テンポラリー通信
2022-06-19T14:27:44+09:00
kakiten
ギヤラリーを窓口に見える世界
Excite Blog
高臣大介ガラス展最終日ー風の土(5)
http://kakiten.exblog.jp/32568285/
2022-02-06T18:20:00+09:00
2022-06-19T14:27:44+09:00
2022-02-06T18:20:36+09:00
kakiten
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除雪で車道が片道通行。
しかし、展示会場は、観客切れ目なく、千本を超える
氷柱のガラス作品に雪の反射光、軒下の本物の氷柱も
映えて美しい。
築70余年の木造古民家の梁木の強靭さに改めて驚く。
1トンは優にある千本余の透明なガラス作品<野傍の
泉池ーヌㇷ゚サㇺメム>。
2012年2月から始まった高臣大介の辿り着いたひとつ
の折り返し展が、人と雪に抱かれて終了する。
同郷のDJN0BU作曲の演奏が流れる。
生まれ故郷千葉県より洞爺湖湖畔に移住し、夏冬
常温で湧く泉に魅かれ、軒下の氷柱をモチーフに
「野傍の泉池」百本からスタートしちょうど10年。
千葉県から風のように移住してきた高臣大介は
自分自身の、新たな風の根、土を得たのだ。
今年1月ベルリンから帰国の谷口顕一郎・彩子展、
2月今回の高臣大介展と、ふたりの移住者の風の根・土
を象徴するような作品展が拓かれて、二臓を病んだ
三蔵胞子翁の私は、強く励まされたのだ。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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泉と舟ー風の土(4)
http://kakiten.exblog.jp/32559690/
2022-01-27T18:03:00+09:00
2022-01-27T18:13:56+09:00
2022-01-27T18:03:10+09:00
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その遺構を素材に幾つもの断片を再構成した谷口顕一郎・彩子の
力作はまるで船のように宙に浮かんでいた。
2005年シベリアを経由した欧州へ移住の旅を経て辿り着いた
ふたりのひとつの到着点ともなる作品だ。
一方千葉県より北海道洞爺に移住した高臣大介は2012年
2月九州在住の鉄の作家阿部守との二人展を琴似川源流に湧く
清華亭庭の今は枯れた源泉ーアイヌ語地名ヌㇷ゚サムメム(野傍
ノ泉池)をテーマに今回の作品に至るスタートをきったのだった。
扇状地である札幌には至る所に水が湧き、特に大きな泉は池となり
時に川の源泉ともなった。
都市化と共に消え去ったこの泉池の存在がガラス作家高臣大介
の心を何時か捉えて、自らの作品のモチーフとして水滴のような
作品を創り始めたのだ。
軒下に浮かぶ氷柱と源泉に湧く一滴が重なり作品量は
百本の展示からスタートした。
そしてそれは毎年百本づつ数を重ね、今年当初意図した千本
の展示に至ったのだ。
旅をしてある地域に移住をし、根を張る。
北海道から欧州へ、千葉県から北海道へ。
風は流れ、風もまた根を張る。
ふたりそれぞれの、ふたりの風土創生。
ふたりの風の根が新たな風土を耕して、新たな耕土(カルチャー)
を産む予感に満ちたサッポロの1月・2月と想える・・。
*高臣大介ガラス展「ヌㇷ゚サムメム」ー器展1月30日〈日9まで
2月1日ー6日インスタレーション
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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深く歩くー風の土(3)
http://kakiten.exblog.jp/32533271/
2021-12-28T16:34:00+09:00
2021-12-28T16:40:32+09:00
2021-12-28T16:34:03+09:00
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柔らかい雪の路面と凍てついた路面の続く真冬の道を
よたよたと歩く。
心臓、腎臓を患った三臓胞子の私に相応しい杖だ。
個展後の休養、売れた作品のお届け等に忙殺されるケン&アヤ
に変わり会場中央の大きな作品解体を残し、花人村上仁美さん
のオリジナル〆飾りの花屋が開店した。
稲穂本来の美しさを人工的な装飾で埋め尽くした現代の〆飾り
に対峙する花人の〆飾りは、新鮮で好評である。
旧石狩河口沿いに遺る自然工法の単床ブロックを素材に再生
されたケン&アヤの奔放な作品を囲い込む様に〆飾りと花が
囲繞している不思議な空間となった。
今月末25日からは、2012年から始まった高臣大介のライフ
ワークの集大成ともいえる「野傍の泉池」ーヌㇷ゚サㇺメム展が
始まる。
千葉県より洞爺湖畔に移住し雪と凍土の環境で自らのガラス造型
を追求してきた高臣大介の大きな節目となる個展だ。
