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2008年 02月 17日

初転びー界(さかい)の再生(4)

小林由佳展最終日。昨夜は打ち上げパーテイで小林さんのCIAで学ぶ同期生を
中心に集まる。餃子とお好み焼きをする。年末は鍋で忘年会、新年はチーズフォ
ンデユー。なにか洋の東西の鍋物、焼き物という感じで暖かくていい。昨年の個
展で愛を告白したKクンが、小林さんの為に甲斐甲斐しく動いて鍋奉行ならぬ、
焼奉行をしている。新たなペアーとなったNクンとEさんが、ともにいそいそと初々
しい。今年春、某短大に入学したMさんが、黙々と食べる事に専念している。食べ
盛りというところ。去年初めて会った時、恋愛とは何ですかと真面目な顔で質問し
た人である。今日は、花より団子という感じだ。しかし、ファッションはすっかりレデ
イーになって最初入ってきた時は、別人のようだった。遅れてユニクロのTシャッ
デザインで大賞に入選したAクンも来て話が盛り上がる。地下鉄の最終時刻に
ぎりぎり間に合う時間で終了。帰路Eさんが、派手に転ぶ。Nクンとそれを見て冷
やかす。数日前やはりEさんが、転んだ話を聞いていたので、可笑しかったのだ。
その2,3分後大きな道を地下鉄入口に向かって渡る時、前をお好み焼きの余り
のネギの束を持ったNクンがひょいひょいとまるで津軽の田吾作みたいに前を横
切った。その格好に気を取られて、今年の初転びをした。ふたりが嬉しそうに笑っ
ている。まあ、人の事をいうとこんなもんだ。転んで、地固まるって諺あったけ・・。

*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-17日(日)まで。
*吉増剛造展「アフルンパルから石狩へ」-19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-17 15:22 | Comments(0)
2008年 02月 16日

時計台の絵ー界(さかい)の再生(3)

細かく煙るような雪が、風も交えて視界を塞ぐ。粉雪(こなゆき)・糠雪(ぬかゆき)
・細雪(ささめゆき)。白い灰色の世界だ。道も消えて、靴に雪が絡む。小さなラッ
セル。コンビニで弁当を買う。ふっと見たガラスに映る自分が雪男のようだ。ギヤ
ラリーに着くとすぐ雪掻きだ。隣のテーラーさん夫妻が、朝からもう何度もしてい
るのよと話す。もう一軒のお隣さんが、こんなに続く冬もないなあと話し掛けてき
た。ともに汗をながして、ご近所とのつながりがある。界の共有と思う。
昨日久し振りに横浜の大野慶人さんに電話する。大野一雄さんの様態を聞く。近
くの病院に入院中で、鼻に管をつけて栄養補給をしていると言う。百歳を越え体が
心配だ。今考えている「石狩・5月の共和国」の話をする。郡司正勝先生が慶人さ
んの為に遺した戯曲をいずれ札幌で公演したいと思っていた。すると、慶人さんが
、なにか嬉しそうに言った。「メイですよ、来年5月ちょうど私の舞踏50周年にあた
るのです。」。お父上の一雄さんが石狩河口で踊ったのは、1991年の9月だった
。今度は息子さんの慶人さんが、内陸の源流域で踊るというイメージが以前から
あったのだ。札幌薄野界隈でお生まれになった郡司正勝先生が、慶人さんの為
に創った遺作を是非札幌で公演したいと思う。郡司先生が亡くなった時宮の森の
ご自宅まで、慶人さんとふたりで弔問に伺った事があった。その時帰りの車の中
から北一条の旧鬼窪邸あたりで、この北一条通りが白秋の「この道」という歌を生
んだゾーンですよと話して吃驚された事がある。慶人さんの最初の舞台の音楽曲
がその歌だったのだ。さらに東京で郡司先生の遺作を初演した際に、振付師のフ
ランス人がやはりこの曲が一番いいよと選んだのも「この道」だった。この挿話を
慶人さんが、この公演のカタログに記していた。今回の久し振りの電話で、5月が
慶人さんとの間にキーワードのように共通してきた。時間も場所も隔てた間に、不
可思議な空間、界(さかい)が存在する。そこを我々は自由に、行き来している。
そして、声を弾ませるように慶人さんが語った。「病院に、病院の病室の壁に絵が
架かっているんですよ、これが、時計台の絵なんですよ、誰かが寄贈してここにあ
るんです。」そうか、と思い暫し言葉が途切れた。私がイメージしていた慶人さんの
さっぽろ公演の場処は時計台ホールだったのだ。鮭が川を遡り、子を産む。その
子の場、さっぽろでそこで慶人さんが踊る。そんなイメージがあったのだ。大野一
雄の石狩河口、郡司先生そして慶人さんのふたりを結ぶさっぽろが、5月の共和
国にイメージされるのだ。人の心の遠く時空を跳ぶ空間、その関係性。それこそが
、界(さかい)の復活・再生の火花である。

