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2007年 09月 19日

根の在り処ー秋の遁走曲(2)

人もまた胞子のように時代の荒地に精神の着床を求めて生きていくものだろうか。
阿部守の鉄の彫刻には石狩への着床を試みたその精神の軌跡をみる気がする。
有名無名年齢を問わずこのところそうした根の在り処を提示する作品が続いてい
る。網走出身の23歳のサッポロ。その日常の耕作から生まれた作品群。流氷を
冬の日常として見ていた漁師の子。内陸の平坦な石狩平野の都会。オホーツクと
イシカリ。港町と都会。ひとり出て来た若者の必死の生活が淡々と気負わず友人
との会話として録音され会場に常時流れていた。空気の土壌。これは作家自らが
耕した時間の土壌である。そこを在り処にして作品という木が立つ。前々回の佐々
木恒雄の個展の風景である。阿部さんに続く来週からの中嶋幸治さんの個展は
さらにその感を強くする。青森弘前郊外からサッポロに来て半年、ブラキストンラ
インの津軽海峡を越えた24歳の若者は風の色の違いに敏感になる。着いた冬の
終わりに近いサッポロの風は粒立つていた。津軽にはない感触なのだ。何故サッ
ポロを選んだのか。何故南へ向かわずさらに北だったのか。どこかでそう自問す
る自分がいる。「Dam of wind、for the return」個展のタイトルである。故郷
の山の白い土を運び込むと言う。故郷の再発見、再確認、そんな想いがサッポロ
で表現されようとしている。これも精神の着床の試みである。九州福岡から北へ
オホーツクからイシカリへ、津軽からサッポロへと3人3様の精神の着床の試みは
優れて自己探求の誠実な行為として作品化されてくるのだ。ベテラン、新人の区
別にあまり大きな意味は無い。自らの足下から耕して床苗を育てる同時代の行為
に熱い誠意を共感するのである。作家もまたカルチベーターである。作家以前に
人もまた着床する存在である。デラシネの難民の時代である。自らが故郷を創ら
なければならない時代なのだ。その精神の在り処をコンテンポラリーな行為として
幾つもの越境が試みられている。今回の阿部守の作品はあらためてその事実を
明確に物語っているように思われる。

*阿部守展ー23日(日)まで。午前11時ー午後7時。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」-10月2日(火)-
 12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展-11月20日(火)-25日(日)
*福井優子展ー12月11日(火)-23日(日)
*木村環×藤谷康晴展ー12月25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-09-19 11:23 | Comments(0)
2007年 09月 18日

青い陽射しー秋の遁走曲

厚着した空気が一枚々々薄着になっている。折り重なった夏の衣装が透き通っ
てくる。陽射しが青い。ニューヨークで個展の石川亨信さんから便りが届く。中岡
りえさんと写真家のトヨ・ツチヤさんが訪ねて来てくれたと書いてある。会場の写
真もあった。寝かせたり壁に寄りかからせたりランダムな展示だ。見る人の自由
に任せようという敢えての展示を今回ニューヨークでもしている。他力本願という
本願。仏教徒である石川さんの展示に込めた想いがはたして個人主義の国アメ
リカで通じるだろうか。帰国後の石川さんに反応を聞くのが楽しみだ。後藤和子
さんが来る。ゆっくりと阿部さんの作品を見ていく。”自然光に合うのは青だけで
はないのね・・。”と呟く。そう、この鉄の柔らかい肌には自然の光がいい。”九州
に戻さずどこかに置きたいね”と私が感じた事と同じ事を言う。”美術館の池の
中とか・・。”水か、青の後藤和子さんはそこにいくかと思う。錆びた青を見たいの
かもしれない。でもこれは銅ではなく鉄なので錆びても青にはならない。ふらりと
来た後藤さんはその後ふらりと帰っていった。前の敷地に古いマンシヨンを取り
壊してまた新たな建設が始まり地ならしの工事の音が騒がしい。ヘリコプターが
飛んでいるような音だ。ひとつ大きな建物が建つと付随して水道、ガス、下水の
工事が始まる。静謐な会場空間と対照的な外の騒がしさが続く。2階にいると音
の響きも大きい。直線的なビルは工事の音も直線的で暴力的である。何か疲れ
がこのところ溜まっている。夕刻工事の音も収まった頃河田雅文さん来る。しば
し無言。”これは傑作だわ!”と一言。今日2度目の台詞が出る。”九州に戻した
くないなあ”と。芝生のある広い空間がいいなあとふたりで話す。もっと人に見て
もらいたい。馬鈴薯にも見えるとも言う。薩摩芋じゃない。北の根菜だよと応じる。
椅子に腰掛け阿部さんの作品を見ながら話はあれこれ跳んだ。小1時間も居た
ろうか。帰り際に”いいもの見せて頂きありがとう”と言って帰った。珍しい事だっ
た。この一言で溜まった疲れが少し消える。阿部守の鉄への原点追求の一途さ
と北への真摯な視線が生んだ誠実な傑作である。彫刻というものが保つ懐の深
さ、存在感をこの作品は凝縮していると思う。黙って見ているだけでいいのだ。そ
んな作品はそうざらにあるものではない。

