいう前にそういう姿勢があるのである。
単純にお洒落だけで括れないものがある。吉増剛造さんにも似たところがある
昨夜参会した吉増剛造展「gozocine vol・3」は、フランスの詩人クロード・ムシ
ャールさんも来館して盛況であった。吉増さんの映像シネマは、変わらず冴えて、
光の映像詩ともいえる見事なものである。東京・岩波書店の名編集者樋口良澄氏
、昨年吉増論を出版した林浩平氏その他にも東京からの人もいて、司会の副館長
H氏はその紹介にウハウハという感じであった。この人の視線は、いつも上からの
眼線で時として一般人は、参列者の位置に置かれる。吉増さんの視線とは対岸に
ある。それが時として、司会の纏め方に対し、悉く駄目の反応となる。善意の官の
人であると思うが、視座がずれる。ここでも見えないところで、吉増剛造は闘って
いる。展示のありようにそれが良く表れている。祭壇化する展示を悉く拒否してい
るのが、その顕著な例である。私はちょうど隣り合わせた中嶋幸治さんとともに、
吉増さんに問い合わせのあった対雁の地名の由来を記したものを渡し、早々に
引き上げた。サインを求めて列をなす人たちに大忙しの吉増さんから、煎餅届い
たか!と声がかかったので、そのお返しですとgla_glaのロックグラスを手渡した
。奥さんのマリリアさんが身内に不幸があったとかで今回は、来札せずムシャー
ルさんの来館と重なり、昨日のテンポラリーへの訪問は、なしとなったのだ。
帰り際、こういう時いつもヘラヘラくっ付いているYから声がかかったが、あまり話
しをする気にならなかった。久し振りの樋口さん、林さんとも話したい気もあったが
、周囲の雰囲気に馴染めないものがある。私はいつも、吉増さんとは対で会って
きたから、この集る空気は苦手である。逆にこういう時ほど、活き活きする人もいる
。まあ、名声というものは、そういうオーラを発するものだから仕方がない。
吉増さんは、ヴィジュアル的にも、ただのもの書きのもつ、ものぐささがない。
本物というのは、そうしたものかも知れない。従って人も群れるのだ。ただそういう
ところで私は会いたくないのだ。声をかける自分に照れるのである。まあ、シャイと
いう事か。頑固でシャイな変な奴。アキタさん、吉増さんには敵わない。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月9日(土)-17日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-08-09 12:06 | Comments(0)
2008年 08月 08日

アキタヒデキ展ー夏の年(sak-pa)(60)

アキタヒデキ展の展示がほぼ終る。渾身の展示である。今までのデザインの仕
事も含めて、熱い展示となる。外に吊るす為にプリントされた、大きな垂れ幕に
その心意気が、すべて篭められている。
昨夕初めて外に懸け、その前でアキタさん、彼女のチグサさんと3人で記念撮影
をした。
会場南窓側には、立派なソフアが置かれている。お祖父さんの家のものと言う。
アキタさんは彼の祖父を、こよなく尊敬している。その証がこのソフアである。
どうしても、ここに置きたかったと言う。
その大切な彼の尊敬して止まない祖父が、昨日亡くなったと言うのだ。
初日9日の夜はお通夜、翌日は告別式と、まるで個展の始まるのを見届けてい
るようである。旭川の北竜町まで、初日、二日ととんぼ返りの個展初日、二日で
ある。多分誰よりもアキタさんは、お祖父さんにこの個展を見せたかったし、報告
したかったに違いない。会場にどっしりと在るソフアの4点セットが、なによりもそ
の気持ちを代弁している。

東京の林浩平さんから、メールが届く。8、9日と吉増剛造展を見に、札幌へ向か
うと言う。5年振り位かしら・・。吉増さん、岩波書店の樋口良澄さん、と人の往来
が続く。そういえば、これまた、何年振りかで小樽グラススタジオの浅原千代治さ
んからも留守録がある。先日の鯉江良二・岡部昌生対談で私の事を思い出したら
しい。まだ、大阪から小樽にガラスの仲間たちと引っ越してきたばかりの頃、鯉江
さんともコラボレーシヨンを試みていたのだ。雪の結晶をガラスで表現したいと、初
々しく語っていた頃の浅原千代治である。鯉江ー岡部対談が、どこかもう懐メロに
なっていたのは聞いてはいたが、浅原さんの登場で正にその事は事実となったと
思う。久し振りは、必ずしも懐メロではない。現在をどう共有しているか、その眼差
しにコンテンポラリーな地平がある。
アキタヒデキ展の明日からの心の展開に、<con(ともに)>を共有するそれぞれ
のtemporaryな現場の展開もまたある。好漢アキタヒデキが、祖父への懐旧には
決して溺れない日々が明日から始まる、と信ずる者だ。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月9日(土)-17日(日)am11時ーpm7時
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-08 12:40 | Comments(0)