冬の年(mataーpa)1月に続き、8月夏の年(sak-pa)の森万喜子さんの個展
が始まる。昨年末のブラックホールのような展覧会の後、年明けて白く凍てつく
空気に、森さんの色彩の粒子は光の発露のようにあって、暖かかった。
その色彩の奥には、太陽の黒点のような暗闘も秘められていたから、その発す
る暖かい色彩の凝縮には、純粋なエネルギーと思える力が漲っていたのだ。
私的にいえば、惨々たる昨年の疲労のなかで、どれほどこの作品の力に励まさ
れたか分からない。死に人生上一番近づいた時期でもあったからである。
人の死を、<息を引き取る>と表現する。逆に誕生は、息を吐き出し始まる。
”おぎや~”という声を発して人生が始まるのである。吸気ではなく、呼気から生
が始まる。吸気の構造は黒点のような死の構造に思える。その吸気を孕みつつ
も、吐く呼気のエネルギーが、森さんの絵画にはあったのだ。
正に瀕死の私は精神的に彼女の色彩力に救われた気がするのである。
個的な想いから、作品論を仕立てる積りはないが、作品に対し個的な次元に至る
事を抜きに語る積りもない。一般という世間の軸心は、嘘である。
個が普遍たり得るかに、作品の保つ力もまたあるからだ。
この時、個という打者は感動というバットを持っている。この感受性のバットを抜き
に世間試合をする手合いも多いのだ。ネット裏や、外野席の反応ばかりを気にし
ている手合いだ。球速や観客数ばかりが主役の、グランドの外にある眼線である。
今回の森さんの展示は、あの冬の白い寒気の中と違い、より淡白に見えはする。
夏の光の暖気が、作品をも緩やかにしているのかも知れないが、小さく裂かれた
小品が壁を飛んで散らばるようにあり、これが会期中さらに増えていくと、ここは、
楼蘭の莫高窟の飛天のようになるかも知れない気がした。そう見ると、吹き抜け
正面上部の黄色の大作と1階正面の緋色の大作が、大日如来のように見えてく
る。勿論森さんの作品が、仏画と言う訳ではない。ただこれらの作品が保つ力は
、遠い昔の仏画と同じくらい太陽の力を保っていると、私には思える。
日々の修羅に届く光の力があるからだ。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)am11時ーpm7時月曜定休・休廊
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
tel/fax011-737-5503 E・mail temporary@marble・ocn・ne・jp