*阿部守展ー23日(日)まで。am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」ー10月2日(火)-
 12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*泉尚子展(予定)11月20日(火)-25日(日)
*福井優子展ー12月11日(火)-23日(日)
*木村環×藤谷康晴展ー12月25日(火)-30日(日)

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by kakiten | 2007-09-18 16:30 | Comments(0)
2007年 09月 17日

百か日の朝ー秋の序奏(16)

亡妻の百か日の朝。お坊さんと葬儀屋さん来る。急死だったから代々の菩堤寺
の薦めで葬儀屋を選んだ。それがなかなかのやり手で式進行は見事であった
がその分身分不相応にお金がかかった。家族葬でよかったのだがぽんぽんと
乗せられた。私自身の見得も在ったのかも知れない。未払いがあってお坊さんと
一緒に請求参上という事だった。葬儀産業というのは父の死んだ昭和40年代に
比べもの凄く洗練されてきた。ショーのようである。冠婚葬祭というが死者もまた
結婚式並みにショー化されている。しかし洗練されればされるほど個が不在とな
る。葬儀の進行に文句のつけようが無い分すべての悲しみも計算の内にある。
公的な焼き場もその会場の一部となる。父の死んだ時はまだ平岸に火葬場のあ
る時で高い煙突から死者の煙が漂うように昇っていくのが見えた。カフエなぞなく
外の緑のなかでぼんやりとその煙を見ていた記憶がある。葬儀場もお寺で住職
も葬儀産業に組み込まれず葬儀屋さんはあくまでお手伝いの位置にあったと思
う。今はシステム化した葬儀会社の司祭に組み込まれ葬式仏教は葬儀屋の基幹
スケジュールの中心に役割として存在しているかのようだ。今朝はその役回りの
ままセットで見参という訳だ。慇懃で控え目ではあるが取り立ては取り立てである
。どうしてこんなに優秀で能力のある人がこの仕事をしているのだろうと思うこちら
の方がセンチメンタルなのだ。死は立派なビジネスなのだ。彼らはビジネスマンと
して立派に献身的に仕事をしている。住職もまだ若くすっかりそのやり手の手の内
にいる。祖父の時代からのお付き合いのお寺だがもう私は檀家総代でもなく貧しい
ひとりの家である。仏壇だけは代々のもので美しい立派なものだ。内には祖父、祖
母始め十人以上の位牌が入っている。長男の宿命である。仏壇背負って今はひと
り生きている。甲斐性がないから苦労する。次男に生まれた方が良かったなあと時
々思う。休廊日の朝もなにかバタバタしてお経が済んだ後自転車を飛ばしギヤラリ
ーに着く。生前も死後も甲斐性の無い自分をそっと見詰めている。だが選択し意思
した自分に悔いは無い。そう自分に向き合いながらも死者には詫びるのだ。晩年
の疎遠が私自身の生き方からそうさせていた事に。同じ方向を見詰めれなかった
事に。しばらくは罰を背負わなければならないのだろうと思う。百か日の朝は百叩
きの朝かも知れない。

