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テンポラリー通信

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2008年 02月 07日

ヒロシマと広島ー視線と拠点(54)

昨日少し向きになっていたのを、反省する。晴れた冬の白い道を歩く。青空の青と
光が、清々しい。画廊の中は光に満たされ、きりっとした空気が流れていた。岡部
昌生のフロッタージュ作品「砂澤ビッキ神の舌彫痕」が、陽の光に映えている。この
作品は、1991年の制作で有名性のある場や作品をフロッタージュしだした、分岐
に位置する作品である。それまでの無名な場処を擦り取る行為から、より有名性
のあるものへと、そのフロッタージュの対象を転位していく境目にある作品である。
現在は、ヒロシマを主たるテーマにした作品で知られている岡部は、初期のフロッ
タージュ(擦り出し)作品では、何の変哲もない日常の路上や、壁をひたすら擦り
出していた。山口瞳が「巨大なボロ雑巾」と評したように、ただひたすら床を、路上
を擦る行為を続けていたのである。その頃の作品タイトルは、単純に「フロッタージ
ュ オン ザ ロード」とか「フロッタージュ オン ザ ウオール」というものだった。
固有の名前を特定する始まりが、この「タッチ イン ビッキ」のシリーズ辺りから
である。私と彼の意識の違いが、次第に顕在化してきたのもこの時期からであった
。特化されたドラマチックな場で、私は世界を見ようとは思わなかった。従って初期
の岡部氏の姿勢には、惹かれたのである。日常にひたすら触れる、そのなかから
世界が少しづつ本当の姿を顕してくる。本質に繋がる場が日常の皮膚の下に回路
を廻らし潜んでいる事、そういう現実をなにより基軸に据えたいと思っていた。マイク
ロポップな時代である。しかし彼は、より非日常的な濃いドラマテックな場へと、その
視線を移動していったかに思えるのだ。何の変哲もない道ひとつにも、その界(さか
い)には、積み重なった時代の崖を見る事がある。さっぽろとは、そうした街である。
他の都市にない近・現代と即自然との崖があるのだ。そこにヒロシマにも繋がるさ
っぽろの視線がある。広島に行き、ヒロシマを語るのではなく、さっぽろからヒロシ
マ的なものに触れなくてはいけない。札幌がサッポロに変化するように広島がヒロ
シマへと変化する界(さかい)を、根底で共有しなければならない。川の大きな中洲
からできた広島市の地形図を最初に見て、そう思ったのだ。川と山に近い豊かな場
処、それが何故カタカナのノーモアと形容詞の付着した<ヒロシマ>へと変容した
のか。それと同じ事が、構造として我々の日常に起こっているのである。チエルノブ
イリ原発事故以降の原子力の存在が、その事を告げている。特化された原爆では
なく、日常のなかの原爆として。もうすでに30%を超える比率で原爆は電力として
日常化されている。その事実に日常という何気ない、何の変哲もない我々の構造
的加担の現実があるからだ。被害と加害の境目が、日常に濃いのである。もう日常
・非日常という二元論では掬い取れない時代を生きているのだ。さっぽろという都市
の存在は、ヒロシマと同じく近代の加害と被害の存在であると思う。そこからしか私
には、ヒロシマへ繋がる道はない。

*収蔵品展ー10日(日)まで。:一原有徳・村上善男・岡部昌生・坂口登・安斎重男
 ・吉増剛造・堀田真作・野上裕之等展示。
*留美・碇昭一郎ライブー8日(金)午後7時~入場料1000円:留美(唄・ギター)
 碇昭一郎(トランペット)・初のジョイントライブ。
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-07 13:12 | Comments(0)
2008年 02月 06日

小さな理由(わけ)-視線と拠点(53)

