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2008年 03月 19日

時間の保水力ー界(さかい)の再生(30)

ヴィデオデッキが故障していて今回の展示に使えない。それでこの際DVDも使
えるタイプの機械を購入しに、友人の河田雅文さんに付き合ってもらい、閉廊後
Y電気にいく。電気機器の必要な時はいつも河田さんのアドバイスで選んでいた
。これが、みんな当りなのだ。電脳社会といわれる今、様々な電気機器に囲まれ
て我々は生きている。この道具の選択も大事である。久し振りに店内に入ると、ま
ずその種類と量に圧倒される。未知の機器が多い。その効能を見聞きしているだ
けで時間が過ぎるだろう。若い二人連れが楽しそうにぶらついている。どこかここ
にはパークの匂いがする。ホームセンターの道具のプラザもそうだが、ここも電気
機器の道具プラザなのだ。ヴィデオ機器なのでその階に行く。今はほとんどDVD
に切り替わっているからヴィデオデッキは影が薄い。やっと探し出し両方使えるタ
イプをさらに探す。程よい値段の物がありそれにする。その後付き合ってくれたお
礼に店内でお茶を飲む。マクドナルドに入る。マックに入るのも私には珍しい。コー
ヒーを飲んで少し落ち着く。午後8時にも近いがここには時間が薄い。明るくすべ
てがキラキラしているからだ。今のTVの薄さと同じで、すべてがライトでフラット。
時間の保水力がない。あっという間に変わるよ、ここにある機械はちょっと時間が
過ぎれば、室町時代さ、と河田さんが言う。正直、沢山の薄型TVを一度に見てい
てその薄さ、軽さに驚いていた。単品で見ているのと違ってこれだけ一堂に揃って
いっぺんに見るとますますそう実感する。もの凄い勢いで機器が進化している。こ
りゃあ、しょつちゅうここに来ていなければ遅れてしまうだろうなあ。マックといい、
電気機器といい、同じ時間のリズムが支配している。それは、時間の保水力を喪
った用水路の水のような消費・排泄・廃棄の速度だ。万年下痢症候群。地下鉄乗
り換えで、大通り駅の乗降客の走るリズムと同じなのだ。遅くなる事は時代に乗り
遅れ、負け組になります。時代遅れは恥です。さっさ、さっさと生きましょう!薄くて
軽い事、それがスピードを確保します。機械も人もライトでフラット。時代は薄型。重
たい事件も薄型でっさっささっさと忘れましょう。パックされたマックで食事、肉もレタ
スもトマトも、ぱっく、パック。急いでマック、ミック、フイック。なんだこりゃあ。どこか
の美術展みたい。流行のアーテイストレジデンスとかいう助成金事業も、本来は時
間の保水力を目的とした滞在である。囲い込まれた館内を出て、世間を知る。生活
している村や町に根を求める。そういう方向性で滞在という名の修学旅行みたいな
方法を誰かが編み出したのだ。Y電気に通った方が余程今という時代を感じる事が
できると私は思う。そこで時間の保水力を考えた方がいい。妙に田舎などに行って
アウトドアー的な補完などしないほうがいいのだ。芸術がファインアートというのは
そこに時間が留まっているからでしょう。芸術・文化だけが過ぎ去る時間を留め、
再生してくれる。過ぎ去る間(あいだ)、境・界(さかい)の美しい時間を。命とは、生
と死のあいだ。あわい。

*境・界としての石狩ー大野一雄と吉増剛造ー3月18日(火)-30日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)
*及川恒平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000円
 予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-19 11:46 | Comments(0)
2008年 03月 18日

レジデンスということー界(さかい)の再生(29)

