人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ

<   2008年 05月 ( 29 )   > この月の画像一覧


2008年 05月 21日

生暖かい日ー5月の共和国(19)

生暖かい日。980円で買ったリュックを背に、自転車で快調に走る。
昨日帯広より着いた岡和田さんは、まだ作品が出来ず、
ここで制作を続行する事になる。
来週に完成予定の、半ばレジデンス的展覧会だ。
昨夜は松葉杖をついたIさんが来て、3人で蕎麦屋に行く。
肉離れを起こしたIさんは、それでも車で移動し仕事をしているという。
痛々しい気がした。
月末には、映像作家の大木裕之さんが来廊予定で、5年続けている「メイ」の
作品最後の仕上げに入る。もともと、大木さんの作品スタッフだった岡和田さん
の個展と重なるのも、不思議な縁である。
来月後半には、及川恒平さんの札幌録音が、界川源流域M宅で1週間ある。
札幌の糸田ともよさんの短歌が、及川さんの唄でCD化される。
大木裕之さんの映像、及川恒平さんの唄、さっぽろ拠点の創作が続く。
函として場を繋ぎ、関わり、土壌となって、さっぽろが耕される。
そう、信じている。見せ場としての陳列は、結果でしかない。その結果に到る過程
を共有できるか、そこに主力がある。結果の陳列が如何に豪華絢爛としていても
、その過程を抜きの結果陳列は場の意味を半減し、祭壇化する。
小さな野の花一輪にも、花の見えない350日があり、花の15日がある。
ふたつの世界を分断してはならないのだ。連続してこそ野山がある。
里があり、国(ランド)がある。
写真家のMさんがカレーを差し入れてくれる。美味しいベーグルと一緒に食べる。
2月個展をしたKさんが来る。何もない会場に吃驚しながらも、岡和田さんとの会
話を楽しんでいた。
ドイツの谷口顕一郎さんから、製作現場の写真が届く。
いよいよ、原稿書かなければと思う。
夕方、花田和治さんがビールを持って来廊。
芸大時代のボクシング部の話、奥様との馴れ初めの話に、岡和田さん感心しきり。
そして、飄然と帰る。こうして、一日目が暮れる。

*岡和田直人展「好日」-5月21日(水)-30日(金)
 am11時ーpm7時(月曜休廊):21-26日制作27-30日映像公開
*斎藤周展「おおらかなリズム」-6月7日(土)-22日(日)
*アキタヒデキ展ー6月24日(火)ー7月6日(日)
*細井護展ー7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久乃志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-21 15:31 | Comments(0)
2008年 05月 20日

風強く、雨ー5月の共和国(18)

日曜日とは一転して、風強く、曇天、雨。
海辺のマイナスイオンが、体に沁みたのか、体が熱い。
少し筋肉痛が残り、これっていい感じ。
今朝は、自転車を置いて出る。奥三角マイラブ、そして、樹の友人にも挨拶。
傘が風で逆さになって、駄目になる。円山地区は、ビル風が強い。
今日は岡和田さん、帯広より来廊し、明日からの個展の為、展示予定。
小林麻美さんよりメール。実りある時間と伝えてくれる。
毎日、会場で生の声を聞き、帰ってこの通信を読むのが楽しみだったと云う。
拙文、拙評に応えて頂き嬉しく、恐縮。だが、何よりも若い佐々木恒雄さんや、
復活佐佐木方斎さんとの出会いが良かった、と私は思う。
作品を通して展覧会場で交差する。その交差が、場という函の命である。
場を覇権主義で歪める人もいる。個の帝国主義、植民地化である。
このエゴのブラックホールには、茶坊主とゾンビのような追従者が群れる。
開く事は無く、閉じた覇権が支配する。場をただの利便性と参列者の崇拝で支配
しようと企むのだ。閉じた箱の修飾には、多分芸術という二文字が主となる。
芸はもともと、<土くれを掘って草木をうえる意>と言う。英語のcultivateと似て
耕作する。耕す。そこからculture:教養・文化に転じるように、本来の芸術もある。
原点の行為を差し置いて、結果の美味しい所だけを頂くさもしい根性が、場を草刈
場に荒廃させ、ただのハコにおとしめるのだ。量数と権威、言い換えれば富と名誉
に満ち満ちた欲望の覇権主義である。
土くれを掘る、足下を耕作する、そうした日常の営為を場に求めず、実と花の結果
の陳列に重きを置く精神に、真の文化力は無い。
個展という展示の時間もまた、耕す時間である。そこには、人と人の出会いという
耕し、植える行為がある。生きるを繋ぐ時間がある。
そこは、「美」に追随する参列の場ではない。
美術を覇権主義のブラックホールに陥れてはならない。
芸術を、現代の小麦や玉蜀黍、石油と同じ覇権主義の具にしてはならないのだ。
場を耕せ、掘れ、そして同時代の根に開け。

