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テンポラリー通信

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2008年 09月 15日

新明史子展展示ー夏の末(sak-kes)(20)

家族のそれぞれの写真が、モビールになって揺れている。
同じ年齢の頃の自分、夫、娘。
同じ年齢くらいの祖母、母、自分、娘。
現在の祖母、母、自分、娘。そしてもう亡くなった曾祖母、祖父、祖母。
それらが、それぞれの時間軸でひとつのモビールになり、揺れている。
さらに30年前に撮られた’78年、79年の自分と家族、
80年の私、妹、母、祖母の写真が個々に切り取られ、吊られている。
家族という関係性、個という個別性。
個の時間の縦軸と、家族という関係性の横軸が織り重なり、離れて、
モビールの傘の中で揺れている。
従来大きく伸ばした現在の風景の中に、同じ場所にいた過去の自分を嵌め込む
作品を展示した新明さんが、今回は7点のモビールという形で、インスタレーシヨ
ンのように空間を創っている。
この時、風景の比重は減り、個の時間軸が主題となっている。
モビールという形を選んだ事で、時間は空間化し、今という風・空気のそよぎが
会場を創る。
今という時間は、砂時計の穴のようにさらさらと過ぎ去っていく。
それは浮世のようにに視覚化され、揺れるのだ。
一瞬の記憶片は、写真によって定着し、空中に浮いてある。
そして、それらは人間社会の家族という構成・連続性によって繋がってもいる。
それが、モビールの糸によって小さな時間の固まりともなって浮遊している。
時間は家族という関係性によって連続性も保つが、同時に個別という断絶も保つ
。しかし、全く個別という断絶だけでもない。
かといって、家族個々が全く同じという時間でもない。
何処で、人は人と出会うのか。
一番近しい人間の関係性にある親子すら、同じ年齢の時間は個別で他者でもある
。臍の緒で繋がる血肉の繋がりを見据えながらも、新明史子の眼はそれだけに溺
れてはいない。自らも母となり、その娘を見詰めながらも、同じ時間の私は個とし
て在る。2歳位の同じ年齢の3人は、全く他者のそれぞれの時間を生きている。
夫の時間、私の時間、娘の時間それぞれの2歳。
人は如何にして出会うのか。その最も身近な関係のなかで、なお問う視線がある
。その視線を発する視座にこそ、作家としての真摯な新明史子がいると思える。


*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-09-15 15:23 | Comments(0)


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