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テンポラリー通信

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2008年 04月 16日

腰に冬ーランドとしての石狩(21)

休廊日。Mさんの車でgla_gla展を見に行き、さらに近くのレトロスペースに寄る
。差し入れのお礼もあった。館長の坂敬さんがいた。久し振りで話が長く続く。
香水瓶のコレクシヨンが、新たに設けられていた。この小さなガラスの瓶は香りを
封印し、やがて香りが揮発すると用が無くなる存在だ。香りという不可視の存在を
、見えるもののように形作られたガラスの小瓶。中味がもう無くなっていても、そこ
にはなにかが残る。香りを形にする姿がある。香水という<用>は消滅しても、眼
に、香りが伝わる。それら眼への香りが、ひとつの世界を創っていた。
坂さんの、用が失われたものへの哀惜、愛着。これもまた彼の美学であるだろう。
学生運動の過激な活動家として培った反権力の心根は、こうしたコレクシヨンに
今も息づいていると思われた。広義の反権力から狭義の反権力へ。狭義とは、こ
の場合日常を意味する。マイクロポップなディテールに、闘いの宿っている眼があ
る。ただの綺麗々々趣味ではない。懐古趣味でもむろんない。見えない香りを抱く
透明な小瓶は、彼自身の志を抱く精神の容(かたち)、そのものでもあるのだ。

   催涙液あびる 安田の講堂に暮れてなお なおひるがえる旗ありき

   残したし! 我等の去りしその後に ビラ一枚の言葉なりとも

                                   (坂 敬「解放区の唄」)

ある熱い過激な行為の後には、
拡がった時間の幻影が、虚のように収縮する時が来る。
それは、ガラスを創る炎の後の冷却のように、やってくる。
炎は、透明な時となり、脆い日々に耐えなければならない。
だから、小さな香水の瓶ひとつにも、その時間を見るのだ。
<・・暮れてなお、なおひるがえる旗ありき>の時間とは、そのようにある。

翌日、腰に冬が残っていたのかぎっくり腰になる。
坂さん、これを挫折(自嘲)というのは止しましょうね。

*「境界(さかい)としての石狩」展ー26日(日)まで。
 :大野一雄「石狩の鼻曲がり」デッサン・ポスター・当日入場券ほか。
 : 吉増剛造「石狩シーツ」草稿・CDポスター・詩集ほか。
*小林麻美展ー5月9日(金)-15日(木)
*岡和田直人展ー5月21日(水)-30日(金)
*斎藤周展ー6月7日(土)-22日(日)
*吉増剛造展ー6月24日(火)-7月6日(日)-道立文学館展示協賛
*細井守展、久野志乃展ー7月予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-04-16 13:25 | Comments(0)
2008年 04月 13日

息吹きのように発するものーランドとしての石狩(20)

及川恒平さんがさっぽろでレコーデイングする事を、
自らのブログのなかで宣言した。

   数日間の録音。
   ぼく自身による、歌唱とギター演奏のみ。
   雨音や風の音は小々混ざってもかまわない。
   今回録音したいものは
  すべて札幌に生まれ育った詩人、糸田ともよのことばに
  ぼくが曲を書いたもの
  だから なによりもキタの空気を録りたい。