*岡和田直人展「好日」-5月21日(水)-30日(金)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊
*斎藤周展「おおらかなリズム」ー6月7日(土)-22日(日)
*秋田ヒデキ展(予定)-6月24日(火)-7月6日(日)
*細井護展ー7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久乃志乃展ー7月22日(日)-8月3日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-20 12:07 | Comments(0)
2008年 05月 19日

河口と海岸を歩くー5月の共和国(17)

昨日は快晴。八幡(若生)-来札ー知津狩ー無煙ー望来と歩く。
久し振りだ。同行はN君、Kさん、A君、S君の4人。みな初めての石狩海岸。
八幡以外はすべてアイヌ語の漢字表記。八幡は、八幡神社があったからで、本
来は若生(ワッカオイ)である。水が湧いて溜まるところの意。
大野一雄石狩河口公演のヴィデオを見て、A君が現地を見たいというので、この
ウオーキングとなった。若葉が輝いて、雲雀、ウグイスが鳴いている。ウグイスは
まだ充分に鳴けず、ホー、ホケ-ッ、ホケーと、キョがなかなか声にならない。
伊達邦直上陸記念碑も、知津狩川沿いに以前はあったのだが、今は移動されて
上陸地点にはない。泥色の濁流がとうとうと流れ込む河口を過ぎ、ハマナスの土
手を歩くが、花はまだ咲いていない。去年の秋の実が枯れて固く残っていた。
北石狩衛生センターを超え、ハマナスの野を越え、田中浜に出る。日本海の海が
広がり、少し煙って淡い穏やかな波だった。いったん海浜を離れ知津狩村落を抜
ける。途中、中川潤さん宅に寄るも留守。4人には紹介したかったので残念だ。
漁師の廃屋をコツコツと修理し、そこに住んでいるアイヌ学の実践者である。
近くの牛馬頭観音に触り、久し振りに挨拶する。馬頭観音は数あるけれど、牛と
一緒のものは珍しいのだ。さらに歩き、途中珍しくすれ違った人にN君とKさんが
なにか声を掛けられている。お揃いのTシャッが目に入ったからだ。このデザイン
は、A君のデザインで某大手メーカーのコンペに入賞したものである。そのTシャ
ッを今日ふたりが着てきたのだ。そのペアルックを見て、何か話し掛けられたよう
だ。私は手に入らず、着て来れなかったが、それでよかった。若いふたりだから、
話題にも冷やかしにもなる。無煙浜にでると、ハングライダーが空に浮いている。
ふわりふわりと気持ち良さそうである。A君が独り言のように言う。”乗りたいような
乗りたくないような・・”彼はわりと臆病なところと好奇心の強いところと両方ある。
私は浜辺のメノウ探しに専念する。やっと3個見つけた。今日はあまり無い日だ。
海岸線を抜け、望来に出る。いつも寄る定食屋さんに入り、ビールで乾杯。美味。
あとは、それぞれ好きな定食を頼み、バスの時間まで飲んだのだ。帰路は熟睡。
今朝、鏡を見ると、日に焼けて鼻梁が光っている。
展示のズレのおかげで、いい日曜日だった。今日の天気なら駄目だったろう。

*岡和田直人展「好日」-5月21日(水)-30日(金)am11時ーpm7時
 月曜定休日休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1‐8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-19 17:29 | Comments(0)
2008年 05月 17日

