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テンポラリー通信

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2008年 09月 09日

T・Wブラキストンの札幌ー夏の末(sak-kes)(15)

全国的に晴れ!谷岡ヤスジだったけ、鼻血ブーと全国的に晴れ!
天気予報を見ると、全国各地太陽マークがついている。こんな日も珍しい。
次週新明史子展まで、今週は空いたので久し振りにぼんやり過ごす。
お盆期間も休まず続いていたから、今週は少しのんびりしたい。
山にも登りたい、映画も見たいといろんな欲求が渦巻く。
前夜そんな事を考えてたら、眼が冴える。朝寝不足で体がだるい。
小学生の遠足前みたい。
一昨日夕方、舞踏家の後藤茂さんという人が訪ねて来た。大野一雄舞踏研究所
の人だった。駅前通りのイヴェントに参加する為札幌に来たと言う。聞けば北大
出身でこの近くに6年いて、専攻は原子物理学だったそうだ。およそ対極にある世
界に身を置く不思議な人だった。ちょうどいた市役所の文化財課にいるKさんも、
何故と盛んにその転身を聞いていた。後藤さんが路上パフォーマンスで踊った
場所が、ピヴォの前と聞いてこの偶然も不思議だった。私の生家があった所だか
らである。明治30年に祖父が創立し、父はそこで生まれ、そこで死に、私はそこ
で生まれたのである。停車場通り、駅前通り、四番街と呼び名が変わって、その
呼び名の変遷に三代の時がある。石狩国。札幌区。札幌市。中央区。と住所の表
示も時と共に変わってきた。僅かに残された祖父・父への手紙、葉書の宛名の違
いである。条・丁目は変わらないが、その前の表示が変わってきたのだ。
道庁を中心とする、かって<本府>呼ばれた地域である。蝦夷地開拓基地の本丸
のあった場所でもある。古い地図をみると、この界隈だけが碁盤の目状にデジタル
な直線で記されている。フラットな大基地である。この街の性格を明治16年出版さ
れた「蝦夷地の中の日本」という著書のなかで、T・Wブラキストンは次のように記し
ている。

<札幌は高い賃金の労働力と金に糸目をつけない資材の契約という滋養物をもら
 って、街としての骨身・体力を付けたのと、補助金をもらった軍人階層と農民階層
 双方の入植者が殺到したこととによって、札幌は繁栄する街の外観を急速に装う
 ようになった。>そして<現代日本の”優れた政治家”が生んだこの得体の知れ
 ないものの例に見られるように、・・・ひとつの街を創設するため、国家の金がこれ
 ほど贅沢な 労力に支出されたことは、日本の歴史上、恐らくかってなかったこと
 であろう。>

この時記された札幌の補助金漬けの構造はその後も変化していない。
冬季五輪時は、市街地再開発として高層ビル化を推し進め、<そこに入植者(なら
ぬ入店者)が殺到したことによって、札幌は繁栄する街の外観を急速に装うように
なった。>
<この得体の知れないもの>と表された街の性格・構造は、今も少しも止揚され
ず、変化したのはハード面がソフトに変わり、文化の装いをしているだけである。
<補助金を狙った文化人層が殺到し><札幌は繁栄する街の文化を急速に装う
ようになった。>とでも言い換えておこうか・・。
<まず官庁街を他と明瞭に区分し、直角に交差する街路を通すという整然たる体系
の都市計画が実施された>この街で、その内側から如何にこの<区分と整然たる
体系>を、意識のなかで対峙するかに、私たちの真のさっぽろの奪還も問われるは
づだ。

by kakiten | 2008-09-09 16:19 | Comments(0)


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