*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-明日17日(日)まで。
*吉増剛造展「アフルンパルそして石狩」-2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-02-16 12:19 | Comments(0)
2008年 02月 15日

白い闇ー界(さかい)の再生(2)

悪天候のなか、7時間以上かけて帯広から堀田真作さんの車が、ドイツ・ハンブ
ルグの佐藤幹子さんを乗せて夕方遅く着いた。何度かその都度電話を頂いて道
路状況の連絡受けていたが、事故もあり、夕張辺りが凄い状況だったようだ。先
に来て待っていた帰国中の谷口顕一郎さんと、ふたりを迎えた。谷口さんことケ
ンちゃんは、川崎の岡本太郎美術館に現在出展中でこの間札幌に滞在し、明後
日ドイツに帰国する予定だ。帯広は佐藤さんの故郷で、東京の仕事を終えて一時
里帰りし、明日ドイツへ帰国するという。堀田さんの帯広のアトリエを訪ねふたりで
こっちへ向かったのだ。昨年堀田さんの個展が、ドイツで初めて佐藤さんのギヤ
ラリーで開かれ好評を博していた。また、ケンちゃんの個展もこの秋彼女の所で、
予定されている。佐藤幹子さんは、今秋従来のギヤラリーを閉じ、完全に独立し
て佐藤幹子ギヤラリーとしてオープンする。その第一回の展覧会が、谷口顕一
郎展である。昨年の堀田さん、今年のケンちゃんと佐藤さんのギヤラリーを支え
る北海道勢二人が揃い、話は盛り上がった。場所を近くの蕎麦屋に移してからも、
蕎麦と酒を肴に話は尽きなかった。ケンちゃんの個展には、私も行かなければな
らないかも知れない。話はただ行くのではなく、何らかの形をとる為にはどうするか
というような事であった。佐藤さんは行動的な女性で、どんどん日本の現代美術を
紹介し、新しい企画を共に立て、実行しようと言う。外国にいると日本という内面が
意識され外界と対峙してくる。その内と外を相渉るチャンネル、心の運河を水平に
もつ。その界(さかい)の充実こそが、今必要である。外国という外部に比重が強け
れば、内なる日本は浸透圧に負けて肩下がりに吸い込まれてしまうだろう。逆に内
部の浸透圧が勝れば国粋的なナシヨナリズムに閉じていくだろう。内なるものと外
なるものとが水平に界(さかい)をつながなければない。そうでなければ感性の船
は難破し、走らないのだ。ここにも界(さかい)のチャンネルの重要な存在がある。
佐藤さんが、日本の現代美術を中心にドイツで仕事をするという事は、彼女自身の
日本という内なる故郷帯広・十勝が原点として晒され、試されるという事でもある。
マクロの日本ではなく、ミクロのインターローカルな視点こそが、彼女自身の日本
の現在なのだ。冬の故郷・十勝の真っ白で真っ青な天地をかの国にない身体感覚
として確認した今回の帰郷は、きっとまた新たな仕事のエネルギーを彼女に補填し
ただろうと思う。短くも濃い時間があっという間に過ぎて3人と肩を叩きあい、白い
闇の中で別れた。そこには多分凝縮したさっぽろという白い闇を通底して、それぞ
れの日本と世界が熱く詰まっていた気がする。

