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テンポラリー通信

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2007年 09月 09日

石田尚志展最終日ー秋の序奏(8)

多分これだけ力のある映像作家の最新作と過去の力作を同時に見る事のできる
展覧会は現在そうざらにはない。会場構成とここでのライブドローイングの2点の
作品も含めて今、旬の作家の現在をこれほどリアルに経験できる空間は希少で
ある。私自身の力量不足もあり十分に周知徹底できていない無念はあるにせよ、
すでに何人かの人に深く印象付けた事も紛れもない事実である。我田引水でい
うのでは決してない。作品と出会い世界がちょっとでも変るような時間はそうそう
あるものではない。今年はもう京都の個展以外はなく、それ以降はカナダに行き
来年1年は日本にはいないそうなので最終日の今日実に勿体無い気がするのだ
。今日は午後7時までとにかく開けて待っています。明日以降はこれも満を持して
来廊の安部守さんの展示が始まる。気の抜けない日が続く。

*石田尚志展ー本日まで。新作「海の映画」上映。旧作「フーガの技法」「部屋/
 形態」「絵馬・絵巻」等もご希望により上映。
*阿部守展ー11日(火)-23日(日):九州福岡在住の鉄の造形作家。近年鉄
 の原点を追求した作品を発表している。昨年来札の折石狩河口の船の桟橋遺
 構に惹かれ今回のテーマとする。一昨日来廊。現在石狩ほか滞在取材中。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
 :青森出身の24歳。札幌在住。ふたつの土地の風土の違いを故郷青森の土と
  さっぽろの風をイメージし表現するインスタレーシヨン。内なる表現のアイデン
  テイーを場の中で実践する試み。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-09-09 12:10 | Comments(0)
2007年 09月 08日

見透かされることー秋の序奏(7)

茨城に嫁いでいる妹から小包が届く。2週間ほど前のこと。中身はブリーフと佃
煮。変な取り合わせだが重宝する。もうひとりの妹からも靴下とブリーフが1ヶ月
前に届いていたので私はすっかりブリーフ長者になってしまった。見透かされる
こと。昨日石田尚志さんと祢津悠紀さんから電話が来る。この間のブログ読んで
ますという内容だった。それと最終日の返送の段取り等費用は着払いでとか細か
く指示があった。ご夫婦ふたりでさっぽろに来て滞在し作品を設定しかつ気配り頂
いてなにもおもてなしも出来ずこっちの方が恐縮する。昨夜遅く台風の影響で遅
れながらも九州から阿部守さんが到着した。しばし石田さんの作品を見た後いつ
もの焼き鳥屋へ行く。1年ぶりの再会。この間のことを種々話す。来週からの展示
に向けて明日明後日は石狩河口滞在の予定と言う。いい時間になり席を立つ前に
トイレに行った時今日は奢りますと言って阿部さんが支払いを済ませていた。逆だ
よと思う。自分では意識的に見せてはいない積りの部分を他者が見抜いている。そ
の弱さを突く人もいるがその弱さをそっと包むように接する人もいる。公の立場では
ない。私の立場である。公の立場の人は弱さに対して嵩にかかってくる。ブリーフと
佃煮。ここにも公がない。公であればあたしや佃煮か!と憤然とするかも。遠くから
来てもトランスペアレント(透明な)な心は見透かしている。今朝台風が抜け暖かい
青空が広がる。酒井さん唄ってくれるかなあと阿部さんが昨夜呟いていた。どんな
展示になるのか。月曜日1日かかって準備される。石田尚志展も今日入れてあと2
日である。九州と東京の優れた作家であり友人であるふたりに感謝する。

*石田尚志展ー9日(日)まで。:新作「海の映画」を中心に「フーガの技法」「部屋
 /形態」等を上映。
*阿部守展ー11日(火)-23日(日):九州福岡在住の鉄の造形作家。鉄の原点
 を石狩河口を通して追求するインスタレーシヨン。南の島から北の島へと何が彼
 を駆り立てているのか。その成果を見詰めたい。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
 :青森出身の24歳。札幌在住半年で感じた風の違いを青森の故郷の土を使って
  表現する風のインスタレーシヨン。風と土。新鮮な感性がさっぽろをどう捉える
  のか。注目したい。
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-08 11:50 | Comments(2)
2007年 09月 07日

