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テンポラリー通信

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2006年 01月 07日

あっという間に吹雪がきた

午前中病院へ行く。年末の検査の結果が出る。
心臓肝臓異常なし。ただ腎機能衰えあり。腎不全の恐れ。
来週栄養士の指導を受けるようにと。普段の食事は誰が・・
ちゃんとしてますか?答えはゴニヨ、ゴニヨ。

帰って突如吹雪ー真っ白な世界。
昨夜JAZZのトランペツター碇昭一郎氏来る。閉店のこと長内るみさん
から聞いてペット持って来る。2階のギヤラリーでしばし吹く。ここで
創ったオリジナル曲「ラストサマー」のテーマが響く。吹き抜けを通して
音が満ちる。高臣大介ガラス展の時来るかな~と呟く。彼のCDも2枚も
ここで録音された。しばしバーボンをストレート、岡島希久子さん差し入れ
のサカナつまみに飲む。彼とは長い付き合い言葉はあまり要らない。
トランペット持って来てくれ、ここで吹くだけで何もかも分かる。

彼の最新のCDにライナーノートを書いた翻訳家の石田善彦さんが
年末年始と連続してきた。この人は同じ早稲田出身だが、知り合った
きっかけは、田中民のCDでその後彼の力作「僕はアメリカ人のはず
だった」の翻訳出版パーテーイをここでしたときからの付き合いだ。
アメリカ生れの日系人の日本滞在記で、舞踏の大野一雄が出てくる。
大野先生はここで踊り、語り1991年一緒に石狩公演を実行したので
その事も石田さんとは縁となった。1週間に満たない間に2回も来てくれ
しかしだからといって何をしゃべったか取り留めなくなのだ。
南の沢の広い家にひとりで住んでいる。どうしようもない時は転がり込もう
かしらな~んて思う。明後日から高臣大介展搬入。そういえばその日TV
取材放映の予定。若い記者で大いにここを惜しんで張り切っていた。

by kakiten | 2006-01-07 12:33 | Comments(4)
2006年 01月 06日

再び根津からの手紙

前回のブログを読んで根津の小山内さんから再び便りがきた。

<公共、住民参加といった言葉が欺瞞的に聞こえてしまうのは、「上」
から一方的に与えられる、というニユアンスが含まれて使われているから
だと思います。が、本来あるべき「公共」とは相互関係ーある時は人を
介し、ある時はモノを介しーの前提の上に成り立つべきものだと僕は
思っていて、中森花器店の開かれ方にある種の希望を抱くのです。それを
「公共」と呼ぶべきかわかりませんが、中森さんは僕にその相互の関係性
の(僕は敢えて「公共」とよびたい)本来あるべき姿を提示してくれていた
のです。>以上が書こうと思った内容なのですが、メールで伝わればいい
ですね(笑)沖縄時代から住民参加という言葉に対し、ジレンマを感じ続け
ずっと引きずってきているのですが中森花器店のあり方にひとつの解を見る
気がするのです。>

小山内さんのこの場への深い想いを私は重く垂直に感じる。ひとつの言葉
へのこだわりが各々にあって、その拘りがひとつの言葉を深めて意識の
逆転を生む。たかだか言葉というなかれ。なんの変哲もないよくある言葉
ひとつにもその人の人生が懸っている。沖縄での生活も含めて<公共>
という言葉に小山内さんの今の建築設計の仕事も含めて彼の過去現在が
ひしめいている。それは、私自身も別のプロセスを通してそうである。
そのプロセスの違いは、生きてきた人生上の違いではあるけれど、その
求め、否定する現実上の眼差しは一緒だったのだ。と改めて今思う。
生れも環境も違う人と人が出会うのは、そういう時なのだ。その時オーバー
に少し言えば、意識の<革命>が起きる。言葉の<命が革(あらた)まる>
のである。この場所で出会った人、作品、生き方それらすべてを含めて
彼は<場>を語っている。そしてその場とは、具体的にはこの建物も含めた
ある拡がりの内にある。その拡がりとは円山北町を拠点としたさっぽろの
拡がりの内にある。<公共>とはそういう拡がりの内にこそ姿を現してくる。
そんなふうに、<公共>を感じた事はなかった。そんなふうに寄り添うように
顕われることはなかった。
<私有>する力との立ち退き訴訟に敗れた今、小山内さんのいう<開かれた
公共>は私を勇気付け、インスパイヤーしてくれる。
私たちは、別の次元で<私有>の闘いを<革めた>のかもしれなかった。

by kakiten | 2006-01-06 13:17 | Comments(0)
2006年 01月 04日

新年の手紙

昨年暮れ近く東京の根津に引越しした小山内裕二さんから小包届く。
彫刻家故若林奮の<銅・弧>という個展のカタログと藤原新也の<メメントメモリー
>サイン本の2冊が入っていた。どちらも彼とよく話していた作家であった。手紙が
添えられていた。中で<公共的>という言葉が胸を打った。何故か。私はしばしば
その言葉を否定的に使ってきたからだ。美術ではパブリックアートを批判する時に
また都市論では公共事業の直線の都市計画を批判する時に、基本的に対峙する
概念としてその言葉は私にはあったのだ。しかしここではそうではなかった。
こんなに寄り添うように<公共的>という言葉が使われ様とは思わなかった。