*阿部守展ー23日(日)まで。am11時ーpm7時。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」ー25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which」-10月2日(火)-12日
  (金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)

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by kakiten | 2007-09-17 11:52 | Comments(0)
2007年 09月 16日

海抜ゼロの彫刻ー秋の序奏(15)

阿部守さんの彫刻を見ていて大野一雄の石狩河口公演の事を思い出していた。
海抜ゼロー高さも深さもゼロの場所。太陽も真っ赤なゼロとなって沈んでいく。水
も土も空も一体となって茫々と海へと溶けていく。虚のゼロではなくそこには豊か
なゼロがあった。還元され再生するゼロである。流木も鍋も動物の死骸も。ただそ
のなかでも還元されず鮮やかな色彩を放つ物があった。プラスチックで出来た物
たちである。これは腐れず還元せず死すら宿らない。用を無くしただけで廃棄され
たものだ。それ以上でもそれ以下でもない。用と無用の間だけに存在している。こ
のゼロは虚のゼロである。人間が鬼っ子のように誕生させた現代の妖怪である。
土にも水にも戻らないのだ。腐蝕という生命すら宿らない。用の為便利さだけで
造られその後捨てられた色鮮やかな空虚なゼロである。そうした文明の罪も含め
て海抜ゼロの河口はとうとうと流れていた。茶褐色に濁った濁流が青い海へと絶
え間なく流れ込んでいる。その無心の深い力のような豊かなゼロの表情が安部さ
んの作品には宿っている。ただぼんやりと見ていて見飽きる事がない。この作品が
石狩のどこかに常設して置ければ良いと思う。野外でも良い。雨に打たれ雪に埋
もれて錆が深くなる。それでも良い。ぽつんと在るだけでも良い。空気に馴染んで
くるのだ。よく見る街中や野外の尖がった野外彫刻ー変なパブリックアートとは比
較にならないのだ。九州には帰したくない。これは北の大地の生んだ作品と思う。
その精髄が篭っている。伏篭。そんなタイトルを付けてみる。
昨夜故石田善彦さん一周忌追悼展の打ち合わせに山内慶さんが来る。彼の努力
で石田さん関係の出版社から石田さん訳の本を多数お借りする事が出来そうだ。
取りあえず百冊を目標にする。どう展示するか、本以外の資料をどうするか。まだ
端緒に着いたばかりで村岸宏昭さんの展覧会とは違って翻訳本が主体となるので
ビジュアルな見せ方に工夫がいる。前のテンポラリースペースで月一回していた”
ポップスを訳す”シリーズのロバートジョンソンやビョーク、シンデイーローパー等
の歌の訳詞も資料として展示したい。彼の翻訳によってこれらの歌の印象ががら
りと変って聞こえたものだ。翻訳家としての大きな業績とともに音楽青年だったひ
たむきな仕事にも光を当てたい。ここでも何をしてきたかと何をしようとしたかの両
軸が問われる。田中綾さん、山内慶さんのふたりの石田さんへの想いが少しずつ
形になってくる。ふたりを通して死者が会場を満たしてくれる。ここでなければ出来
ない時空がまた形成される。<貧>しても<鈍>してはいられない。

*阿部守展ー23日(日)まで。17日(月)休廊日。am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which」-10月2日(火)-12日(
 金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(金)-18日(日)

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by kakiten | 2007-09-16 14:08 | Comments(0)
2007年 09月 15日

雨降る街角ー秋の序奏(14)