村岸さん宅訪問ー5月の共和国(16)

初めて、村岸宏昭さんの家を訪ねる。作品集出版の資料をお借りする為、K舎の
編集者おふたりと、高校時代の友人H君とお訪ねした。お母様とお祖母様が迎え
てくれる。仏壇に手を合わせた後、色々なお話を伺い、2階の故人の部屋を見せ
て頂く。南西向きの角部屋で、暖かい陽射しがふり注ぐいいお部屋だった。
本棚を見ていると、故人の顔が浮かんだ。亡くなった年の春、一緒に行った古本
屋で彼が購入した埴谷雄高の「死霊」が目に入る。あの時はその後、蕎麦屋で一
杯飲んで楽しかった。私の事を”絶好調”と彼は後でブログに記している。
帰り際、小学生の時に作ったというマリオネットを、K舎のTさんが見つける。
グリーンと黄色、茶の色彩で出来た操り人形だ。小学生とは思えない仕上がりで
ある。大学受験時代に描いた暗い赤の膝小僧を抱きしめている絵と、どこか通底
したものがある。手足の長い明るい暖色系のこの人形がきっと、彼の原形にはあ
ると思えた。閉じた手足、色彩の濃い赤と黒ずむ青、黄昏か曙のような色彩。一
方、人形の開かれた手足、明るい優しい緑と黄土色。あれは、樹木の色だ。
この人形はお借りして撮影することになった。見つけたTさんの慧眼を思う。
上半身は描かれず、膝小僧を抱く細く長い手。全身を他者に向かって開いている
マリオネット。その形態と色彩の相違の間に、村岸さんの短いが濃い人生の振幅
が横たわっている気がした。同じく少年時代に造った空き缶を重ねた水音発生の
工作装置。これと同じ造りのものを、写真家のMさんが個展のとき、お祝いに進呈
したら、僕も小さい時同じ装置を作ったと、喜んでいたのを憶えている。
最後の個展の白樺の水音発生の仕掛けの原形がここにあり、その白樺を抱いて
来訪者が音を聞く行為は、このマリオネットの手足にあるように思う。
自らの膝のみを抱き閉じていた世界が、他者と同じ目的をもって白樺を抱くという
開かれた行為で成立する最後の個展。水の音に耳を澄ますという装置に、他者も
自分も樹を抱くという閉じつつ開かれる手足の行為。そこにもう一度彼のマリオネッ
トがあったのではないだろうか。水音と人形。このふたつの工作物は、村岸さんの
原形のようにシンプルに存在したのだ。

*岡和田直人展「好日」-5月21日(水)ー30日(金)am11時ーpm7時
 月曜定休:18-20日休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-17 18:02 | Comments(0)
2008年 05月 17日

小林麻美展最終日ー5月の共和国(15)

