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テンポラリー通信

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2008年 09月 24日

相次いで届くー夏の末(sak-kes)(28)

メール便、郵便と相次いで届く。ひとつは、小樽・高橋秀明さんの更科源蔵論、
もうひとつは、ベルリン・谷口顕一郎さんの個展カタログテキストである。
高橋さんの更科論は、以前にも草稿の段階で読んでいたが、今回は手を加え
完稿のものだ。詩誌「極光」に3回に渡って連載されたものである。
この論考の優れたところは、時代と社会の間を生きる個を、更科源蔵という詩人
を通して圧倒的な自然へと解消、昇化していく善良・無垢なる観念性を徹底的に
跡付けし批判しようとした点である。
人は自然そのものになり得る存在でもなく、社会的存在そのものでもない。
その挾間を生きる存在である。アイヌと和人、戦争の時代と表現者としての詩人、
その間の自己の不在を、その不在の深部において<マゾヒズムに毀損された無
垢な善意が、氷漬けにされたマンモスの仔どもの屍体のように横たわっている>
と指摘する。時代や社会に対し、善意という位相でその自己不在を、このようにき
っちりと論考した詩人論は稀である。それは、詩人だけの問題ではなく、もっと根
源的な表現者の視座の問題と思えるものだ。
谷口顕一郎さんのカタログテキストは、30余頁に及ぶB4版横組みの充実した
ものである。私の拙文は、クラウス・メーヴェスというドイツ人の文とともに日本語
・英語・独逸語で掲載されている。図版も美しく、これまでの谷口顕一郎さんの仕
事をよく伝えている。
高橋秀明さんが更科源蔵を通して追及した自己と他の間の問題は、私が谷口論
で記した問題と深く関わってもいると思える。その緻密さ、論考の資料への深い考
察量においては、比較にもならない程私の谷口論は貧しいのだが、それでもなお
私は、視点の共通性を感じている。そして、紛れもなく谷口顕一郎の方が、更科源
蔵よりより密に時代や社会に対し表現者として向き合っていると思える。
その事を今を生きる同時代の人間として、強く思うのだ。
ふたつの朝の配達物は、なおも問題を孕んで今、心の深部へと誘っている。

*新明史子展ー28日(日)まで。am11時ーpm7時(最終日午後6時)
*梅田正則展ー10月1日(水9-7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-09-24 15:14 | Comments(0)


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