先週の土曜日「ReSongs」のソロコンサートから1週間。
及川さんの内部で、何かが弾けている。加速する、ひたむきなもの。
「想いは現実、現実は想い」(大野一雄)を、まさに地で行っているのだ。
今思えば、先週行われたコンサートは充分に、このことを予感させるものだった。
当初の東京での録音予定の変更には、きっと<キタの空気>がキーワードになっ
ている。北海道に生まれ育ちながらも、学生時代すでにフォークソングの草分けと
して六文銭で活躍し、出発(たびだち)の唄や面影橋でスターとなった。しかし、遠く
置き去っていた<北>への志向を、この3年の間追求していたのだ。
2005年の10月20日、初めて「糸田ともよを歌う」と題したコンサートを前のテンポ
ラリースペースで開いた時から、今回10曲にまで積み重ねられた作品群には、濃
い<キタの空気>が、基層低音のようにあるのである。
先週のコンサートの後、帰京してまず感じたのは、その事だったと思う。
詩と唄の声を通した深い出会いが、その出自において場=地を獲得しようとしてい
る。ふたりの優れた出会いが、<キタの空気>に地(ランド)を求めているのだ。
その美しい必然に、それぞれの<Reー>が再生のようにある。
生涯たった1冊となったかもしれない歌集の炎が、声の松明(たいまつ)の火となっ
て今、その軸心に再び新たな炎が点灯している。
声の消費社会、声の物流と化した場を止揚し、自らの内部の真の声の在り処を再
生する行為こそが、<革命>につながる<Reー>なのだ。
中央/地方と区別された日常の植民地化、日常帝国主義の差異の境界に対し、
<ランド>として日常の境界(さかい)を復権・再生するラデイカルな闘いは、
及川恒平の<キタの空気>が今、息吹きのように発してしているものである。

*「境界(さかい)としての石狩」展ー4月27日(日)まで。am11時ーpm7時
 月曜休廊。:大野一雄「石狩の鼻曲がり」ドローイング、公演時のポスター・入場
 券。吉増剛造「石狩シーツ」草稿及びCD発売時のポスター等を展示。
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-04-13 13:08 | Comments(0)
2008年 04月 12日

寒の戻り・心の戻りーランドとしての石狩(19)

寒い日。ニーナシモンをかける。肉声を感じる声が聞きたくなった。
聞きたい音にも、体調が出る。
倦怠感、鬱たる軽い疲労感、寒の戻りに体も同調しているのか。
腎機能が低下と、H病院・H先生に注意される。塩分控えめに。
母が晩年糖尿病から、腎臓透析を受けていた。
こちらは糖分制限。息子は、塩分制限。
H先生、このブログを読んでいたらしく、私はあなたを応援しているので色んな話
もしますが、決して診療を疎かにしている訳ではないのでその事も書いて下さい
よ、と言う。前のスペースを退去して久し振りに診察に訪れた時、診察もさる事な
がら、種々励ましの言葉を頂いた。その事をブログに記したからなのだろう。
寒の戻り、心の戻り。人もまた行きつ戻りつ、時の空間を揺れる。
今の都市・環境はおかしいですよね、あなたには頑張ってもらわなければ・・。
いやあ、わたしなぞと言いつつ、都市のメタボリック症候現象は・・・、と語りだして
ふっと気付く。お医者さんの前だっけ・・。
なにか付け焼刃の知識を披露しているようで照れた。
歯医者さん、内科病院と、かってのご近所の体のお付き合いが今も続く。
病院を出ると、枝を剪定され棒っこみたいになった白い木が見える。
植樹し一緒に暮らした同志のような白樺の木だ。
電飾を巻き付けられ、それでも立っている。
屋根を直しに上って、その梢に会ったことがある。
太い幹からは想像も出来ないほど、小さな梢の葉は饒舌だった。
光と水が活発な5月か6月。
根から水がどんどん梢へと昇っている時。
あの時からこの白樺は、親しい存在となった。

木は水を運んでいる。人は心を運んでいる。
村岸宏昭さんを思い出した。

by kakiten | 2008-04-12 12:59 | Comments(0)
2008年 04月 11日

遠く近い声ーランドとしての石狩(18)