小林麻美展最終日午後、佐佐木方斎さんが来る。こんな風にひよっこり、ひとり
で来たのは初めてだ。そして、小林さんの最終日の片付けまで手伝ってくれた。
ふたりの共通点を、何日か前のブログに書いた事もあり、出会いを感じる。
人の波が収まった後、方斎さんが小林さんに話す。
自作の「格子群」から「余剰群」、「自由群」、そして今回の「meta絵画」までの展
開を話していた。
自作を語る方斎さんも珍しく、小林さんも聴き入っているようだった。
格子とは、見方によっては直線の金網のようにある。そこから、余剰へと進んで
いく表現の経過は、境・界(さかい)の意識をマージナルに捉えるものだ。
小林さんは、今の問題意識の先輩ともいえるのかも知れない人に、最後に会え
たのだと思う。
来場者数のまばらだった展覧会と、多くの人が作家に会いに訪れた展覧会とが
連続して続いたが、この展覧会の表現の根においては、共通する主題が孕んで
いたと私は感じている。格子と網の表層の相違はあっても、内側の世界と他者の
世界との境・界(さかい)を間として意識し、表現として闘って在るものは共通して
いると思う。間(あいだ)を、余剰として溢れるmarginalなものとして表象するか、
間(あいだ)を、区別・差別の境として分断の表象とするか。その小林さんの危う
さを最も濃く強烈に生きた表現者として、佐佐木方斎さんがいると、私は思うのだ。
年齢、性別、環境すべてにおいて違うふたりだが、現在・只今という表現の一点に
おいて、同時代の困難を共有していると感じる。深い他者の世界との断絶・分断の
内側から、如何に人は他者と関わり得るかという現在の在り様に於いてである。
量数としての入場者の多寡は問題ではない。表現の個の位相に於いてふたりは
同じ方向を見ている。菱形や方形の格子を30層に白く塗りこめた佐佐木さんの、
メタ絵画は、小林さんの溶解する金網の格子とともに、ふたりの濃い内部世界の
存在を強く感じさせるものだ。運動体として北海道現代作家展や3000人相手の
コンピユーター上のチャットを、’80年代’90年代に展開してきた佐佐木さんの現
在の2000年代の孤独と、今多くの友人達に囲まれて人気の若い小林さんとが、
その内面の内閉する重力の強度と外界とのバランス、危うさにおいて何故か私は
、同時代の境・界(さかい)の皮膜の質として類似するものを感じていたのだ。
そしてそのふたりが、最後にここで会い、作品撤収の行為を同じくした事が、とても
嬉しく思えた。それは、場がただの”ハコ”として在るのではなく、溜まり溢れる開か
れた”函”として在る事の、私のささやかな自負としてでもある。


*岡和田直人展「好日」-5月21日(水)-30日(金)am11時ーpm7時月曜休廊
*斎藤周展ー「おおらかなリズム」-6月7日(土)-22日(日)月曜休廊
*秋田英貴展(予定)ー6月24日(火)-7月6日(日)
*細井守展ー7月8日(火)-13日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-17 11:34 | Comments(0)
2008年 05月 15日

青い函ー5月の共和国(14)

昨夕も仕事を終えた小林さんが来る頃、人が多く来る。人気の作家である。会い
に来るのだ。閉廊時を過ぎてもまた人が来て、流れは尽きない。電話が鳴る。
S君からで、今晩は故村岸宏昭さんの作品集刊行の集まりだが、どう?と言う。
今日というのを忘れていた。小雨の中、遅れて集まりに出る。原稿の遅れを、ま
ず聞かれた。申し開きをしながら、他の人の遅れも確認し、とりあえず胸をなで
おろした。村岸さんのお母様が、先日四国の鏡川を訪れた話をした。遭難時は
頭が真っ白で周りの様子も見ていなかったが、今回はあらためてゆっくり周りを
見て、渦巻くような深い淵のある川だという事を感じたと、話す。川に捧げた花が
ぐるぐる回って真っ直ぐに流れていかず、逆流したりしたという。深い淵のある
処なのだろう。山と海が近く急流で抉れている川。ふっと童謡の一節を思い出し
ていた。

-箱根の山は 天下の険、函谷関も物ならずー

この「函谷関」という”ハコ・タニ”を流れる川のイメージだったのである。
うっすらとこの歌詞を憶えていて、寺山修司編の「日本童謡詩集」を引っ張り出し
、確認した。深い淵のハコ状の地形のことを、オオバコ、コバコといい、函の字を
当てる事も多い。
suop(スおプ)-もと箱の義。川床の岩盤が箱のように深くなっている所。
両岸が絶壁で川底が岩の箱の形になって青く水をたたえている所。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」)
この場合箱の字よりも、函の字の方が目にしっくりとする。

<川底が・・函の形になって青く水をたたえている所。>

川の流域が短くすぐ山から海に注ぐ事の多い四国の地形では、きっとこの函状
の川がこちらとは違って、身近に多いのだろうと思えた。
あらためて、愛する子供の命を呑みこんだ川の傍に立ちしみじみと見詰めていた
お母さんの話は、その一言一言に真実が溢れて心うたれるものがあった。
しかしもうひとつの、ギヤラリーという青い函から溢れた村岸さんの志は、今もこう
して集まりとして、もう2年近くも続いているのだ。年内に出版予定されている彼の
作品集の編集は遅々として、しかし確実に昨夜も積み重ねられたのである。

