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テンポラリー通信

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2008年 09月 07日

ハンブルグ・谷口顕一郎展ー夏の末(sak-kes)(14)

ハンブルグのMIKIKOSATOギヤラリーから、谷口顕一郎展のフライヤーが送
られてくる。日本の現代美術を紹介するギヤラリーの旗揚げ展である。
Hajo Schiffという美術評論家がドイツ語で紹介文を書いている。
ドイツ語は読めないが、何となく目を通していると、<HEKOMI in der histor
ーischen KintsugiーTechnik:Seit der ShogunーZeit wird in japan
>という文字が目に入る。うん?Kintsugi?Shogun・・。
同封されていた翻訳文を読み、なるほどと思う。貴重な陶器が割れた時、破損個
所を埋め金粉で繋ぐ伝統的な修理の技法を「金継ぎ」という。その技法と谷口さん
の凹みを形象化する方法が、凹みの遠縁にあたる技法だという指摘なのだ。
都市の壁や路上の傷痕をトレースし、その形を美として再生する谷口さんの方法
を、将軍の時代の陶器の修復技術と並べて見る視線には驚かされる。
日本国内にいれば決してこの視線から谷口顕一郎を論じられる事はないだろう。
外国にいればこそである。そして、この経験が大切と思える。己の出自を文句なく
問われるからである。他者、他国の眼というものが、己を丸裸にする。自分が纏っ
ている当然・無自覚な衣装が問われるのである。何故そういう衣を着ているのか
、おまえはこういう者だろうと自らを意識させられるのだ。なにも外国だけではない
。日本国内においてもそういう事がある。初めて東京で生活した時、先ずその洗礼
を受けたのは、北海道だろう、熊いるだろう、という素朴な断定であった。そして、札
幌の歌を唄えと先輩に言われた。その時無自覚に過ごしていた己の札幌・北海道
を他者に自ら明らかにする立場に立たされたのだ。他者あるいは他国は、個に対
しもっと大雑把な枠で外から見てくる。その外の視線に晒された自分を、自ら問い
返す経験が貴重なのだ。現代美術の最前線という自負が、この時外の他国・他者
の眼線で、”Kinstugi””Shogun”と見られる。ケンちゃんも吃驚仰天した事だろう
。そして”え?キンツギ?”と自問した事だろう。この個別性に基づく国・民俗の衣装
の相違を、きっちりと意識化し他者・他国に認識させる事が大きな経験になる。
生まれ故郷や自国にいては経験できない、自らのアイデンテイテイーへの試練と
なる。電気機器の国際化とは別の軸、文化軸の同時代性獲得にはこの差異が、
強烈に存在する。簡単に同時代というcontemporaryには達するものではない。
この小評論の是非はともかくとして、HEKOMIに続きあらたにKINSTUGIという
日本語が国際化したのだと思うと、この言葉すら知らない人が多い日本人自体が
その文化を問われている気もするのだ。

*gla_galのFresh Answer展ー7日(日)まで。
*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-09-07 12:47 | Comments(0)


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