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テンポラリー通信

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2008年 10月 23日

記憶を縫うーOctober run(9)

2005年1月の中岡りえ展の時、スペインのアンパロさんの私的な送別会があっ
た。5人くらいの集まりで、その中に四国・高知の鏡川でその翌年8月に遭難死
した村岸宏昭さんの姿もあった。そして彼が、アンパロさんの為にギターでバッハ
を演奏した事を思い出す。ソロで聞いたのは初めてで、いい演奏だった。
演奏後、もうこれからはひとりで弾いた方がいいよ、と言ったのを覚えている。
この時の演奏は本人も印象深かったらしく、彼の演奏記録に非公開としながらも
、しっかりと記録されている。
村岸さんの亡くなった鏡川は、中岡さんの故郷を流れている川でもあり、その偶
然を不思議な縁と思う。海までの川の流域が短く、一気に溢れる川という。
海と山が近いのだ。ゆったりと流れる平野が狭いから、川はすぐ増水し流れも早
い。中岡さんは村岸さんと初めて会って、それ以来の来日だった。
その間映像作家の大木裕之さんともニューヨークで縁があり、なにかとここと人
的に重なる中岡さんである。
今回の展示は、大きな布と小さな布によって構成されている。
布には様々なものが糸で縫いつけてあり、見ようによっては縫込まれた立体的な
版のようにも見える。糸一本にも濃い連続・不連続があり、個展のタイトルにある
DNAそのもののようである。
見ていて時々ニューヨークから送られてくる彼女の葉書の字を思い出していた。
細かな字でびっしりと書かれた、のたうつような字である。この字も糸のようだった
。その葉書の中で今も印象深い一文がある。

 経済と人種とヒンコンとニンタイと物の見方とART・・・について。人種のルツボ
 の中、それぞれの人種のかかえる問題で唯一の共通は?美術は美ではない
 ということでしょうか。ARTはすべてをふくんだ綜合哲学・・?

いつもあまりの文字の細かさと読みづらさの為に、ゆっくり読む事のなかった葉書
だが、この文だけは何故かきちっと読んでいたのだ。
人種の坩堝のようなニューヨークに生きる人間のこの実感とも思える文に、あらた
めてARTが、美術と訳された日本の近代が抱え込んだ出発点を思ったのだ。
ここでいう綜合哲学とは、生きる事そのものを抱え込んだ言い方と思う。
この言い方の位相には、アートで街興しとか、サッポロアートとかいう軽薄な位置
付けときっぱりと訣別した位相があるからである。
このある意味当然とも思える前提を表現の基底に据えて、ARTに向かう事を今ほ
ど必要とされる時はないと思える。
中岡りえさんの生きてきた時代と時間が、あたかも一本の糸のように縫込まれた
布絵に囲まれながら、その評価は見る人とともに会期中にまた新たに編まれてい
くに違いない。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-10月23日(木)-29日(日)
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-637-5503

by kakiten | 2008-10-23 12:21 | Comments(0)


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