*小林麻美展「風景がわたしをみている気がする。」-15日まで。
*岡和田直人展ー5月21日(水)-30日(金)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-15 14:47 | Comments(0)
2008年 05月 14日

その春暮れては・・5月の共和国(13)

不眠の後の所為か、昨夜は不埒な事も考えず、熟睡。
朝、冷涼な空気の中を快走。空は曇天。木々青し。
誕生日祝いのメール多々着信。
九州のTさん、こちら相当冷え込みました、そちらも、とある。こちらは、これが普通
で、Tさんの創る青白磁のようと書く。一度こちらで会いたいもの。
気がつくと、誕生メールは全部男性からで、なにか納得する自分が可笑しい。
同じ牡牛座ですねえという人もいた。
そうですね、角溜めすぎずにお互い頑張りましよう。
開廊前、フライヤーの整理をしていると目の鋭い男性が来る。
小林さんいませんかと聞く。お仕事で夕方から来ますと答えると、それじゃ、と帰る
。今日も、彼女の来る頃には会いに来る人で一杯になるのだろう。
佐佐木方斎さんの時は反対で、本人は朝からいたが人の来るのはまばらだった。
若くて美人な小林さんと、方斎さんではその差は仕方がないのだろうが、展覧会が
続いているだけに、際立って感じられる。
作品だけについていえば、どちらも作家の内面と外界の接点が迫り出して危うい
点では同じと思える。心身ともに’90年代後半に内閉した佐佐木さんの、薄い皮
膜のような、白く塗り込められた薄皮の現在と、溶解する網膜の網のような小林
さんの現在とは、外界と内界の間の現在性のバランスにおいて似ている。
ただ、佐佐木さんには”精神のラインダンス”’80年代がある。その上で、孤絶した
現在に帰還する、今の視線があるのだ。若い小林さんにはそうした時代はなく、
交友の”ラインダンス”が、内面世界とは別に今、続いているのだ。しかしその外界
との境にあるのが、網目の表象である。佐佐木さんは、その内と外の境を白い皮
膜として表現している。ふたりに共通しているのは、内側の濃い視座であろうか。
濃く閉じた時に顕われる色彩として、小林さんの赤があり、濃く閉じた後の傷の薄
皮のように顕われたのが、佐佐木さんの白であるように思う。
男性性と女性性の違いもあり、生きてきた時間の違いもありながら、今を見詰める
視線の境・界の濃さは、相違しつつも同様の視座をもっている。
白い皮膜と溶解する網膜の表象に、意識された現在の境・界が表現されていて危
ういのだ。開かれた界(さかい)とするか、閉ざされた区別・分断の境(さかい)とす
るか、その危ういバランスにおいてふたりは今、共通して現在があると思える。

*小林麻美展「風景がわたしをみている気がする。」-15日(木)まで。
 am11時ーpm7時。
*岡和田直人展ー5月21日(水)-30日(金)

 テンポラリースペース札幌市北区来た6条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-14 12:37 | Comments(0)
2008年 05月 13日

風澄む日ー5月の共和国(12)