どんな小さな選択にも、個人的な理由(わけ)がある。そんな思いでひとつの透明
なガラスを買う行為の内なる想いを、見てきたつもりだった。しかし量数の社会的
契機に重きを置く人たちからは、そんな売買の行為を鼻で嘲笑われる視線を感じ
ている。内なる動機に乏しく量数の社会的動機にその価値観をもつなら、たった1
個の購入に思い入れたっぷりなセンチメンタルな光景を見るのかも知れない。実
用品で芸術作品じゃないんだからと、その方面から声がする。それよりもっと愛想
よく、お客様は神様ですと商売に徹しなさいよと声がする。しかし、そこにはいわゆ
る中央の繁華街を切り捨て、闘ってきた来歴は無視されているのだ。既成の価値
観に基づく商人の振りを今更できる訳もない私の個人的な来歴を無視しているの
だ。味方千人、敵千人と言う。八方美人だけが商道でもない。一般的な誰もが知
っているようなエセ普遍性をもった論法で人を断罪するのは、止めたほうがいい。
そういう輩こそ、この場を場末だの、不便だの作品を見る以前の線引きの前提を
もって、薄っぺらな感受性で見下しているのである。かって都心といわれる三越、
東急、そごう、ダイエーと同時に店舗と展覧会を展開していた事もある。その時見
栄見栄の商品構成と運営に嫌気が差していた事がある。量数の豊富さの裏側に
ある人間不信と経済優先の管理システムには、内側から発信する内在的動機よ
り、外在的な欲望の開発、挑発が主流を占めていたからだ。虚栄心をくすぐる中央
志向のブランドイメージが基底にあって成立する世界である。個の夢が虚像で構成
される世界である。サッポロの中心部はそういう街となってしまった。考えるがいい
、高く、広く、豪華なショッピング街の地上9階地下街から出先の本州資本を差し引
いたら、そこは明るい廃墟なのだ。夕張と変わらない過疎のサッポロである。テナン
ト経済によって、自給率の低い商店街なのである。ブランドとテナント経済がこの街
を成立させている。対峙すべき文化の立場すら同様の構造に為りつつある。札幌ド
ームの周辺にある「アートグローブ(芸術の木立ち)」という野外美術群が、その最
たるものである。知らない人の多いこの野外美術群は、今の時期雪に埋もれ訪れ
る人もいないだろう。文化のテナントとブランドによって構成されたこの巨額な費用を
かけた野外美術館こそ現在のサッポロの都市構造と同じ質のものである。個の小さ
な理由なぞ入る隙間すらなく、お金と権威と有名性で大きな空間を占めているのだ
。ひるがえつて、この狭い、無名に近い場末のこの場を今占めている作家たちの作
品は、同じ作家たち、あるいは同程度に実力のある作家たちの作品である。この作
品は税金やブランドでここにあるのではない。個展を重ねた結果として此処に今あ
る。ここにある事にもそれぞれの個人的な理由(わけ)があるのだ。それが正統な理
由と言うものではないか。量数や面積の大小、有名無名、中央と場末といった対比
概念から場を考慮する無知な頭の外の価値観から線引きをする貧困。それを愛想
笑いでオブラートするような心の過疎まで、落ちぶれたくはないのである。

*収蔵品展ー10日(日)まで。:一原有徳・坂口登・岡部昌生・吉増剛造・村上善男
 安斎重男・堀田真作・野上裕之を展示。
*留美・碇昭一郎ジョイントライブー8日(金)午後7時~入場料1000円
 :留美(ギター・唄)碇昭一郎(トランペット)・初ライブ。
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-637-5503

by kakiten | 2008-02-06 12:28 | Comments(0)
2008年 02月 05日

曇天の空ー視線と拠点(52)