車のタイヤの水を跳ねる音がシャ~ンシャーと近くから遠くへと響く。バッハの「
平均律グラビア集」をかける。お気に入りのジョンルイスの演奏である。このCD
をもう何年も前に若い彫刻家の岡部亮さんに聞かせた事があった。全部で4枚
出ているのだが私は最初の2枚しか持っていなかった。後日残りの2枚を彼が
贈呈してくれた。この時初めて亮さんがこの曲を気に入っているのが分った。そ
の後ある所に彼の描いた豆本があると言って河田雅文さんがニコニコして持参
して見せてくれた。その豆本は5冊組みセットになっていて1冊目はジョンルイス
のCDとの出会いから始まっている物語だった。その主人公はそれから仲間を
集めバンドを作り路上で演奏をしレコーデイングをし最後にある場所でライブを
する。5冊目はそのライブの場所とそこのオーナーと思しき人物の描写で完結し
ている。場所は中森花器店という看板がありその中でタバコを吹かして演奏を
聞きながらカウンターに立ち上がり踊り出したり泣きじゃくっていたりするのは私
と思しき人物だった。そこに描かれた気難しそうな顔をした私は逆立ちしたり跳
び上がったり演奏に合せてはちゃめちゃなアクシヨンをする。カウンターに灰皿
のタバコの吸殻が山のようにあり落ち込んだり泣いたり両手を上げて踊り出した
りする。そしてその最終ページは夜も深けた街角の灯りの洩れる建物の描写で
終っている。ジョンルイスのこのバッハのCDがきっかけとなって昨年1月までい
たあの建物の時間が活き活きと岡部亮さんの絵によって今も甦るのだ。秋の始
めのような雨の降る街角でふっとかっての”燃える街角・器の浪漫”と呼んだ時
を思い出す。ひたむきに憧れに満ちてバッハを弾く晩年のジョンルイスのピアノ
の音色は雨の日によく似合う。今日は昨年10月孤独死した石田善彦さんの一
周忌追悼展の打ち合わせがある。ローリングストーン誌の創刊、新譜ジャーナ
ルの同人と若くして音楽への情熱に生きた石田善彦さんは晩年翻訳家として大
成しながらもその音楽への熱い情熱を甦らせていたのだ。昨年の阿部守展での
花田和治さんと阿部さんと3人が写った写真が残っている。あの場所とこの場所。
ふたつのさっぽろをつないで生と死がある。雨降る街角、燃える街角。今も泣いて
踊って逆立ちする私は変らずに居る。

*阿部守展ー23日(日)まで。17日(月)休廊。am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-26日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which」-10月2日(火)-12日
 (金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(金)-18日(日)

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by kakiten | 2007-09-15 12:40 | Comments(0)
2007年 09月 14日

貧すれば鈍する-秋の序奏(13)

時々頭に浮かぶ諺がある。格言とも言う。なにかの拍子にふっと出てくる。古人の
知恵が詰まっているので抗えないものがる。「貧すれば鈍する」。畜生と思いなが
ら<鈍>したくないと自戒する。経済の苦労は直接的でストレスが溜まる。精神の
飛翔と逆比例するようにじわりとくる。人間を取り巻く環境、社会構造は紛れもなく
経済構造で構成されている。金銭が血液のように循環している。ライフラインと呼
ぶ水・熱・光そして食。さらに住居・職場・そこに繋がる社会の慣習。それらすべて
に金銭が潤滑油のようにある。稼ぎが薄いと潤滑油が切れて血のように滲む。ギ
スギスと音をたてる。そんな時に<鈍する>ものが出てくる。今日のような冴え渡
った青空さえ素寒貧の空に見えてくる。同じ日にさようならをふたりのアベさんから
聞いた。政治家のアベさんと彫刻家のアベさんである。同じさよならでも貧しさと豊
かさが違う。でもこれは経済ではない。経済だけならそれは逆転するだろう。虚ろ
な目をした政治の安倍さんと時を忘れて植物園にいた彫刻の阿部さんとは比較の
基準が違う。ここに金銭の軸はない。本会議直前のスッポカシ、丸投げの一国の
首相の無責任さには<鈍する>ものがある。精神の<貧>もまたある。同じ日に
ふたつのさよならを残したアベさんから経済だけではない<貧>と<鈍>のある
事を学ぶ。しかしそれはそれ。百も承知。いつも問題は目の前の貧である。生活
者である自分はまずそこから<鈍>に陥らないように頑張るのだ。
午後石山に住むMさん来る。美術の好きな60過ぎの女性である。阿部さんの作
品の前で四方山話をする。地域の敬老会の事、住い近くの石切山の事、バスに
乗って定山渓まで行って川沿いの散策路を歩いたが人っ子ひとりいなかった事。
敬老会に入会して新人として歓迎されたとか屈託の無い話が続いた。しかし眼は
作品をみたままだった。阿部さんの作品は緊張を強いる事が無い。定山渓の渓流
の樹のようだとMさんが言う。安心して楽になりおしゃべりできるのだ。いつか美し
い桜の木の下で年配の女性が何かを食べながらふたりでお喋りをしているのを見
た事がある。なにか心休まるいい風景だった。今日のMさんと私もそんな光景だ
ったかもしれない。まあ女性同士の方が似合うでしょうけれど。その前に来年2月
に個展をする決意を固めたKさんが来た。30歳になる記念と言う。先週の石田尚
志展から立て続けに来て何かを感じ取ったようだ。全然空間が違ってその対比に
驚いていた。Kさんもゆっくりと作品の前で話していて心決めたように個展の話をし
た。石田さんの映像作品の暗室での集中。阿部さんの光の中での作品の保つ包
容力。いい作家の作品は何かを解放させてくれる。優れた老若のふたりの女性が
心紡いでくれた時間だった。