会期が変則的に始まったので、定休日なしで開廊している。昨日は、やはり体が
休みになっていて、重たかった。夜、目がさえ不眠。
ネット上で、北海道立文学館の「吉増剛造展」スケジュールを見る。
6月末から8月末まで、ざっと12回もの対話・鼎談他のイヴェントが組み立てられ
ていた。まるで、吉増剛造の万博である。なにか、私にはズレテ感じられた。
多彩な詩人の活動を総花的に祭壇に陳列し、対話するという感じである。
主題が、見えない。イシカリ・さっぽろという現場が、見えないからだ。
詩を断筆するとまで宣言した詩人の今に寄り添い、共有する時代の眼線がない
からだ。過去の業績をその有名性において陳列し、賛同者を揃えたところで何が
生まれるのか。先に業績を称えるように囲い込んで境界を造っているのである。
文化のパブリックワークとは、所詮、煎じ詰めれば土壌とは何の関係もない中央
志向の地方喪失でしかない。一昨年12月、吉増剛造は語っている。
<皆さんにぜひご報告したいのは、マイナス2度の札幌へ呼ばれて、僕は六十年
間、大基地のフラットな、あのフラットな大基地に呪縛されてきた。・・>
と、横田基地の深い傷を語った吉増剛造の奥多摩という地方に対し、イシカリ・さっ
ぽろという地方は何を提示し得るか、という視点がどこにも感じられないからだ。
東京在住の世界的に活動している著名な方を、東京・地元外の知識人でお迎えし
てなにやらご高説を受け賜るかの如き構図しか見えない。多くの対話が用意され
ているが、そこにはさっぽろですることの動機と主題が見当らない。
もっとも道庁所在地である札幌にある事で、道立を名乗りさっぽろを消去して成立
している場であるから、さっぽろという一地方なぞ初めから無しで当然なのだろうが


*小林麻美展「風景がわたしをみている気がする。」-5月15日(木)まで。
 am11時ーpm7時
*岡和田直人展ー5月21日(水)-30日(金)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-13 11:41 | Comments(0)
2008年 05月 12日

溶解と結晶ー5月の共和国(11)

日々の自然に普段何気なくある風景が、ある時凝縮されて、ストップモーシヨンの
ように意識される時、人は何を見ているのだろうか。
蛙が水に跳びこみ、蝉が鳴いている。
芭蕉さんだけでなく、ニュートンさんの林檎もそうだ。
日常の風景が、ただの現象から濃い重さの実体を保ち、ある本質への眼差しとな
る時がある。
日常が止り別次元に開く行為の内に、時に音が生まれ、声があり、色が生まれる
。枝から落下する林檎の実にも、見えない重力とともに、その時透き通った色も音
も形もあったに違いない。
内側に拘束され内に属してていたものが、界(さかい)を超えていく。
その開かれた時間の凝縮に、日常はある結晶作用を保つ。
絵画とは、色彩としても、形体としても、そうした結晶の視覚化でもあるだろう。
小林麻美さんの今回の作品には、その結晶の前の発熱がある。まだ内的重力が
勝っているのか、外界と内界の摩擦熱のような溶解はあっても、色、声、形が、く
っきりと結晶してこないと、感じるのだ。高さ1・5m巾15m近い画布が、囲繞する
ように見る人の前にある。見る人は、自ずから作者の内側の世界に佇むようになる
。中央の視界には、溶解した網が左右の網の目の濃さと比して薄く、向こうの世界
に触れるようにある。そして、右端の巻かれたままの状態に微かに残る、淡いピン
クの赤に、薄明の色彩を感じつつも、界(さかい)の凝縮した赤には到っていないと
、感じるのだ。
過渡期そのものを表現でき得る事も、作家としての充分な力量である。
その事も踏まえた上でなお、初期の作品に見られた内的凝視力、その花の芯の
ような、あの赤い色はどこにあるのかと問うのである。
今を生きるという事は、単純なことではない。こうして文で書いたり、口で言うほど
簡単なことではない。だから、過渡期、過程そのもを表現でき得る事も立派な実力
の内にある。その上でなお、私は小林さんの凝縮したあの赤の行方を思うのだ。

*小林麻美展「風景がわたしをみている気がする。」-5月9日(金)-15日(木)
 am11時ーpm7時
*岡和田直人展ー5月21日(水)-30日(金)
*斎藤周展ー「おおらかなリズム」-6月7日(土)-22日(日)(月曜休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-12 14:10 | Comments(0)
2008年 05月 11日

界(さかい)にあるものー5月の共和国(10)

