人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2020年 03月 22日

麦穂の風ー荒地(16)

正午12時開廊とほとんど同時に人が来る。
少し空いて、午後人が絶えない。
作品は麦畑の風も運んできたのだろうか・・。
吹き抜け西の窓傍の長椅子に座りながら、吹き抜けを抜ける
麦の織物が放つ光を見ている。
階下では作家を囲んで話が弾んでいる。
麦畑の風が人の形をして舞っている。
この一週間びっちり会場に居た秋元さなえさんの仕事の
都合もあり、またまだ見ぬ人の要望もあり、不定期だが
来週も29日日曜日まで作品はそのまま展示を続ける事
にする。
月曜日は定休日で休廊だが火曜日24日は12時から午後
7時まで。
水曜日は私の都合で休廊し、木曜日は平常通り、金曜日は
秋元さんの都合で未定、土曜日曜は平常通りと不規則だが
そんな予定で作品は見れます。
なお今村しずかさんの唄のライブも土、日どちらかで
流れる予定です。
歌手今村さんは2005年亡くなった姉はまなさんの遺稿
集「私もその自然の中の一部なんだ」を2011年3・11
に触発され出来た曲「この世界に」に歌詞として取り入れている。
今回秋元さんの麦の素材の作品を見て、何かが心の中で突き動
かされたようだ。
ふっとこの麦の織物と皮と種子の造形、絵画の中で歌ってみた
い感じたと思う。
少し唄から離れた歌姫の心が麦畑の風に乗った。

今暫く風景を織る展示は人の心の風と共に編まれる。

*秋元さなえ展「ランドスケープ」第二章ー不定期3月29日まで。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-03-22 17:43 | Comments(0)
2020年 03月 19日

風景を織るー荒地(15)

秋元さなえ展が始まった。
3日間展示作業を翌朝まで続け、細かな展示ディテールを
調整していた。
その成果が会場全体にぴーんと活きている。
1m60cm☓45㎝程の横長の麦畑の絵画3点と吹き抜けを
抜ける麦の織物が呼応し、心地良い空間を保ち象っている。
朝・昼・夕・夜。
光りが麦穂・茎から煌めきを惹き出す。
稲と並ぶ人類の主食のこの植物。
我々は何時の間にか、粉・粒に加工されたライス・パン粉と
してしか見えなくなった。
そして本質的な故里の風景を喪失しつつ、今を生きている。
タワー構造のような大都市圏に吸い込まれず、自分の故里の風土
・歴史・地形に常に拘りながら造形化し、描き続けて来た秋元さ
なえの精進が、風景を編む・織る豊かな作品となって展開されて
いて、<里>はその<故(ゆえ)>を再生されて在る。
それは秋元自身の作家としての<故里>の再生でもあるだろう。
個としての、小さなしかし深い継続・努力が彼女の里(ランド)
を拓いたのだ。
便利・快適・安全神話の社会インフラ人工環境に慣れ切った我々
は自然の恵み・畏れを忘れ、先人が築いた里山・里海という自然
との共生界(さかい)を失念し続けている。
自然は人間の為のインフラではない。
地球生命トータルの環境なのだ。
今人間社会を覆っている新型コロナというウイルスもまた
ミクロの地球生命である。
開催が危ぶまれている東京オリンピック。
過去3度の戦争に拠る中止があり、ヒットラー・ドイツの
政治利用があり、モスクワ開催ボイコットもあった。
新型コロナに負けずに東京開催を、という希望は分かるが
先ずオリンピック自体が戦争を否定し人間社会の平和を
願うものであり、自然生命との戦いに拠り産まれたもの
では本質的にないのだ。
ウイルスに勝つという命題が先行し議論される風潮があるが、
本来恥ずべきは戦争に拠る中止が三度もあったという歴史の
方ではないのか。
政治・経済主体という人間社会の自然に対するある種の傲慢
不遜が背後に在るような気がする。

