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テンポラリー通信

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2008年 10月 09日

直線の哀感ー夏の末(sak-kes)(41)

ひとつの展覧会が終り、人が去る。
その人が去る寂しさをどう思うのと、或る人に聞かれた。
次へとつながるものがあるから、その寂しさがすべてではないと応えた。
場が発熱し、その余熱は埋もれ火となる。消え去る訳ではない。
記憶の時間は場とともに、カルチベート(耕す)された記憶の土壌となり、場を生
きる根となるからだ。
3年連続して、この場で秋に個展を続けている阿部さんがそのいい例である。
人として、再会する楽しみがある。作品としては、毎回その展開に新鮮な発見が
ある。別れの寂しさを補って余りあるものがある。
作品にも一期一会があるのだ。
鉄を素材に一昨年は、その鉄が水と触れ錆となり土へと回帰していく状況が主題
としてあった。昨年は火を通過した鉄の保つ柔らかさが主題としてあった。
そして、今年は鉄が用として直線化する哀しみが、側溝のような形の直線と鉄肌の
保つ柔らさかの対比においてあると思われる。
今回のテーマ「場に立つ」とは、その言葉通りに場に立つている訳ではない。
<立つ>という行為は、暗渠の川のように不可視の地中に直線で横たわる現実
なのだと言っているかのようである。タワーマンシヨンのエレベーターも然りである
。地下鉄もそうだ。新道という高速道路もそうだ。都市の直線構造は鉄を素材に、
不可視の直線を構成している。
人間の用という利便性の欲望によって、鉄は都市の物流の効率化の為に直線素
材として使役される。表現者としての美術家は、そこに素材本来の鉄を再生しよう
と試みる。土から精製された鉄の原風景を、その素材そのものの風景として、直
線化された風景と対峙させる事で、現代文明の都市の風景と向き合っているのだ
。この対比の界(さかい)が、作品に深い哀しみのような情感をもたらしている。
百キロを超える鉄の側溝のような物体が、長さ2・5m高さ20cm幅20cmの大き
さで床に横たわっている。そして正面の壁には厚さ11cmの鉄の板が、2枚は長
さ45cmもう一枚は60cmと、3枚組み合わされて置かれている。
この合掌のズレのような、せめぎ合いの形は、もう一方の壁のドローイングにも見
られて、今回のテーマを象徴して表わしていると思える。
場に立つという主題は、その足場を直線に横たわる、立ちつくすという構造に組み
込まれ、喪失しつつある我々の<立つ>在り様を、鉄という素材の原風景と現実
の直線のズレとしてある哀感を湛えて見事に表象している。
過去2回鉄の原風景を表出してきた作家は、今回その鉄の原風景と都市の風景
を重ねて、曲線と直線を捩るように擦り合わせ、哀しいズレを情感としても湧出さ
せたと思える。

*阿部守展「場に立つ」-10月9日(木)-19日(日)am11時ーpm7時(月曜休
 廊)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-09 13:16 | Comments(0)


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