*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-17日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)

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by kakiten | 2008-02-15 12:09 | Comments(0)
2008年 02月 14日

界(さかい)の再生

界、境界、エッジ、先端の再生・復活を思う。食品の消費期限にしてもそうだ。可、
不可と表示された境が、あちら任せである。生活のあらゆるところで、境が整えら
れている。都市もそうである。かって私の住んでいた宮の森という地域も、元は琴
似町字宮の森と表記されていた。琴似川の流域で、川が地域の自然な区分けと
なっていた証しである。今は中央区宮の森という。境がどこかの役所の机上で線
引きされ、自然の地形の境は消えつつある。村も消える。その村を繋ぐ古い街道
を歩くと、消えた村が再び見えてくる。円山村から藻岩村へと、風景が動く。そして
その変化が、山を基本に変化しているのに気付くのだ。円山の端が村境で、藻岩
山の裾野に触れてくる。そこが、藻岩村の始まりである。反対に北へと歩くと、三角
山が視界に現れる。その山の視界域が琴似村の境をつくる。さらに進めば発寒川
が流れ、手稲山の領域に入る。そこは、手稲村の村境になる。こうして自然と一体
にあった界・境が消えている。歩き感じる身体性がまちから消えて、界は直線の線
引きの境界線に変わり、机上の市街地図の区別に取って代ったのだ。まちの身体
性が消滅して管理の直線が支配する街路となった。街はパックされた区となり、生
活全般のパック化が進行している。住居も団地やマンシヨンにパックされ、店もショ
ッピングビル化してパックされる。都市全体が合理性を追求した区分けに統合され
、あらゆる面がパック化され、機能を主体とする分割化が進んでいる。等身大の規
準が喪失すれば、人間は段々頭だけの存在になる。感覚が偏り、末端の神経が衰
弱する。身体の境が貧困になる。身体の部分増幅が、足を車輪の代行にし、眼を
映像機械の画面に代行させ、耳を電気音の増幅装置に代行させる。生のものが避
けられ、音の臭い消しや人工香料が匂いを代行する。5本の指はボタンやスウィッ
チを押す点打ちの代行にしか使用されず、5本もいらなくなるのかも知れない。五
体五感すべてを使って生きる事が、減少すればするほど豊かと錯覚して、文明的
便利さが進行すれば、一感一体に身体の界(さかい)は偏滅していく。五感五体の
界(さかい)を再生・復活しなければならないと思う。百年前に戻る事は不可能であ
る。戻る事ではない。身体性を喪失し続ける世界と対峙して、自らの界(さかい)を
創出すること。そこに文化・芸術に架された哲学があるのではないかと思う。

*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-17日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
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by kakiten | 2008-02-14 12:40 | Comments(0)
2008年 02月 13日

小林由佳展ー視線と拠点(60)

