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テンポラリー通信

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2008年 10月 01日

背負うということー夏の末(sak-kes)(34)

自転車に乗って通勤するようになってから、リュックをを背負うようになった。
両手が自由でいい。荷台のない、前のめりのスタイルの自転車なので尚更であ
る。そして、ふっと気づいたのだが、最近赤ちゃんをおんぶをしたお母さんを見か
けない。前抱きのスタイルが多いのだ。何故背負わなくなったのだろう。
安全という事も聞く。しかし、かってのお袋さんの姿を思い出すと、背負いながら
働く姿であった事を想い出すのだ。炊事、掃除、洗濯、等々働く姿の母親にはい
つも子供を背負い凛々しく、甲斐甲斐しい姿であったように思える。
今リュックの日常にいると、背負うという行為を確認しながら、思うのだ。
抱っこというのは、休息の光景、子供にミルクをあげていたり、泣くのをあやして
いたり、寛ぐ時間だったように思う。
おんぶに抱っこと言うと、何でも任せぱなしの事をいう。抱っこが入るとおんぶの
凛々しさが抜ける。背負うという事は大事な事である。背負わない無責任が多い
。何を背負って生きていくか。背負うという負荷を、如何にプラスのものに転換す
るか。背負わず、楽な隣の芝生ばかりを追いかけてはいないか。
若いお母さんの抱っこの姿を見ながら、その事自体とはまた別に<背負う>とい
う精神のあり方を、遠いかっての母親の姿と重ねながら思った事である。

梅田マサノリ展始まる。先ず最初に目に付くのは、会場の真中に設置された透明
な大きな球体である。空気を入れ膨らました直径2m程の大きな物である。
真中にカメラが吊らされている。周囲の壁には10cm×7cmの黒い角箱と15cm
×7cm程の長円形の黒い箱が15個並んでいる。中は半開きで標本のようなもの
が、透明な液体に浮かんでいる。これらが一体となって、会場の光の在り様で様々
な表情を見せる。会場真中の透明な球体が、会場の視覚を昼夜、外光、照明によ
って変化させる。見る者はどうしてもこの透明な球体を通して、物を見る。そして同
時に、この透明な球体の内部の黒目のようなカメラによって見る者は見られる存在
でもある。パソコンを通して会場の様子は、この球体の瞳から遠く離れていても見
る事ができるように設定されている。胃カメラや腸の内部を見るカメラのようにも思
える。会場全体が、体の内部。内臓のようにも思える設定だ。
これは多分、本人自身の闘病体験に基づいているのだろう。
壁に置かれた標本のような物は、その切り取られた病根の物体のようである。
ただこの個展がそうした設定にもかかわらず、透明感があり優れているのは、会場
中心に置かれた巨大なビニールの球体の存在があるからと思われる。
この透明な球体は壁に置かれた黒い箱とは違い、閉じず光を溜め屈折し通過して
いく存在だ。その事によって空間は日々、時間の経過のインスタレーシヨンともなっ
ている。病んだ閉じた世界が、この透明な物によって臓器が本来保っている美しい
関わりともなって、呼吸し、動悸を打ち境を繋いでいくもののようにあるからだ。

*梅田マサノリ展「Scenery of cell」ー10月1日(水)-7日(火)am11時ーpm7時
*阿部守展「場に立つ」ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

*web-http://artpress.ddo.jp/で映像が見れます。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-10-01 13:55 | Comments(0)


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