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テンポラリー通信

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2006年 09月 06日

「アートドキユメント1990」の事ー秋のはなし(7)

「アートドキユメント1990」の図録には九州の山野真悟と群馬の福田篤夫が
北海道の佐佐木方斎とともに後記を書いている。山野真悟は場所性あるいは
地方に触れて作品にトポス(場所)などないという言説とトポスは作品以前にある
という言説を両方とも否定した上で次のように語る。<作品という作業によっては
じめて、トポス(場所)は形成されるものであること、むきだしのクリティカのため
に作品があるのではないこと、すでにあるものへの依存としてトポスがあるわけ
ではない>と書いている。また、福田篤夫は<「住まうこと」、「創作すること」、
「企画すること」、「発表すること」。この四つを同一地平で行なうことが、私の重
要なコンセプトといえます。>と書いている。その後の九州天神での山野の仕
事や群馬渋川でのコンセプトスペースでの福田の仕事を見れば山野はトポス
を天神市街に展開し福田は長屋のアパートを拠点に世界中の作家を今も招き
続けている。特に福田篤夫の四つの端的なコンセプトの提示は現在も変る事
無く続けられそのギヤラリーとしての活動も素晴らしいものがある。’90年代
佐佐木方斎が志した活動も多分このふたりの活動に影響され刺激を受けただ
ろう事は容易に想像できる。彼が自宅をギヤラリーとカフエスペースに改造し
コンピユーターを駆使してそこに新たな場を試みようとした事は紛れもない事実
なのだ。福田篤夫の四つのコンセプトを彼もまた実践しようとしたと思う。その後
の挫折をいろいろ解釈することはできても意味はない。ただ他のふたりに比べ
佐佐木方斎はこの時点で、後記のなかにもうすでに挫折が見え隠れしているの
である。3日ほど前のブログですでに触れている事だが<場>の問題ひとつとっ
ても佐佐木が従来の美術館という場にその時すでにあるジレンマにあった事は
その文章の篭もったような歯切れの悪さからも充分に窺がわれるのである。しか
しその後の挫折を他人事や個人の性癖等に矮小化して済ましてきた札幌の状況
は決して他人事でも個人事でもない事だ。<多様性と均一化の二重拘束の隘路
に入った現代社会>という佐佐木のこの時の指摘は自らの隘路も暗示しつつ、今
なお私たちの現在にも及ぶ指摘であると思う。たかだか3本の電線の切断にありと
あらゆる多様性の設備がすべて機能を失う均一性。六本木ヒルズに象徴される
高層で豪華な場の富の多様性に対しシンドラーのエレベーターや経済設計に集約
される均一な単細胞の陥穽。現実の方がこの言葉にどんどん追いつき追い越しつ
つあるのだ。アートドキユメント1990以降の佐佐木方斎が試み実践した志しと
その挫折は優れて現実を見透した感性を抜きには語れない。そして<作品という
作業によってはじめてトポスは形成される>という山野真悟の言葉の通り、彼は
すでに彼のトポスを作品によって形成していたのだと思う。今日のパブリックアー
トに繋がる山野真悟のような都市への展開の力技も持たず、福田篤夫の四畳半
ギヤラリーのような強靭なコンセプトも持ちえず孤立していった’90年代があった
としてもそれは個人の問題に帰趨するものではない。いつも外に向かって開いて
いたいと呟く孤立した個の孤独は今も同時代の個であるからだ。

*’80年代の軸心佐佐木方斎展「格子群」を中心にー10日まで
  am11時-pm7時北区北16条西5丁目1-8テンポラリースペース
  Tel、fax011-737-5503 email-temporary@marble.ocn.ne.jp

by kakiten | 2006-09-06 13:01 | Comments(0)
2006年 09月 05日

方斎さんの家ー秋のはなし(6)