台風と石田尚志ー秋の序奏(6)

台風が近付いている。TVのニユース画面には荒れた海の波浪、川の増水、強
風の模様が映し出されている。秩序が分断される。馴致されたものが叛乱し溢れ
る。マンホールの蓋が鋲のように浮き上がる。留められ押さえ込まれていたはず
のものが沁みだしはみだしてくる。ワイルドサイドである。荒野ではなく、ワイルド
なのだ。そしてその有り様を方形の画面で見ている今の自分が居る。画面の中
では方形の秩序が混乱している。馴致された直線の構造が乱れ壊れている。解
き放されたように波浪や風が荒れ狂っている。石田尚志が映像で抽象として描い
た世界がここではもう日常になっている。傘を逆さに飛ばされそうになっている街
の人の様子が映っている。何故か笑顔の楽しそうにさえ見える女性がいる。ワイ
ルドサイド。男は会社がとか台風には敵わねえといった真面目な表情が多いの
だが女性は概してもっと活き活きとして見える。ワイルドサイド。台風は女性の世
界でもあるのだ。現実の渦中にあればそんな講釈は吹っ飛んでライフラインの只
中で必死に右往左往しなければならない。ただ映像の中での出来事にはそんな
見方ができるのだ。地球という水と空気の惑星がその本質を剥き出しにした時水
の氾濫空気の氾濫が人間の整理整合というご都合主義をあたかもあざ笑うかの
ようにいとも簡単にぶち壊してしまう。秩序と氾濫。このふたつの相反する本質の
内に我々は生きている。自然と社会とも括れるがそんな枠を越えてもっと内面的
な相反する何かである。石田尚志の「海の映画」は溢れ、そして収斂する人間の
女性性、男性性を海とハコを基本構造に見据えて映像化している。ワイルドサイ
ドだけでも生きてはいけないし秩序のハコだけでも生きてはいけない人間の両義
性を海の実写と美しいドローイングの線で描き尽くしているのだ。都市という利便
のハコと人間の内なる自然とのせめぎあいが彼の初期からの作品の基調低音と
してある。水と風の視線、その荒ぶる眼線が映像の根にあって現実のハコとして
の日常を揺さぶるのだ。そのハコが時にバッハの古典的なフーガという確立した
優雅なハコでもあり時に日常そのものを表象する壁のようなハコでもある。その
制約、閉じるものに対して狂おしいほどに内なる彼の台風が吹き荒れタッチして
いく。モノクロームの波浪は濃い藍色の滲み溢れるものに変幻し画面全体を覆っ
ていく。氾濫するもの、そして収斂するもの。その増幅と収縮。地球の呼気、吸気
。人間の呼気、吸気。そのプリミテイブな命の不条理を純粋な画像として定着さ
せようとする。石田尚志の世界は不思議にも台風の近付く日常と交錯するように
あるのだった。

*石田尚志展ー9日(日)まで。:新作「海の映画」を中心に。旧作「フーガの技法」
 「部屋/形態」「絵馬・絵巻」等も上映。
*阿部守展ー11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the retun」-25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-07 12:42 | Comments(0)
2007年 09月 06日

函と箱ー秋の序奏(5)