ほぼ2階の「な・ン・の」ルーム片付く。本が減っているのに改めて気付く。
床に積んであった時に見えなかったものが、棚に背表紙を見せて並ぶと分かる
のだ。昨年I書房に随分引き取ってもらったから、当然なのだが、こうして一目で
見えるようになると、あれもない、これもないと惜しい気持ちが沸き起こる。
本棚に並び、すっと手を伸ばし必要な時に見る。物として積んである時は、本が
本ではなくなっているのだ。そんな本への虐殺行為を、いつのまにか強いていた
自分を振り返る時だ。想いとは別に、現実の結果がこんな形で現れる。
九州の阿部守さんより電話が来る。今開催中の高臣大介さんとの初のコラボレ
ーシヨン展の話。鉄とガラスのそれぞれの作品に、お互いが手を加えていく。
ガラスに溶鉄を巻き付けると、ガラスが溶けたり割れたりして苦労しましたと、
阿部さんが言う。鉄にガラスを巻き付ける方が、まだ楽だったようだ。
ただふたりが並列して作品を展示するのではなく、本当にがっぷり四つに組んで
ひとつの作品に仕上げていった訳で、見応えある展覧会になっているようだ。
今度はさっぽろでやろうとふたりで話したという。
土から採取した素材を熱で流動化し、形にしていく。その過程はガラスも鉄も同じ
ような工程を辿っていく。その過程でのコラボレーシヨンである。透明な結果と硬く
不透明な結果の両極端の性質を持ったふたつの物質が、創り手の意識において
共有しつつぶつかるのだ。そのコンセプトを、さっぽろではきちっと提案したく思う。
隼人系の風貌を持つ高臣さんが九州に行き、北への憧憬をもつ九州の阿部さん
が石狩に来る。このこと自体がもう、何かが始まっている証である。
秋の個展とは別に、その前に石狩を訪ねたいと阿部さんが言う。そして大野一雄・
吉増剛造展は、凄いなあと評価してくれる。異分野の両巨人を石狩で括れるのは、
今テンポラリースペースしかないですよとも言う。単純に嬉しかった。
見る事から遠い人が、近くに感じてくれる。その心の回路が嬉しい。
ハンブルグの幹さんから、うれしそうなメールが届く。今、ケンちゃんと彩さんと一
緒という。原稿待ってますということだ。
書棚が整って、遠く、近い声が届き始める。本にも、にっこり笑っている奴がいる。
やあひさしぶり、ちゃんと読んで下さいよ、もう一度ね、と語っているようだった。

by kakiten | 2008-04-11 12:31 | Comments(0)
2008年 04月 10日

ごまスティックの差し入れーランドとしての石狩(17)

過日レトロスペースの館長で、坂ビスケットの坂敬さんから差し入れがあった。
「ごまスティックビスケット」1ボールである。ちょうど個展を終えたMさんがご挨拶
に立寄り、坂さんから私にと託されたのだ。前のスペースを閉じた時、その事を伝
える新聞を見て、わざわざ訪ねて来てくれたのが、初対面だった。それ以来心に
留めて頂き、こうして差し入れも何度か戴いている。懐かしいA字ビスケットやごま
スティックもさることながら、あの独特の雰囲気のレトロスペースは、坂さん個人の
反骨精神を充分に表わしている。かって普通に身近にあった物、かって流行して
いた物。特別に高価なものではなく、手の届く範囲の物たち。蚊帳や湯たんぽ、蚊
取り線香や花札。怪しげな雑誌や活字。それらありとあらゆる生活道具嗜好品の
数々が、所狭しと積むように展示されている。ショーヒンが、即ショーモーヒンモー
ドに切り換えられる、現代の物流回路に対峙する心なくして、この展示品の集積は
ない。いわゆるマニアックな骨董蒐集とは、一線を画している。何気なく在り、何気
なく消え去っていく、何の変哲もない時間を形容としてを、坂さんは留めようとして
いる。間断なく過去に繰り込まれていく現在という時間。その指の間の砂の零れる
ような時間を、”もの”として留めようとしているのだ。それが、レトロスペースである
。このスペースを支え続ける心・精神は、芸術家の視線と同質のものである。例え
ば谷口顕一郎さんが、路面の亀裂、壁の傷痕を凹みの作品に仕上げる視線と同
じように、見捨てられたもの、何の変哲もないものに<かたち>を見る眼線がある
。過去と現在の間(あいだ)に存在する境界(さかい)の形容(かたち)を、留めようと
する眼である。今と過去を分断しない精神である。フラットでライトな薄型の現在を
拒否する精神である。おニユーとオールドを回転ネズミのように繰り返す、駆け足
世界に対する拒否の意志表現なのだ。
頂いた「ごまスティック」をぽりぽり食べながら、2キロ近くものパックの山に感謝
する。原料の小麦粉も値上がりして大変だろうにと思いながら、食べ始めると止
らなくなった。