昨日は休廊日で、森美千代さんの写真展を見に行く。ニーサというバングラデッ
シュの少女の大きな黒い瞳と肌が、深紅の背景と合って強い印象を与える。タイ
トルは、「ONIKESHIとNEESAの刻」で、オニゲシの花の深紅の色と異国の少
女ニーサの焚き上がるような刻(とき)が、シンクロしている。女性の女性ならでは
の命の時間と思える。会場の壁が深い青色でその色が深紅の作品を一層引き立
てる。日本という異国に滞在して、今はドイツにいるというニーサという少女の多感
な少女の刻(とき)を、やはり女性ならではの視点で切り取った写真だ。大人に変
化していく多感な少女の時間と、異国である札幌に滞在している事でよりナイー
ブな時間とが信頼する人と出会って心開き、凝縮して心の瞳を開いている。そこに
は年齢を超えたふたりの友情すら感じさせる。ニーサという少女にとって、それは
一生忘れられないさっぽろの刻(とき)であるだろう。一瞬にして過ぎ去っていく刻(
とき)を、人はこのように作品にして留めることができる。そして、その刻を共有す
ることさえ可能にして、目の前にそれがある。時という間を繋ぐもの、時という間に
宿る、過ぎ去らない刻(とき)。音楽であれ、絵画であれ、詩であれそうした刻(とき)
を保つレジデンスを、ファインというのではないだろうか。
その後、ICCで始まった野上裕之、岡和田直人、久野志乃さんのアーテイストレジ
デンスの報告展を見に行く。野上さんと岡和田さんは2ヵ月間タイに滞在し、久野
さんは台湾に滞在した。そこで経験した滞在報告を作品とトークで発表する。初日
の会場に着くと、久野さんの作品はすでに設置されていたが、野上さんと岡和田さ
んの作品はまだ製作中だった。ふたりの合作によるインスタレーシヨンは、2枚の
毛布を宙に吊り、その下に薄いグリーンのウレタンの泡沫で池状に仕切りその内
側に水を滴らせ循環させるという設定のようだった。ピンクと肌色の毛布が草臥れ
て絶妙のバランスで吊られている。手前に寄掛かる椅子を置いて見上げていると、
まるで自宅に居るような寛ぎを感じた。何か万年床を前に手足を伸ばしているような
錯覚に陥る。草臥れて、皺になった毛布が床においてあれば只の日常だが、これ
が宙に浮いているから、妙にシュールで日常の現実感を跳ばす。それが逆に居
心地良く楽にさせるのだ。現実の現(うつつ)の方である。ここで、でれっとしてお酒
でも飲んで朝を迎えたら、二日酔いの頭の中はこんな風景になるのではないかと
思った。まだ未完だが、この作品は見るものが何時か作品の前でレジデンスしてし
まう。妙に肩肘張った報告でないところがいい。完成が楽しみだ。一方久野さんの
作品は、盛り上がった棒状のものに花が描かれた布が覆い、さらに床に散らばる
ように明るい色彩の花が溢れている設定だ。この作品は壁に向かって見るよりも、
壁を背に野上さんたちの作品に向かって見た方が美しい。その方が、久野さんの
開かれた心を感じる。未完の野上さんたちの作品とは好対照で、女性性と男性性
の面からもそういえる。同じ滞在でも現(うつつ)な男のものぐさな観念性と、実(實
)の内面性をきつちりと美しく花で表わす女性の方向性の相違が見えるのだ。自国
と他国という国境の間が、個の内面から作品として外在化される時、その間、境・
界(さかい)が、如何に相渉って表現され得るかという点で、ここにはいいレジデン
スがある。日常が喪失していないからだ。ニーサという少女といい、野上、岡和田、
久野さんといい昨日はレジデンスという滞在の日常の在り様を感じさせるふたつの
展覧会だった。見る私もそこで”滞在”という時間を経験できたからである。自と他
の間に区別・差別・分断の境はなかった。国や環境の界が、人の関係性のなかで
、暖かく開いていたからだ。

*「境・界(さかい)としての石狩・大野一雄と吉増剛造」-3月18日(火)ー30日
 (日)am11時ーpm7時。月曜休廊。
*及川恒平ソロライブ「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000円
 予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-18 13:06 | Comments(0)
2008年 03月 16日

訪問者たちー界(さかい)の再生(28)