都市という大きな箱の中に暮らしている。その日常を祢津悠紀という映像作家が
淡々と自らの1日の記録として映像にしていた。掃除,洗濯,食事、入浴。方形の
マンシヨンの一室の日常である。窓から見える空、木、時に飛行機雲。それ以外
は直線の空間。そのなかでライフラインの線上の営みがある。熱、水、光。包丁
で切る豚肉、茄子。その動物と植物の残骸だけが曲線を保っている。水道から
でる水さえも流れる直線に見える。この都会の今何処にでもある日常の光景に
あらためて都市というハコを意識するのだ。用途という利便性の直線で構成され
た空間。そこに溢れる命の函は存在し得るのだろうか。祢津さんは石田さんを慕
うひとりである。弟子という言い方は適切ではないかも知れないがそういう立場の
人だ。2回目のテンポラリースペースの石田尚志展ではスタッフとして来廊してい
る。今回の映像は道立近代美術館で7月催されたイメージフォーラム映像展に出
品された作品である。石田さんがアニメの手法で奔放に映像化した世界と違って
祢津さんの作品は自らの日常を実写で映像化したものである。手法も対象も全然
異質なふたりだがハコの界(さかい)を見詰める意識は同質である。石田さんのハ
コへの意識はより過激で知的な抽象性の内にある。祢津さんのハコの意識はより
日常性の枠の内側にあり乾いた知性の内にある。祢津さんが石田さんに惹かれる
のは日常のハコを境にして石田さんの過激で奔放な溢れる抽象が自在にハコを
函として溢れさせているからだろうと思われる。祢津さんの日常のハコを見詰める
眼線にはその界を越境しようとする意思が潜んでいる。自身の生きている環境、場
そのものを見詰めそこからオーバーフエンスしていく。その耕作者の姿勢が彼の日
常を撮る視線にはあるのだ。石田尚志という天才の奔放さに対して祢津悠紀という
日常人の非凡さにも私は深い関心を抱く。対照的なふたりの映像は今週一杯見る
事ができる。ご希望あれば・・。

*石田尚志展ー9日(日)まで。am11時ーpm7時
 :「海の映画」常時上映。奥で希望により「フーガの技法」「部屋/形態」他上映。
*阿部守展ー11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
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by kakiten | 2007-09-06 15:13 | Comments(0)
2007年 09月 05日

海というバッハー秋の序奏(4)

石田尚志の映像には方形のハコのような図像がよく出てくる。今回の「海の映画
」にもそれが顕著だ。先ず映写機が写し出されその先の壁にスクーリーンとしての
方形の白い画面がある。16ミリのフイルム上映の映写機である。ふたつのリール
が上部にあって回っている。実写の海の波浪が映し出される。そして画面から滲
むように藍色が溢れ出て来る。画面は藍一色になりひたひたと映写機をも飲み込
んでくる。そして画面すべてが波浪の海面となり再びそれは方形のスクリーンに
閉じ込められて前面に映写機が再び現れる。方形のスクリーンが消えその横一
文字の線から滲み出るように藍が溢れ出てそれが壁全体を覆う。私たちは見る視
点で既に壁の方形のスクリーンの前にいる。そして写し出された映写機の前の壁
のスクリーンを見ている。この二重三重の壁とスクリーンのスクエアーな設定の
中で壁が、窓のような方形のスクリーンが中から溢れ、倒れ、舞うのを目撃する。
映像全体がその収縮、拡大の反復で構成されている。暗室というハコの中でスク
リーンという光のハコを見詰めそのハコの中に映像上のハコが映し出される。そ
のハコは自在に滲み自在に動き、崩れ何度も藍で満たされる。このハコはボック
スの箱ではない。溢れる函なのだ。壁に囲まれた部屋もハコである。スクリーン
の白い方形の影も光のハコである。このハコが動き溢れ時には倒れこむのだ。
この映像の最後の場面は再び映写機に映し出された白いスクリーンに逆回しで
藍色の溢れたものが収斂されて終る。石田尚志が執拗に方形の窓ともハコとも
見えるものから溢れさせその直線の境界から滲み出させるように定着しようとした
ものは函として溢れる川の深い淵のようなものなのかも知れない。部屋や壁そし
て窓という都市の方形の囲饒地に対峙する思念と見る事も可能であるだろう。閉
じる箱から溢れ開く函へと、この「海の映画」は語りかけてくる。今年横浜美術館
で完成した新作で従来の石田ワールドはさらに鮮明になったと言える。<海>と
いう地球の呼吸のような存在を水際の視線で捉え地球自体が大きな水の函であ
る事を方形の都市の内側から自らの命の描線を通してタッチしているように思え
てならない。バッハの「フーガの技法」で自在にその古典的様式の枠から溢れた
彼の感性の触手はバッハがドイツ語で小川を意味しその事でベートーベンがバッ
ハは小川ではなく大洋だ大きな海だと言った事を思い出せば正しく海へと大洋へ
とその触手をのばしたのである。先頃上映された映画「もんしえん」で主人公の
若い妊婦のはるが天草・不知火の美しい夜の海に入って呟く。<私の中にも海が
ある>。人間という函にも海がある。「海の映画」は石田尚志の内なるバッハとい
う大洋・海なのかもしれない。