休廊日の日佐佐木方斎さんの家に行く。二ヶ月ぶりだ。会期中のこと報告する。
加藤玖仁子さんの来廊小説家の桃谷方子さんの来訪を特に喜んでいた。’90
年代の初め桃谷さんの未発表の小説「赤富士」をチャットで流してしまい大変だっ
た事そのスッタモンダを懐かしそうに話していた。カフエとギヤラリーを併設した
ここの空間からコンピユーターを駆使し多様なジヤンルとの<外側に開く>関係
を発信していた時代の騒々しいまでの熱い空気をなにかその時ちらっと感じた気
がした。故村岸さんの追悼の場として佐々木さんの会場が重なってあり20代の
人たちが多く方斎さんの仕事を同時に見ていく話をした。嬉しそうだった。つなげ
伝えていかなくちゃなあと呟いた。そして今白に挑戦しているんだと言う。北海道
は白なんだ、その白を最後に残すんだと言う。見るかと言ってギヤラリースペー
スの今は作品庫になっている所に案内してくれた。準備の段階でまだ作品には
仕上がってはいないが確かに多くの白いキヤンパスがあった。そして見たことの
ない「自由群」と「余剰群」という作品集を奥から出してきた。これには吃驚だった。
’88年制作の豊かな色彩の作品だった。私は「格子群」を’80年代の方斎さんの
骨のようにそして「美術ノート」を中心にした運動体を肉体のように思っていたが
この初見の「余剰群」「自由群」の連作には花を感じたのだ。ああここに彼の作品
としての開かれた純粋な色と形があると思った。そしてこの作品はやはり黒い函
に収納されているのである。函の蓋を右に開きその内に一点づつ薄い紙に覆われ
作品がある。一枚一枚開きながら見ていく。不定形に重なり溢れて色彩がハーモ
ニーを奏でている。<外側に開いていたい>とかって「美術ノート」の後書きに記
した彼の’80年代の純粋な表象が作品としてここにあるような気がする。そして
この函の構造。開く行為から始る装丁。「格子群」「余剰群」「自由群」それらが三
つとも同じ構造の函に収まっている。この三部作は彼の志した場そのものであり
その純粋形象なのだ。現実の運動体やその他諸々の現実化過程でぼろぼろに
なったとしても作品の花は少しも痛められず開く行為と開かれた精神の表象を
輝かせていた。いつの日かこの三部作と未完の白の作品をあわせて見てみたい
と思った。それまでお互い頑張ろうぜ、そう心に込めて病床の方斎さんの部屋を
辞した。でも出る時先に”気をつけてな”と声をかけたのは彼の方だったが。

*’80年代の軸心佐佐木方斎展ー近作「格子群」を中心に10日まで
  am10時-pm7時(月曜休廊)
  北区北16条西5丁目1-8テンポラリースペース
  tel/fax011-737-5503
  emailーtemporary@marble.ocn.ne.jp

by kakiten | 2006-09-05 14:55 | Comments(0)
2006年 09月 05日

ジンギスカン鍋の火ー秋のはなし(5)