東京から今城恵子さんが来る。昨年5月、水戸芸術館で大木裕之さんの展覧会
であって以来だろうか。仕事で来て、明日朝帰るという。ここの近くにホテルも予
約もして、今夜は飲もうという感じだ。大木裕之さんと縁の深い彫刻家の野上裕
之さんも早めに来て今城さんを待つ。野上さんは今タイでのアーテイストレジデ
ンスを終え、月曜日から報告展示会がある。一緒に参加した岡和田直人さんも
先日リュックを背負って、顔をだしたばかりだった。彼は、5月に個展を意欲的に
展開する予定で、声と顔に気迫が満ちている。2年程前ここで2日間だけ展示を
した事があった。あれ以来できっとあの時が基点になっている。今度は10日間
である。野上さんが月末尾道に帰る前に、ここの2階資料室の棚を造ってくれる
という。大野さん、吉増さんの資料を引っ張り出してごちゃごちゃになっていて、そ
の必要性を痛感していたので嬉しい。そうだ、野上さん。ここの部屋の名前を付け
よう、「な・ン・のルーム」って、どう?と聞いたら笑っていた。両方の頭文字を”ン”
で繋げただけさ。メールが入ってこれから札大山口文庫のKさんと友人のTさん
がこちらへ向かっているという。すつかりみんなが偶然のように揃って、今城さん
が来る前から盛り上がってきた。久し振りにみんなが会ってしばし4年前の5月、
夕張ー江別ーモエレ沼ー石狩探訪の話になる。その時前のスペース2階で、ア
イヌのアシリレラさんの教室展もしていた。石狩から夕方吉増さんたちが寄りアシ
リレラさんもムックリを奏でて参加し吉増さんの朗読会があった。夕張の産業遺構
ーゴミ処理場ー夕張川ー江別ーモエレ沼ー石狩浜と濃い一泊二日の旅に大木さ
ん一行も参加していて、その日の朝の情景を美佐子さんという不思議な女性が撮
影し一冊のアルバムにして、戴いた事があった。そのアルバムが先日2階をごちゃ
ごちゃ整理していたら出てきたのだ。今城さんも写っている。そのアルバムでしばし
話が弾んだ。そういえば、撮影者の人とは、それ以来会っていない。2日間ほどわ
~ッときてすっと消えてしまったが、写真の記録だだけはこうして今も残っている。
新宿にいる大木さん、マネージャーの藤田さんから電話が入り、多勢の人の声が
背後に聞こえる。来週木曜日頃大木さんも来札予定という。話が時間や場所を跳
び越えて、ぐるぐる回り夜も更ける。帰りは地下鉄もなく、久し振りにタクシーで帰
った。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-16日(日)午後7時まで。
*「境・界(さかい)としての石狩ー大野一雄と吉増剛造」-3がつ18日(火)-30
 日(日):総集編として映像と音を交えて、ふたりの表現者に顕われた開かれた
 境・界としての石狩を検証します。
*及川恒平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
 円予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-16 12:52 | Comments(0)
2008年 03月 15日

心の難民ー界(さかい)の再生(27)