常設展の飾り付けをする。一原有徳さんのステンレスワークの3点組の作品、村
上善男さんの「常盤村紙円の操り」、吉増剛造さんの初期写真作品、安斎重男さ
んのジャコメッテイー撮影作品、坂口登さんの2分割の絵画、そして堀田真作さ
んの小品、野上裕之さんの椅子の彫刻作品等である。脈絡はあまりない。冬の
雪の光にあわせてまず、ステンレスの一原作品を正面に飾った。ぎらりと磨かれ
たステンレスの鏡面に外界が映るからである。左正面に吉増さんの影の写真を
置いた。あとは、窓上に坂口さんの原色の「精神と野草」を置いた。アメリカ生れ
の二世の人で、原色の花が遠いジャポンを思わせる。2分割された画面の右半
分はスクエアーな直線で構成され左の曲線の乱れ咲く花と対照的なものとなっ
ている。昨日半日かけて高臣さんと花光さんの作品を撤去した後、来週小林由
佳さんの展示まで会場が空いたからである。まだまだ未整理なまま積んである
収蔵作品の中から時折こうして常設展示するのも、楽しい事だ。久し振りに陽の
目を見た作品たちに、再会している。安斎重男さんの写真は、ジャコメッテイー
の小品を掌に載せて撮影された、柔らかな手の線と直線的な彫刻の絶妙なショ
ットである。これも本当に久し振りに見る。前のスペースでは2階の空間によく展
示していた。1980年の作品で、安斎さんの傑作のひとつかと思う。曇天の午後、
雪が灰色に降ってきた。細かく小さな雪片である。キースジャレットの「ケルンコン
サート」を流す。朝から誰も訪れる人もない。昨日までの喧騒が夢のようだ。日の
光も昨日までとは違って灰色である。パンクで天然パーマの大介さんの気性が
そのまま天候にまで関係しているかのようだ。昨日、握手をして別れる際”じゃあ
、また、頑張って・・”と言ったら、例のぎょろりとした強い眼差しで”そちらこそ、頑
張って・・”と応えた。そうか、俺の方が色々あって励まされる立場だよなあと、そ
の時、瞬時に感じた。そんな眼の強さだった。パーンと一直線な瞳の力が彼の眼
にはあるのだ。彼の創る透明なガラスとよく似ている。この眼の強さがある限り、
工藝(アート)と美術(ファインアート)の架け橋をいつでも走り抜く力があると信ず
る。4月1日から始まる九州での阿部守さんとの展覧会は、きっと新たな彼の表現
の架橋となるだろう。<凝縮>が、今回の展覧会が遺した余韻である。畠中雄城
さんの朗読、酒井博史さんの歌声と最終日を飾った熱い記憶と共に、燃える坩堝
(るつぼ)の会期が去っていった。その熱い坩堝のなかから、また新たな凝縮が生
まれたのは、確かだ。夕刻、留美さんが来て、8日のリハーサルをしている。ギター
と唄の音を確かめている。アンニユーイな声が響いている。白い灰色の日にぴった
りだ。

*収蔵品展ー10日(日)まで。:一原有徳・坂口登・村上善男・安斎重男ほか
*留美・碇昭一郎ジョイントライブー8日(金)午後7時~入場料1000円
 :留美(唄・ギター)碇昭一郎(トランペツト)の初ライブ。
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)
*吉増剛造展ー2月20日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-05 15:09 | Comments(0)
2008年 02月 04日

風の目線ー視線と拠点(51)