秋元さなえが試みた故里の風土を織る行為表現は、本質的な
意味で今、自然との共生世界の再生を願う優れたメッセージ
に溢れていると私は思う。

*秋元さなえ展ー3月17日〈火)-22日(日)
 am12時ーpm7時

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




# by kakiten | 2020-03-19 18:43 | Comments(0)
2020年 03月 15日

秋元さなえ展展示作業中ー荒地(14)

14,15,16日と秋元さなえさんが展示作業を続けている。
石狩河口に近い故里江別の風土を素材に表現テーマを深めて来た
ここ何年かの仕事が、ひとつの成果として新たな深化を感じさせ
る気がする。
初めて見る絵画、大きな横長の麦畑風景画2葉。
吹き抜けを斜めに貫く長い麦の織物。
今回展示のタイトル「ランドスケープ」は、故里の対岸内陸の
それだ。
広く広がる麦畑。
その麦穂を使って織り上げたゴザ布。
これまで江別界隈の風土、川や山に拘って探索の写真や歴史的
由来を作品の核に据えていた表現が、今回は風景を自らの手で
編み、描き、織り込んでいる。
自らの足元(land)を耕作(cultivate)している。
そして風景(landscape)を編んでいる。

展示中メインとなる上記作品が先ず飾られた。
作家はあくまでも個として、両掌を使いこの故里風土に触れ
深化している。
この孤独な行為を、表現の濃い踵の作業として続けてきた美術
作家秋元さなえに敬意を表したい気が今している。

*秋本さなえ展「ランドスケープ」-3月17日〈火)ー22日(日)
 am12時ーpm7時

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-03-15 16:22 | Comments(0)
2020年 03月 10日

喪われた10年ー荒地(13)

生涯人前で大野一雄を父と呼ぶ事のなかった慶人さんの
喪われた10年を思う。
唱和13年慶人さんが生まれた年、大野一雄は召集され
戦場へ向かった。
それから昭和23年まで大野一雄が帰国するまで家族は
一緒に住む事はない。
10歳になっていた慶人さんは、見知らぬおじさんをど
う思って過ごしたのだろう。
それでも父という人の背中を追って、同じ舞踏の世界に
入ったのだった。
国家・社会の軋轢に拠る戦争という時代がこの喪われた
10年を生んだ。
戦後という時代の原点には、戦争という荒地・心の荒廃が
ある。
戦争に拠って断絶した西洋舞踏・ダンスへの憧れを、大野
一雄は復員帰国後即座に再開した。
西洋のポエムに啓発され現代詩の道を志した鮎川信夫の戦争
体験を経た詩の道とどこか響き合うものを私は感じていた。

 たとえば霧や
 あらゆる階段の足音のなかから、
 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す
 -これがすべての始まりである。

            鮎川信夫「死んだ男」冒頭

湯川信夫の<遺言執行人>とは、帰国途上大野一雄が船から何度
も見送った戦友の水葬、その時集まってきた水母の群れ。
その想いを帰国後「雲母の踊り」として踊り続けた事に繋がる
死者への想いと思う。
私達が曖昧に呼ぶ現代とは、この多くの無名の死者たちに縁どら
れた戦後から始まっている。
3・11東日本大震災に象徴される大津波・大地震・原子力発電
所崩壊のこの9年とは、故里の崩壊・近親者の不在という見えな
い廃墟、心の荒地の存在を顕かにした気がする。
大野慶人の心の孤児の体験は、現代の始まり、基底として近代
と現代の橋上のように在る。

 私はなにをしてきたのだろうか?と思います
 いつのまにか”舞踏”にいたのです。
 どうかお許しください、勝手な行為。

この慶人さんの遺されたメモのような短い独白に、私は彼の
生きて来た戦後という近代と現代の界(さかい)を思うのだ。
<いつのまにか”舞踏”にいたのです>は、きっと<いつのまにか
”父”の背中、父を見詰め追い駆けていた>事と私には重なるのだ。
戦後という膨大な死者たちの近代の荒地を乗り越えて、自己に
とっての真のモダニズムを闘いとる父の舞踏の背中を感じながら。
<私はなにをしてきたのだろうか?・・>
この問いは現代を生きる私達すべてに通じる基底低音・トニカ
のように私は感じている。

