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テンポラリー通信

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2008年 08月 30日

parとputー夏の末(sak-kes)(7)

Nさんが3歳のお子さんを連れて、ご夫婦で来る。最近家を建て、森万喜
子さんの作品を飾っているのを、送られたメールで見たばかりである。森さんの
作品の為に壁の一部を造っていた。これほど作家にとって嬉しい事はないだろう。
3歳のタツヤくんは早速梯子を登り、2階吹き抜けで遊びだした。もうこうなると止
らない。何度も登ると言い出す。子供にとってここは、ちょっとした冒険の国なのだ
。絵を落ち着いて品良く見ようという親には、それどころでない子供のやんちゃが
始まるのだ。しかし、何度か梯子を上り下りしているうちに、子供は大人びてくる。
みんなが注目して何事かをやり遂げているという自信が、大人にするのだ。
もう絵を触ったり、親がハラハラする行為は消える。ただもう何度も梯子に登る
行為を止めないので親の方が飽きてくる。頃合いを見てお昼を食べようとタツヤ
くんを誘い、若夫婦は帰った。帰り際、一緒に行こうとタツヤくんが盛んに私を誘
った。森さんの息子くん、イブキくんとは同級生みたいと、Sさんにからかわれた
のも最近の事で、何故かお犬さまと子供とは波長が合うみたいだ。
管理する見方より、一緒に物を見たり、遊んだりする見方が多いので、懐かれる
のだろう。-愛することは、見詰め合うことではなく、ともに同じ方向を見ることー
サンテグジュベリである。まあ愛は少ないが、子供との友情はある。
子供がちょろちょろすると追い出すギヤラリーもあるそうだが、子供が楽しくない空
間は大人も楽しい筈がない。鑑賞という建前だけが前面に出るのは、どこか嘘っ
ぽい。子供が作品を壊したり、汚したりするのは、欲求不満になるからだ。大人が
思うほど子供は子供ではない。入口さえ見つかれば、あっという間に大人になる。
そこを見てあげ共感し共有する何かがあれば、全く対(たい)の存在になる。
かってアイヌの人たちが、自然のなかに、多くのpar(ぱル:入口)やput(プッ:(川
・沼などの)口)を見ていたのも同じ事と思う。アイヌの人や子供だけではない。
世界はきっと今も、新鮮な入口に満ちている。そこに差別・管理はない。

*森万喜子展ー8月31日(日)まで。am11時ーpm7時
*gla_galのfresh answer展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-30 13:14 | Comments(0)


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