些細な日常の行為の内にも、時として人生の選択のような行為を見る時がある。
たったひとつの気に入った物を購入する選択にも、過大な人生の選択を見ること
もある。たった一個の餃子にも地球の運命が、その製造から手元に届くまでに汚
染の過程として膨大なマイルレーンが費やされ繋がっている。今、日常の行為の
内側にまでその回路が世界と現実に繋がっている。反面それが欲望の動機でな
く、未来や他者の為にたったひとつの物を選ぶ時もある。その心挿す行為に、志
(こころざし)の軸心が優しく光る時もある。人が一番美しく見えるのは、そういう時
だ。小さなカフエ、小さな美容室、小さな花屋さん、心病む友人、その為に高臣さ
んのガラスを選んだ人たちが、最終日の打ち上げに参加してくれた。美味で驚く
べきドライフルーツを作っているPさんもどっさりその品を持って来てくれた。トマト
、キュゥーイ、リンゴ等が、乾燥され凝縮して精髄の味となっている。種があった方
がいいのです、元の果実がしっかりした物でなければいい味にはなりません、と
Pさんが語った。高臣さんの透明なガラスが光を凝縮して放つように、購入する人
の心も凝縮してそのガラスに触れていた。果物にも果実の凝縮が生きていて、今
回の花とガラスの展示に参加してくれたのだ。光と花と果実の出会いだった。花光
さんの生けた花々は会期中枯れることなく、この2週間咲き続けていた。そして何
よりも人が、人間が凝縮して小さな動機から、大きな人生上の選択をする時を見た
ような気がする。花光さんこと、佐藤義光さんの明年の個展への決意が、打ち上げ
ではっきりと語られた事。そしてさらにふたつの個展の告知が、あった事。この2週
間の時間のなかで、何かが個々の内部で凝縮し発露されたのだ。形こそ違え個々
の人生上のいくつかの凝縮に、私は立ち会っていた。それは、それぞれの個の内
部から発していて、量数の欲望から発したものではない。量数が支配する社会的
権威から発したものではない。自らの未来への眼差しや他者への想いから発した
個の選択から発したものなのだ。悪無限的な量数の価値観(>)の記号は、そこに
はない。他との比較において作動するモア、モアの反射的差別・区別精神は、他者
への眼差し、自己の未来への眼差しという、光る風の目線を保つ事はないのだ。

*収蔵品展ー2月5日(火)-10日(日):一原有徳・坂口登・村上善男ほか。
*留美・碇昭一郎ジョイントライブー8日(金)午後7時~入場料1000円
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-04 12:56 | Comments(0)
2008年 02月 03日

高臣大介展最終日ー視線と拠点(50)

高臣大介冬のガラス展最終日。朝から人が絶えない。岡部亮、新明史子夫妻が
赤ちゃんを抱いて来た。目のくりっとした女の子である。黒目の綺麗な瞳が、印象
的だ。千葉から大介さんのご両親も見えた。花光さんも最終日で顔を出し、来た
人と挨拶を交わしている。今日も朝から快晴で、光が眩しい。今夜は打ち上げで
またフイーバーする予感。来た人がガラスを手に取り、花を眺め、てんでに話し
ている。さんざめく、という感じだ。作品を通して人が集まり、心を溜めている。

by kakiten | 2008-02-03 19:29 | Comments(0)
2008年 02月 02日

界(さかい)に燃えるー視線と拠点(49)

冬と夏の境、北ゆえに濃い冬を振り切って冬溜まった分だけ激しく、短い春とも夏
の始まりとも思える時、界(さかい)が燃える、それが5月だ。界が豊かでなくてどう
して、活きているといえようか。界を境界にして、境を貧しくしてきたのは、人間のエ
ゴである。私有に発する領土意識、中央と地方、国家の植民地主義、独裁の帝国
主義と対立・区別・差別の線引きを含む排他的な境を作ってきた歴史がある。皮
膚の内外に触れるナイーブさ、タッチするハビタブル・ゾーン(居住可能領域)を
地球の大気・皮膚のような境(さかい)とするなら、我々はその新鮮な領域を何時
から見失なってきたのだろうか。境を辺境とし、量数の蓄積に進歩と発展のメタボ
リック症候的な観念肥大をもたらしたものは何か?それは、真の界(さかい)の
喪失に拠るものではないだろうか。
「Born in hokkaido」展の北海道近代美術館30周年記念誌の中で、北海道を
代表するとされる作家のひとりS・Hが次のように記している。ー「北海道の人口が
500万人。ヨーロッパの小国に値します。札幌市は180万人を越えており、これを
アメリカの都市で比較すると第5位になり、さらに、ほとんどのヨーロッパ国では1
位もしくは2位の規模を誇る大都市です。100年以上の開拓史では様々な文化が
融合され今の北海道が築かれています。」ーこの数字の羅列から「ここで生まれ
た芸術文化を私は胸を張って世界に発信します。」と彼は語っている。人口の多
寡がどうして芸術文化の胸を張る発信に結びつくのか。たかだか100余年の歴史
がそれ以前の自然や先住民族への線引き、旧土人法から始まる中央集権の吸気
の構造の100余年でもある事の界目への視線が完全喪失しているのだ。100年
前の自然との境は、人口の量数の多寡に振り替えられ単なる数字の比較の楽天
的な現状賛歌しかここにはない。芸術文化の軸心がそこにあるというのか。
欧米の諸都市との人口比較に何の意味があるのか。人口の量数と文化の深度と
は位相が違う事である。ここには、量数による場の設定・区別に境(さかい)があり、
札幌市以外の過疎都市は見向きもされていない。500万に対し180有余万。こ
の一都市集中を手放しで誇るかのような視点に、真の界(さかい)はないのだ。こ
の大人口礼賛の視線の延長線上に、国際都市サッポロを謳った冬季五輪の為の
都市改造・自然破壊の悪夢を垣間見る気がする。札幌への人口一極集中は、他
の都市の疲弊の結果である事が認識されず、境の皮膚の痛みとして存在しない。
楽天的な差別・区別の境の内側に安穏とする怠惰な衰弱した精神があるのみだ。