小林由佳展が始まる。作者の生まれた江別駅前の町界隈を主とするモノクロー
ムの写真展である。彼女の父と母が出会い、7歳まで過ごした街。今もお祖母ち
ゃんがいると記されている。小林さんの写真の特色は、一度写した写真に薬品を
浸して、まるでシミだらけの非常に古びたものにもう一度加工している事である。
その結果現在の江別駅前の寂れた商店街、建物はさらに古色蒼然たる趣で写真
化され、展示されている。以前私も歩いた事のある風景が、色を無くし、さらなる遠
い大正か、昭和初期のようなセピア色のなかに佇んでいる。自転車に乗って通過
する人も、路上の水溜りも、切れ切れな色調の擦(かす)れのなかで、霞みのよう
である。過去と現在、その境を薄い皮膜のような科学的処理を写真に加える事で、
そのあわい(間)を、表現しているかのようだ。今朝の冷たく白い雪の日に、会場全
体の灰白い空気が、作品に映えている。今年節目の誕生日を迎えた作者が、「ス
ベテハココカラハジマル。」と題した個展への個人的な理由(わけ)を、この江別に
見る。古くは、<イ・プツ>とアイヌ語で入口を意味することばから生まれた江別
が、近代は石狩川に面する港として外輪船が走り、夕張鉄道の石炭輸送の拠点
駅としても繁栄していたが、近年は札幌郊外のベッドタウン化した大麻駅に人口
を吸収され、石炭の衰退とともに本来の江別は寂れる一方になっている。小林さ
んが父母、祖父母とともに重ねてきた時間の江別とは、まさにその近代そのもの
の江別なのだ。セピア色に皮膜のように表現された小林さんの個人的な家族の
江別が、今生活している札幌との距離において皮膚の感触のように表現された
時、まさに何かに触れ、何かが始まっている事を、この個展は予感させるのであ
る。その方向が、決してノスタルジックな郷愁の方向には向かわず札幌と江別の
界(さかい)に触れ続ける事で、今というコンテンポラリーな視点を軸心として創っ
ていくのを期待したいのだ。ここまで打ち込んでいると電話が来た。今仕事で来日
中のドイツのギヤラリスト佐藤ミキさんからだった。明日顔を出すという。今秋独立
して最初の企画谷口顕一郎展の打ち合わせも兼ねて来ると言う。久し振りなので
電話でも話が弾む。イタリア・ベネチアビエンナーレの話も出て盛り上がる。明日
が楽しみだ。ビリーホリデイーの「アイルビーシーイングユー」を流す。

*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-17日(日)まで。am11時ーpm7
 時。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-13 13:05 | Comments(0)
2008年 02月 12日

界(さかい)の思想ー視線と拠点(59)

寒と暖、明と暗、水と土、自然を見ていると、その境目が美しい。ふたつの異なっ
た領域が相渉って第三の空間を創っている。一方が弱ければ文字通り一方的に
偏ってくる訳だが、拮抗してどちらにも属さない独自の領域を形成するからだ。寒
と暖の狭間に氷柱がある。水と土の狭間に岸がある。湿原がある。波打ち際があ
る。明と暗の間に黄昏があり、夜明けがある。間(あわい)という。媒介ともいえる。
皮膚のような、内界と外界のあわい(間)、ナイーブな触れるところ。そこでは、ふ
たつの世界が明確に対峙し相渉る充実がなければ、真の界(さかい)は生まれな
い事を示唆するものがある。中央ー地方という人為的な構造からは、界の美は生
まれない。先験的に一方が強く他を吸引していくからだ。正確には、地方ー地方の
拮抗の内にこそ、界の美が生まれるはずだ。明治の時代に西洋と対峙した日本が
美しいものを生む事が出来たのも、その対峙があったからこそだ。洋館建築にみ
る和洋の技術の対峙と調和が、それである。洋館といってもまるごと西洋ではない
。和独特の漆喰の技術も生きている。ふたつの文化の間で第三の美を創っている
。古くは仏像にもそれがある。弥勒菩薩がそうである。朝鮮半島の影響を受けなが
らも独特の優美さがあるからだ。界(さかい)を一方的な優位性から線引きする区
別・差別の境(さかい)におとしめるのは、衰弱と言っていい。富と力を政治と経済
とするなら、政治・経済は差別・区別の境を必然的にその本質に胚胎しているの
かも知れない。ひるがえって、文化がそうであれば、それは文化の衰弱以外の何
ものでもないのだ。文化に地方を強く回復させなければ、地方は有名性の差別・
区別の闇に吸い込まれ、埋没して、ただ中央に隷属する場末・辺境の乾いた存在
でしかなくなる。美しい界(さかい)を創ることは、境(さかい)のブラックホールに吸
い込まれない為の磁場、その闘いの現場でもあると思える。その磁場の創出を他
に振り替え、スムースなスムースなステージへと消えていくさっぽろを、リパブリッ
クしなければならない。