*常設展ー4月27日まで。:4月は予定作家の都合で常設展示に切り換えます。
*小林麻美展ー5月9日(金)-15日(木)
*岡和田直人展ー5月21日(水)-31日(土)
*斎藤周展ー6月7日(土)-22日)(日)
 以下久野志乃展・細井守展・森万喜子展・新明史子展と予定されています。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-04-10 13:34 | Comments(0)
2008年 04月 09日

想いは現実・・-ランドとしての石狩(16)

大野一雄さんに最初お会いした時聞いた言葉で、今もって座右銘のようにあるの
はー<想いは現実、現実は想い>ーという言葉だ。想いと現実を分断して、位置
付けるのが普通だが、そこを繋いで逆転してくれた時なにか、心がすっと楽になっ
たのだ。実は、現実という言葉の中にすでにその意味があると気付いたのは、ず
っと後になってからだ。このブログにも書いたが、<現>は”うつつ”を意味し、想
いの事なのである。<実>は、元の文字が”實”でお金を表わしそれこそ現実な
のだ。二つあわせて<現實>なのである。しかしこう漢字の解釈で理解するより
、大野先生のように、<想いは現実、現実は想い>と語られた方が、すっと解る
のである。
想いとは別の言い方をすれば、志(こころざし)ということでもあり、またもっと平
たく言えば、好きという事でもある。好きがあれば、嫌いもある訳でこちらの方に
敏感な人もいる。嫌いという嫌悪の感情には、分断・区別の意識が働くから、それ
は批判という形で表れる。嫌いに強い人は、ご意見番的な斜に構えた閉じ気味の
人が多く、根は純粋な人である。誰とは言わないが、私の周囲にも2,3人はいる。
でもそういう人も、想いに強くなる、好きなことに強くなった時の方が断然魅力的に
なる。嫌いに強いよりも、好きに強いほうが断然いいのだ。想いを実践する開かれ
た行動を取るからである。嫌いの構造は、想いを温存して区別・差別の閉鎖的構
造を保つ。嫌いに強い人が、ある時好きに強くなって、開かれた姿を見るのは嬉し
い。表現とは、想いである。それを現実に実践することは、好きに強くなっていく行
為なのだ。文化・芸術という分野もさることながら、生き方としてそれが基本に必要
なのではないだろうか。現(うつつ)と實(みのり)の間を果敢に生きる。そこに、人間
としての境界(さかい)の美しさもあるように、思えてならない。

by kakiten | 2008-04-09 12:45 | Comments(0)
2008年 04月 08日

揺れる季節(とき)-ランドとしての石狩(15)

路面が乾いている。陽気が続く。アスファルトの上に、まだ芽の出ていない裸枝が
映っている。路が静脈のように見える。残雪の小山が溶けて、路面を濡らし、黒い
翳を流している。自転車の車輪がそこだけ、濡れた音を発てる。冬の終わりの静
脈の路を疾走る。森の大木もきっと太い根を顕わにして、祖父の掌のようになって
いるのだろう。競馬場脇の柳の大木は、今年もうっすらと緑が煙りだしている。ここ
が界(さかい)川の終り、川の新たな出会いの場処。
及川恒平の静かな、しかし濃いライブのあと。
糸田ともよさんのメール、かひさんのミキシイのブログが、濃い。葉脈コンビのふ
たりは、今回一番心撃たれて、立ち尽くしている。
唄の後、にこにこと明るい顔をして、草餅べっこう餅をみんなに配っていた人もい
た。来た時とは顔が違う。開かれる人、立ち尽くす人。それもみな、唄う歌の力だ。
乾いたアスファルトに裸木の枝ゝが血脈を与えるように、生命の触れる力が声と
なって、心の静脈を創っていたのだろう。
ReSongs-この<Re>とは、文字と言霊が声を介して響きあう、優れた境界(さ
かい)の再生の時を意味したと思える。音楽と文学という分野をオーバーフェンス
したそれぞれの根の時間。漁師が山へ行き木を植えるような、コンテンポラリーな
それぞれの海と山。有機的に繋がる時間の川。揺れる季節、春の気配に人の心も
、芽を吹き出す息吹きがある。
及川さんのコンサートの打ち上げで呑んだ後、翌日と翌々日は疲れが出た。
定休日の昨日、半年近くはきつづけたズボンにさすが嫌気さして、ユニクロに行く。
病院に寄った後、衝動的にふっと思ったのだ。ツーパンツフェアーで安かった。
帰りに空腹で、これまた衝動的にファミレスに寄る。
物を買い腹を満たしたが、なにか空虚だった。どちらの空間にも時の保水力が
希薄だったから。