 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もいなかった。
 ・・・・
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつつこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 ・・・・

鮎川信夫「死んだ男」のこの最終行に響くものは、戦争・自然災害を
問わず理不尽な死・無念の死を見詰める死者と生者の眼差しのように、
思えてならない。
私達の現在とは、この<太陽と海>の崩壊の欄干に縁どられて
いるからだ。
大野慶人の孤独は、私たちそれぞれの9年目の3・11の孤独
に繋がるものなのかも知れない。

もう一度逢って話ししたかった、慶人さん・・・。


*秋本さなえ展「ランドスケープ」ー3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 



 


# by kakiten | 2020-03-10 18:37 | Comments(0)
2020年 02月 23日

大野慶人追悼展始めるー荒地(12)

吹雪のように高臣大介ガラス展「あふれでる」が終わり、
次回予定秋元さなえ展「ランドスケープ」の合間に急遽大野
慶人追悼の展示をする。
大野一雄の資料は大判ファイル4冊程あるが、慶人さんの
資料はその中でごく僅かだ。
しかし資料は量が全てではない。
私なりに関わった範囲で構成してみた。
そこへ横浜在住・福島浪江ご出身の原田洋二さんから慶人さん
の近年撮影された写真が送られてきたので、大野一雄さんの
遺影とともに飾る事にした。
メイン展示は、「睡蓮」一雄・慶人舞踏のポスター2葉と同じく
ふたりがメインの「天道地道」のポスター1葉合計4葉だ。
「睡蓮」のポスターに揮毫された文字は郡司正勝さんに拠るもの
で、慶人さん最後の舞踏独演「ドリアングレイ最後の肖像」の台本
原案を提供された方でもある。
そしてこの「ドリアングレイ最後の肖像」公演時の資料を展示に
加えた。
さらに1991年9月「石狩の鼻曲がり」のドキュメント本
(かりん舎刊)を10冊積んだ。
最後にふたりの生きた時代・社会を現代として象徴・俯瞰する意味
で現代美術作家沖縄・豊平ヨシオの作品を一点飾った。
大野一雄のニューギニアの戦場・捕虜生活、帰還の水母と死者の
海を、そして10歳にして初めて父の顔を見た慶人さんの子の孤独
な心の亀裂を、豊平ヨシオの作品は現代に通底して顕していると
私は感じているからである。

 私はなにをしてきたのだろうか?
 いつのまにか”舞踏”にいたのです。
 どうかお許し下さい、勝手な行為。
 お時間がございましたら、どうかお出かけ下さい。

 いつも心から感謝しております。
 
                   大野慶人拝
今回資料ファイルから出て来た慶人さんのメモ書き。
生涯父と人前で呼ぶ事のなかった子・慶人の孤独な舞踏の道
を、私は私の生きている現在、その見えない根の呟きを深く
呑み込む様に見詰めていた。

*大野慶人追悼展「記憶と現在」-2月25日ー3月8日
 am12時ーpm7時:月曜定休・水・金午後3時まで。
*秋元さなえ展「ランドスケープ」-3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2020-02-23 17:56 | Comments(0)
2020年 02月 09日

八年目の源泉ー荒地(11)

札幌偕楽園緑地・清華亭に湧く琴似川源泉、アイヌ語名
ヌプサップメム(野傍の泉池)に、今はない泉をテーマ
に始まったこのシリーズ。
8年目の今回ひとつの節目、達成感を感じる。
一週目の器主体の展示中の暖冬天候が今週に入り一転。
真っ白な大雪と寒気によって、軒下の氷柱が伸び、地上の雪面
の反射光が見事に作品を浮き上がらせている。
八百本の展示中央の作品群は、あたかも溢れる泉の池のように
陽光を煌めかせている。
大介の泉池だ。
後は溢れ出て川となり、世界の河口へ向かうが良い・・・。