谷口顕一郎と高臣大介は、テンポラリースペース円山北町時代から
の友人同士だ。
図らずも年をまたぐ年末ー新年ふたりのライフワークが連なって
続く。
私もまた山スキーのストックを突きながら、何処かで人生上の
大きな節目に向かっているらしい。
ハミガキブログならぬヨチヨチブログをストックに、明年もまた
歩き続けたい・・・。
*高臣大介ガラス展「ヌㇷ゚サㇺメム」-1月25日ー2月6日
前期1月25日(火)ー30日(日)器展
後期2月1日(火)ー6日(日)インスタレーション
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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風立つー風の土(2)
http://kakiten.exblog.jp/32525436/
2021-12-19T17:04:00+09:00
2021-12-19T17:14:42+09:00
2021-12-19T17:04:14+09:00
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出版されたばかりの、ケン&アヤの本「世界凹み旅」も
好調な売れ行き、作品も好評ですでに何点か購入された
という。
不在がちな私に代わりケン&アヤは付きっきりで多忙だ
が、嬉しそうだ。
2005年夏から2021年冬16年の歳月を経て
ふたりの人生が故郷に戻って来た気がする。
今展示のメイン大作は、石狩河口に遺る明治初期の治水学者
岡崎文吉の川の蛇行を基本とした治水の遺構から立ち上げた
作品である。
この作品の立ち姿が朝・昼・夕・晩と実に美しい。
ショートカット重視の現代社会構造に対峙した近代治水学者
岡崎文吉の報われなかった人生を、深く讃える賛歌のように
花開いている。
交通インフラに凭れ負かった移動ではなく、ふたりだけの
稚内発サハリン経由シベリア大陸横断の陸路・鉄路の一ヵ月
の旅。
そのラデイカルな流れが今回の展示作品・初出版のふたりの
本に籠っている。
そして明治以降近・現代の時の中でショートカットされ続け
短くなった石狩川の核心を、生涯追求する故里の土を、ふたり
は、風の根・土として獲得した気がする。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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ケン&アヤ展への序奏ー風の土(1)
http://kakiten.exblog.jp/32519089/
2021-12-12T16:24:00+09:00
2021-12-12T18:35:03+09:00
2021-12-12T16:24:03+09:00
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漂っていた。
この間若林和美さんの纏祝堂藍染め個展のテンポラリー通信も打
ち込めず、優れた会場構成力については時改めて触れる積もりだ。
今月11日よりベルリンから帰国の谷口顕一郎・彩子展が
始まった。
2005年夏稚内からサハリンを経て、シベリア大陸を横断し
ベルリンに滞在。その後欧州各国で表現活動を続けて16年。
風の土ではないが、故里札幌で久しぶりの個展のテーマは、明治
初期に北大農学校で治水工学を学び川の蛇行を基準とした
自然工法の学者岡崎文吉の茨戸に遺る単床ブロックをトレースし
立体化した彫刻作品である。
そして同時に2005年ともに旅立った奥さんの彩子さんの著に
よるシベリア大陸横断日記とその後の今日に至るヨーロッパでn
活動記録を一冊にした本の出版記念展でもある。
このふたつの出来事は、正に風が土という根を得たケン&アヤの
大輪の花と私は感じている。
土という根を保たない、新旧・速遅を至上の価値観とする現代の
風文明。
その風潮に対峙するケンとアヤの風の根の花だ。
あらゆる分野でショートカット全盛の現代において、ふたりが
体現し表現した行為の記録・表現は、ふたりの故里という土に
今咲いている・・・と私は感じる。
ありがとう、ケン&アヤ・・・さん。
*「顕(ケン)&彩(アヤ」展ー12月19日〈日)まで。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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原点の記憶ーメタフイジカル放浪(10)
http://kakiten.exblog.jp/32457817/
2021-10-10T17:33:00+09:00
2021-10-10T17:56:34+09:00
2021-10-10T17:33:31+09:00
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まだ若かった母が、突然赤い髪になって帰って来た。
明治生まれの祖父と大正生まれの父が、怒っていた
記憶がある。
母は美容室に戻り、元の黒髪に戻していた記憶だ。
なんで父と祖父が怒ったのか幼児の私にはなにも
分からなかった。