by kakiten | 2008-04-08 17:17 | Comments(0)
2008年 04月 06日

漣音のルフラン 魂の席ーランドとしての石狩(14)

3年前に出会った一冊の歌集からSongが生まれ、
声となって10の珠玉の音曲となった。
糸田ともよ歌集「水の列車」最終歌ー

  あらたなる飛礫呑みのみ歌う川 月の破船で待ってる人へ

ここから始まった「歌う川」そして「風のゆくえ」までの10曲。
及川恒平の歌声は、それらの詩の言霊を自分に引寄せ、淡々と、しかし染み入る
ように詩に触れ、開き、声・響きとなって廊内を満たした。
その息吹きは呼気・風(まゥ)となって、文字は声音という、響くものとなる。
詩句は旋律という翼に乗って、文字の意味を軽やかにはばたかせ、
律動という身体を保つ。
文字の底に埋もれている湖(うみ)、言葉の粘膜が湿地帯のように、
命の母胎の胎動を濡らす。
「Resongs vol・2」の一夜は、聞く者のハミングすら聞えてくるような、
すでにスタンダードになっていると錯覚させるような、
深く、濃く親密な声の夜を象嵌した。
意味に包まれ、文字に包まれ、形に包れた短歌が、その内部に潜めている胎動を
、宙に解き放つ。
<songは、歌う、聞くという能動者間によって初めて成り立つ。>(及川恒平)。
この言葉の保つ理念に、限りなく近づいた時間だったのかも知れない。
文字と声の間(あいだ)。
その際(きわ)がともに浸透しあって、宙(そら)を創っている。
私には石狩河口の黄昏が脳裏に浮かんでいた。
澄んだ空気を通る夕陽の一瞬。純粋赤の光の屈折。グリーンフラッシュ。
大野一雄が舞った時見ていたのだ。
明と暗の間(あわい)の美しさ、境界(さかい)の豊かな吃水線。
人もまたその力を保つ。
発語の息吹き。間違もいなく、その同時代の時間に立ち会っていたのだ。

   切株の面にひろがる漣音の淡きルフラン 魂の席

                       (糸田ともよ「水の列車」洋々社・2002年)

by kakiten | 2008-04-06 14:36 | Comments(0)
2008年 04月 05日

春は名のみの・・-ランドとしての石狩(13)

岡本太郎美術館搬出の為帰国中の谷口顕一郎さんことケンちゃんが来る。彼に
デザインを依頼している札幌のお菓子メーカーSの専務と社長も一緒に来た。
そこへ美術家の河田雅文さん、アイヌ文化研究家で登山家の中川潤さんも来る。
ドイツへの土産に印鑑を注文したケンちゃんが、酒井博史さんも呼んでいたので
各自の話が飛び交う。恋人のあやさんも遅れて来て、展示中の大野・吉増展をじ
っくりと見ていた。石狩河口公演のヴィデオも見たいと言うのでモニターで再生す
る。明日川崎の岡本太郎美術館搬出で札幌を発つので、ケンちゃんたちは札幌
の実家へ今夜は早めに帰るという。ゆっくりとふたりと話出来なかったが、ハンブ
ルグのMさんからの資料と依頼を受け取った。ケンちゃんとあやさんは11月には
入籍という事で両家の打ち合わせもあったようで慌しい滞在だった。Mさんのギヤ
ラリーの独立、ケンちゃんたちの結婚と新たな出発の前にして何か時間が泡立っ
ていた。そこへ、音楽著作権協会から今日の及川さんのコンサートについての問
い合わせがある。本人が本人の歌を歌うのだから、著作権云々は当人に聞いて欲
しい。本来の音楽とは別次元の監視・密偵の目を感じる。
夜、自転車を快調に飛ばし帰る。自転車もまた車である。友人の木に挨拶はなし。
道が違うのだ。帰宅後Mさんからの資料に目を通す。大阪生れの大崎のぶゆきと
いう作家が「皮膚呼吸」というテーマで作品を創っている。<境・界の再生>という
主題にずばり近いものがある。彼の人体を象ったインスタレーシヨンをもう少し発展
させて提案したいと思う。