*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-17日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-02-12 14:05 | Comments(0)
2008年 02月 11日

氷柱と眇洩(すがも)りー視線と拠点(58)

暖かいのだろう。屋根の氷が溶けて、眇洩りをしている。氷柱が美しいとばかりも
云っていられない。沖縄は十何度とかいう。根室は氷点下十度。二十何度も温度
差がある。それぞれの地方が固有にある事を思う。日本とひとくちにいっても、そ
の国家の枠は、あくまで人間社会の人為的な線引きであって歴史を遡ればその
時代、時代で別の国家だったりする。自然の在り様の方が、正直なのだ。いまだ
行った事のない沖縄の友人豊平ヨシオさんは’90年代に個展をして頂いてから
いつも熱く来て下さいとラブコールを送ってくれる。琉球王国、薩摩藩、大日本帝
国、アメリカと南の固有の島々が時代によって統治され、今も到る所に戦いの傷
を潜ませている国と思う。北海道とともに開発庁が置かれ、大臣がいて開発の対
象とされた所である。もともとの住民の比率が高く、北海道とは逆であるから、地
元意識も高いと聞く。従ってその独自の文化は、北海道より固有性が濃い所と思
う。この気候も植生も風俗も違う南と北のふたつの島が、文化の面でも異なるの
は当然であって、その固有性をそれぞれがどう認識しインターローカルな視点を
持ち得るかは大切な文化上の課題と思われる。それにはやはり北海道がしっかり
と自らの固有性を保ち得るかどうかが問われるのだ。同じ沖縄でも、島によってそ
の生活・文化が違うと聞く。それは北海道においても根室と函館では違うのと同じ
である。生きている場の地方性、固有性を簡単に括る事はできないのが本筋とい
うものだ。物流の合理化、スピード化はグローバルという名のもとそこを均一化し
ていく。その結果地方・国は喪失して、のっぺらぼーでスムースな凸凹のない世
界が出現する。開発という名で一元化された近代のこのパブリックな公共という化
け物こそが、今最大の文化上の敵と私は思う。物流の便利さの一本道路に飲み
込まれた情報の一局化、文化の舗装化、街の均一化、そうした日常と闘う視点な
くして何がコンテンポラリ-アートと言い得るのだろうか。自らの界(さかい)を明ら
かにする事を怠って、界を越境する氷柱の美しさも、眇洩りの強靭さもない。漁師
が荒廃した地場・海の為に、山に木を植える英知も育たない。

*小林由佳展ー2月12日(火)-17日(日)am11時ーpm7時
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-02-11 15:24 | Comments(0)
2008年 02月 10日

消えるさっぽろー視線と拠点(57)