今思えばあの時の家族の亀裂が、ひとつの時代の
見えない亀裂だったという気がする。
アメリカの占領下で進められた自由と民主主義の
モダニズム近代化。
若い母は行きつけの美容師に薦められるまま、新しい
価値観・流行の髪型に乗ったのだろう。
明治30年に福井県から移住し創業した祖父。
その祖父を深く敬愛し生業を継いだ父。
国家間の戦争とは別次元で、家業・家風の個の
価値観が赤い髪への拒絶を生んだのだろう。
この時”美容師さんに、とてもお似合いですと褒め
られたのに・・・”と、半ば泣き声で抗議していた
母を想い出す。
明治以降の近代化・モダニズムの風を受けてダンス
という日本に無い踊りを目の前に見た舞踏家大野一雄
は、その道へと邁進する。
しかし昭和前期という時代は軍国主義・天皇崇拝の
時代へと急傾斜し米英との本格的戦争の時代となる。
大野一雄が徴兵されたその年に生まれた大野慶人は
戦中から生き延び帰還した父一雄と初めて会うのは
すでに10歳になってからだった。
大野慶人は父の背中を追うように成人し同じ舞踏の
世界で生きることになる。
しかし10年の亀裂は生涯を通して、人前で一度も
父と呼ぶ事の無かった慶人に反映されていた。
大野一雄にとっては、新たな舞踏の可能性を追求する
事を断念した空白の10年だっただろう。
戦争という断絶・亀裂が昭和の後半アメリカモダニズム
が日本を覆う中で、見えない川・暗渠のように横たわって
存在したのだ。
その現在に繋がる時代の内なる亀裂を、戦争を生き延び
その亀裂を乗り越え、個有の日本文化・個有の自己表現に
まで高めた数少ない表現者のひとりが大野一雄の舞踏であ
った。
10年間の父不在という亀裂を抱いた大野慶人の舞踏は
ある意味未完のまま昨年逝去された。
ただ最後の慶人の舞踏と思われる父一雄の指人形を自分の
親指に詰めプレスリーの「愛さずにはいられない」の歌曲
に乗せて寡黙に踊る姿に、父不在10年という亀裂を初めて
ひとりで超えた姿を観た想いがした。
ふたりがそれぞれ超えてきた10年という荒野。
そこに現代という我々個々の固有の現代の基点もある
と私は思う。
埋葬の日は、言葉もなく
立ち会う者もなかった。
・・・・
空に向かって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつつこんで静かに
横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Мよ、地下に眠るМよ、
きみの胸の傷は今でもまだ痛むか。
昭和近代前半の戦争という・・・明・暗。
敗戦後デモクラシーという・・・明・安。
そこに本質的に横たわる、光と水の原点太陽と海
へのМに託した鮎川信夫の告知は、70年近い歳月を
超えた3・11への予告とすら予感されるのだ。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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深く生きるーメタフイジカル放浪(9)
http://kakiten.exblog.jp/32454712/
2021-10-07T18:04:00+09:00
2021-10-10T15:38:18+09:00
2021-10-07T18:04:00+09:00
kakiten
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その左手の再生に、今は<右以上に愛おしく・・・生まれ
てくる字がスリリングでとても気に入ってます。>と書かれ
ていた。
故郷を離れ今は横浜にいる原田さんが、3・11以降深く心に
期する事あって再び故里浪江に還り、新たな仕事を志すと
聞く。その意味で「手根管症候群」で利き手が左手という
身体的変化はなにか象徴的な反応に思える・・・。
それだけに今回の決断は、全身全霊の決断・実行と思われる。
爆弾を落とされた訳ではない。
明るい廃墟と化した故里。
その意味では、荒地と化した戦後の原点風景に還る行為
なのかも知れない。
一発で一つの都市を焦土と化す原子力爆弾の<暗>を安心・
安全・安価の原子力発電の明るい<安>に装いを変え起き
た原発事故。
その結果破壊の見えない明るい廃墟と化した故里。
その故里に還るという行為・決断は、隠された戦後現代の
基点・廃墟の現在へ還る真の現代の出発点へ回帰する王道
の選択と、私は思う。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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青いキャンパスーメタフイジカル放浪(8)
http://kakiten.exblog.jp/32442416/
2021-09-25T17:48:00+09:00
2021-09-28T15:50:50+09:00
2021-09-25T17:48:51+09:00
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の終わりの歌詞がある。
・・・・
空を見たけりゃ ビルの屋根