さまざまな境・界を、我々は生きている。いちばん最初の境・界(さかい)とは多分
個の、内面と外界の界(さかい)を意識する事から始まるのだろう。
自己の向こうに他者の存在がある。他者はやがて社会という環境意識にもなる。
家庭・学校・地域・郷土。そしてもうひとつの社会の外にある自然という環境。海・
山・森・気候・空気・風。それらふたつの環境は個別性を保って、もっと生理のよう
に具体的に感受される得るものだ。
そうした個別性が保つた感性こそが、生きる事の固有の証を創る。
男女という界(さかい)もまた固有性を生む。そして生き物としての人間は、その界
を愛という回路で往還する。その境・界には性の外に社会という境もあるだろう。
その境は、区別・差別・分断の引き裂くものとしてある場合も多い。
古今東西の恋愛譚の多くは、その障害を超える過程が美しくも悲劇にもなる過程
の話である。
社会的区別・差別・分断は、国家という過程でもあって、民族戦争・帝国主義・難民
の世紀も生んできた。小さくは都市の構造にも住み分けのようにそれはあって、や
はりさまざまな都市の様態を造ってきた。人間は群れる存在であると同時に、区別
・差別する生き物ともいえるのだ。そして、その境・界を如何に往還するかの繰り返
しに、生きる事の濃いリズムが存在するようにさえ思える。
花の季節である。多くの人が、この今を盛りの花の写真をネット上にも掲載している
。私の好きなシラネアオイの花も、何人かの人が紹介していた。
花とは、何なのか?解釈は色々あるだろう。
私は、境・界(さかい)に咲くもの、と思う。
内なる世界と外界の間(あいだ)に顕在化する、開かれたものの象徴のように思
う。区別・差別・分断の境ではなく、そこをつなぐ第三の架橋の世界の象徴のよう
に思える。生きる事がいちばん美しく結晶する、発露のような形象に思える。
人間にはそれが愛という精神の結晶としてあり、植物にはそれが花という形象で
あるのではないだろうか。生存という縄張りの領土は植物にもあって、繁殖という
形で棲み分けがある。人間にもそれが国・民族という形であるだろう。それが国家
を作り、区別・差別ひいては分断という形になる事も多いのだ。
そうした時、人は時に自然に還り、開かれた関係性を思い出す。
自然の回路がまだ濃かった時代には、その回路は文化として定着してあったと思
れる。有名な松尾芭蕉の俳句がそうである。
蛙という動物と古池という水のふたつの異質な世界が、跳びこむという行為によっ
て触れる世界が顕われる。このふたつの世界を繋ぐものは、水音である。
岩という鉱物と、蝉という動物が触れる。そこには、蝉の声という音がある。岩にし
みいる音があると感じる時、見えない季節の境・夏の盛りが顕われる。
水音・蝉の声。これは音に表象される、ふたつの世界を開き繋ぐ花、と思える。
松尾芭蕉の俳句を引用しながら、自然としての境・界(さかい)を先人はどう捉えて
いたか、に触れたのは、今回の小林麻美さんの描いた世界について語る為である
。小林麻美さんの描く世界は、視界の境・界を意識させる事で、やがて訪れるだろ
う<花>の世界に、遠い他者・外界を、朧な眼線で辿る予兆のようにあると思える
からだ。かって顕われた、あの深い赤の色彩は作家自身が内含している、<花>
の深い芯のように見るものに想い起させるからだ。
今回180度の画面近景に描かれた金網のようなものは、社会としての環境の境・
界の意識のように思える。その網の目が透けて、遠くある人と垣根の風景には、
真夏の午後のような倦怠が漂っている。春の花と秋の実の中間の時間。今その界
が本当に触れようとしているのは、不可視の340日の季節を経て花の15日がある
ように、内なる葉先の視線の先にある花の存在、と思える。


*小林麻美展「風景がわたしをみている気がする」-5月9日(金)-15日(木)
 am11時ーpm7時
*岡和田直人展ー5月21日(水)-30日(金)
*斎藤周展「おおらかなリズム」-6月7日(土)-22日(日)
*秋田英貴展(予定)-6月下旬ー7月6日(日)
*細井守展ー7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)
*久乃志乃展ー7月」22日(火)-8月3日(日)
*森万喜子展ー8月下旬
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)
*梅田正則展ー10月1日(水)ー7日(火)
*阿部守展(予定)-10月中旬
*河田雅文展ー11月(予定)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-05-11 13:18 | Comments(1)