ふっと、ボートピープルということばを思い出していた。ヴェトナム戦争の後、国を
捨て粗末な木造船で海を漂流しながら、難民となった人々である。裸体の少女
が泣きながら手を上げて走っている写真とともに、戦争によって分断された人の
悲劇は今も脳裏に焼き付いている。国がなくなる、ということは、境・界を喪うとい
う事だ。皮肉な事に現在は、悲劇を感じない難民の時代かも知れないと思う。グ
ローバリーズムという国際化は、国の国境を越え世界をひとつのようにしたかも
しれない。それは例えれば、世界中がケンタッキーの鶏肉、コカコーラの清涼飲
料水とある大きなマーケットの共有性を意味する。このパソコンの瞬時の同時性
もその一環であるだろう。物や情報の世界化は素晴らしい文明の力でもあるだろ
う。しかしそれが文化の問題として考えれば、必ずしも文化の力とは重ならない。
境・界を喪う事は心の難民となるからだ。物流の量数に支配された鶏肉、喉を刺
激するコカの飲料。例えば、それらが同じようなシステムで大量に世界同時に飲
食されることが真に文化の軸になるだろうか。かっては同じ制服を着た独裁国家
が世界征服を目指した帝国主義の時代があった。現代はもっと日常の貌(かお)
をして日常帝国主義が物の姿で顕われている。それも様々な局面に様々な貌を
して顕われる。駅前の貌の均一化。商店街のパック化。情報のイージス艦化。そ
して足元の境・界がなくなる。知は漂流しメル友化して携帯電話に乗ったボートピ
ープルのようだ。個と遠い他の間が瞬時に繋がるようだが、瞬時に消去もされる。
体温から発する身体性を保った間が薄いのだ。機械的道具が増幅して速やかに
タッチしてくれるが、身体性は稀薄である。五感ではなく一感乃至は二感で済む
からだ。文化・芸術は五感に拠り五感を超える。文明力は部分の増幅である。
身体という境・界を部分の増幅・肥大で巨大化し錯覚させているだけだ。木造船の
数十人の難民ピープルにとって、そこは小さく狭い空間にも拘わらず大きな希望
の場でもあったかも知れない。貧しく汚く狭いその空間とは対極にある我々の知
の難民船は、広く清潔で豊かに見えるが、境・界を越える希望の大きさは比較し
ようもないほど狭く、小さな個のなかに閉じ篭って境・界を見失った世界にいる。
境・界が保つ身体性は物量の大小、広狭ではない。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-16日(日)迄。am11時ーpm7時
*「ふたりの石狩・大野一雄と吉増剛造」ー18日(火)-30日(日)
 :石狩を境・界として外へカムチャッカ、内へ夕張へと開いたふたりの軌跡を再
  度辿りながら映像と音を交えて検証します。
*及川恒平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
  円・予約2500円:あえてひとりで<Re>をテーマにソングの可能性を探る
  及川恒平の真摯なライブ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-15 11:49 | Comments(0)
2008年 03月 14日

石田尚志の「東京論」-界(さかい)の再生(26)

昨日書肆吉成発行の「アフンルパル通信」Ⅳ号が届いた。映像作家の石田尚志
さんが「東京論」を書いている。<暗渠について、水の道と東京の体温の話です。
>と石田さんからメールを頂いた文である。20代の頃害虫駆除のアルバイトを
していた頃の体験話だった。
<・・「害虫」がいなくても「消毒」と称してあらゆる部屋に薬を撒いた。・・一定以
上の面積を持った建物は定期的に「消毒」しなければならないと、法で定められ
ている。なぜこんな場所を「消毒」するのかわからないところでも殺虫剤を散布し
た。><ある時、霞ヶ関のある巨大な庁舎を全員出勤で消毒したときのことだ。
巨大なごみの集積部屋があって、電気をつけても壁が黒い。その瞬間誰かが叫
んだ。巨大な壁は全てゴキブリで埋め尽くされ波打っていた。壁が動く。壁が生
き物になる。想像してもいなかった景色だつた。>そしてクマネズミの話<東京
は海外の都市にくらべ、クマネズミが生息範囲を広げやすいというのだ。道幅が
森のなかの木と木の幅に近いのだという。・・・途端にネズミやゴキブリの視点で
東京が見えてくる。・・背後の景色。それは生暖かく立体的な一つの巨大な森に
見えてくる。>
同じような景色を経験した事がある。今はピヴォという名のショッピングビルに変
わったがその前に20年使用していたダイエーが急に退店することになり、約2年
間空ビルになった時の事だ。当時そこのオーナーのひとりだった私は、他のオー
ナーとともに虚しい会議を週一回重ねていた。時に地下2階のボイラー室及び暖
房機械・駐車場のある階を見回ったことがある。無人のビルであっても1日一回
ボイラーを焚き運転しないとボイラーが錆びてしまう。その暖かさの所為か無人
の地下は生暖かく、もの凄い数のいきものが大小蠢いていた。それがネズミとゴ
キブリのようなものであった。従来、寒い北海道にゴキブリはいないことになって
いたが、ビルの暖房化によってそうではない現象が起きていた。札幌の都市化、
東京化によってである。真っ暗な無店舗の巨大な空きビルで今後について会議
を重ね、夕方四番街に面したシャッターのくぐり戸を開け外に出ると、ネオンと人
のホワイトイルミネーシヨンの街が華やかだった。その落差の感覚を今も忘れる
事はない。外から注入されてはじめて生きる街。自動販売機のような街。その内
なる虚(カラ・ゼロ)を思うのだ。ネズミやゴキブリの方が余程そこで逞しく生きて
いる。市街地裁開発法という法によって半ば強制的にビル化都市化が進められ
街がテナントビル化し補助金や大資本に群がるホスト化した経済機構に支配され
る。経済だけは巨大になり汗水流す金銭ではなく、ファンドのはしりのようなマネ
ーが支配する。非等身大の建物、非等身大のマネーが小さな商店を小舟のように
翻弄する。大量物販のきらびやかな電飾の陰で祖父と父のさっぽろは消毒された
のかもしれない。あるいはその片隅でネズミかゴキブリのように息を潜めて生きる
ことも可能であったのかも知れない。時にカタカナの訳のわからないビルに入ると
、そんなコーナー(店)に稀に出会うこともあったのだ。今はもう、そういう事も無い。
7000トンのイージス艦に粉砕にされた7トンの小舟の父子のように、行方不明の
店・街がある。さっぽろというメタボリックな都市は今、北海道の町々を吸い込み、
消費という肥大をつづけているブラックホールの腐海に見えてくる。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-16日(日)迄。am11時ーpm7時
*「ふたりの石狩・大野一雄と吉増剛造」-3月18日(費ー30日(日)
 :石狩を境・界として開かれたふたりの軌跡を総集編として映像・音を交えて
  検証致します。
*及川恒平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料1000円
 予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-14 14:43 | Comments(0)
2008年 03月 13日