もぐりたくなりゃ マンホール
現在の都市風景をこの歌詞はまるで予言して
いるかのように思える。
今はもう見上げる<空>も、屋根のないタワー
ビル群に取って代わり、もぐりたくなる<マンホール>
も地下街・地下鉄・高速自動車トンネル、新幹線
リニアモーターの疾走するトンネルとも思える。
そして何よりも現代人は<空を見上げる>行為すら
喪失しつつある。
戦争中の防空壕、戦後のマンホール。
戦争中のB29の空爆、戦後のビルの屋根。
この都市構造は、屋根などもうないタワービル群、
迷路のように張り巡らされた地下交通網の現在
となっても基本構造は変わらない。
ただ決定的に違うのは、垂直に天地を感じる
縦軸の目線だ。
広々とした空は、光に溢れ雲が描く青いキャン
バス。
深々とした地は、水が溢れ植物が溢れる土の
キャンバス。
夜空に輝く中秋の満月を見上げながら、身で感じ
る遠い星、近い星を見る等身大の人間を想い出し
ていた。
火星や月にロケットを飛ばし遊覧・観光・移住
を考えるビジネスがあるという。
星をそんな風に考える事自体が、身の程知らず
だと思う。
星空という夜の空も、宇宙という星のキャンパス。
月の砂漠・火星の砂漠などは、行かなくともいい。
その前に地球自体が砂漠化するかも知れない現在が
進行している・・。
月の砂漠をはるばると
旅の駱駝が ゆきました
金と銀との鞍置いて
ふたつならんでゆきました
金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕(かめ)
ふたつの甕はそれぞれに
紐で結んでありました
さきの鞍には王子様
後の鞍にはお姫様
・・・。
こういう<月の砂漠>で良いじゃないか・・・。
観光旅行や移住などしなくて良いのだ。
ボデイの数を金銭に置き換え、<身>と
いう身体の宇宙を忘れては、天に唾する
自滅行為となるだろう・・。
テンポラリースペース 札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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爪先立ちの現代ーメタフイジカル放浪(7)
http://kakiten.exblog.jp/32433284/
2021-09-16T16:17:00+09:00
2021-09-16T16:20:40+09:00
2021-09-16T16:17:13+09:00
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そんな欧州への憧れ、そして湾中央に大きく立つ
自由の女神と港奥に聳え立つ摩天楼のビル群が
重なるアメリカ。
大正モダニズム・大正デモクラシーまで続いた
日本の近代モダニズム。
昭和はそこから新たな尊皇攘夷思想に里帰り
するように「鬼畜米英」を掲げる戦争の時代
に突入する。
そしてヒロシマ・ナガサキに落とされた原子力
爆弾で敗戦を迎える。
昭和の後半は原子力発電の名の下、平和で安価
安心な原子力発電の推進国として経済大国へと
駆け上るのだ。
美空ひばりの唄った「東京キッド」の<右の
ポッケの<夢>、左のポッケの<チュウインガム>
には戦勝国アメリカへの憧憬が垣間見える。
そして3・11の大津波により、爆弾=発電と
名称を変えただけの原子力により、幾つもの故里が
消えつつある。
近代の右のポッケの夢も、左ポッケのチュウインガム
の夢もまた、夢の夢・・・。
昭和近代の踵も見ずして、現代などと欺くな。
原子力汚染で立ち入り禁止が続いた故里福島県浪江町
に今年帰る事を決断した原田洋二さんの為に私は沖縄の
豊平ヨシオさんの作品を抱いて尋ねようと思う。
それは私自身の近代(モダニズム)の踵を確認する為
なのだ。
爪先立った近代を訣別しなければ、現代はまだ夢の裡に
あるだけだ。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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現代のスタート・戦後ーメタフイジカル放浪(6)
http://kakiten.exblog.jp/32429297/
2021-09-12T16:32:00+09:00
2021-09-12T17:23:30+09:00
2021-09-12T16:32:47+09:00
kakiten
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私はふっと寺山修司が独自の視線から纏めた
1992年初版の「日本童謡詩集」を本棚から
抜き出し、藤浦洸 作詞の「東京キッド」に
眼を止めていた。
歌も楽しや 東京キッド
いきで おしゃれで ほがらかで
右のポッケにゃ 夢がある
左のポッケにゃ チュウインガム
空を見たけりゃ ビルの屋根
潜りたくなりゃ マンホール
これが敗戦後何年間かの戦後孤児の見詰めた
都市風景だったのだろう。
この歌の最初と終節は二番・三番の歌詞でも
共通するが、二番・三番真ん中の三行は、
泣くも 笑うも のんびりと
金はひとつも、なくっても