*阿部守展ー23日(日)まで(17日月曜休廊)am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)

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by kakiten | 2007-09-14 13:01 | Comments(2)
2007年 09月 13日

阿部守さん帰るー秋の序奏(12)

今植物園にいると阿部さんから電話がくる。思わず長居してこちらには寄れずこ
れから真っ直ぐ飛行場に向かうと言う。さっぽろの昔の森の風景をそのまま今に
残す都心の囲驍地に思わず時間を忘れたようだ。沢や泉池、路も人が歩き踏み
分けた跡が今の道になったという。道庁、植物園、伊藤邸の庭、北大構内と続く
泉池(メム)と森の痕跡。それらがそのままにちかく在るのが植物園だ。資料館
も含めて初めて入園した阿部さんは魅了されたようだ。朝、秋の青空が広がり
ひとりさっぽろに浸っている姿が目に浮かぶ。旅の最後のいい時間と思う。河口
からその源流のひとつの泉池へ市街地化された百有余年の近現代を透視して
あるがままだった自然にほんの僅かだがタッチしている。中世や近世と長い人
間の歴史に埋没することなく近現代のむこうに地球の素肌に触る事が出来る。
同時存在のように。これがさっぽろの魅力ですね阿部さん、と呟いてみる。彼の
感性は今回の旅でまた何かを得て明年に繋がるものを電話の声から感じてい
た。たまたま今回宿泊したホテルの傍に植物園を発見したのだ。他の人工的な
植物の公園とはここは一線を画す。何故ならもともとの森をそのまま取り込んで
園としたからである。人の手の歴史が浅いのだ。森の記憶の大木はそのまま植
物園になる前からそこに存在した樹だからである。明治のパブリックワーク、官
営のプラス面とも言える。民営ではこうはいかない。北大の広大な地下鉄駅3、
4駅分の敷地も然りである。その結果百有余年前の面影が点景ではなく面景とし
て残されることとなったのだ。勿論その中でも開発という風景の荒廃は進んでい
るのだがそれでもまだゾーンとしては残っているのだ。北大農場や植物園がそれ
である。本当のパブリックワークという公共事業はこうした仕事を指すのである。
今日の公共事業は自然を破壊する事ばかりに立脚している。スーパー林道とか
ダムとか市街地事業とか社会構造に立脚して自然構造に添って公共を考えてい
ない。産業社会構造を基軸とした為利害の構造に添うようになったのだ。近代化
という名のプラグマチズムである。その近現代の負の構造と対峙するように人の
手の浅い自然がある。それが百八十万都市さっぽろの魅力なのだ。この事にもっ
と自覚的であるべきである。コンテンポラリーとは何かと問う場合さっぽろは痛まし
いまでにコンテンポラリーなのだ。阿部守さんの瑞々しい柔らかい感性はきっとそ
こをきちっと感受してまた次なるさっぽろを表現として提示してくれる事だろう。12
0キロの鉄の柔らかい塊が今日も午前の朝の光の中で微笑んでそう告げている。
遠く九州から阿部さんありがとうございました。しばらくこの美しい作品とともに暮
らしてまたご報告致します。