風の芯ー界(さかい)の再生(25)

東京から帰ってきたばかりの人が、寒さに震えると春の違いをいっている。一年を
四等分にする春は、ここにない。冬の芯が本当に消えるのは、5月だ。雪融けが
進んでも、風の芯に冬は残っている。まだ、mataーpa(「冬・年」)なのだ。-春と
秋はsak-pa(夏・年)の中に含まれ、春はsak-paの初め、秋はsak-paの終
である。ー(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」)。境・界が違う。釧路の海岸に流
氷が近付いたという。石狩とは違う。春一般はない。それぞれの固有の地方があ
る。その地方は、<中央ー地方>という<地方>とは違う。内側から容(かたち)
として境・界(さかい)を創る。外側から形(かたち)として、分割できないものがある
。一律な四等分の春はない。内側から真の境・界(さかい)を創る。それを仮にイシ
カリと呼んでみる。天気予報は正直だ。後志(シリベシ)でも、胆振(イブリ)でもな
い。石狩(イシカリ)だ。生きている場から境・界を取り戻す。北海道開拓百有余年
に対峙する、境・界の復権を思うのだ。アメリカ合衆国はデイズニーというエンター
ティメントの天才がランドを創った。デイズニーランドである。世界中の民族が物質
主義を理想に集まって作った国がアメリカだとすれば、そこに過去に遡る神話はな
い。遊園地という形で国の神話を創る。それがランドだ。アメリカよりさらに新しく歴
史のない北海道にランドはあり得るか。その第一歩がイシカリランドである。私は
そう思う。本州のあるいは九州、四国とも違う風土から独自の文化の国、ランドを
思うのだ。それには境・界を保たなければならない。もう、祖父の地へは戻れない
。私は私でこの愛するさっぽろで生きるからだ。今春が違うということの皮膚感覚
、それが境・界の最前線である。そこから出発する。境・界(さかい)の再生・回復
こそがすべてのスタートラインにある。そこから開かれた他国、それが5月の共和
国の夢なのだ。

*大野一雄展「石狩。みちゆき・大野一雄」-16日(日)迄。am11時ーpm7時
*「ふたりの石狩ー大野一雄と吉増剛造」-3月18日(火)-30日(日)
 :境・界としてカムチャッカ・夕張へと開かれた石狩を検証します。ふたりの展示
  の総集編として映像・音を交えて展覧します。
*及川浩平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
 円、予約2500円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503  

by kakiten | 2008-03-13 13:46 | Comments(0)
2008年 03月 12日

境・界としての石狩ー界(さかい)の再生(24)