昨夜は美術館のÝ氏、新聞社文化部だったi氏が来て、気持ち
の入った良いお酒を飲んだ。
このふたりがこんなにも酔った姿を見たのは初めてだった。
このふたりが酔ったのはお酒の所為ばかりではない。
作品の保つ力に拠る処が多い。
作品の発する美音と美光にも酔ったのだ。

今日最終日。
天気にも恵まれ美しい午後の光が会場に溢れている。
高臣大介、八年目の「野傍の泉池」。
見事なフイナーレであり、新たな出発である。

*大野慶人追悼「記憶と現在」-2月25日ー3月8日
*秋元さなえ展「ランドスケープ」-3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-02-09 15:56 | Comments(0)
2020年 02月 04日

後期展示「あふれでる」ー荒地(10)

朝初めて高臣大介展後期インスタレーションを見て
感慨深いものが湧き上がる。
2012年2月かって泉池があった清華亭のハルニレの
枝に泉の水をイメージして吊り下げた透明なガラスの雫。
そのシリーズが8年の歳月を経て、豊かな暖かい八百本
の透明な森の繁みのように煌めいている。
タイトルの「あふれでる」は深化して、<抱く><抱擁
する・・>ように存在している。
折りから、昨日までの暖冬で軒下に無かった氷柱が今朝は
窓に浮かび、透明な野傍の泉池のガラス柱と呼応している。
愛娘の2歳の野ばらちゃんがガラスに触れ音を流し、ハイ
テンションで走り回っている。
透明で冷たいはずのガラス柱が、暖かな光と音の心躍る
ガラスの梢・森となっている。
泉の水温があたかも冬には暖かく、夏には心地よく冷たい
ように、この透明なガラスの泉たちも、暖かく抱き、響き、
<包みこむ>ような透明感に満ちている。
都市化によって喪われた豊かな泉池。
8年前の泉との出会いが、見事な甦りを今作品として顕して
いる。
窪みーコッネイ(KOT—ne―i)に湧いた野傍の泉池(ヌプ
サムメム)。

琴似川の源泉が喜んでいるぜ。
大介君、ありがとう・・。

*高臣大介ガラス展「あふれでる」-2月4日〈火)ー9日(日)
 12時ー午後7時
*大野慶人追悼「記憶と現在」展ー2月18日ー3月8日
*秋元さなえ展「ランドスケープ」-3月17日(火)ー22日(日)

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503





# by kakiten | 2020-02-04 14:34 | Comments(0)
2020年 01月 28日

高臣大介ガラス展始まるー荒地(9)

今の時期恒例の高臣大介ガラス展が始まる。
今年も1週目は各種器の販売。
2週目はインスタレーションで「野傍の泉池」8百本で
構成される。
札幌サクシコトニ川の源泉、知事公邸、植物園、清華亭に泉池
として湧き上がる泉をテーマに百本から始まったこのシリーズ
当初千本を目指す、と言っていたが一昨年の四百本から今年は一気に
倍の八百本となった。
しかしある意味では八という数字は日本人にとって最大を顕す数字
ではないだろうか。
八百万の神、八方塞がり、八百長、嘘八百、八百屋、八卦、八重
八方美人・・・。
どれも全方向、全量の最大数である。
そこまで作者が意識したかどうかは分からないが、今回がひとつの
集大成である気がする。

泉の水温は夏は冷たく、冬は暖かく感じる。
しかし泉の水温自体は年中変わらぬという。
そこから高臣大介は、千葉から移住してきた洞爺の気候風土の
相違を克服し作品に打ち込む何かを得たと語っていた。
俺は俺のエネルギーで環境に囚われず自分の作品に打ち込めば
良い・・・。
そこから始まった彼の創作エネルギーは、自らが湧き上がる泉
のように千本を目指す作品の一滴となったと思える。
私的な事だがこの間に結婚し子供をもうけ、父母・祖母を工房の
ある洞爺の地に招いたのだ。