3日の日曜日夕方から隣のテーラーさん岩澤ご夫妻の呼掛けで村岸さんを偲ぼ
うと外の駐車場脇でジンギスカンが始った。近くの床屋さんも来た。岩澤さんとふ
たり白樺を抱いて耳を当て川の音を聞いている写真が村岸さんのホームページ
に残っている。酒井博史さん、河田雅文さんも来てささやかな人数だったが心の
篭もった宴が始った。昨日山口文庫の小山玲子さんが届けてくれたお花と森さん
の撮った多重露光の村岸さんの写真を近くに置いた。5月にここに引っ越してきて
まだ三ヶ月になるかどうかだったがその間会った何人かのひとりの村岸さんをこう
して悼む集まりがぽっとできるのも不思議といえば不思議な事だった。なにも大向
うを意識したセレモニーの要素は微塵も無い集まりだ。作品と人そこで触れた人の
世界。個から発して他者と繋がった思い出。それぞれの村岸宏昭。岩澤さんの奥
さん雅子さんの話が心に残った。仮オープンニングの五月、酒井さんのてん刻ラ
イブの六月。その時にお蕎麦や焼きそばを作って一番最後に全部平らげてくれた
村岸さんの顔が忘れられないと言う。あの時の顔がどうしても彼で白樺と家紋の重
なった写真の横顔は自分のイメージにある村岸さんではないと言うのだ。何度も言
った。普段は少し奥に引いて澄ましている控えめな印象が多い。滅多に見れない
が確かにお皿を片手に掻き食っている素顔の素直な22歳の顔がその時あったの
だろう。その村岸さんを岩澤さんの奥さんは忘れられなく可愛いと大事に想ってくれ
ていたのだった。ご主人の岩澤さんは男だけにそんなことはない、この写真は村岸
君だと言って何度も写真を手にとって奥さんの話を遮ったが最後はおとなしく奥さ
んの話を聞いていた。どこか透明な柱のように立ち気配を消すような所があったが
ちゃんと居た、いつのまにか最後には居た。岩澤さんの奥さんが記憶する彼はそ
の年齢相応に”居た村岸”さんだったのだろう。川や木の翳に隠れて澄ましても
もう見抜かれているぜ!村岸クン!岩澤さんが写真を宙に翳して誰に言うともなく
呟くように言った。<村岸君、見てるかなあ。きっと来てるよなあ>星も見えない夜
だったが近所の人や友人もふっと集まったそんな夜にジンギスカン鍋の炭火がい
つまでも赤かったな。

by kakiten | 2006-09-05 13:37 | Comments(0)
2006年 09月 03日

花が届いたー秋のはなし(4)

伊藤書房の岡倉秀明さんが来てくれる。一部古書を処分する。ここは初めてだが
気に入ってくれたようだった。「ここで続けて頑張って下さい」と帰り際語って帰る。
奥さんの佐由美さんは美術家でユニークな人だが今は病中と聞く。本人もリュー
マチとかで大変だったようだ。佐佐木方斎さんの事をさらにブログに打ち込むが
てこずる。一服入れ遅い昼飯を食べていると札大山口文庫の小山玲子さんが来
る。お花を持って来た。村岸さんへと言うことだった。たった一度村岸さんの会期
中に会って話しているのだ。東京の山口昌男さんの御宅で本の整理のお手伝い
をしている時村岸さんの訃報を聞いたと言う。遅くなったがやっと来れたと言って
お花を持って来たのだ。紫の川口淳の花瓶に白い花を入れた。前にそっと多重
露光の森さんの写真を添えた。故人の話から山口文庫の話になり、いろいろ苦
労話をうかがう。悩んでいるようだった。山口昌男が札大の学長時代学長室をギ
ヤラリーとして開放しまた個人の蔵書も文庫として開放したが退任後残された文
庫は彼女が切り盛りし映像を中心にやはり学外にも開かれたスペースとして頑
張っているのだが今福龍太さんも東京に行き山口色が薄れひとり疲れているよう
だった。アカデミックな世界で文化人類学者として学問上のオーバーフエンスを優
れて成し遂げた山口昌男の大学運営上でのオーバーフエンスが学長室の開放蔵
書の開放でもあった。その蔵書もマンガから雑誌と多岐に渡り狭い専門の枠を越え
たものである。若い小山さんが映像を主に山口文庫から発した上映会通信等の活
動はやはり山口昌男の活動を受け継いだ正当なものと私は思っていたから展示中
の佐佐木方斎さんの「美術ノート」や村岸さんの音楽家としての美術表現の枠の超
え方とか話しながら今個として闘われ実践されている事がそれ以前の時代では山
口昌男の山脈のような学問の運動、業績として、佐佐木さんのような美術の運動と
してあり今その根っこを村岸さんや小山さんのように個として受け継ぎ現在がある
、それが現代なのだから孤独に陥る事はないよと話した。黒い函の「アートドキユ
メント1990」から一枚一枚作品を手に取りを見ながら、”そう云えば私が来た時
村岸さんもこれは凄い、これはいいと言いながらこれを見ていたわ”と思い出した
ように言った。書き迷っていた昨日のブログの文の根っ子がふっと晴れた気がした
。書きかけの部分は後で直そうっと。そうこうしている内横浜帰りの田中綾さんが
来た。お酒とお土産を貰ったがその匂いに誘われたのか中川潤さんがもっそりと
現われる。田中、中川と両酒豪が揃い宴が始った。ブログの手直しは今日となっ
た。
 *’80年代の軸心佐佐木方斎展ー近作「格子群」を中心に。10日まで。
   札幌市北区北16条西5丁目1-8テンポラリースペースにて開催中。
 