*阿部守展ー11日(火)ー23日(日)月曜休廊am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which」ー10月2日(火)-12日
 (金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)

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by kakiten | 2007-09-13 12:20 | Comments(0)
2007年 09月 12日

在り得ることに触れるー秋の序奏(11)

午後の陽射しが茶褐色の柔らかな鉄の肌に触れている。木の床面に焼け焦げ
た痕がうっすらと狐色の濃淡をみせて残っているのが見える。これは昨年の阿
部作品の痕跡である。大きな円盤状の中心に凸部があってその内側に電熱の
装置が仕掛けられ凸部を暖めていたのだ。そこに上から吊られた舟の形をした
器の小さな穴から水滴が落下しじゅっと煙を立てて蒸発する。時間とともにその
水の落下地点には錆の丘が形成されていった。その電熱の部分が外れて内に
落ち床を焦がしたのである。その痕に沿うように今回の作品が立っている。1年間
使い込まれた木の床板と1年前の焦げ痕と、今茶褐色の鉄の作品が一体化して
在る。そこに午後の陽射しが柔らかく包むように落ちていた。旭川まで出かけた阿
部さんから電話が入る。今朝早くガラスの高臣大介さんの車で旭川に向かったの
だ。洞爺に帰る途中大介さんがこちらに寄るという。洞爺のお祭りで獅子舞の練
習に忙殺され夜遅くか早朝にしか時間が取れず九州福岡での阿部・高臣2人展
の打ち合わせを旭川まで同行する事で車中で相談が纏まったようだった。阿部さ
んを旭川まで送った後この作品展を見に大介さんが立ち寄ると言うのだ。程なく
大介さんの車が着く。初の九州展を12月初旬に決めたと言う。鉄とガラスのコラ
ボレーシヨンでふたりはどんな作品を生むのだろう。隼人系の顔立ちの高臣さん
は九州への憧れをこれまで何度も口にしてきた。昨年ここで阿部さんと出会った
のがきっかけで先ずはふたり展という形で九州に初デビューという事になる。物産
展のような工藝からのデビューではなく彫刻家との2人展である。作家としても高
臣さんにはいい機会となるだろう。しかも憧れの未知の場である。思う存分に力を
発揮して欲しいと思う。阿部さんの作品を見ながらしばらくぶりの四方山話をしなが
らも彼の目は絶え間なく作品に触っていた。想いの在り得る所に触れる。作品がき
っと作品を生むだろう。夕刻下沢敏也さん来る。2度目である。作品がしっとりとし
てこの間とは見え方が違うと言う。鉄が柔らかく肌のように見える。しばし言葉なく
見惚れていた。陶芸の下沢敏也、ガラスの高臣大介それぞれの阿部守となる。

*阿部守展ー11日(火)-23日(日)am11時ーpm7時月曜休廊
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which」-10月2日(火)-12日
 (日)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-12 15:44 | Comments(0)
2007年 09月 11日

鉄を柔らかくするー秋の序奏(10)