ー立ち退きの件、度々経過を教えてもらっていたので驚きというより、何か
 静かな悲しみを感じました。中森花器店との出会いは石田くん(映像作家ー注)
 の「フーガの技法」の展覧会でした。その後度々出入りし、中森さんと飲食し
 語り、批評し。。僕にとって大きな大きな意味を持つ「世界」でした。あの場所が
 なくなる、というのは僕にとってひとつの「世界」を失うことです。たくさんの人々
 が「憩い」を共有している場所であるということ、中森花器店は真の意味で「公共
 的」な場所である証だと思います。-

小山内さん!勝手に引用してごめんなさい。私はブログにも年末に書いたけれど
公共の名のもと市街地再開発で変質した所で生れ育った訳で、それが闘いの原点
のようにあって否定の影がこの言葉には付いて回っているのです。
勿論真の意味でと書かれていますが、私には逆転して使われていたものですから
少なからず”はあ~!”という感じでした。でもとても嬉しかったです。

ー同時代を生き抜く同士として、譬えお互いが息を潜めて世界を眺めていても
 その「想い」は同じです。「想い」を共有できる人が存在すること、それだけで生
  きている価値があるのでは、というのが最近感じることです。

彼にとっては一年と何ヶ月かのさっぽろだったが、石田尚志さんの映像がきっかけ
で知り合い、それからいつも彼は眼をキラキラさせて、ここに入って来た。
ここにくる時のあの眼の輝きは忘れ得ない。またふたりが共通する彫刻家若林奮
は私は詩人の吉増剛造さんを経由していて、小山内さんからはより美術の方から
の知識、資料を教示された。若林さんに限らず彼は掛け替えの無い鋭い美術の眼
の人だった。送って頂いた本はそのまま2人の眼の「想い」の証だったと思う。
距離や環境の違いに関らずこれからもまた、眼をキラキラさせた彼に逢うだろう。
私は私の<公共>を逆転してくれた彼の友情をわすれはしない。 

by kakiten | 2006-01-04 15:54 | Comments(4)
2006年 01月 03日

水天宮と若水

元日ー水天宮にお参りに行く。真新しいしめ縄。本宮と左横に中と小
のお宮。人は誰もいない。順番に祈る。
25年前の夏円山北町ー西28丁目で界川に遭う。大雨による増水から氾濫し
存在を知る。そして川の街さっぽろの大元締旧さっぽろ川を祭るところがここだ。
この日一日酒を飲む。

2日ー若水を取りに行く。モイワの麓。それから少し先の白龍大社を
詣でる。マンシヨンの駐車場の奥ひっそりと鎮座する。プレハブで囲われ
なかは見えない。かすかに木の波のような彫刻と鏡がある。これも水の
神様と思う。<千と千尋の神隠し>で<白>という龍が川で出てきた事を
思い出す。一緒に行ったハンコ屋さんの酒井博史さんが<こんなとこに>と
感心した。2人でそば屋探すが開いていなくて、ファミレスで飯を食い、店に
戻る。正月という事で酒を飲む。酒井さんのお父さんの話を聞く。職人さん
だったんだなあ。そういう人がある時代までいたなあと想う。竹の職人さん
簪を直す飾りやさん、木箱を作る箱やさん、ハンコ屋さんもそういう人達の
ひとりだったんだと改めて思う。街もそういう人の住む界隈があった。
看護士の2人が来る。ここを惜しみ、ここの白樺の木を好きな人たちだ。
仕事柄人間の生死に立ち会う事の多い人が、ここで寛ぎ、ここを惜しんで
くれることになにか例え様のないものを感じている。一般の仕事と違い日常
生と死に敏感な若い感性が深い所で真っ直ぐみっめているのがわかるのだ。
口惜しんで、惜しんでくれる、ひとりの人間の気持ちが伝わってくる。
なんの利害もなく純粋に、ひよつとして人の生死以上に個として。
4人でそれから取り留めない話をして飲んだ。酒井さんは健康を注意され
、僕もさりげなくたしなめられた。そうです。身体に気をつけ頑張れという
女神のお告げと思います。いい時間だった。
昨日今日と飲み、顔も洗っていない。女神さまに失礼したなあ。
顔洗って出直せとの御宣託かもしれない。

by kakiten | 2006-01-03 15:53 | Comments(0)