by kakiten | 2006-09-03 12:42 | Comments(0)
2006年 09月 02日

’90年代への暗示ー秋のはなし(3)

詩、音楽、舞踏、彫刻、絵画等の表現の分野そして九州、関西、関東、アメリカ
等の地域の分野を縦走した「アートドキユメント1990」の図録で佐佐木方斎は
’80年代を振り返り、全国各地で同時多発的に進行していた美術運動につい
て触れた後次のように書いている。<さらに今日の美術運動には、美術の枠を
越えた多様な表現の交錯する状況をめざす傾向がある。それは、平面や立体、
映像や行為あるいは音楽や詩などがひしめき合う空間に、活性化された表現
に実相を求めようとする顕われであろうし、また作品の差異性をひとつの場の
なかで対比することで、多様性と均一化の二重拘束の隘路に入った現代社会
を反映させ、不確定な時代精神を暗示するものとして了解される。>
この文章はそれ以前の野外展示豊平河畔の時と比べかなりテンシヨンが低く
感じられる。一見論理的のようだが論理の論理であって空回りが目立つ。この
展覧会自体が近代美術館で開催された事でも分るように<場>の設定にすで
に論旨とずれが生じているのだ。彼が本来志した事の<場>は美術館という公
の中央の場ではなかったはずだ。そこはある意味で美術が囲われた<多様性
と均一化の二重拘束>そのものの場でもあるからだ。その場を選んだ事でシニ
カルに逆説としてあたかも語っているかのような固さがこの文章にはある。それ
はその後の’90年代の佐佐木方斎の沈黙をそれこそ暗示するようにある。しか
し彼が指摘した<多様性と均一化の二重拘束の隘路の現代>は多分今も変
わってはいないし、むしろますます様々な分野でその傾向は強まっている。多様
性はソフトの氾濫としてあり何でもあるけれど哲学や幹に当たる部分の貧困とし
てそしてその結果としての都市に象徴されるのっぺらぼうの均一化とバラバラな
風景がある。’90年代に入って彼は自らコンピユーターを駆使しチヤットをし、住
居をギヤラリーとカフエに改造し外側に向かって新たな場のネットワークを試み
、模索する。自らの生活次元で果敢に実践されたこの個の闘いは時に挫折の淵
に立ち病床の現在にあってもなお、同時代の個々の位相で運動体という形では
なくその内部に今根付いているように私には思われる。「アートドキユメント1990
」の図録とは別に100部限定で出版された記念版画集がある。黒の函に収められ
た全三十人の参加者の作品集である。音楽家は楽譜を詩人は詩を画家は版画を
それぞれ一点ずつ開きながら見られるように40×22cmの二層の函に収められ
ている。この美しくきりっとした函こそが’80年代の佐佐木方斎が目指した<ひと
つの場>であったように思う。多分あの豊平河畔の野外展で、あるいは「美術ノー
ト」の後書きで、あんなにも外側へ開いていた彼の志したものが美術館という箱で
は閉じざるを得なかった<隘路>を、この記念版画集の函においては多分理想に
近い形で実現させているのだ。そしてその函を自らの生活の場で実践しようとした
行動の挫折と失意の内に佐佐木方斎の’90年代があったと思う。その挫折は一
部スキヤンダラスな事件とともに埋もれていたが、今彼の体現した’80年代の仕
事は、その後運動体から個の次元で試みられた’90年代の孤独な実践とともに
現在に繋がる同時代の連続の内に在ると私には思えるのだ。

