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テンポラリー通信

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2008年 04月 03日

ふたりの職人ーランドとしての石狩(11)

雪捨て場となっていた界川遊歩道の雪も消え、久し振りにその道を歩く。大通り
に出て、緑地帯に立つ一本の街路樹に挨拶する。友の木である。暗渠の川に触
れて大きく枝を広げ、美丈夫である。植えられた木とはいえ、彼の根はしっかりと
見えない川に触れている。その所為か、他の街路樹と比べ姿が美しいのだ。川
の痕跡を地に見詰めていた私は、ある時ふっと目を上げ、この木と出会った。
同じように生きている。そんな感慨が友情の始まりだった。それから必ず挨拶を
するようになった。”やあ、友よ!”そんな感じで手を軽く上げる。今朝も久し振り
に挨拶した。枝全部でハグされた気がした。
昨日、ふたりの職人が来た。ひとりはお馴染みの活字印刷を続けている酒井博
史さん。もうひとりは、手書きのポップ屋さんの松田泰子さん。どちらもパソコン
やコンピユーターに押され、仕事の後退を余儀なくされている。ポップ屋さんとい
うのは、チラシや案内看板の文字を手で書く職業の通称である。デパートの売り
出しビラ、商店の外ビラと、かっては多くの注文で連日大忙しだったのを私も目撃
していた。ギヤラリーの外に出す看板の字も随分と松田さんに頼んだ事もあった。
そんなふたりがたまたま一緒になり、手仕事の話をする。手の人達なので、手の
繊細な動きを日々の訓練で大切にしている。例えばボーリングなどをしたら途端に
手の筋肉が変わって、仕事に影響が出るなどと話していた。看板の文字ひとつに
も、室内と外では字の大きさを違えないと効果がでないと話す。たまたま、私が書
いた及川恒平コンサート告知の文字が横にあったのを見て、真面目に一生懸命書
いているのは分かる、と言われた。それで飯を食ってきた人間の言葉には重みが
あって、恥ずかしい気がした。機械を操作するのではなく、手で感じ、考える人の言
葉は、なにかしら醸し出される味のようなものがある。言葉にボデイがある。人もま
たムラやクニのように自然の身体をもち、析出する風景をもつ。職人の保つ手の風
景である。このふたりは、そんなに古い昔の人たちではないのだが、もう遠い時代
のような時間のブラックホールが、現代にはあるのだ。身体としての職業が消えつ
つある。町や村、木や森、川や野と同じように、それが人間にも起こりつつある。

*「大野一雄と吉増剛造ー境・界としての石狩」展ー4日(金)まで。
 am11時ーpm7時
*及川恒平ソロコンサート「ReーSong」-4月5日(土)午後6時~
 入場料3000円・予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-04-03 13:00 | Comments(2)
2008年 04月 02日

界(さかい)を歩くーランドとしての石狩(10)

琴似街道や茨戸街道を歩いた時もそうだったが、等身大の道では村境を感じる
場所がある。ああ、ここから変わるんだなあと境がある。それは、山や川や風が
知らせてくれる。札幌市内でも天気の違う時がある。ここで雨でも、あっちでは
路面が乾いていたりする。それは、地形が違うからで、その天候の境が村境で
ある事が多い。クニは、大きく捉える時<邦>と書いたという。小さくは、<國>
と書く。”お国自慢”の國である。今は略字の国が、どちらも表わしている。邦人と
いう言い方に大きな<邦(クニ)>が残っている。国のさらに小さな単位が<ムラ
>であろうか。「国敗れて、山河あり」という言葉に象徴されるように、クニは山河
と一体であったし、村もまたその中で「兎追いし、かの山、小鮒釣りし、かの川」と
唄われた故郷という村であったと思う。自然の山野と人間の身体性が同じリズム
で形成された世界には、境もまた自然の身体性を保ち、開かれて存在したと思え
る。風景学の中で、風景の結晶という言葉があった。
-<すぐれた地相には急所というものがある。・・・そこに立って四方を眺め渡すと
地相の趣意が一気に析出し風景として結晶する。>(中村良夫「風景学実践篇」)
この<一気に析出し風景として結晶する>場が、ひとつの境・界と思える。
そうしたすぐれた地相に名所を見る事もあるだろうが、もっと日常的にはそこが境・
界(さかい)であったのではないだろうか。
ムラという境を歩き、クニという境・界(さかい)を歩く。そこにランドとしての石狩を体
験したく思うのだ。区別・差別・分断の国境ではなく、身体としての境・界(さかい)を
まず、イシカリから発したいと思うのだ。区制や、車の為の新道によって分断された
、直線の境界線の下に埋もれている自然の身体性としての界(さかい)を、自らの
身体性として復活・再生したく思う。川を血脈とし、ムラとクニを肉として歩く。それが
界(さかい)を歩くという事だ。

*「大野一雄と吉増剛造ー境・界(さかい)としての石狩」-4月4日(金)まで。
 都合により4日まで延長展示致します。映像希望の方お声をかけて下さい。
*及川恒平ソロコンサート「ReーSong」-4月5日(土)午後6時~
 入場料3000円・予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-04-02 13:00 | Comments(0)
2008年 04月 01日

際(きわ)を歩くーランドとしての石狩(9)

祖父の覚書に<石狩國>の文字を見てから、<國>の際(きわ)を歩きたいと思
った。身体で感じたいのだ。ほぼ今までも触ってはいるが、もっと意識的に歩いて
みたい。
早川禎治さんの「アイヌモシリ紀行ー松浦武四郎の「東西蝦夷日誌」をいく」(中
西出版・2007年4月刊)に拠れば、<武四郎は高島岬に立って、石狩の海は雄
冬岬を対岸として一湾をなす、と書いている。>そして、その事実の確かさを実際
に体験し<武四郎のアイヌモシリに対する地理認識の確かさをおもわずにはいら
れない。>と実感をもって記している。雄冬・増毛が、天塩國と石狩國の境でもあ
るのだろう。後志國との境は、石狩湾としては高島岬で、陸としては祖父の連れが
札幌の大火を見て引き返した銭函・張碓あたりの峠が境と思える。また、空知國、
胆振国との境は、夕張・支笏あたりがそうであると思える。江別ー夕張ー勇払と繋
ぐ石狩低地帯はかって松浦武四郎も歩いたタルマイ超えのルートでもある。これ
が入口を意味する”イ・プツ”を語源とする三つのルートでもあり、入口は境をも同
時に意味する、と思えるからだ。入口は境でもあり、際(きわ)でもある。今月は予
定したT・KさんのO美術館凱旋個展が不可能となり、A君の初個展が、まだ宙に
浮いて決まらず、時間が出来たのでこの際歩いてやろうと考えている。5月以降は
展覧会が続くので、そうそう出歩けないからだ。
古アイヌの人のいう”冬の年”と”夏の年”の境でもある4月の時期に、冬と夏の年
の際(きわ)を歩くのもいい。そして石狩”國”を体感をしてみるか、と思う。

*及川恒平ソロコンサート「ReーSong」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
  円・予約2500円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-04-01 11:32 | Comments(0)