鉄は火で創られる。鉄は水で創られる。膨らみ、縮み、叩きなめされるようにして
形が創られていく。その鍛錬された形状に人が人の意思する何かを傾注し自然
が最後に仕上げのように偶然の何かをそっと付け加える。それが錆だったり人の
意思を超える形の変形だったりする。そうした人の営為と自然の気紛れが生んだ
ものが存在としてぼそりと在るとき人は少しだけ意識から解放されて緊張の向こう
に安らぎのような青空を見るような気がする。阿部守の今回の鉄の造形にはそん
な茫洋かつ繊細な存在感がある。固定はしていないのだ。存在感はあるが威圧す
るものはない。見ていて強制するものはない。ぼんやり見ていて飽きない。見るこ
とを強制する不純がない。それだけ作品が純粋に存在しているからだ。声高に主
張する事がなく見る事と共存して同じ位相にある。かといって日常に堕して馴れ馴
れしく在る訳ではない。鉄を素材とする百キロ以上の素材である。普通に考えれば
それだけである存在感がある。しかしその素材を変容し重量を消去する表現の力
がある。人は何故こんな事をするのか。留め置きたいからである。時とともに消え
去る一瞬や心に刻み込む何かを留め置きたいからである。鉄を鍛錬し鋼に変える
ように記憶や一瞬の光景を強固な存在として形象化したいからである。その為に
素材を使い素材自体を変容して記憶のカプセルを創る。何度もその一瞬が甦る。
阿部守の今回の作品は石狩河口の豊かな土色の濁流が海へと流れ込むように
茫洋とある。意識の刺が呑み込まれて褐色の皮膚のようでもあり土色の水面の
ようでもある。それだけ鉄の素材が柔らかくなめされて作品化されている。流麗と
かいうのではない。土も水も皮膚も鉄も還元して再生されてあるのだ。この異質を
還元し再生する力は美術の保つ優れた文化力と思う。鉄の原点を追求しながら
石狩河口で阿部守が発見した河口の濁流の風景は土と水と大地と海と一体化し
た艀の捨てられた鉄骨の安らぎの空の再生だったのかも知れない。

*阿部守展ー11日(火)-23日(日)am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-09-11 22:07 | Comments(0)
2007年 09月 11日

阿部守展始まるー秋の序奏(9)

大人4人がかりで福岡から届いた作品を会場に置く。梱包を解きつつ作品の一部
が見える。緊張が解ける。何とも言えぬ柔らかな肌である。これが鉄?厚さ6ミリ
の鉄とは思えない。全体が姿を現し立てる。横幅90cm奥行き30cm高さ1m20
cmの鉄の立体造形である。色は茶褐色の鉄錆。正面から見ると不定形な凸凹
が樹肌のようにも陶器のようにも見えるほど柔らかい。背後に回ると垂直な直線
の壁である。その対比は極端に違う。床の木肌としっくりと調和して以前からそこ
にあったかのように存在している。もう何もいらないねと阿部さんとふたり納得す
る。壁に石狩河口のドローイングとか考えていたようだがもう何もいらない。この
大作の鉄の肌にすべてがある。河口の茶色く濁った濁流、河岸の砂の風痕。具
象的なものは何もなくともここにはそれが篭っている。しばらくは言葉もなく見詰
めていた。そうこうしていると小荷物が届いた。佐佐木方斎さんからで新しく出版
した「阿閉正美詩集」と「桜庭洋一歌集」各50冊であった。宿願だった故人の友人
の詩集と病院で知り合った櫻庭さんの歌集を一気に自費で出版した佐佐木さん
の熱意が伝わる本である。費用は自作品を売却して作ったと言う。阿部さんの北
海道との縁は1980年代の佐佐木方斎企画の現代作家展から始まったものであ
る。20年ぶりに佐佐木さんに会いに行こうという事で会場の展示も終えて急遽佐
佐木宅に向かう。急な訪問にも拘わらず阿部さんとふたりの話が弾んだ。私は何
かほっとして疲れがどっと出てしばらく横になって眠った。帰りに佐佐木さんも一
緒にギヤラリーへ連れて行く。着くと陶芸の下沢敏也さんと美術家の柿崎熈さん
がいた。たまたま前を通りかかり作品の存在感に惹かれ待っていたと言う。方斎さ
んも含めてしばし歓談する。その後柿崎さん、佐佐木さんが帰った後下沢さんの
誘いで平岸の彼の工房に向かう。プレオープニングで工房近くの居酒屋でご馳走
になる。ここでもふたりの話はある共通点も含めて盛り上がる。私は疲れと酔いで
ここでもしばし眠った。鉄という素材がこんなにも柔らかく表情豊かであることが、
きっと快い安らぎを与えてくれていたのかもしれなかった。

*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-09-11 12:09 | Comments(0)