by kakiten | 2008-04-05 13:08 | Comments(2)
2008年 04月 04日

ハンブルグからの便りーランドとしての石狩(12)

朝、ギヤラリーに着くと左の看板の下に、なにやら空き缶のようなものがある。
誰かが飲み捨てて投げたのかと思い手にとると、中味が入っていた。
缶チュウハイである。ふっと、Kの顔が浮かんだ。昨日O美術館の搬出で帰国中
でここに寄ったのだ。飲んでいた、飲んでいた。きっと冷やす為に外に置き、忘れ
て帰ったのだ。リス系の人間だから、あちこちに食料ならぬアルコールを仕舞い
込んで忘れているのだろうか。
秋、せっせ、せっせと口一杯に木の実などを詰め込んで、あちこちに蓄えを埋め
ているリスを、山で見た事がある。ある人曰く、結構本人はその場所を忘れてしま
うらしく時々覗いて失敬するんだ、葡萄の実がドライフルーツになって美味かった
と聞いたことがある。今日彼女と一緒に来るので、知らん振りして様子をみてみよ
う。きっともう、忘れているに違いない。同じものをまた買ってきたりする、に違い
ない。
Kの来る1日前に、ハンブルグのSさんからメールがきていた。9月のKの個展の
カタログを出すという。それに是非文章を、という事だった。翻訳を英語と独語両
方載せるので翻訳可能なものを、という注文である。最近このブログのテーマにし
ている間(あわい)、境・界(さかい)を、どう翻訳可能な文にするか、難しいところだ
。タッチするゾーン。inーbe・tween。内と外の間。湿地帯のような粘膜のような黄
昏のような場。分離/分断でなく風立つところ。その場の自立。窓、入り口。開か
れた河口。豊かなゼロ。イメージだけはいろいろある。哲学用語でいえば媒介概念
である。実体概念である。男女で言えば恋である。みちゆきである。まあ、やるだけ
やるさ。Kの凹みのアートは、都市の傷痕を素材にしていて、その傷痕もまた間(
あいだ)に起因する。壁や路上の亀裂・傷痕も、都市の身動ぎである。整理整頓
・衛生・安全の逆に位置する。そこに都市の無名の美を見て彫刻化する。忘れら
れた形容(かたち)。非プラグマチックな形容(かたち)。用と無用の間に存在する
都市の皮膚。埋め立てられないもの。触る存在。消えつつも確実に存在する<あ
いだ>。境・界(さかい)。inter-なもの。種々言葉は浮かぶがどうなるのか。
ちゅーハイでも飲んで考えようっと。
及川恒平さんから、昨日書いたブログの<真面目に、一生懸命書いた看板の文
字>に事寄せて<真面目に、一生懸命唄います>との明日のライブへのコメント
があった。お恥ずかしい。しかし、<ReーSongs>とタイトルされたソロコンサート
恒平さんの並々ならぬ想いを感じているのだ。聞き手と歌い手の間(あいだ)に成
立するSong。<Songは、歌う、聞くという能動者間によって初めて成り立つ>。
このSongもまた間(あいだ)の境・界を、意識的に捉えるようとするものだ。
<能動者間>というあいだ。開かれた界(さかい)。

*「大野一雄と吉増剛造ー境・界としての石狩」展ー4日まで。
*及川恒平ソロコンサート「ReーSongs」-5日(土)午後6時~入場料3000円
 予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-04-04 12:58 | Comments(0)