*’80年代の軸心佐佐木方斎展ー近作「格子群」を中心にして。10日まで。
   札幌市北区北16条西5丁目1-8テンポラリースペースで開催中

by kakiten | 2006-09-02 14:06 | Comments(0)
2006年 09月 01日

風を漕ぐー秋のはなし(2)

陽射しにはまだ夏の強さがある。しかし風は秋の味がする。大家さんのテーラー
岩澤さんが日曜日夕方外でバイキングして飲もうと言う。村岸さんを想い出してさ
と言う。夏の終わり村岸さん追悼のバイキング、気持ちだよね。お通夜にも御参り
に行ってくれた。村岸さんのホームページに白樺を抱いて川の音を聞いている人
たちの写真が載っている。最後の一枚に岩澤さんの写真がある。個展のあの時
間があって追悼がある。それが無くてバイキングもない。それだけ作品が何か人
の心に残したという事。いろんな場面に彼は出没していたが、7月の個展はやは
り彼のひとつの集大成であった。音の人、文の人、川の人、美学の人、語学の人
。そう最後にそれら全部を自ら演出し構成しようとした展覧会だった。見えない川
の音その水音がテーマだった。目の前に無い水をどう見えるように感じさせ得る
か。1本の吊り下げられた白樺の幹が象徴としてありそこから波及する連鎖のド
ラマに時代に対する批評も自然に対する愛着も幅広く込められていた。それは
具体的でストレートで時に素朴ですらあったから人は木を抱き耳を澄ましその展
示の演出に素直に頷いていたのだ。村岸さんのかけらをテーマに追悼展を考え
る人たちがいるようだが欠片は欠片でしかない。彼の中のいろんな要素を自らが
それらをオーバーフエンスして志した眼差しの共有こそが真の追悼になるだろう。
22歳の若さと不慮のしかも川での死という衝撃にこっちもアップアップしてはなら
ない。思い出の欠片を拾い集めるお通夜の延長をいつまでもしても仕方がないの
だ。森美千代さんが多重露光の村岸さんの写真を持って来てくれた。親戚の方が
個展中に届けてくれた家紋入りの袱紗と彼の横顔、白樺が一つになって写ってい
る。横顔の後頭部に家紋と白樺が重なっている。彼の展覧会自体を象徴するよう
な写真だった。多くのものへの関心そしてそれを表現する才能。それらををひとつ
にそれこそ多重露光するように企画した個展だった。彼が個としてオーバーフエン
スしようとした表現のある高みに時代の死としてのMがいる。一個の肉体の死が
残された生者にとっての社会的な死となりその死の道具立ての劇的状況に興奮
する当初の波紋が消えた時にこそ本当の意味が生きている者に問われるのだ。
映画に出演し、ライブハウスに出演し、文学の同人誌に所属し美術のグループ展
に出品し、大学の美学の講義に参加しと諸々の場面に彼の姿はあった。どれもが
彼であったろう。最後となった個展はそれらを包含しつつ自分を作り上げる結晶作
用を試みたものであったと思う。その自らの内部のオーバーフエンスこそが見えな
い水音をトニカに表現された個展のドラマであった。残された者は今日の生の現場
でそのMという結晶を多重露光するように引き受ける。それは欠片では、もうない。
陽射しに残る夏の光が秋の風とともにMを運んできた。’80年代の佐佐木方斎さ
んの夏のひかりに’80年代に生まれたMの風が吹いたのかも知れない。

*’80年代の軸心 佐佐木方斎展近作「格子群」を中心にー10日(日)まで
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

by kakiten | 2006-09-01 13:26 | Comments(0)