雪解けが進んでいる。意地悪くつるつるの氷が、土色をして目を誤魔化す。滑る
。転ばなかったが危なかった。3,4月は、冬の未練残る。冬と夏の境が春だ。そ
の境が燃える5月。山笑う?、若い娘はスカートはいて野を歩くな?魔物が棲む
から。一斉に森の若葉、青葉が開く。野は、黄・白が最初の彩りだ。福寿草、コブ
シ、ニリンソウ、キバナノアマナ。そして、エゾエンゴサクの青、シラネアオイの透
明なピンク、カタクリの花。5月は植物にとっての共和国。人もまたそうでありたい
。植物には植生圏がある。地形や地勢に密接である。そこにしかない固有種もあ
る。動物にも基本的には生活圏がある。ゾーンがある。だから、境・界が生まれる
。その境・界(さかい)を命の基盤として大切にする。山に登るとその棲み分けが
明白だ。境が美しい。山裾近くの白樺、森林限界線に近い岳樺。それぞれの境を
生きているから、姿も違う。境が消え、同じ姿になる事は異常なのだ。
季節という時間の境も消え、同じ姿に世界中が覆われたら、それはお化けだ。
お土産と書く。土に産まれると書く。土はローカル。その地方という土があるから
珍しい土産(みやげ)だ。境・界が消えればつくりもののブランド。それがグロー
バル化?。さっぽろのゴーヤなんて誰が食べる?「白い恋人」はイメージだ。雪
のイメージで真のお土産(おみやげ)ではない。雪印の方がイメージに直である。
お土産から土が消え、雪が白い恋人になり、イメージだけの転化が進む。それは
あらゆる局面で見られる。1000m近い手稲山の山頂に、ハマナスの花壇がある
という。浜辺に咲くまウ、ハマナスが何故1000mの高さに置かれるのか。それも
イメージ。札幌の市の花だからだ。植生の境・界を無視したイメージのフラットな
暴力。まなぽっと、きたえーる、オジンギヤグみたいな駄洒落のような公共施設
のネーミング。酒席でくだけるみたいなことが民主化か?見え透いた線引き、線
引きの傲慢に、真の境・境はない。手稲山口という移住者の土の匂いがする地名
が消え、明日風という名になるという。明日は明日の風が吹くということか?風さ
え貧しい。まウ:呼気・風・ハマナスの実(アイヌ語地名小辞典・知里真志保)。
想像力が羽ばたく言葉にある境・界(さかい)の越境と、境・界を無視した言葉を
比べるがいい。境・界を喪った”こさえモノ”のイメージは、想像力も土産も喪い、
ひいては、文化を死滅させる。境・界としての石狩・さっぽろを5月のように再生
させたい。そう願うのだ。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-16日(日)まで。am11時ーpm
 7時。
*「ふたりの石狩ー大野一雄と吉増剛造」-3月18日(火)-30日(日)
 総集編として夕張とカムチャッカに凝縮していく境・界としてあったふたりの石狩
 を検証します。
*及川浩平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
 円・予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-12 12:26 | Comments(0)
2008年 03月 11日

ふたつの石狩ー界(さかい)の再生(23)

