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テンポラリー通信

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2008年 09月 05日

水溜りと蜻蛉ー夏の末(sak-kes)(12)

昨日は一日快晴。今朝はその所為か、水溜りがない。
すると道に蜻蛉が見えない。卸売り市場の辺りで、昨日は連結した蜻蛉が沢山
見られたのだ。あの辺は、暗渠化した界川・琴似川の流域だから、空気の川、風
に乗って水溜りができると飛んでくるのかも知れない。不可視の自然を察知する
蜻蛉の本能だろうか。昨日の夜、バタバタ音がした。一匹の蜻蛉がいた。
ベランダの網戸の隙間から入ったのだろうか。2回続けてペアーだったが、昨日
は一匹だった。今朝明るい戸口から、放してやった。
今年の夏は、よく蜻蛉が部屋を訪れる。今までにその記憶はない。
Iさんの紹介で一軒家を見に行く前の日。吉増剛造展最終日、大野慶人さん来演
の前の日。心も風も蜻蛉の形をして訪ねて来るのかしらね。そんな気もする。
すると、昨夜の一匹の蜻蛉は、何を伝えたくて訪ねて来たのだろう。
手を翳して、蜻蛉を抱き、そっと外へと放してやりながら考えていたのはその事だ。
アスファルトで舗装され、コンクリートで固められた一角に雨の水が溜る。
風の流れと水の匂いだけで、かってあった原風景が顕われる。
蜻蛉の目には、この都市の風景はバーチヤルな幻想でしかないのだろうか。
本能は、そこの原風景を指差している。漂白され、精製された風景の奥、風景の
玄米を蜻蛉は見ている。アスファルトに吸われ、すぐに乾く水溜りであっても、本
来はそこが豊かな水辺であると、感じているのだろうか。視覚だけでは誤魔化され
ない、もうひとつの現場がある事を、蜻蛉の命は知っているような気がするのだ。
そういえば、今の住いもまた、かっての界川の岸辺に建っている。
蜻蛉と見えない川、その風と水の流れの上のくたびれたマンシヨンの一室で、川を
塞ぎ風を塞ぎ、蜻蛉の生命を閉ざす都市の風景に加担して生きる俺がいる。
一匹のはぐれ蜻蛉とともに一夜過ごした、木枯らし先取りの晩夏の感想である。

*gla_galのFresh Answer展ー9月2日(火)-7日(日)am11時ーpm7時
*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-09-05 12:39 | Comments(0)


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