*石田尚志展ー9日(日)まで。am11時ーpm7時
 :「海の映画」上映。奥のカフエスペースで「フーガの技法」他を上映。
*阿部守展ー11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)

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by kakiten | 2007-09-05 12:07 | Comments(0)
2007年 09月 04日

白い廃墟ー秋の序奏(3)

昨日休廊日。門馬ギヤラリーに神内康年展を見に行く。’92年の個展以来なの
で16年ぶりに会う。出身は江別、京都の大学を出て海外イタリア、フランス、カナ
ダに留学し現在は京都在住。1993年に五島記念文化賞美術新人賞で今年同じ
賞を受賞した石田尚志さんと年齢がその分違う。先にANNEXの会場を見て本館
に入る。2会場使うのは初めてと思う。入って故門馬よ宇子さんの娘さんの大井恵
子さんが出迎えてくれる。彼女は陶芸をしている。その通信講座の先生が神内さ
んという縁である。入って奥のソファに神内さんが居た。最初、私と分からずにいる
。変ったなあと言う。しばし見て何が変ったかと自問している。痩せたからでしょうと
言うと違うと言う。色々近況を話していると、そうか、何かが抜けてきたんだと言う。
まあ、いっぱい喪ってきた10何年だからそれはそうだと思う。単純に老けたなあと
いうのでなくて良かった。それからどんどんいろんな話をした。作品は磁器系の白
っぽい肌色の色彩で壷と破片のインスタレーシヨンである。以前は鉄製のメッシュ
に黒い陶土を貼り付けた都市の皮膚のような鋭い作品だったが今回久し振りに見
る作品は先ず色彩が違いより俯瞰する白い廃墟のようである。床に散らばるように
置かれた破片と球の中に壁と屋根だけのステンレスのメッシュの家が建っている。
この眼線は変ってはいない。しかし今は都市の廃墟というより縄文遺跡の発掘現
場のようである。話しをしていて生まれた江別の話にそれが出て来た。幼少時遊
んでいて土の中から土器の破片を取り出した記憶である。江別には豊かな石狩
川を交流地点とする遺跡が今も保存されているのだ。神内さんの原風景がちらり
と見えてくる。明日は先祖のお墓参りで江別へ行くという。発電所や牧場、製紙工
場ゴミ処理場で占拠され、さらに強制移住させられたアイヌの墓地の上に立つ和
人の墓地と濃い歴史の地である。夕張川、千歳川の石狩川との合流地点でもあり
同時に夕張鉄道の旧国鉄線との合流点でもある。近代と現代と縄文と入り混じっ
たままの川辺の港町、その入口なのだ。今回の個展を契機に神内さんの江別が
彼のアイデンテイーに深く関わるだろう事を予感する。京都での孤独を彼はその
まま作品のなかで正直に伝えている。初期の頃からその孤独は変らないと思う。
正直な人なのだ。だからこそ今江別を見据えるべき時なのかも知れない。私はそ
う思う。高校時代の背広姿の友人たちが押しかけてきたのを機に会場を辞した。
外には黒塗りの高級車が運転手付きで待機していた。
今日九州阿部守さんより電話。7日来廊。8,9日石狩。10日展示との予定を聞く
。一昨日は若い3人がじっくりと石田さんの旧作も見ていく。ひとりのソラマメのよ
うな女性が会場の予約を申し込みそうだ。正直な澄んだ人である。詩人でロシア
文学者の工藤正廣さんが来る。自宅全焼の災害に遇い奥さんの知子さんは喉火
傷の重症にありながらも8月未知谷出版から「詩の住む街ーイタリア現代詩逍遥
」を出版した。その本をわざわざ届けてくれる。新聞で笠井嗣夫の書評は読んでい
たので欲しかった本である。自宅の総てを焼失した後だけにふたりの屈せざる気力
に尊敬の念を覚える。裸一貫シンプルに生きていく。人生捨てたもんじゃない。