地に根差した生き方と作品の幸せな合体。
これもまた彼の吹く作品の土。
そして花、と私は思う。

*‘高臣大介ガラス展「あふれでる」-1月28日ー2月2日「器を主に」
 2月4日ー9日ーインスタレーション

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

 



# by kakiten | 2020-01-28 17:09 | Comments(0)
2020年 01月 19日

大野慶人さんと「この道」ー荒地(8)

舞踏家大野慶人さんが亡くなられた。
大野一雄さんと共に、舞踏を国際語にまで知らしめた
勝れた舞踏家だった。
思い起こせば慶人さんとの忘れ難い記憶がふたつある。
一つは初めてお会いした1991年9月大野一雄石狩河口
公演の前夜祭打ち上げの席。
私の席に近付いて慶人さんが問うたのだ。
何故私は石狩河口で踊るのか・・と。
東京生まれ横浜育ちの慶人さんには、父一雄さんに従い
石狩まで来たものの自分なりの納得が欲しかったのだろう。
私は札幌の見えない川暗渠に沈む界川から始まった自分の
札幌への熱い想いを語ったと思う。
解ったと言って翌日「石狩の鼻曲がり」公演で見事な舞踏を
披露してくれたのを今も忘れない。
もう一つの記憶は、晩年生まれ故郷札幌に住んでいた歌舞伎学の
権威早稲田名誉教授の郡司正勝先生の自宅を訪ねた時の事である。
この日は実は郡司先生が慶人さんの為に書き下ろした台本「ドリア
ングレイの最後の肖像」の2回目の打ち合わせの日だった。
しかし郡司先生の急死でちょうど初七日にあたり、慶人さんは
独りでお詣りに尋ねて来たのだ。
そして私に郡司先生の家まで案内を頼まれた。
郡司先生は私の母校早稲田の教授でもあり、大野一雄の良き
理解者でもあったのでふらっと画廊に尋ねて来る事もあって
行き来があったのだ。
琴似川の支流源流に近い山奥宮の森のご自宅でお詣りを済ませ
タクシーで当時円山に在った画廊に帰る途中、北一条通りで私は
ふっと慶人さんに語った。
<この通りが北原白秋の「この道」の元になった道ですよ・・・>
すると慶人さんの顔色が変わったのだ。
自分が父の背中を追って舞踏の道を志した時最初の独り舞台で
使った曲が「この道」だったと言う。
そして郡司先生の「ドリアングレイの最後の肖像」初演の時、
スペインから来た振付師ジヨアンに使う曲を相談したら、この
曲が良いよと推薦したのも「この道」だったという。

郡司先生は大野一雄とはまた違う大野慶人の魅力を見抜いていたに
相違ない。
生涯2度の独り舞踏の両方に「この道」が選ばれたのは単なる
偶然であろうか。

私は死者を水葬しその度に汽笛を鳴らし、水母の群れが追いかけてくる
そんな海を渡って復員した父大野一雄と、10歳にして初めて暮らした
慶人さんの長い父子の時代の溝を想う。
そして石狩河口公演後、稽古場でいつも使っていたというプレスリー
の曲「好きにならずにいられない」を父一雄の死後一雄の指人形を
付け踊っていた慶人さんを想う。
米国黒船により鎖国を解き国を近代へと開いた明治・大正の日本。
初めて西洋ダンスに触れ、その身体表現を舞踏として戦後独りで
世界に発信した大野一雄。
生涯人前で父と呼ぶ事のなかった大野慶人。
この二人の父子の孤独な闘いは、エルヴィスプレスリーーの曲を
通して初めて<親身な>親子の真の近代という回路を開いた気がする。

二人の近代と現代の亀裂を乗り越えた闘い。
舞踏という近代が保つ戦前・戦後という亀裂を、子としての大野慶人
は繋ぎ、貫き、生きたのだ。
そして、3度目の独り舞踏を石狩川の支流・源流の眠る札幌の地で実現
したかった、それが石狩河口の大野一雄、源流の大野慶人の「この道」
として、私には口惜しまれる。