大野一雄の石狩河口は父の海へと開かれ、カムチャッカへと触れていった。吉増
剛造の石狩の海は遡行し、源流流域のひとつ、夕張の女坑夫さんに触れていっ
た。石狩を境にして、ふたりはそれぞれの原点というべき封印された近代の軸心
に触れているのだ。吉増剛造の長編詩「石狩シーツ」は、女坑夫さんの美しいリフ
レーンで終るが、そこに重なる基層低音のように響いているものは、奥多摩のシル
クロードに繋がる<織姫>のイメージである。日本近代の輸出物としてある時期、
主力産業であった絹の生産を担った女工さん、それが織姫である。この織姫のイ
メージは吉増さんの奥多摩人としての大きな原点のひとつであると私は思ってい
る。大野一雄にとって戦争という国家の大きな時代の壁が父を封印し、吉増剛造
にとっては、戦後のアメリカ横田大基地が故郷の大地を封印している。このふたつ
の戦争体験が、戦中・戦後という線引きでは割り切れない明と暗、ひとつの戦争と
してあると思える。この直接・間接の戦争は、ふたりの日常の深い意識の底でずー
っと闘われてあったと思える。昨夜のTVで特集された東京大空襲の映像は、現在
の東京の時間の下にある、ヴェトナム戦争・イラク戦争に繋がる今を、示唆してい
た。敵という境が如何に残酷な戦術で日常を破壊するか。その殺戮道具の日常に
及ぶ原点が、東京大空襲のナパーム弾、クラスター爆弾にはあったのだ。ノオモア
ヒロシマ・ナガサキに象徴される以前の無差別殺戮の芽が封印された東京大空襲
にはある。戦後から今日まで東京は今もその事実を封印し続けている。東京の9・
11ともいうべき過去は、境・界(さかい)が消されている。現在形の傲慢が、その境
・界(さかい)を封印している。敵/味方、過去/現在という区別・差別の境は意識
の暴力として消去のようにしか働かない。吉増、大野という優れたふたりの表現者
は、その消去の暴力と意識の中で表現者として闘ってきたのだと思う。石狩の河口
と海は、真の境・界(さかい)として、ふたりの封印を解放したと思える。翻って札幌
という北海道の総人口の半分にも達しようかというメタボリックな都市もまた、東京
と同じように境・界を喪失・消去し続けている。境・界としての石狩を、ランド・モシリ・
国として如何に再生するかの闘いもまた我々は問われ続けているのだ。私は、暗
渠の小さな川、界川から始まった自分のさっぽろの旅は、そのイシカリランドの界
の再生と位置付ける。Republic of Mayとは、その旗印なのだ。


*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月16日(日)まで。
*「ふたつの石狩ー大野一雄と吉増剛造」-3月18日(火)-30日(日)
 :映像と音で総集編として纏めて企画展示致します。石狩を境・界(さかい)と 
  して、海と陸に凝縮していったふたりの軌跡を近代の原点として探求します。
*及川浩平ソロライブ「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000円
 <Re>をテーマに東京に続く2回目のソロ。歌人糸田ともよの短歌を素材に
 聞き手と歌との境・界を唄声で顕す試み。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-11 11:51 | Comments(0)
2008年 03月 09日

活字の復権ー界(さかい)の再生(22)

なんと昨夕の北海道新聞夕刊一面トップに、酒井博史さんの写真が活字印刷の
現状を問う記事に掲載されていた。新聞の一面トップに載ることは、そうそうざら
にあることではない。活字鋳造の廃止の危機と、それを使い続ける町の店、その
事が記事の主たる内容である。コンピユーター印刷に占拠され旧来の活字印刷
は、廃れて今や風前の灯火となりつつある。しかし最近東京を中心にその良さを
見直し、守る小さな運動が起きつつある。北海道ではその動きはなく、鋳造の活
字のサイズも本州とは違うようで、活字鋳造の供給が止れば印刷ももう不可能と
なる。思えば、一昨年7月、個展のDM印刷に最初に酒井さんの所で活字印刷を
依頼したのは、村岸宏昭さんだった。フラットで凸凹のないコンピユーターの刷り
物の平板さに、敏感に村岸さんは気付いていた。活字の文字通りプレスする、圧
の残る紙と活字の境(さかい)の美しさに、彼は気付いていたのだろう。それからテ
ンポラリースペースで個展をする人たちに、酒井さんの所で印刷する人たちが増
えてきたのだ。昨年毎月個展を各場所で展開した藤谷康晴さんがそのいい例だ
った。コンピユーターによって速く手軽になった印刷物は、基本的に活字の持つ
刷る、印字するという、紙と字の間の摩擦が消え、活字という鉛の道具の存在感
が限りなくフラットな構造に変わったという事でもある。現代の社会構造と同じ構
造にあるのだ。いちいち人が版を組み、校正をし、構図を考える。そういう手間が
すべて画面操作で省かれる。指先の打点と目だけの操作とは、我々が日々経験
している目と指の時間である。デジタル化には、原因と結果が即繋がり、間の時
間が短縮され消えていく。活字印刷には、その間、境の時間があり、その痕跡が
印刷に顕われる。間(あいだ)、境・界(さかい)の美しさがある。古いお祖父さんか
らのハンコ屋さんを営む酒井さんの店には、その活字が今も現役の道具としてあ
る。時に時代遅れとそしられても、父と祖父の技術を愛しむ心がどこかあったのだ
ろう。それはまた、父と子の間にある仕事を通した美しい界(さかい)である。コンピ
ユーター全盛の時代が、あのイージス艦のように父と子の職場を分断する。等身
大の生活を脅かし破壊するものとの闘いが、その基本にはあるだろう。その現場
を第一線に保たない人間は、時にネット裏の解説のように誉めたり貶したりするだ
ろうが、今回のように派手に新聞に取り上げられると一斉にグレーゾーンの安全
地帯の輩は掌を返すだろう。問題は、活字印刷の是非が問われているだけでは
ない。境・境の闘いを生き方として、生の現場に見ているかどうかが問われてい
るのだ。