フランスの香水 チョコレート
腕も自慢で夢がある のど自慢
いつもスイング ジャズの歌
おどるおどりは ジタバーグ
鬼畜米英と原子爆弾で終結した昭和近代の末路。
その後に始まった戦後第二次近代は欧米への再び
の憧憬から始まったのだ。
一番の”右のポッケにゃ 夢がある 左のポッケ
にゃ チュウインガム”
再び敗戦後に夢見られた欧米への夢・・・。
そして現代の都市風景の原景とも思えるビル、マン
ホール・・・。
私たちは、屋根の見えない摩天楼・タワービル群、高速で
疾走する自動車・地下鉄・新幹線・リニアが支配する
巨大マンホール・地下道の今を生きている
そしてもう一つ浮かんだ戦後の詩は、戦中を潜り抜け
た鮎川信夫の最初の戦後詩「死んだ男」の詩行だった。
埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった。
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで
静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
・・・・。
戦後近代の出発の空には、「東京キッド」が見上げ
る空には”ビルの屋根”が見える。
鮎川達戦争経験者が戦中で見た空は、廃墟と死者の
重なる上にある空。
地球の生命を支える光と水・・・太陽と海すら信ずる
事の出来ない究極の破壊の世界が見据えられている。
近代日本が鎖国を解き、欧米への憧憬が鬼畜米英というう
近代精神の国家的精神鎖国の果てに見た戦後近代の夢
とは”左のポッケ”に握りしめられた”チューインガム”
に象徴されるアメリカ物質文明だったのだろうか。
真の出発(旅立ち)は今も未明の裡に在る。
テンポラリースペース 札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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三つの里ーメタフイジカル放浪(5)
http://kakiten.exblog.jp/32422474/
2021-09-05T16:26:00+09:00
2021-09-05T16:31:05+09:00
2021-09-05T16:26:12+09:00
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威嚇するようなカラスの鳴き声が頭上に響く。
以前から気づいてはいたが、よたよた歩く今は
以前より気になった。
そしてふっと同じカラスの鳴き声を唄った童謡
を思い出した。
カラス 何故鳴くの
カラスは山に
可愛い七つの
子があるからよ
可愛い 可愛いと
カラスは啼くの
可愛い 可愛いと
啼くんだよ
山の古巣にいって見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ
そういえば山里に住むより、街に住むカラスが
増えているようだ。
夕焼けの空を穏やかにカァ~カァ~啼いて帰る
カラスを最近は見かける事がない。
山里が故里ではないからだろうか・・・。
今は人里に帰巣して行くから、油断なく警戒の
啼き声に変わったのだろう。
しかし故里喪失は何もカラスだけではない、人も同じ
<里>喪失を生きているのが現代という時代だと思う。
山里ー人里、その間には、<故里>という界(さかい)
の里の存在が在ったと思う。
人から見て<里山>という存在だ。
兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故里
この共生空間こそが、人里ー山里の間に界(さかい)
空間として近代の初めまで存在していたと思える。
その豊かな界(さかい)空間を擦り減らし、変え、
今日のいわゆる現代とやらが存するのだ。
街路を奔る土石流、燃え上がる森林火災、・・・。
里海という海の故里も、水と森の界(さかい)に
豊かさを喪失しつつある。
空ではカラスが威嚇し、森からは熊が威嚇し
地球全体がその自然の野生を露わにしつつある時代。
それを現代などと、本当は言いたくも無い・・。
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死の匂いーメタフイジカル放浪(4)
http://kakiten.exblog.jp/32417538/
2021-08-31T16:22:00+09:00
2021-08-31T16:34:10+09:00
2021-08-31T16:22:51+09:00
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深い空・森ーメタフイジカル放浪(3)
http://kakiten.exblog.jp/32414580/
2021-08-28T17:27:00+09:00
2021-08-28T17:30:53+09:00
2021-08-28T17:27:53+09:00
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何時の間にか街はすっかり車社会に変貌している。