前にも書いたが、札幌では北海道立近代美術館という。帯広、函館、旭川にはそ
れぞれその地域名がついて道立<旭川>美術館という。さっぽろには札幌がな
い。道東、道南、道北という。道西はなく、道央という。ここにも札幌を中心とする
中央意識はあっても地方としてのさっぽろは消えている。さっぽろは地方ではなく
道庁所在地の中央だからだろうか。さっぽろという地方は消えて、中央というブラッ
クホールにぽっかりと吸い込まれているかのようである。岡部昌生氏の業績・仕事
を批判する事は決して個人攻撃の為ではない。友人としてともにさっぽろを生きて
きた思いがあるからである。その彼に、さっぽろが見えない。
ー<・・根室の旧海軍牧ノ内飛行場滑走路の形を沖縄経由でベネチアに届け、宇
品ー萱野湾ーベネチアを結んだ航空書簡(アエログラム)プロジェクト「島から島へ
」の作品群も展示。ともに内海を抱え、軍港をもち、それぞれの歴史を重ねてきた
都市の深部に触れた。>-とヒロシマと沖縄とベネチアの3っの港に自らの主生地
の根室を重ねている。この装置としてシステム化したような舞台造りにも疑問は尽
きない。ー<華麗で濃密、世界の勢力図をみる巨大な祝祭空間。美術の現在が火
花をちらし、社交と政治、経済がリンクし世界を映す。>-ベネチアビエンナーレは
、そういう<ステージだ>と彼は書いている。ここに2度出てくる<世界>という言
葉にも疑問は消えない。そういうステージであるだろう事はそうだろうとしか言えな
いし、そこに世界をみるのもそうだろうとしか言えないのである。そういう世界的な
舞台(ステージ)に立った事を、ナシヨナルな次元で誉め称えたい向きもあるだろう
。でも、そこには今生きているさっぽろが見えない。岡部氏が、今も人生の大半を
生きているさっぽろは、やはり消えた存在でしかないのかと問うのだ。明治以降の
我々の近代が内包している加害と被害の構造の核心にあるブラックホールとの闘
いが、さっぽろにはないというのか。消えるさっぽろが、ここにもある。そこを何らか
の媒介として表現しない限り、彼がいう世界という言葉は蜃気楼のように華麗で虚
しいものとしてしか、私には感じられないのだ。

*収蔵品展ー10日(日)まで。一原有徳・坂口登・岡部昌生・安斎重男・村上善男・
 吉増剛造・堀田真作・野上裕之等展示。
*小林由佳展ー12日(火)-17日(日)
*吉増剛造展ー19日(火)-3月2日(日)

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by kakiten | 2008-02-10 12:47 | Comments(0)
2008年 02月 09日

装置としての美術ー視線と拠点(56)

偶然が重なるように、昨夕の道新夕刊で岡部昌生氏がふたつのヒロシマを書いて
いる。-<主題はふたつのヒロシマ、加害と被害を内包する。現場は広島の旧国
鉄宇品駅で百十年の時を刻んで消滅したかつての軍用鉄道最終駅のプラットホ
ーム。>-今回のベネチア・ビエンアーレ展の彼のフロッタージュ(こすり取り)の
主題となった場処の事である。この文で彼は、ふたつのヒロシマを加害と被害の
両面が内包されたものとして位置付けている。それは、私が思うふたつのヒロシ
マとは違うものである。被爆したノーモアと形容されるヒロシマとは、唯一のヒロ
シマであってふたつとなる事はない。軍用鉄道の有する軍都広島市は、カタカナ
に置き換えられる事はない。日本の帝国主義がもたらした南方植民地政策の侵
略の拠点としての広島は、加害の拠点のひとつであったのは事実であるにせよ、
そこにノーモアのヒロシマはないのだ。私が思うカタカナのヒロシマとは、私が生
まれ、今住んでいるこの石狩の国に刻印されている地名北広島市にむしろカタ
カナのノースヒロシマを嗅ぎ取るのだ。国内的に向けられた植民地化の匂いを、
国外へと展開したのと同じ構造である事を思うのである。北広島はカタカナで表
記されないが、陰画のようにそこには<ノースヒロシマ>が反転して貼り付いて
いる。それがふたつのヒロシマなのだ。史上初の原子爆弾投下という人類史上
稀に見る歴史的事件は、広島をヒロシマ化したが、その事実に比し無名に近い
北広島もまたその植民地主義を根元として保っている事を身近な事実として見
詰めなければならないと思うのだ。だから敢えて、ノースヒロシマとカタカナ化す
るのである。北広島市には被爆者会館もあるという。ヒロシマブランドの支店もあ
るという事になる。これも見方によっては一方的なヒロシマ化なのだ。自然として
は豊かな川の人の指のように広がった間に存在する町々。その広島市が、軍港
化して軍都となっていく近代の過程が、攻撃の対象として原子爆弾を呼び込む。
その根っ子にあるものは、被爆後のある普遍性を訴えるヒロシマとは、異なるもの
である。被爆した<ヒロシマ>と自然としての<広島>の落差にこそ今私たちの困
難な<ヒロシマ>が存在する。そして<ヒロシマ>化とは、もっと日常化したさりげ
ない容貌をしていると思われる。事実としてのヒロシマを装置として美術化する事に
は、深い危惧を感じるのだ。

by kakiten | 2008-02-09 18:14 | Comments(1)
2008年 02月 08日

ノースヒロシマー視線と拠点(55)