*石田尚志展ー9月9日(日)まで。am11時ーpm7時
 :上映作品「海の映画」(’07制作)。版画、ドローイングを展示。他に奥スペース
  で「絵馬・絵巻」「フーガの技法」「部屋/形態」「椅子とスクーリーン」「スリー・
  レッド・ストライブスwith足立智美」他を上映。 
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-9月25日(火)-30日(日)

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by kakiten | 2007-09-04 12:13 | Comments(2)
2007年 09月 02日

弓なりの蒼い空ー秋の序奏(2)

もう9月。セプテンバー。お盆に少し休んでその前後ずーつと走り続けてきた感が
ある。力の篭ったいい展覧会、ライブと立て続けだった。言い訳になるが今朝は少
しギヤラリー到着が遅れる。すると留守録にメッセージ。”11時オープンで来たけ
れど開いていないので帰ります!”申し訳ない。日曜日と思いどこか気持ちが甘く
なつていた。しかし昨日より体調はいい。神内さんのオープニングにも出ず真っ直
ぐ帰って寝た性だろう。あまり開廊と同時に来客というのはないのだが間の悪い時
というのはあるものだ。昨夜酒井博史さんが来る。一昨日門馬ギヤラリーで森さん
の個展会場で唄った事の話など聞く。搬出の時間と重なり充分なライブとはならな
かっようだが場のテストとしては楽しめたようだ。細長い廊下のような空間で声の響
きを歩きながら確かめたと言う。彼の歌声には人の心に沁み込む何かがある。そ
れは傷から発している何かである。哀しみの保つ激しさ、沁みる傷(いた)みを共有
する優しさのようでもある。BGM的に聞く歌ではない。じっくりと聴き込むのが相応
しい。演歌歌手のように派手なプリンセスかお姫様のような服を着て不幸な貧しい
女の歌を唄う逆転のカタルシスの歌とも違う。彼のような唄を聞くときは自ずから聴
く人間の品位がでる。生きている事の誠意が試される。同じ地平での共感の深さに
こそ唄の深度がある。美術や音楽の受け手における品位と同じなのだ。唄は音と
言葉と一体となった極めて直接性の高いアートだ。声のライブドローイングでもあ
る。その分娯楽性も高く受け手のグレードがそのまま反映する。バッハが酒場に
行き民衆の音を沢山吸収した事はよく知られている。コーヒカンタータなどにそれ
が音の要素となっていると言う。明治の近代化で規範を西洋に求めていった官主
導の文化には足元の民が喪失して特殊な一段高い所に文化の軸が棚上げされ
今もその弊害が続いている。酒井さんの唄声は演歌ではないが普通の人のどこ
かに在る心の傷から発していて濃く深いのである。その唄がよく知られた歌手の
ものであってもその選曲、色彩はもう彼自身のものとして発せられている。聴く時
はきちっと聴きたいと思う。

*石田尚志展ー9月9日(日)まで。月曜休廊。
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-9月25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-02 18:33 | Comments(2)
2007年 09月 01日

海の蒼空ー秋の序奏

フィルムを巻いたリールが回っている。古い映写機。画面に海が映っている。方
形の画面から波が溢れ出す。いつのまにか青いインクのように滲み出ている。
石田さんの「海の映画」の冒頭である。暗室の外もまた染み入るような蒼である。
夏の裾野、夏の年の果て、秋の匂いがする。石田さん夫妻が帰京し緊張の糸が
緩んだのか疲れが音を立てて体に濃い。16年ぶりに京都の陶芸家神内康年さ
んの個展が札幌・ギヤラリー門馬であるとの連絡が届く。1992年に前のスペー
スで個展をして以来の札幌で会いたいと思う。今日がオープニングの日だが多勢
の人と会うのが億劫である。作品だけゆっくりと見たいとも思う。森美千代さんの
優れた写真によるインスタレーシヨン「反転」展の後に続き2会場全館使っての個
展と聞く。ここも気合の入った展示空間となるだろう。

*石田尚志展ー9月9日(日)まで。月曜休廊。am11時ーpm7時
 :新作「海の映画」と「部屋/形態」他。
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-9月25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-01 15:08 | Comments(0)