私の記憶に遺る道沿いの建物はほとんどがビル化
し、道幅も拡張され、両脇の建物には横文字の
看板と高層ビルが連なっている。
そして気付いた事は、前方車窓に広がる空の広さ
深さだった。道幅が車用に広がった事で前方の
見通しが良くなり、空が窓一杯に広がるのだ。
同じ発見をコンビニの前の駐車場でも経験した。
ビルの間に一階建て低層のコンビニ。
その前に広く占める駐車場。
そこで助手席に座り、買い物を待つ間に見上げた
窓一面に広がる空。
ああ、空は広さ、深さの中で、雲の変化、陽光
の変化を眼なみなみに受け止めるのが良い。
街は何時の間にか、歩く街から高層ビルと高速
道路の織り成す構造になっていた。
天空にも地下にも地上にも歩く位相は移動の位相
へと転位している。
山裾の森も山の深さ、高さに連なるもう一つの
緑の空なのだが、その裾野を削り、裾野に湧く水
の流れ/川を暗渠化し住のパック高層マンション
・高速道路を天地に曼延する。
病院通いが日常化し、僅かな知見の裡に感じた
風景の変動が地球規模で日々進んでいるなら、
地球生物の一種・人間が他の多くの種の地球の
生の場を侵略し奪取を続けているのだ。
そして、空さえ、山さえ、海さえも・・・。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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ドイツベルリンから帰国ーメタフイジカル放浪(2)
http://kakiten.exblog.jp/32407519/
2021-08-22T15:17:00+09:00
2021-08-22T15:17:40+09:00
2021-08-22T15:17:40+09:00
kakiten
未分類
20年ほど前札幌から稚内ーサハリン経由して陸路で
欧州を目指しドイツベルリン拠点に欧州で活躍している
これまでの記録を札幌かりん舎から出版する打ち合わせで
帰国したのだ。
当時サハリンから二人だけで陸路をの旅を詳細に日記で
残した彩さんの文章とドイツベルリンを拠点に欧州各国で
活躍したその後の記録とともにケン&アヤの共著として
出版される事になる。
その最終打ち合わせが今回帰国の目的である。
そしてその出版記念を兼ねて久しぶりにテンポラリ-スペース
で二人名で個展を開く予定だ。
コロナ禍で伸びていた帰国を今回は3,4ヵ月滞在し
ふたりの人生の節目ともなる時間を過ごす事となる。
20年程前未婚のふたりが欧州へ行きたいと相談を
受けた時、折角北海道から志して欧州へ向かうなら
稚内から狭い海峡を渡り陸路でシベリア大陸を横断し
欧州へ向かうべきだ、と提案したのは私だった。
そしてふたりはそれを実践したのだ。
飛行機に拠る移動とは違い、アジア圏から欧州圏への旅は
ふたりにとっても大きく深い経験となったと思う。
その一端を彩さんがドイツ・ベルリンに居を構え1年後に
書き表した日記に読む事ができる。
陸路の旅を通して彩さんの深化・成長がくっきりと読み取
れるからだ。
旅の写真とその文章を読み、観念ではなく人間としてふたり
がひとつの志を抱き旅する姿は、私に何時かケン&アヤという
イメージを作品作家名にしたらどうかという想いを抱かせて
いたのだ。
その想いにふたりが応えくれた。
もう観念だけの男女平等の時代ではない。
人類はこの地球上の多様な生物の一種として、正念場を
迎えつつあるからだ。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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二臓器を病むーフィジカル放浪(1)
http://kakiten.exblog.jp/32355014/
2021-07-11T18:33:00+09:00
2021-07-11T18:35:06+09:00
2021-07-11T18:33:27+09:00
kakiten
未分類
ふらつき、目眩、低血圧が続き、転倒三回と散々な
冬だった。
太股の血管から細い針金を通し、直接心臓の弁膜を
治療する手術が上手くいったようなのだ。
弁膜が正常化して次第に血流が良くなる。
コロナ禍でギャラリー展示も中止・延期が続くのと
重なり、ブログログ更新・無展示続いた。
現在の場所で15年。
疲れも重なっていたのだろう。
今月末ドイツ在住の谷口顕一郎・彩子夫妻が
帰国し二週間のコロナ隔離を経て初の顕&彩
名の個展を催す予定だ。
この時併せて稚内ーサハリン経由で欧州を目指した
ふたりの旅日記も出版される予定だ。
アジア圏から欧州へ、そしてその後の欧州各国での
活動も収録され充実した本ともなるだろ。
出版は札幌のかりん舎が引き受けてくれた。
二臓を病んだ私もここは頑張らねばならぬ・・。
*花人・花や展ー未定
*高臣大介ガラス展ー未定
*顕一郎・彩子ー谷口展ー9月以降
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011ー737-5503
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