昨日、一昨日と書いた事が、偶然昨日の道新夕刊に掲載されたエッセイと重なっ
ていた。ひとつは、「ベネチア・ビエンナーレを振り返る」と題した港千尋の一文で
あり、もうひとつは、同じ紙面の鷲田清一の連載エッセイ「夢のもつれ」である。
鷲田さんは、人を選ぶことの憂鬱さを、その規準への疑問として語っている。規
準の外にある<だれにも選べない><出会い>こそが、真の「選ばれ」ではない
かという趣旨である。ー<人の出会いというのは、だれにも選べない。それは、人
を選別するということの外で起こることである。選ぶ/選ばれるという関係のなか
で選別されるのではない、そういう「選ばれ」である。>ー私が、たったひとつの物
を購入する選択にも個人的な理由(わけ)を発見し、そこに過大にいえば人生の
選択すらあると感じたのは、その出会いのことでもある。先験的に規準があるの
ではなく、その時作品と対話し出会っていると感じたからである。先験的規準で訪
れた人には、その出会いの<選ばれ>が感じられなかったのだ。もうひとつの港
千尋の文章は、岡部昌生氏とともにベネチア・ビエンナーレに参加し、現代美術の
現在を俯瞰したものである。そのなかで個人的な経験が、アクチュアルに世界を
映す鏡となっていることを語っている。-<歴史性や地域性が刻印された個人的
な経験が、アクチュアルな状況を映す鏡となる事実である。パレスチナ出身の写
真家のごく個人的な旅をとおして、紛争に明け暮れる世界の動きが透けて見える
。>ー何の変哲もない日常の奥に潜む崖の存在を、個人的経験の内に見る視線
が、ここには語られている。特化された状況から、普通の日常状況への転位が、
語られているのだ。その事は、私にとって、ある象徴的なネーミングの事実を思い
起こさせたのだった。ノーモアヒロシマとノースヒロシマ。<歴史性や地域性が刻印
された個人的な経験>の有無が、そこには込められている。このふたつの<ヒロシ
マ>に、ふたつの歴史性や地域性が経験として封入されている。原爆を経験する
ことで国際的に認知される<ヒロシマ>と、開拓され移住してきた住民の出身地を
表わす<北広島>という経験の名である。北広島市というのは、札幌の千歳寄り
に位置する札幌の衛星都市ともいえる新興住宅都市である。野幌や江別に続く丘
陵地帯でかっては穏やかな原野だった処である。そこに明治の日本が広島県から
移住してきたのだ。ノーモアとノース、このふたつの形容のヒロシマこそが、北海道
のあるいは石狩の地の、個人的経験に関わる<歴史性や地域性>ではないかと
思うのだ。特化されたヒロシマではなく、日常としてごく個人的にだ。ノースヒロシマ
在住の個人的経験は何処にあるのかと、問う。岡部さん?

*所蔵品展ー10日(日)まで。:一原有徳・坂口登・村上善男・吉増剛造・岡部昌生
 ・安斎重男・堀田真作・野上裕之等展示。
*留美・碇昭一郎ライブー8日(金)午後7時~入場料1000円:留美(唄・ギター)
 碇昭一郎(トランペット)・初のジョイントライブ。
*小林由佳展「スベテハココカラハジマル。」-2月12日(火)-17日(日)
*吉増剛造展ー2月19日(火)-3月2日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-08 12:38 | Comments(0)