*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-3日(日)まで。

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by kakiten | 2008-02-02 13:48 | Comments(0)
2008年 02月 01日

5月の共和国ー視線と拠点(48)

雪の朝晴れて、白い雪の照り返しの光が美しい。地に近い方から上に雪の光が
反射して、空間に白い光が溢れている。高臣大介さんの透明なガラスの作品も、
光の函。ギヤラリーも空間全体が、光の函だ。朝の光が、世界を透明にしている
。光の感触、そのタッチにもう春の予感がひそんでいる。5月。この地がいっさん
に開く時。石狩・5月の共和国を夢見る。
高臣大介さんが、モエレ沼のスノースケープの仕事を終えて顔を出す。5日ぶり
だ。モエレ沼公園の樹枝に、灯りの点灯する吊りガラスを展示する昨年に続く仕
事である。今年はさらに数を増やし昨晩も遅くまでかかり、TV取材もあったようだ
。今日からまた3日間ここに常駐し、ふたりの珍道中が始まる。煌めく光のなか、
大介さんの元気な笑顔が心地よい。
四国在住のある方から、ミクシイのミク友の申し込みを受ける。未知の人である。
村岸さんの終焉の地の縁も感じて承諾をする。その方が、今日のブログに熱くそ
の間の思いを記していた。映像作家の大木裕之さんゆかりの人と分かる。昨年
5月水戸芸術館に出向いた際お会いしているようだった。「メイ」という大木さんの
5年がかりの映像作品のトークグストで招かれて参加した時の記憶が甦る。さっ
ぽろから久し振りに遠出して、5月の季節の旅をした。北から南へと5月が動いて
いた。同じ5月でも風景の光と緑が違った。北の切ないまでのいっさんな光と緑が
海の向こうと此処では、異なっていたのだ。その時思った。石狩・5月。そして心の
いっさんな共和国。厚い冬の年を重いコートのように引きずっている、3,4月。そ
の衣が一度に夏の年へと内側から輝きだす、気の狂うように目眩めく命革まるとき
。そのReーpublicな<Re>を形容(かたち)にしたいと思ったのだ。官・公の公共
事業で出来た近代のこの地を、あの命の煌めきの時間のように再生したい、と想
ったのだ。Pepublic of May in Ishikari。朝の透明な今日の函が、そう告げ
ている。

*高臣大介冬のガラス展「雪と花光とgla_gla」-3日(日)まで。am11時ーpm
 7時
*収蔵品展ー2月5日(火)-10日(日):一原有徳・坂口登・村上善男ほか。
*留美・碇昭一郎ジョイントライブー8日(金)午後7時~入場料1000円
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)
*吉増剛造展「石狩への径(みち)」(予定)ー2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北l区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-02-01 14:24 | Comments(2)