              -北海道新聞夕刊1月24日掲載原文

*高臣大介ガラス展ー1月28日ー2月9日
 前期1月28日ー2月2日・器展
 後期2月4日―9日「あふれでる」インスタレーション

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2020-01-19 18:09 | Comments(0)
2020年 01月 09日

大野慶人さん・・・-荒地(7)

3日前横浜へ電話したばかりだった。
言葉にならない声音だけが短く受話機に響いた。
すぐ声が女性に変わって、話すのが今困難なのです。
でも段々よくなってきてます・・・と告げた。
私は今年必ず一度伺います、と伝えて電話を切った。
今日その大野慶人さんが亡くなったと連絡が来た。
深い気持ちが湧き上がる。
大野一雄・慶人というひとつの時代を想う。

1991年9月大野一雄石狩河口公演「石狩の鼻曲がり」で
初めて会い、その前夜祭の後慶人さんが話しかけて来た。
”何故自分は石狩河口で踊るのか、よく解らない・・・”
私は札幌から何故石狩河口まで繋げたかを、札幌円山の地下を
流れる暗渠の川界川から始まった都市と自然の共生のテーマを
熱く語った。
東京生まれ横浜育ちの慶人さんが父大野一雄に従い、石狩河口
の茫々たる大自然を前にしてそこで自分が踊る意味を卒直に
主催者である私に疑問をぶっつけてきたのだ。
今考えれば、太平洋戦争を体験し戦前・戦後というふたつの時代
を生き抜いて来た父と東京と横浜で育ち10歳で初めて父と逢った
子との見えない時代の深い溝がそこには在ったのだろう。
大野一雄は同年2月の吉増剛造展「午後7時の会話」で初めて
お逢いした時私の石狩河口公演の申し出を即座に快諾してくれた。
私は感動してこの公演のポスタータイトルを「石狩の鼻曲がり」
ではなく「石狩みちゆき大野一雄」とした程である。
生涯<父>と大野一雄を人前で呼ぶ事のなかった慶人さんの見えない
屈折が、今となって石狩河口前夜祭の問いかけで思い起こされる。

一昨年2月吉増剛造「舞踏言語」の出版記念会で、指人形の大野一雄
とともにプレスリーの「好きにならずにいられない」の歌曲でひとり
舞踏した慶人さんは、父一雄亡き後始めて肉親一雄を抱いていたと
私は思う。
日本の大きな意味での近代を生き抜いた大野父子。
近代開国の扉をアメリカの黒船がその扉を叩いたように、戦後アメ
リカを代表するポップ歌手エルヴィスプレスリーの歌曲が、ふたり
の父子の見えない近代の壁を開いたのだ。
戦争に拠って引き裂かれた父子の間に深く横たわっていたふたつの
近代という深い溝。
それはあたかも暗渠となった都市の川のように見えない血脈と
して流れていた。
自らの指の一部となって、共に舞踏した父一雄。
そこに、遮り、閉じて分離する近代はない。
あるのは伸び伸び流れ脈打つ舞踏という真の近代だ。

慶人さん、お会いしてお話ししたかったのは、その事です。
西洋のダンスを舞踏として日本近代に根付かせた大野一雄
さんの志を、慶人さんの舞踏としてもう一度見たかった。
郡司正勝先生が晩年最後にあなたの為に遺してくれた台本
「ドリアングレイ最後の肖像」を一緒に実現したかった。
源泉が源流となって沈んでいる札幌の街の中で。
あの指人形の一雄さんの河口への想いと共に。

お別れにプレスリーの「好きにならずにいられない」を
唱和させて下さい。

 海へと確実にそそぐ川のように
 流れに身をゆだねるべき時もある
 さあ手を取って、この命を捧げよう
 君を好きにならずにいられない


 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2020-01-09 15:54 | Comments(0)