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テンポラリー通信

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2008年 08月 17日

風澄むー夏の年(sak-pa)(68)

昨日は、どこか秋の気配がした。今朝は、一転青空が広がる。澄んだ空、空気。
季節はもう、夏の終わりを予兆のように潜ませながら進む。
アキタヒデキ展最終日。昨日は、ご両親はじめ、親戚の方々も見え盛況だった。
そのうちのひとり、アキタさんの伯母さんにあたる方が、後で聞くと’91年9月の
大野一雄石狩河口来札公演を見ていたと言う。前もって知っていれば、お話した
かったなあと思う。その17年後に甥っ子であるアキタさんが同じ場所を歩いてい
るのだ。時間の経過とその同時性を思う。時の経過と共に消却されるもの、消却
されぬもの、その時間軸の相違に文化の問題がある。
来札の河岸で見た流木、波、そこに流れていた時間軸。棄てられた原色の色褪
ぬプラステック類、そこに要・不要で分別された時間軸。最初から時間の蓄積を
消去されたモノと、時間の蓄積を続けている物の、違いがそのまま河岸には存在
したのだ。人の記憶の記録にも同じ事がある。時間と共に風化して消去される記
憶と、時間と共に深化していく記憶である。深化する記憶を形にする。記憶は記録
性を保ち、結晶する。それを、私達は仮に作品と呼んでいるのかも知れない。
大野一雄の石狩河口の舞踏の記憶は、記録され今もその結晶を語る事ができる
。アキタさんの伯母さんと私は、きっとその結晶を通して初めて会っても深化した
時間で出会う事ができるのだ。実際にはお話できなかったが、心はもう会っていた
と思えた。個に属する記憶が個の内に留まらず、ある共有性を保つ場処に、開か
れた文化の時間軸が存在する。それは、消却される時間軸とは異質のものと思う
。展覧会の場処もまた、個の記憶をある共有性にまで高め得るかが問われる場で
ある。人の死もまた、ひとつの時間の消去である。その死が、時間の消去を超えて
なお、存在し得るかは、作家の内面の文化の時間軸の深化によるのだ。
アキタヒデキさんが、祖父のソファに篭めた想いの次が問われるのは、その事でも
ある。

*アキタヒデキ展「点と点と展」-17日(日)午後7時まで。
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)
*gla_gal(グラ_ギヤル)展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-17 15:12 | Comments(5)
Commented by 満月の仙人 at 2008-08-17 19:15 x
唐突に・・・質問させて下さい。
大野一雄の映像は、そちらで拝見できますか?
何もわからないまま・・・「石狩シーツ」・・どんな
ことが繰り広げられたのか、興味津々です。
こんな無しつけなコメントをお許し下さい。
Commented by kakiten at 2008-08-18 14:43
満月の仙人さま>事前に言って頂ければ、お見せできます。
なお、「石狩シーツ」は、吉増剛造さんの長編詩の事で、
大野先生の舞台は、「石狩の鼻曲がり」で、その間に
4年間の時間があります。
Commented at 2008-08-18 21:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 高橋 由美 at 2008-08-19 02:36 x
中森様・・・すっかりご無沙汰しております。
お元気でしょうか?
さて、私は、明日から今月末まで、横浜・東京です。
予定通り30日は、ハリネコライヴを観てまいります。
戻りましたら、ご報告かたがたお土産話を携えて伺わせていただきます。
その節は、どうぞ宜しくお願いいたします。

Commented by テンポラリー at 2008-08-19 13:29 x
高橋さま>ほんと、風のように現れ、風と共に去りぬですね。
風は風でも、疾風系でしょうか。ハリネコライブの話楽しみに
してます。藤田さん、沙知さんにもよろしく。


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