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テンポラリー通信

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2008年 10月 18日

秋滲むーOctober run(5)

暖かく曇日。秋滲(にじ)む。
腰を捻って及び腰。自転車を置いて歩く。
円山はうっすら晴れていたが、地下鉄北18条を上がると
手稲の山稜も見えず曇天。
空気が秋色に滲んでいる。春は霞、秋は滲(にじ)み。
冬と夏、夏と冬の美しい界(さかい)だ。

「段差アリ 足下注意!」と東西線各駅のプラットホーム停車口床面に表示が
ある。新しく附けたものらしい。今朝初めて見る。南北線にはない
腰を痛めた私の為に附けたものでもないだろうが、黄色の大きな文字に驚く。

                 段差アリ
                 足下注意!

都市の境は「段差アリ 足下注意」だが、自然の界(さかい)に<段差注意>は
ない。人はきっと、このふたつの境界(さかい)を生きている。
滲み霞む美しい界(さかい)と、段差アリ注意の境(さかい)とを。
自然のなかの生と死。都市生活のなかの生と死。
死もまた、その境界をふたつに別ける。
薄暮のなかに消え行く死は、焼き場の煙のように霞み、滲(にじ)む。
そうして人を見送った事もかってあった。
今は煙も見えない、焼却炉の衛生安全の装置のなかに死もある。
死は霞みも、滲みもしない。明かるく明確な消去である。
生と死の間(あいだ)は、段差アリ なのだ。
分類され、区別・差別・分断される間である。
清潔・安全の食物の規準のように処理される生と死の間。
そこに美はない。
心に立会い、心で見切る。
その心の境界は段差・注意の位相とは違うのだ。
人も物も、消費期限・賞味期限の段差・注意の位相と違う生を生きている。
霞み、滲む位相を境界(さかい)に、美として屹立させる行為をもつ。
美術を含めてあらゆる表現行為は、いつもその地平から湧き起こる。
今、阿部守の鉄の作品はそのような界(さかい)の直線に横たわっている。
秋の曇り日の柔らかな光のなかで、鈍く鉄が浮かぶ。
鍛錬された痕、錆の赤茶けた色彩。鉄もまたその界(あいだ)を生きている。

*阿部守展「場に立つ」-10月19日(日)まで。am11時ーpm7時
*中岡りえ展「DNA Diary 1902-2008」-10月23日(木)-29日(水)
 :ニューヨーク在住の美術家
*M企画展「Logs/River/City」-11月4日(火)-16日(日)
 :札幌在住の美術家河田雅文
*アルジルンネ「モーラ」展ー11月18日(火)-30日(日)
 :青森出身中島幸治・幕別出身國枝絵美のふたり展

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-18 12:48 | Comments(0)


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