♪ファイト!
 闘う君の唄を
 闘わない奴等が笑うだろう
 ファイト!
 冷たい水の中を
 ふるえながら のぼってゆけ

酒井ヒロシの絶唱を思い出していた。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-03-09 12:40 | Comments(0)
2008年 03月 08日

春のにおい-界(さかい)の再生(21)

陽が南に高くなってきた。光に春のにおいがする。大野一雄さん退院して自宅療
養という。昨日の慶人さんとの電話。今展示中の大野一雄展の報告も兼ねて電
話したのだ。電話あったと耳元で報告しときますよ、と慶人さんが言った。むっくり
先生起き上がったりして・・。父の海、カムチャッカへいかなくちゃあ・・。ふっ、そう
想像して思わず笑みが鼻を鳴らした。界・境(さかい)とは、実体・媒介概念だろう
か。現象・実体・本質(なりゆき・みちゆき・さだめ)。生まれて死ぬ。その過程が生
きることそのものである。みちゆき・実体に生と死の境・界(さかい)がある。呼気
と吸気の間に命がある。摂取と排泄の間に命の営みがある。間ー境・界(さかい)
を生きる。境・界を回復させることは、身体に即せば当然、当たり前の事なのだ。
日常から結果というゴールまでやたら速度を増して急ぐ軸足に、生きるーみちゆ
きー実体(媒介)という函の豊かさが消去されていく。現象は日常に低く流れ、本
質は結果へと急ぎ足。今日も円山界隈を軸足の高い靴をカッカ、カツカと、音た
てて春のにおいを無視した人が、私を追い越していった。いつもする山への挨拶
を阻害されたので、少し腹が立つ。地下鉄の階段で抜き返して溜飲を下げた。い
い年こいてまだすぐむきになるなあと反省もした。寝坊して地下鉄を使ったが、地
下鉄は本当は嫌いだ。化粧室か仮眠部屋、可愛い食欲と性欲のギヤルの噂話。
楽屋だな、あの時間は。過程という媒介・実体・みちゆきが結果という目的に収奪
され薄く、浅く速度だけを増して扁平になっている。効能性の側面から反対論も多
々あるのは分かっている。解釈論をする気はない。そう感じただけ。問題はいつも、
感じた事を、生きている場の議論にする事だ。ネット裏で球のスピードを云々する
気はない。50キロだろうと150キロだろうと球を受け、返すこと。それは今生きて
いる場を、境・界(さかい)とするグランドとして、その中にいるという事だ。
<石狩・みちゆき・大野一雄>はそういう時間が、光っていたのだった。

*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)
 am11時ーpm7時:事情により延長もあります。遠くから是非見たい方が
 訪れるからです。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-03-08 11:34 | Comments(4)